第6話

「そいつはブッダガヤにある本屋で会ったんです。おれが日本寺近くの通りを歩いていると、たまたま本屋があって、そこで坊主頭の若い男が働いていたんです。おれは大麻を吸って本を読むのが好きなんで、ちょうど、宿で一服入れたばかりでグラングランに効いていたんです。それで店に入って、どんな本が置いてあるか本棚を凝視していたんですよ。すると、坊主頭の日本人は、『チャイを飲みませんか? 無料でさしあげますよ』とイモの顔で話しかけてきたんです。おれは遠慮なくいただくことにして、外のテーブルについて、本屋のむかいにある露店から運ばれたチャイを飲んでいたんですよ。アジャンタとは違って、熱くて濃厚なチャイでしたね」


「へー、それで」


「それで、おれはふと、『本を買わずに立ち読みができるんじゃないか? それなら金を使わずに本が読めるぞ』と思ったんですよ。さっそく坊主頭に聞いてみると、好きに読んでいいと言うんで、おれは気になった本をテーブルで読んでいたんです」


「坂田君、せこいね」


「いや、林さん、そこは気にしないでください。それで、大麻効果である視野の狭い集中力を発揮して、夢中で本を読んでいたんですよ。そのあいだ、坊主頭は店をおとずれる観光客の相手をして、忙しそうに動いていました。本屋の隣に小さな雑貨屋があって、そこの店番もかねていたんですよ。ときおり、ひまな時間をみつけてそいつは、『チャイは飲みますか?』と話しかけてきので、おれはなんの遠慮もなくお願いしたんです。ジンジャー入りのチャイを三杯ほど飲み、昼を過ぎたころ、おれは持っていたチラムで一服を入れようとしたんです。すると、坊主頭の男はおれの動きをみて、『店の前でチラムはやめてください』と注意するんですよ。そして、『インド人も見てますから』と、わかりきったように言うんです。おれは腹がたちましたね、たしかに店の前でチラムを吸うのは礼儀に反している、それはおれが悪いかもしれない、けど、インド人が注意をするって言うのは、おかしいじゃないですか。別に、インド人が注意したところで、本屋にたいした迷惑をかけません。日本人の品位をさげることになるかもしれませんが、恥をかくのはおれですからね。坊主頭にほとんど迷惑のかからないことですよ。ようは、坊主頭はおれの行為にたいして、偽善をしたんですよ。インド人が注意するのはべつになんの問題でもなくて、ただ、店の前で大麻を吸われるのが嫌なだけですよ。インド人のせいにするなと、おれは思いましたね」


「まあ、そうだ、インド人はあまり関係ないもんな。でも、店の前で吸うのはどうかと思うけどね」


「それはしょうがないです、自分でも言われて気がついたんですから、けど、そんな自分の品のなさはいいんですよ、おれはその坊主頭の態度に腹がたったんです。『このやろう、遠まわしに言いやがって』と思い、おれは持っていた大麻をほぐして、その場でジョイントを作ったんです。大麻を吸っているとあからさまにわかるチラムではなく、気づきにくいジョイントなら問題ないだろうと思いまして。坊主頭はせわしなく客の対応をしていましたが、おれのほうをちらちらと気にして、視線をなんども感じました。それでも、おれは出来あがったジョイントに関係なく火をつけて、本のつづきを読みました。坊主頭は、そんなおれを注意はしませんでしたよ」


「坂田君、たちが悪いよ」


「いいんです、林さん、そんなことは知ってますから。それでおれは傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に本を読みつづけました。それでも、坊主頭は午前中とおなじように、『チャイは飲みませんか?』と、イモの顔をゆがめて声をかけてくるんですよ。おれは坊主頭が気持ち悪く見えましたが、やはりチャイをお願いしたんです。そして、夕方になるころには、すでにチャイを五杯飲んでいたんです。大好きなチャイもさすがに飽きて、食事をとっていないせいか、胸焼けがしていたんです。なのに、『チャイは飲みますか?』と、坊主頭は聞いてくるんです。おれはさすがに断り、この男の意味がわからなくなりましたよ。バカのひとつ覚えでチャイをすすめてくるんですからね、もしかしたら、仏教かぶれの施(ほどこ)しに喜びを覚えていたのかも。なにせ、坊主頭ですから」


「よっぽどチャイを飲んでもらいたかったんだね」


「すすめるにもほどがありますよ! むしろ、うっとうしかったですから。で、日が暮れはじめると、客足は減り、坊主頭は満足そうな顔をうかべたまま、自分のそばのイスに腰かけて話しかけてきたんです。おれがなんとなく世間話をすると、その男は三ヶ月前からインドに来て、給料なしで店を手伝っていると言うんです」


「それは立派じゃないか」


「おれも最初はそう思いました。けど、あたりが暗くなるにつれて店に日本人が集まり、気がつくとテーブルには若い男女一組、長い髪を結んだ男、不精ひげの老けた顔の男がいました。店のオーナーらしきインド人が戻ると、坊主頭は仕事が終わったとうれしそうに声をあげ、両手を高くあげて胸をそらし、日本人達に今日の忙しさを話しはじめたんです。べつにそれはいいんですよ、そのあとの行動がおれには理解できなかったんです。いや、むしろ理解したくなかったんです」


「へえー、なにがあったの?」


「その日はたまたま節分だったんです。坊主頭は日本人達にむかって快活な声で、『じゃあ、夕食を食べて、豆まきしましょうか!』と言うんです。おれは目ん玉がひっくりかえりましたよ、なにせ、目の前の日本人達はうれしそうに反応しているんですから。おれは、テーブルに座ったまま、気にせずに本を読みつづけました。日がすっかり沈んだころ、テーブルには日本人女性が持ってきたという味噌を使った味噌汁がおかれ、米はなく、紫色の小さなたまねぎやニンジンなどの生野菜がありました。なにを思ったのか、日本人達は小さなナイフを使い、手のひらをまな板がわりに野菜を切り、生の野菜をかじりだすじゃないですか。おれはびっくりしましたよ、日本人同士がベジタリアン話にもりあがるんですから。けど、びっくりしたのはそれだけじゃありません。味噌汁を飲んでうれしそうに声をかけあっているので、おれも一口味噌汁をいただいたんですが、白味噌をつかった、いたって普通の味噌汁なんですよ。おいしかったんですが、体を揺らして歓声をあげるほどじゃありませんよ。なんか、貧しさの極みをみているようでしたね」


「よっぽど飢えていたんじゃない?」


「まあ、それもわかりますよ、けど、そのあと、全員でうれしそうに豆をぶつけあっているんです。まわりのインド人は好奇の目で不思議がって見ていましたよ。おれは見ていて、みょうに痛々しく、また、胸がムカムカしましたよ。出来の悪いコカコーラのコマーシャルを見ているようで、必要以上に喜びをわかちあい、愚(ぐ)にもつかない声をわざと出し、なんとも気味悪い光景でしたね」


「あああ、そりゃーきついや」


「おれも豆まきにさそわれましたが、遠慮なく断りました。あんな豆まきに参加するぐらいなら、ガンガーの水を一リットル飲んだほうがよっぽどマシですよ」


「いや、ガンガーはきついよ? ヴァラナシのガンガーは見た? インドと同じように、強力な微生物がうようよしているよ」


「いえいえ、飲むのはハリドワールのガンガー水です」


「それはずるいよ! 冷たくて、きれいなほうじゃないか」


「林さん、そんなことはどうでもいいんです。いえ、ヴァラナシのガンガー水を飲んだほうがましかもしれません。それほどひどい光景だったんです。股間を濡らした腐ったサークル活動ですよ。それで、おれはそんな日本人達をしりめにジョイントを巻いていたんです。やがて豆まきはおちついて、テーブルに戻った日本人達は楽しそうに会話をするんですが、ジョイントを巻いている自分を見て、だれ一人と反応をしめさないんです。テレパシーを使って、まさに見て見ぬふりですよ。おれは、ここにいる日本人達がジョイントを吸うと思って、太いのを数本巻いていたんですがね。ジョイントを巻き終えてから、トイレに行ってテーブルへ戻ってくると、日本人達は大麻の話をしていたんです。おれがイスにつくと、大麻を否定する話で盛りあがっていて、それぞれが大麻の否定的な考えを述べていました、それも教科書に書かれたとおりの有害性を得意げにですよ。さらに、坊主頭の日本人は自信ありげに、『昔は吸っていたけど、今は必要ないな!』と言うんです。すると、他の日本人達も賛成をしめしているんです。おれはふきだしそうになりました。こいつらは人がジョイントを巻いているときは無反応だったくせに、人がいないあいだに手を結び、そろって大麻を非難しやがる。そのくせ、『昔は吸っていたけど、今は必要ないな!』ですよ? 坊主頭らしく、悟りでもひらいたんでしょうかね? けど、人を見下したようなその言葉は、大麻経験の浅い、きどった言葉ですよ。大麻好きの人間は決してそんなことは言いません。『昔は吸っていたけど、今もやめられずに毎日吸っている』や、『昔は吸っていたけど、必要を感じてより吸うようになった』もしくは、『やめようと思わない』それらが真実の言葉ですよ」


「そりゃそうだ」


「おれは目の前の日本人がねずみに思えたんで、一人で太いジョイントを吸い、日本人達の顔に吹きかけるように息を吐きました。日本人達は眉間にしわを寄せていましたが、とくに強い言葉は言いませんでした。ジョイントを吸い終わるころ、坊主頭は店の前の露店から来たインド人に金を払っていました。それは自分と他の客が飲んだチャイ代でした。おれはそのすがたを見て笑い声をあげました。すると、日本人達は顔をしかめて、ひそひそと話していました。おれは席を立ち、本を棚に戻し、テーブルにジョイントを一本残して去りました」


「いやー、長い話だね」


「なに言ってるんですか、林さん、短いですよ」


「でも、坂田君、君がかたよっているんじゃないの?」


「そうかもしれません。けど、林さん、そんな場面にいたらどうします?」


「豆まきするよ」


「ウソですよ! こんなねた持っている人は豆まきはしません!」


「なに言ってるの? ぼくは豆まき検定で一級をとった男だよ。知らない? ぼくは幸福な豆を投げることで有名なんだから」


「林さんこそ、なに言ってるんですか! 豆じゃなくて種でしょ!」


「ああ、そうだ、種だよ。いやいや、豆だって。でも、坂田君、せっかく一年に一度の行事なんだから、参加しないのはもったいないよ。ぼくだったら、一緒に豆まきに参加して、坊主頭にこぶができるぐらいの強さで投げつけるよ。こう、至近距離でバチッとね、豆が爆(は)ぜるぐらいに」


「はっはっはっ、そりゃいいや!」


「きっと、坊主頭はドリアンのようにぼこぼこになって、汗臭い、黄色い臭(にお)いを放つよ」


「いやいや、林さん、そんな尖(とが)らないって。でも、それぐらいに腹がたちましたよ、おれは、ああいった偽善的沈没が一番嫌いですよ。『ぼくはインドの店を無償で手伝っている、大麻も吸わない、日本の伝統を守っている』みたいなヤツがね。ちっぽけなボランティア活動で沈没に化粧して、日本からの逃避行を隠しているんですよ」


「ああ、そうかもしれないね、そいつは愚か者以上に愚かなことだ」


「でしょ? 林さん、坊主頭のとどめの言葉があってさ、おれが、『日本に戻りたくならない?』と尋ねると、『だって、いつでも戻れるじゃん!』って答えたんだよ! 『わたし、日本社会が怖くて沈没しています!』って証言しているようなもんですよ。それなら野菜かじってタダで本屋で働くんじゃなく、日本に戻ってバイトして、豆まきしやがれってもんだよ。『おれはインドで店を持つんだ!』ぐらいの答えなら納得できるけどさ」


「違うよ、そいつはインドで豆まきしにきたんだよ。ぼくは知っている」


「なら、はやく日本に帰れよ! ってなりますよ」


「きっと、一生インドで豆まきするんだよ」


「豆みたいに小さい野郎だから?」


「坂田君、それは言いすぎだよ!」


「なに言ってんですか? 林さんがバカにしているんじゃないですか?」


「いやいやいや、坂田君だって!」


「どっちでもいいですよ! ただね、おれは、そいつを見て思ったんですよ。沈没するしないはべつに悪いことじゃなく、ただ、自分の本心を隠すのは気持ち悪いことだと」


「じゃあ、坂田君はなんで海外に来ているの?」


「インドの貧困をなくすためですよ!」


「ははは、偽善者だ!」


「なに言ってるんです! 林さんはどうなんですか?」


「ぼくは、大麻を吸って、シタールを弾くだけだよ。坂田君は?」


「大麻を吸って、本を読むためです」


「なんか、坊主頭の男が一番役に立つ仕事しているんじゃない?」


「はっはっはっはっ! そうですね、けど、気持ち悪い男ですよ!」

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