薄色化
「遠い日の記憶」というものが日を重ねるにつれじわじわと色を失っていく感覚が怖い。
既視感がある。
なんだろうか。と思考を巡らせた後、それが幼少期、小学生の時だろう。親が仕事で留守の間、夕食の傍、視界の端のテレヴィジョンで映っていた「アハ体験」に既視感が重なることに気づき「これこそアハ体験だな」と恐怖とは裏腹に失笑した。
朧げな記憶。
私は褒められる、ということをあまり経験したことがない。
現在進行形で褒められることがあまりないのだ。
形式上褒められる、ということになるのだろうか。称賛を得ることはある。
しかしながらどうだろう。これは浅慮な自分が浅知恵で取り繕った、偽物の自分、言うなれば張りぼてを「褒められて」いるに過ぎない。
幼少期の、思考が未成熟な私は、その偽物の自分に向けられた称賛をまるで自分のものかのように尊んだ。
たとえば作文は自分の力で書き終えたためしがない。
私の母はセンス、或いは文章力というものに長けていた。作文の宿題が出ると珍しく力を入れて手伝ってくれていた(手伝う、は良いように言っただけで完成した作文に自分の文、もとい私の考えというものは一ミリも入っていない)。
先生は私(母)の文をみてえらく感動したらしく、その旨を伝えに電話までかけてきた。
そのような電話がかかってくると、とても上機嫌になった母はきまって私に報告してきた。
(当時の私はそれを受け阿呆のように喜んだが、今考えると当たり前だろう。連ねた文章と感性は母自身のものであり、作文の手伝いとはつまり「息子の勉強を手伝う良い母親」になれると同時に自分の作品も褒めて貰える彼女にとっての一石二鳥のマスターベーションなのである。かといってこれが悲しい。とかそういった話ではないのである。その当時の私にとっても宿題は早く終わるし尚且つ母が上機嫌になるから私自身、嫌だと感じてはいなかったのではないだろうか。)
しかしながら、褒められる事に一種の突っかかるような違和感を感じながら、やがて青年となった私はセックスを覚えた。
ティーンエイジャーが性的な欲求を強く持つことは生物学的に見てなんら異常なことではないが、私はそれでも自分の欲求とは裏腹に「何故人はセックスをするのか」という疑問がどうしても拭えなかった。
馬鹿な私でも性行為は本来、子孫を残す目的で行われる。ということは性教育と生物の授業を通し知っていた。
しかし、そうであるならば、自分が愚息(ジョニーとかいうふざけた名前をつけていた記憶がある。)にラテックスを巻きつけて行う「それ」はなんの意味があるのだろうか。
子孫繁栄説は答えにならなかった。(まぁしかし、子孫を残す意味というものも理解できていないのだが。)
それでは別の理由がある筈だ。
私はその時の「そういう事をする間柄」の女の子に何故人はセックスをするのか。と問いた。
「そんなの気持ちいいからでしょ。知らない。」とさも面倒臭そうに返された。
気持ちが良いなら自慰で事足りる。更には、気持ちよさのベクトルは違うが、煙草を吸ったり、アルコールや薬物を摂取したりするのも広く捉えれば「気持ち良い事」に分類される筈だ。
ならばこれらの違いは何か。
私よりずっと経験豊富な彼女なら答えを知っている筈だと思ったが、彼女の答えもまた私を落胆させた。
そしていつ、誰と、かは忘れたが(記憶が薄れている)、行為の最中に繋がるような感覚を覚えた。これは物理的に、という話ではなく、非科学的、スピリチュアルな話である。
初めて「心」というものをハッキリと鮮明に意識することが出来た。ような気がした。
私はよく「承認欲求」という言葉をセックスに結びつけるが、厳密には承認欲求ではなく、その時の物質的な自分でなく本質的な私自身を抱擁されているような言葉で言い表す事のできない異次元的な感覚を指していて、それを求めているのだろう。と考えた。
だからこそ、その時の感覚が薄れ、やがて消え去るのだろうと考えると堪らなく怖い。のだ。
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