第3話
実をいうと、僕は救いの神なんか一向に期待をしていなかった。どう落とし前をつけるつもりなのか興味があったし、むしろこの境遇を楽しんでいた。また、あちこちから呼ばれるものだから、僕は「インモ」と呼ばれることにすっかり慣れてしまっていた。
「神は髪の上に髪を造らず。髪の下に髪を造らず。上の髪も下の髪も皆兄弟、皆平等。故に神は髪であって、神ではない。髪を罵れば髪になくぞ。トイレに行けば紙に見捨てられるぞ。髪を受け入れなければ全てのカミの祟りに遭うぞ。」
僕が宣教師まがいにこんなことをしゃべっていたところからも、神様を信じないことは理解してもらえると思う。
自称女神様が現れたのは、そんなときだった。宣教師の僕が「髪の教え」を広めている最中に迫害に遭っていた。なかなか洗礼を受けないので、ほとほと困り果てていた僕に一人の味方が現れた。彼女は、「どうしてそんなことを言うの⁈」と激しく厳しい口調で、並み居る迫害者に反論して、こてんぱんにやっつけた。
これは小気味よかった。迫害者たちがほうほうの態で去っていく後ろ姿を見物して、僕は気分がいい。
僕は彼女に一介の宣教師に過ぎない私を迫害者から助けていただいたお礼を懇ろに済ませて、別の布教場所にいこうとした。すると彼女は僕を止めて、
「どうして嫌なことをノーといわないの? あなたは自分がいじめられていることがわからないの?」
というのだ。
彼女にいわれても僕には思い当たる節はないので、こう答えた。
「あれはいじめでもなんでもないよ。僕の布教活動に対する迫害だよ。」
彼女は目をひんむいて、思わず「まあ」と驚いた顔をした。
「あなた、誰かから脅されてそう言うようにいわれているの?」
「別に誰からも脅されるなんてことはないよ。僕は宣教師『インモ』だからね。恐れてやまないのは髪様だけさ。」
彼女はまた「まあ」の顔をした。
「本当に?」
「もちろん。“髪様”に誓って。」
僕が話した内容のどれだけを彼女が理解できたかを知るすべはない。別れる前に彼女は、「困ったことがあったら相談にのるから。何かあったら、必ず私に相談するの。ね、わかった?」と念を押して僕に言いきかせた。
彼女がいってしまうと、物陰で様子を見ていたのか、“嘘をつかない友人”が現れた。
「お前、あのコと何を話していたんだ?」
僕は彼に事実に違わぬよう、慎重にかつ客観的に事情を説明した。すると彼はニタニタした顔をしながら、僕に疑いの眼差しを向けた。
「本当か?」
「嘘を言ってどうするんだ。」
「それもそうだ。……彼女も変わり者だな。よりによってお前を相手にするなんて。まあ、お前も彼女も、その点似たり寄ったりだからな。クラスの女子の中で、一人だけ浮いているし。」
僕は鈍感なのだろうか。それとも、たまたま僕の視野に彼女が入らなかっただけなのだろうか。
「彼女、うちのクラスのコだったのか?」
「お前のことだ、おとぼけじゃないことくらいわかる。一言で彼女を言い表すとしたら……ある意味で神々しくて近寄り難い。他の女子と違って軟派ではないよ。近ごろにしては珍しく、お堅いんだ。」
「真面目っていうこと?」
「そう。真面目で一途で正義感があって……。軟派な女の子も悪くないが、難攻不落のほうがそそられるんだよ。クラスの男どもは、みんなそうだ。おっと、例外もいるな。お前さんだ。」
言われてみれば、そんなコがいたような気もすると僕は思った。決して目立つような女の子ではない。女子の中では浮いているはずなのに、彼女の影は薄いのだ。
友人は僕が耳を傾けているのを確認してから、おもむろに彼だけが知っている秘密をこっそり耳打ちした。
「実はな、メガネをとった彼女はな、そこいらにいる不細工たちとは、できが違う。」
彼はいい終えて顎で辺りのサンプルをいちいち示した。僕は池の鯉みたいに口だけパクパクして、「まさか」とやった。彼は首を横に振った。で、今度は「ガチリアルで⁈」と僕が池の鯉をすると、彼はうなずいてみせた。
僕が彼女について具体的に見聞きしたのは、これが最初だった。僕の眼中に彼女はなかった。とにかく、僕と友人の話のなかでは、彼女のことを「女神様」と呼ぶようになった。
ところが新たな発見は、別の謎を提起する。どうにもこうにも、彼女が僕に声をかけてくる理由なぞ、ありはしないのだ。僕は彼女が僕に味方した、これといった理由を見いだすことができなかった。
彼女と僕はただのクラスメイトだし、僕も彼女もお互いなんとも思っていやしない。利害関係もなければ、運命共同体でもない。ましてや、恋人でも愛人でも男女関係でもない。どういう理由づけによっても、この疑問は解決されないのだ。
そうこうしているうちに、学校中に広まった「インモ」は、先生方の会議、いわゆる職員会議と教育委員会の議題に取り上げられ、正式に「いじめ」としての認定を受けた。これはきっと女神様の思し召しに違いない。僕は、“女神様”が余計なことをしてくれたものだと思ったが、生じた事態を迷惑がらずに静観できた。
今まで当たり前だったことが、異常事態になった。新大陸の発見か、相対性理論を越える理論の証明の成功か、はたまた宇宙の仕組みを説き明かしたかのような大騒ぎになった。人びとが右往左往するのは、僕にはおもしろくて仕方ない。
一方、“女神様”はことがうまく運ぶ様子を見て、何といったらよいのだろう、ひと仕事をおえたように満足し充実した、そう、図工室に掲げてあるレプリカの「自由の女神」のように、「裸けた上半身に臆することなく、トーチを高々と掲げ群衆の前を誇らしく歩んでいる」、僕の目にはそう映っていた。
“女神様”と僕とは、あれからというもの顔を合わせれば挨拶をするとか、声をかけるとか、ちょっと話をするという程度の間柄であった。“嘘をつかない友人”と比較すると、さして親密なものではなかった。
お節介焼きな、女友達というところだろう。
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