1-3.魔王の憂鬱 その1

 魔王は居室の椅子にどっかりと腰を下ろした。朝のおだやかな光が居室を満たしていた。背後には歴代魔王の肖像画が彼を見守るかのように並んでいた。

 魔王は大きな深呼吸をひとつした。彼好みのほのかな柑橘かんきつ系の香りがした。また新しい一日が始まるのだ。


「まあ、魔王様。おはようございます」


 女どもが何人も駆け寄ってきて彼の周りを取り囲む。後宮こうきゅうの女どもだ。左脇にすり寄る者。右肩に体を預ける者。膝に寄りかかる者。足もとに寝そべる者。などなど。

 あっという間に椅子の周りにはなまめかしい塊ができあがる。


「魔王様、お疲れはありませんか。先日は人族の勇者などと戦って」

「まあ失礼な。魔王様が勇者など問題にするはずありませんのに」

「そうですわ。お体のどこにも傷ひとつないことが何よりの証拠」

「ご帰還なされたときにさえ、汗ひとつかかれてはおられませんでしたわ」

「でも人族の勇者とやら、できればひと目見てみたかったですわ。うわさでは勇者というのはたいそう見目みめうるわしいと言うことですし」

「それも私の魔王様が一番ということを証明するだけになりますわ」

「そこのあなた! 『私の魔王様』って言ったわね! 魔王様は私の物。私だけの物よ! ねえ魔王様」

「あらあら。ブサイクがふたりしてなに戯言ざれごとを。魔王様が一番ご寵愛ちょうあいなされているのはこの私だというのに」

「なによ!」「私よ!」「いいや私よ!」


 魔王はゆっくりとため息を漏らした。いつもいつも繰り返される醜態しゅうたいに顔をしかめた。たしかに傍目はためから見ればうらやましいかもしれない。柔らかな素肌を惜しげもなくさらした美女どもが、両の手指で数えられぬほどに取り囲んでおり密着されているのだから。さらにはここには出てきていない者も数多い。まさにハーレム。あらゆる男子の夢。たとえ人族の国王であっても、これほど大勢の美女をはべらせてはいないはず。


 しかし魔王は気が晴れなかった。これだけの数、魔王国中から集められた多種多様なタイプの美女。そんな美女たちに囲まれながら、魔王は彼女らのただのひとりとして心の底から愛することができなかった。それどころかすきあらば己の肉感で魔王を誘惑しようとし、互いにいつも言い争いを繰り返す彼女らのことを、魔王は内心バカにするだけでなく、あまつさえ軽蔑けいべつまでしていた。


「うるさい! 黙らぬか!」


 ついに魔王が一喝した。たちまちシュンとなる女ども。だが声は出さずともすり寄ることは止めない。


 魔王は若い。歴代の魔王と比べても5本の指に入るほどに。しかし彼にはこれまでの他の若い魔王と違う点があった。過去の他の若い魔王が前魔王の急な逝去せいきょに伴い魔王の地位を得たのに対し、彼は自らの力で前魔王を圧倒してその地位を奪っていた。


 それほどまでに若く活力に満ちた現魔王。女に興味がないわけではない。魔王国内の各地から献上される女どもに満足できず、自ら命じて自身のきさきにふさわしい女を捜させもした。しかし彼の後宮に女が増えれば増えるほど、彼の憂鬱ゆううつは深さを増すばかりであった。


 魔王は再度ため息をついた。


(どこかにおらぬものか。肉感的でなく清楚せいそな。派手派手しくなく落ち着いた。外から光を当てねば輝けぬのでなく太陽のように自ら輝くような。頭の中が空っぽであるかのような話しかできぬのでなく、このわれの頼れる相談相手となってくれそうな。そう、まさにあの夢の中の少女のような……。)


「それより皆さんご存じ? 最近城下で評判のお菓子のこと」

「あっそれ私も聞きましたわ。なんでもふわっふわで口の中で溶けてしまうのだとか」

「えーっ。私知らなーい。ずるいですわ。自分たちだけ」

「私も知りたーい。それは“くりーむ”とどう違うんですの?」

「なんでも情報によると、まるで空気を食べているかのようなんですって!」

「まあ空気! それじゃあいくら食べても太らないのかしら?」

「きっとそうよ。ああ、想像するだけでヨダレが出てきちゃう」

「じゃあ今度私の従者に探させるから、手に入ったら皆さんで一緒にお茶しません?」

「賛成! それならお茶は私が用意致しますわ」

「いいわね。ああ、早く食べてみたいわ……」


 先ほどの魔王の一喝などもう忘れたのか、再びおしゃべりに夢中の女ども。


 魔王は3度目のため息を漏らした。転々と変わる彼女らの話題についていけなかった。いや、はなからついていく気がなかった。お菓子、グルメ、酒。ファッションに城内の噂話。だれとだれがくっついたの別れたの。さらには後宮内の派閥争い、足の引っ張り合い。悪口のネタは尽きることがなく、よくもまあこれだけのデタラメをでっち上げられるものだと逆に感心するほど。


 しかし彼は魔王だ。魔王国を率いる王だ。自身の判断ひとつで魔王国を存亡の危機におとしいれることもあり得る立場だ。彼が求めるのは魔王城内のゴシップなどではない。魔王国を率いるための的確なアドバイスだ。自身の歩む道が間違っていないと確信させてくれるぶれない羅針盤だ。


 先に彼は先代魔王を圧倒してその地位を奪ったと書いた。それはすなわち同じ事が自身の身にも降りかかる可能性があるということ。圧倒的な彼の力を恐れて今のところだれも表だって口にはしないが、彼が若いということに大いに不満を持つ者もひとりやふたりではなかった。刺客しかくによる暗殺など恐れてはいない。そんな者は返り討ちにできる確信が彼にはあった。しかしたとえ力で倒すことができずとも他の手段ならどうか。もし誤った情報を入れられれば国策を誤ることがあるかもしれない。さすれば彼をその地位から追い落とす可能性を大いに高めることができるだろう。


 だから魔王は真に信頼できる存在を自らのそばに必要としていた。もちろん有能な側近ならいくらでもいる。しかしそれらは本当の意味で信頼できるのか? 無条件に信頼してしまっていいのか? 前魔王の時代から任についている者も多い。前魔王に恩義を感じている者もいるだろう。しかも魔王があまりにも若いために、彼にはまだ子飼いの部下と呼べる者は数が少なすぎた。なにより彼らには経験が足りなかった。魔王は己を頼る者ではなく、己が頼れる存在を心から欲していた。


(今のわれに必要なのはこのような者どもではない。)


 魔王は苛立いらだたしげに立ち上がった。もううんざりしていた。配下の者の多くは真に信じることができず、女どもには安らぎがない。ごくわずかの子飼いの部下たちには経験が足りず、しかし自分は魔王国のかじ取りを誤ることは許されない。


「あら魔王様、どちらへ」


 立ち去ろうとする魔王に気づいた女どもがすがりつこうとしてくる。彼女らのだれひとりとして魔王の心中を察する者はいない。彼女らの心中を占めるのはただひとつのことだけ。いかに自分が魔王から寵愛されるか。魔王はそんな女どもを邪険に払いのけた。


われは忙しいのだ。そなたらの相手ばかりをしてはおれん」


 嘘ではない。魔王の本心で間違いではない。魔王の心を悩ませているものは何も女どもや配下の者たちのことばかりではない。最後の勇者も憂鬱のタネのひとつではあったが、幸いその問題は先日解決した。というか、彼自身の手で解決させた。しかし彼が今から取り組もうとしている問題は、実はその人族の勇者にある意味関係している。関係しているだけどころか、あの勇者よりもはるかに強大な、はるかに厄介な問題であった。魔王は目的の場所へと急ぐために足早に居室を後にした。

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