第1章 召喚対象者を発見せよ

1-1.最後の勇者

 勇者レオンはガックリと膝をついた。


「くそう。俺は、俺は負けるわけにはいかないんだ。俺にはみんなの……、人族みんなの希望が掛かっているんだ。俺が負けたら王国にもう勇者はいないんだ。俺が最後の希望なんだ」


 平原に太陽が高く昇っていた。日差しが彼の傷ついた体を容赦なく突き刺す。顔から赤く染まった汗がしたたり落ちる。口を開けてする呼吸は荒い。膝をつき、地面に突き立てた剣を両手でつかんでようやく崩れ落ちること防いでいる。全身の防具はボロボロ。だれの目にも彼にはもう戦う力が残っていないことは明らかだ。


 勇者レオンは残った力を振り絞って周りを見回した。彼と同じような防具を身につけた人間が何人か倒れているのが見えた。ある者は大剣を握りしめ、またある者は折れたやりに手を伸ばしている。打ち折られた弓を背負っている者がいれば、一番後ろにはつえを握りしめたまま倒れているローブ姿の者も。


 もちろんだれひとりとして息をしている者はいない。


 勇者レオンは唇をかみしめた。鉄の味がした。目に汗がしみた。視界が赤くなった。手で目をぬぐう。それから顔いっぱいに悔しそうな表情を満たしたまま顔を上げた。前を向き、自分の正面前方を怒りを込めた目でにらみつけた。


 目線の先にあったもの、それは暗黒の存在とでも言うべき何か。角のあるかぶと。風にひるがえる漆黒のマント。背は高いが魔族にしては巨体とはいえない。人族最強を誇る勇者との戦いを経ても傷ひとつない顔はまだ若い。後ろには数えきれぬほどの魔族の軍団が控え、さらに先にはやはり暗黒のおどろおどろしい城塞がそびえていた。


 勇者レオンはその城塞にチラッと目をやった。


「まさか……。まさか魔王自ら魔王城を出て俺たちの前に立ちはだかるとは……。ラスボスは最後の玉座の間まで出てこないんじゃなかったのかよ」

「勇者レオンよ、勘違いするな。われはただ嫌だっただけだ……、貴様らの血でが玉座の間がけがされるのがな」


 勇者精いっぱいの皮肉。それに答える「魔王」と呼ばれた暗黒の存在。そいつがひと言ひと言発する度に瀕死ひんしの勇者の体がブルブルと震える。音圧か、はたまた威圧のせいか。いや、目に見えぬだけで強烈な魔力の渦が魔王の周りに濁流を成しているのかもしれなかった。


「つまり魔王、おまえにとっては俺たちがここで死ぬのは規定事項だったってわけか」


 勇者の口元がニヤリとした。しかし次の瞬間、一転して彼の顔面が激しくゆがんだ。全身の傷がうずき、裂かれた肉が悲鳴を上げ、砕かれた骨という骨がきしんで発した苦痛が彼を襲っていた。さらには自分に死が一歩一歩間近に迫っているという事実。自分が倒れた後に人族をまもる勇者はもうおらず、残された人々を見舞うであろう魔族による殺戮さつりくへの恐怖が、彼の苦痛をよりいっそう激しいものにした。


「たしかに人族の中でも『勇者』と呼ばれる者は強い」


 勇者の問いには直接に答えることなく魔王が語り出した。


「長きにわたるわれら魔族と人族との戦いの歴史においてもそれは明らかだ。圧倒的な戦力を誇る魔王軍を何度も撃退している過去がある。しかし本来魔族に遠く及ばぬ力しか持たぬ人族に勇者のような特異種が現れることがあるように、われら魔族にも通常をはるかに超えた力を持つ存在が現れることがあるのだ。そしてそれがわれだったというだけだ。たとえ勇者が普通の魔族を上回る力を持っていようとも、ただの勇者である限り元から魔族の力を超越したわれかなうわけはないのだ」


 平原に響き渡る魔王の声。日の光が勇者の剣に反射してキラリと光る。それと同時に勇者の両の手が剣から離れた。もはや剣を握る力もなくなった手ではあったが、剣に替わって地に突き立てることで、辛うじて自身の体が大地へと倒れ込むのを支えることだけはできていた。


「最後の勇者よ」


 再び魔王が呼びかける。


「貴様はよくやった。この一連の戦いにおける勇者でが魔王城を目にできた者は貴様を含めて3人。ひとりめは遠目にチラリと見たのみ。ふたりめはもう少し近づいたがわれが出向くまでもなく将軍のひとりに討ち取られた。そやつらに比べて貴様はここに控えるが第7軍を抜けば魔王城に到達するところまで来たのだ。もしわれが出向かなければ間違いなく到達していたであろう。そしてが玉座の間に達していたであろう」


 魔王の言葉。果たして本当に勇者をたたえてそう言ったのか。それとも圧倒的優位に立つ者の余裕がそれを言わせたのか。


 しかし勇者レオンにとってそんなことはもう問題ではなかった。目はかすみ、頭は激しい出血のためにもう何も考えられない。耳はまだ音をとらえていたが、捉えた音を意味のある言語として認識できていたかどうかははなはだ疑わしかった。


「お……、俺は……」


 彼の口から言葉が漏れた。


「俺は魔王を倒すんだ。あの伝説の勇者シンのように。俺が人族最後の勇者なんだ。俺の前に倒れた勇者たちの死を無駄にはできない。俺には彼らの知恵と経験がすべて注ぎ込まれているんだ。負けるはずがないんだ。ああ、あそこに魔王城が見える。みんな、もう少しだ……」


 勇者は地面から手を離してよろよろと立ち上がろうとした。まるで魔王城をつかもうとするかのように右手を差し出した。上体が前へ進もうとした。


 しかし次の瞬間、支えを失った体はゆっくりと前へと崩れていった。


 地に伏しても彼は前進をやめなかった。やめようとはしなかった。両の手はゆっくりと地面の土をかいた。しかし彼の体はもはや1ミリも前へ進むことはなかった。


「あそこに見えるのはだれだ? 魔王か? 俺たちは玉座の間に来たのか? そうだ、俺たちはついに来たんだ。みんな、いよいよ最後の戦いだ。これに勝って故郷にかえろう。そしてみんな元の生活に戻るんだ」


 魔王はそんな勇者を哀れみを込めた目で見つめていた。ひと思いに殺すのは簡単だ。その方が苦痛を長引かせぬだけ慈悲深いとも言える。しかし魔王はそうしようとはしなかった。それは勇者を苦痛の中で死なせるためではなかった。


 魔王にはわかっていた。もはや勇者は苦痛を感じてはいない。彼は幻覚の中で仲間とともに魔王に対して最後の戦いを挑んでいる。その戦いの結末がどうなろうとも、勇者に戦いを最後までやり遂げさせることこそが勇者に対する敬意。魔王はそう感じていた。


「いいぞ、やつは弱っている。左右ふた手に分かれて同時に攻撃を仕掛けよう。きっと中央ががら空きになる。そこに魔法をぶち込んで動きを封じるんだ。大丈夫、上手くいく。最後は俺が渾身こんしんのスラッシュでとどめを刺してやる。3つ数えたらいくぞ! 1、2、3!」


 もはや勇者の声は蚊の羽音にも満たない。土をかく手も動かない。しかし目はらんらんと輝き、顔は魔王を打ち倒す喜びに満ちあふれていた。


「やったぞ……。ついに……、ついに魔王を倒したぞ……。終わったんだ……。何もかもみんな終わったんだ……。還れるんだ……」


 それが勇者の最後の言葉になった。彼の全身から力が抜けていくのが見て取れた。魔王はゆっくりと勇者に近づくと、手をかざして彼の両の目を静かに閉じさせた。


「ファイアーボール!」


 魔王の手から巨大な炎の塊がいくつも飛び出した。それらはひとつ残らず勇者とその仲間たちをとらえ、あっという間にその身を大地へと還してしまった。


「戻るぞ」


 漆黒のマントが翻った。魔王は居城へと歩き始める。第7軍が粛々とそれに続く。


 戦いの大地にはただ勇者の剣が突き刺さっているだけ。傾き始めた日の光がそいつを赤く染めていた。それはまるで勇者たちの墓標のように、いつまでもいつまでも輝いていた。


 人族の王国の勇者は魔王とその配下の魔王軍によってすべて倒された。王国に絶体絶命の危機が訪れようとしていた。

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