第8話
「ああ、たしかに法律ではやっていけないと決められているよ。けどよ、法律がすべてなのか? おれからみたら、あんたは法律に縛られた目玉のない人形に見えるよ。人間が決めた法がすべてじゃないんだぜ、そのときの状況がすべてなんだよ。それによ、おもしろいことに、オランダでは特定の場所での喫煙は認められているんだぜ?」
「ああ、それはぼくも知っている。だけど、日本では吸ってはいけないんだ」
「まあ、たしかにオランダじゃないからな。けどよ、日本じゃ極悪に考えられている大麻が、オランダでは一部認められているんだぜ? なんかおかしくねえか?」
「それは国が違うんだ、あたりまえだろう?」
「そう、国が違うからな、じゃあ、今ここは日本か?」
「日本じゃない。けど、オランダでもない」
「そうだな、インドだもんな。それに、ここも合法じゃなねえからな。けどよ、不思議なことに、この宿、アジャンタはある意味合法なんだよ」
「そんなのは勝手な理屈だろう? 結局、ここで吸っても罪になるじゃないか」
「ああ、そうだよ、勝手な理屈だよ、むしろ理屈にさえなっちゃいねえ。だけどよ、わかっていることは、ここで吸ってもたいした問題じゃないということだ。それが大事なんだよ」
「それこそ無法者の考えだ」
「だってよ、別の犯罪で考えてみろよ? 何年か前に不法投棄が立派な犯罪になっただろう? あれで考えてみようぜ?」
「不法投棄と大麻じゃまるでちがうじゃないか」
「そんなことはねえ、法律で定められている点ではいっしょだろう? 悪いことにはかわりないんだろう? 今は冷蔵庫やタンスを山に捨てれば警察に捕まる。そもそも、それはなんでだ?」
「それは環境破壊につながる悪い行為だからだろう。自分の所有物は責任を持って処分する必要がある。とはいえ、それだけじゃないだろうが」
「まあそうだ、環境破壊につながる。じゃあ、ある男がいらなくなったタンスを、自分の責任を持って、川原で燃やして処理したらどうなる?」
「それも捕まるだろう。野焼きも法に触れる行為だからな」
「そうだ、自分の責任を持って燃やすことも禁じらている。じゃあ、オーストラリアに住んでいる原住民が、自分の持っていた家具がいらなくなり、燃やしたとしたらどうなる? 捕まるか?」
「いや、オーストラリアの法律は知らないが、おそらく捕まらないだろう」
「ああ、おれも知らないが、燃やしている人間および、そのまわりにいる人間はなにも罪を感じないだろう。もしかしたら、火が燃えたことで祭りでもはじまり、村じゅうの人が陽気になってにぎわうかもしれない。なんかおかしくねえか? ある場所ではタンスを燃やすと捕まるが、ある場所では人々を喜ばせるかもしれないんだぜ?」
「それはあくまで、きみの想像だろう? それに国が違って、法も違うんだ」
「まあ、そうだ。けどよ、日本じゃ捕まるが、オーストラリアじゃ捕まらないと仮定しよう。それなら、あんたがオーストラリアに行ってタンスを燃やしたらどうなる? 捕まるか?」
「いや、わからない。野焼きが海外でも適応されるか知らないから、わからないね」
「まあ、そうだ、おれも知らない。でもよ、それは、悪い行為か?」
「うーん、はっきりと悪いとは言えないな。悪いかと言ったら、たいして悪くはないかもしれない。それが原因で草原を燃やしたりしたら悪いが、そう悪くはないだろうな」
「おれもそう思う、野焼きじたいはたいして悪い行為じゃないと思う。物を燃やすのは原始的なころから人間の生活の一部だ。燃やすのはさほどの罪じゃないと思う。なにせ、人間が死んだら燃やす慣習があるんだからな。それなのによ、タンスを燃やして捕まるのはおかしいじゃねえか? 燃やすというのは、物質を地球に返す一つの行為なのにだぜ」
「ああ、そう言われると、そうかもしれないね」
「じゃあ、日本の法律で決まっている野焼きは悪いと言えるか?」
「法律では悪いことだろう、けど、野焼きじたいは悪いとは言えないかも」
「じゃあ、大麻は?」
「大麻と不法投棄は別だろう?」
「まあ、そうだな、別だよ。けどよ、大麻の喫煙がそれほど悪いことか?」
「ああ、社会に悪影響を与える」
「そうかもな、でもよ、いったい、なんの悪影響を与えるんだ? だらけて、怠慢(たいまん)になって、生産活動がにぶるからか?」
「それもあるだろう」
「けど、日本人は働きすぎじゃねえか? どう考えても、必要ない物を作りすぎじゃねえか? 不法投棄なんていう罪も、多くの物を生みだしつづけた結果、生まれたんじゃねえのか? おれはな、むしろ過剰(かじょう)な生産活動を抑えるべきだと思う。環境問題なんて、小さな子供でも理解できるぜ? 作りすぎるからおかしくなるんだ。地球はあきらかに異変が起こっているじゃねえかよ。物だけじゃねえ、人間だって作りすぎた。インドの小道を歩けばわかるだろう? 世界中には食えない人間が大量にいるじゃねえか。人間は急激に増えすぎなんだよ。それに、日本の毎年の自殺者の数を見てみろよ、毎年三万人の人間がみずから命を絶っているんだぜ? 狂っていると思わねえか? 得るものがあれば失うものがある、それが自然の法じゃねえか、バランスがくずれるのはあたりまえだろ、人間は多くの物を手に入れすぎなんだよ」
「三万という桁が大きすぎるから、あまりなんとも思わなくなっているけど、たしかに、狂っている」
「そうだよ、自分が三万回死ぬことを考えてみろよ? 異常じゃねえか! それはな、資本主義一辺倒が生んだ、大量生産の犠牲者じゃねえのか? 使い捨ての物を大量に生み出し続けているくせに、物を、自然を、人間を大切にしましょうだと? ふざけんなよ! そんな矛盾(むじゅん)くそくらえだ! もう、いまさら遅いんだよ! それにな、地球にやさしいエコなんて、じつにバカバカしい! おい、あんた、地球にやさしい最高のエコって知っているか? それはな、人間が大量に死ぬことだよ! 大量の人間が死ねば、資源の大量消費は抑えられ、環境破壊の曲線はゆるやかになり、動植物は豊かさを取り戻し、職に困っている人間は定職につき、食うのに困っている人間も食い物にありつけるんだ。これ以上人間が増えたところで、てっぺんの人間が肥えるだけで、多くの貧者が増えるだけじゃねえか。日本の社会は、物を大切にする心をうしない、人間を人間と見ることができなくなり、使えなくなった物は修理することなく廃棄されている。なんて言ったって、直すよりも買ったほうが安いし早いからな! けど、安いから買い換えるのか? 使えなくなったら捨てて、新しいものを手に入れればいいのか? そうじゃねえだろう? どんなものだって心があるんだ、次々と新しいものを手に入れて、古いものを捨ててどうなる? 人間としての心をそのたびに捨てていくことになるじゃねえか。どうだ、そう思わねえか?」
「ああ、それはわかる気がする。ぼくはヨガが好きだから、どうも、日本で生活していると気の流れが悪くなるのを感じるよ」
「そうさ、忙しく、まじめに、立派に社会に貢献すればするほど、自分達の首を絞めることになるんだからな。おかしなもんだよ、今はきがるに、焚(た)き火できない時代だぜ? へたすりゃ、とっつかまるからな。おれのじいちゃんの時代は、火を焚いったって何の文句も言われなかったってよ。変な時代だよ!」
「ああ、おれが子供の時はよく焚き火したもんな」
「だろ? 今はおかしな時代さ! それは、拝金主義の日本が生んだ産物だよ。ほら、最近のヤフーニュースは見ているか? 世界的な経済危機だってよ、笑っちまうよ。一生懸命に働いていた派遣労働者が、枯れ枝のようにかんたんに切られ、団結して反発しているんだからな。地に落ちた枝は集まって、今は勢いよく燃えているけどよ、時間がたてば燃え尽きて、灰になっちまうんだ。どうなると思う? もしかしたら来年は自殺者の数を更新するんじゃねえの? もはや、人間は人間じゃなく、ただの労働力としてのかたまりにしか見られていないんだ。日本じゃ、物も人間も一緒さ! 大量生産が生んだ、画一的な、味気のない、中身のない、使い捨てのものばかりがあふれている」
「そうかもしれない」
「だから、おれは遠慮なく大麻を吸う。そんな資本主義の幻影にとらわれたつごうのいい法律にしたがってなんになる? 大麻がそんなに悪いものか? おれはそうは思わない。おれは大麻を吸っても人を傷つけはしない。法律で定められているからといって、自分の得になる商売で人をだますようなことはしない。大麻を吸っているからと言って、おれは人間としての心を失っちゃいない。大麻の喫煙は、資本主義社会を支えるのに悪影響を及ぼすから禁止されているのか? 怠慢になって、勤勉に働かなくなるからか? それならどんどん悪影響を与えて、社会がぶっ壊れてしまえばいいんだ。時代が早すぎる! もっと、ゆっくりと進んでもいいじゃないか! 物を物と、人を人と、自然を自然と見ない社会なんて壊れてしまえばいいんだよ!」
「おいおい、そんなに怒(いか)れるなよ。きみの熱い心はわかったからさ」
「ああ、あああ、すいません。ああ、つい、興奮しちゃって、ああ、そうだ、ちょっと、おちつくために一服入れてもいいですか?」
坂田はそう言って、ポリエチレンの袋からジョイントを取り出した。びっしょりとなった手から、ジョイントに汗が染みこんだ。
「ああ、かまわず吸ってくれよ」
「そういえば、おれ、おじさんの名前を知らねえや。おれ、坂田って言うんですよ」
「ぼくは飯島だよ」
「飯島さん、つい熱くなって、いや、無礼な口をきいてすいません」
「いやいや、ぼくもいやらしい態度をとって悪かったよ」
「じゃあ、さっそくいただきます」
坂田はそう言い、林からもらったジョイントに火をつけ、勢いよく肺をくもらせた。
「ん、ん、飯島さん、吸いますか?」
坂田はなにげなくジョイントを前に出した。
「あっ、ああ、いただこうかな。どうやって吸うんだい?」
飯島は一瞬ためらい、ジョイントをすっと受けとった。
「ええっと」
「アナタタチ、チャイモッテキタヨ!」
タメルが階段からすがたを現し、あたたかい笑顔を浮かべて近づいてきた。
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