第2話

 僕は楽観的でいられなくなった。 誰も彼もが僕に向かって吐く意味不明の言葉らしきものには、少なからず悪意が込められているに違いない。


そこで僕に嘘を言わない友人に、僕について言われていることが一体どういうことなのかを相談した。すると友人はこう答えた。

「あまり真顔できかないでくれよ。誰も悪気があって君のことをそう呼ぶのではないよ。……ただね、知っていれば、つい口に出てしまうだけだよ。……あまり意識し過ぎないほうがいいかもね。」

 前置きは彼にしては珍しく慎重で、言葉を選んでいるようだった。そしてようやく本論に入った。

「ところで君は僕に、君がどういうふうに言われているか知りたいらしいけれど、君自身は自分が何て呼ばれているか知っているのか?」

 彼に問われて、僕の考えは急停車しなければならなかった。僕は何か言われていることについては、自覚症状があったけれども、はっきりと何を言われているのかを覚えていなかった。

「いや、知らない。」

「なるほど。」

 彼はあごをつまんで考えるふりをした。今度も医者が末期ガンの患者に告知するかどうかを迷うくらいに、たっぷり時間をとってから彼は言葉を紡ぎだした。

「いや、君に話すのはどうかと思ってね。さてどう伝えたらいいだろうか。」

「いつものとおりに遠慮なしに言ってくれ。僕はただ知りたいだけで、それにあれこれとやかくいうつもりは、これっぽっちもない。」

「だが、君はこのことを知らない方がいいのかもしれないよ。今回に限ってはね。」

 どう考えても、彼はもったいぶっているとしか僕には思えなかった。スペインの牛がひらひらする赤い布にいてもたってもいられないように、僕は知りたくて知りたくて仕方がなかった。そして、布に飛び込んだ牛は、マタドールにサーベルをつきこまれて、布よりも濃い血色に染まるのだ……。

「僕はかまわないさ。さあ、言ってくれ。」

「そこまでいうのなら、話そう。でも、恨みっこなしだぜ。」

「わかってる。」


 で、僕は聞かされたのだ。「インモ」または「inmo」について。

僕は怒らなかった。それは友人の真摯な告白だったからだろう。しかし彼は黙り込んだ僕に危機感をつのらせたらしく、僕がなんともないさと笑ってみせても、獲物を狙う猛獣の不敵な笑みと受け取ったようだった。


 しばらくすると、「僕と友人とのやりとりがあり、僕が事実を知ったこと」がクラス中に知れ渡った。

今までは多少は遠慮がちに小声でわからないように、僕に聞こえないように口にしていた「inmo」は、公用語として公然と使われるようになった。そして、男子だけならまだしも、クラスの女子、ことに頭がよく、要領を得た意地の悪い女子までもがあることないことを織り交ぜて、尾鰭背鰭をつけて話し始めた。

 水を得た魚は、自由に泳ぎまわり、瞬く間にクラスから学年へ、学年から学校全体へと恐るべき早さで繁殖した。繁殖力は犬や豚や鼠などの哺乳類をも、爬虫類や両生類などをも凌駕して、パンデミックとなって僕に押し寄せた。


 確かに僕にとって、不名誉限りない「インモ」ではあった。相手が謂れを知らずに僕に言うのは仕方ないとしても、僕の新しい呼び名、ニックネームとして親しみをこめて言うのは受忍範囲内としても、不名誉たることになんら変わりはない。

ただし、中には不名誉に泥を塗りたくる奴がいた。そういう奴に限って、正確に「インモ」さえ覚えられないでいる。そういう連中を僕が哀れみの目で見ていると、やっと思い出して言う奴はまだいい。もう救いようのない奴もいて、間違った言い方をする。

 僕が覚えているだけでも、「インモー」「カゲゲ」「カゲケ」「ヘアー」「アンダー」「アンダーヘアー」それに「インモーの鬘」「インモーのヅラ」「カゲゲの鬘」「カゲゲのヅラ」「カゲケの鬘」「カゲケのヅラ」「アンダー鬘」「アンダーのヅラ」「アンダーヘアーの鬘」「アンダーヘアーのヅラ」……

 これ以上はあまりにもバカバカしくてやっていられないので省くけれど、漢字を読めないか、正確な英語を知らないか、回りくどいかのいずれかだ。

 「インモ」と呼ばれた初めのころは、僕も頭にきたけれども、いちいち癇癪を起こしていられなくなった。状況は四楚面歌であったし、比較のしようのないほど多勢に無勢だった。人気タレントのように十把一絡にファンサービスができればいいのにと僕が感じたのは、一度や二度ではない。


ところで「インモ」の原因だとされている、僕の頭髪について一言。僕の髪の毛は、いわゆる天然パーマ、 天パのもっともゴージャスなやつだ。髪が短ければ短いなりに長ければ長いなりに、ちりちりくるくると縮れている。それにこいつはとても強情だ。ストレートパーマをかけても3時間ともたない。坊主頭にしても、長髪にしても、どんな手を使おうがびくともしない。手を尽くしたあげく、僕は髪の毛のことを諦めた。

 こんな髪の毛に降りかかった災難(僕は針の先程も災難とは思わない)は、全く僕の手に負えなかった。だが、捨てる髪あれば、拾う髪あり……もとい、捨てる神あれば、拾う神ありで、女神様(御自身は自分を救いの主と思っているらしい)が現れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る