第5話 チャリティ
自分でやっておいて何だが、意外にもカラオケでの親睦会は効果覿面だった。あれからというもの、アイドルたちの態度が軟化してきている。
ダンスの振り付けも合わせられるようになり、コミュニケーションも円滑に進むようになった。会話する時間が増えたことで、俺とアイドルたちの関係も良好だ。今がまさに万全な状態だと言えるだろう。
しかし、向かうところ敵なしだとしても、経験というのは簡単に埋められない。できれば本番の前に、どこか小さいイベントに参加したいものだ。そんな都合よくお祭りごとがあるわけないのだが、ボランティアということだったら心当たりがあった。
俺は土曜の朝早くからアイドルたちを事務所の車に乗り込ませ、心当たりのある場所へ向かう。運転している最中、助手席に座る歌山が気怠そうに尋ねてくる。
「ねー、この車どこ向かってるん?」
「福島」
アイドルたちには小さいステージでライブをするとしか伝えていない。朝早くに出発したからか、車に乗り込んだ途端に眠り始めたからである。
「どうして福島?」
「営業だよ。運転中だから、詳しいことは着いてから話す」
俺たちの会話で目覚めたらしいヘラは、後部座席で大きく伸びをした。ちなみに、大越はずっと無言で本を読んでいる。
「腰いたーい☆ いつになったら目的地に着く?」
「もうすぐだ。二十分くらい」
高速を使えば、千葉から福島の浜通りまで三時間ほどで着く。意外と近い。
「何も無いなー」
窓から景色を眺める歌山が、そのような感想を抱くのも無理はない。農業と水産業で成り立っていた経済地域は、昨年の震災を境に活気を失っていた。それまでは町興しをしなくとも、原発からの資金源があったが、今はそれを頼りにするはずもない。住民は地元を愛するからこそ、何をするにも手探りなのだ。
「着いたぞ」
スタッフに指定された駐車場に車を止める。
「けっこう人いるね☆」
車を降りると、道中の寂しさとは対照的に、会場は多くの人たちで賑わっていた。
「何のイベントー?」
着いたら教えるという約束を歌山としていたため、今回の概要を簡単に説明する。
「ららみゅうっていう水族館とか、フェリー乗り場とかの娯楽施設の中に、近海で取れた海の幸を提供している場だ。ここ最近、週一の頻度で復興イベントを開催していて、俺たちはそれに参加する」
「チャリティー活動みたいなものかー。ギャラは発生しないんだよね?」
「交通費含め、完全なボランティアだ」
「アイドルっぽい☆」
アイドルというよりかは、歌のお姉さんとかのポジションに近いわけなのだが、ヘラがそれで満足ならいいか……。黙っておこう。
ただ働きじゃーん、とか文句を言っている歌山に対し、ヘラはやる気満々だった。これから初ステージだというのに、楽観的なわけでも気負いすぎているわけでもない。どのようにモチベーションを評価したら良いか分からん。
「…………」
そして一番の謎は、さっきから無言で本を読んでいる大越の存在だ。緊張しているのって、もしかして俺だけなのかな……?
「……何?」
「何でもない。移動するのに危険だから本はしまえ」
どいつもこいつも心臓に毛が生えているとしか思えないが、逆に考えれば頼もしいと解釈すればいいだろう。いくら心配したって、ステージはもう目の前なのだ。後はなるようになるしかない。
「あれがステージ?」
少し歩いてからヘラが差した方向には、年配の方々が舞台で集団演舞を披露していた。
「華やかさには欠けるけど、ダンスに支障はないみたいだね」
さらっと失礼なことを言う歌山だったが、それは置いといて、確かにアスファルトの地面よりも一段上に作られた木の床は地味だった。しかし、安全面と規模の小ささを考慮すれば、これが最適な野外ステージだろう。
簡単な下見を終え、用意されたテナントの控室に荷物を置いて一段落した後、軽めの昼食をとりながら、俺はアイドルたちに今日のスケジュールを伝えた。
「次はスタッフとライブの打ち合わせをする。とはいえ、あまり時間はとってくれないだろうから、今の内に衣装とかの準備をしておけよ。いいな?」
うぇーい、という適当な返事をしてから、アイドルたちは各々で自由な時間を過ごし始める。とてつもなく本番が心配になるが、俺は挨拶回りに行かないとだし、かといって俺がいては着替えられないだろうし、なんというままならさだ!
「俺が戻ってきたら、すぐにスタッフと打ち合わせだからな! いいか、絶対だぞ!」
「分かってるって☆」
三人の中では責任感がありそうなヘラであろうと、携帯を操作しながら言われたら全く信用ならない。
「早く行ったら?」
さらには歌山に冷たく突き放され、俺はもう完全に拗ねた。さっさと部屋を出て、俺一人でスタッフたちの挨拶回りに向かう。こうなったら着替えでも覗いて、無理やり危機感を煽ってやろうか……。
そんなことを考えながら挨拶回りを済ませ、スタッフを連れて打ち合わせのために控室へ戻ってきた。恐る恐る中へ入ると、そこにはキラキラする衣装に着替え、行儀よく椅子に座っているアイドルの三人がいた。
どうやら外面だけは体裁が良いらしい。ほっと胸を撫で下ろし、スタッフからライブについての説明を受けた。時間は三十分で、リハーサルは無し。ステージは下見をした所で合っているらしく、曲目を流す準備は整っているとのこと。時間さえ守れば何をやっても好きにしていいと言われ、その後も詳しい説明はないまま適当に任されてしまった。
スタッフが控室を出た後、俺たちはライブの進行について話し合う。
「とりあえず、最初の挨拶と最後の締めだろ? 歌は三曲あるから、その間に何のトークをするかだ」
「雑談でいいんじゃない?」
これまた歌山が適当な提案をする。
「普通ならそれでもいいんだが、お客さんはアイドル目当てに来たわけじゃないからな」
「というか、プロデューサーはどうしてこのイベントに参加しようとしたの?」
「お前らの段階を踏むためだよ」
本当は別の理由からだが、今のところは建前だけにしておく。
「……故郷?」
「ばばば、バカを言うんじゃありません!」
大越の鋭い指摘に、俺は動揺を隠し切れない。ヘラが追随してくる。
「隠さなくてもいいよ☆」
「いやマジ、俺ってばロンリーウルフだから! 誰にも心とか開いたことねーから!」
誰に対しての反抗なのか自分でも分からないが、必死に照れ隠しをするしかなかった。興味の無い歌山が適当なことを口走る。
「もうプロデューサーがトークしたら?」
「誰が喜ぶんだよ! っていうか、もうそろそろ本番の時間になるぞ! メイクと衣装の確認はできたのか?」
見え見えだったが、なんとかして話題を逸らすことに成功。アイドルたちは忙しなく相互に最終チェックをした。
「トークの内容については、スタンバイしている間に考えとけ! ほら、行くぞ!」
アイドルを連れ、控室からステージ裏までのルートを通る。簡素なベニヤ板を隔てた向こう側には、今日のイベントを楽しんでいる観客でいっぱいのはずだ。
「俺は裏方に徹してスタッフに指示を出すから、お前たちは俺が合図したら舞台に上がれよ。いいな?」
はーい。という、いつもの間の抜けた返事から察するに、こいつら全く緊張してねぇ! アホなのか大物なのかは、ライブの出来で判断するしかない。それなのに、なぜか俺の方が緊張してきた!
「じゃ、頼んだぞ!」
スタッフと共に機材の点検を済ませた俺は、舞台袖からアイドルたちに合図を出す。規模が小さいとはいえ、いよいよ彼女たちのライブだ。
「どうも初めましてーッ! あたしたちは〈ゲットバック ザ アナーキーズ〉という、東京のアイドルユニットです! よろしくお願いしまーす!」
漫才師みたいな登場の仕方だが、元気があってよろしい。先程のテンションとは打って変わって、若さのパワーが前面に押し出されている。やればできるじゃない!
「ヘラたちがどんなアイドルかは、語るより歌った方が早いよ☆ 堅苦しいことは無しにして、一緒に盛り上がろう!」
「一曲目、『一目惚れブロッサム』」
大越が曲名を告げると、スピーカーからギターの派手な音色が響く。
アイドルたちは前奏に合わせる大振りなダンスで観客を魅了させ、そのまま掴んだ心を放さないよう歌い始めた。
“映えた桜 渦の中心で 求めて甘酸っぱい青春
心癒えた 滾る情熱を 噛み締め一足速い春が来た”
歯が浮くような青臭い歌詞に、彼女たちの軽やかな動きがマッチする。
これは俺がバンド用に作曲したものを、わざわざ正統派アイドル用に作詞し直したものだ。それに彼女たちの歌声は凛々しすぎるのだが、振り付けを柔らかくすることで印象を女の子らしくした。
“友との別れを済ませ 春の息吹感じさせれば
想像に身を膨らませ あっさりと脆く飛んでゆく
名前も知らない彼女をすれ違うたびに目が追いかけて
彼女の眼中に僕は存在しない”
パイプ椅子を並べただけの観客席にいるのは、少数の子供と大勢の老人ばかりだ。正直に言うと、この歌は客層とかけ離れているだろう。
しかし、いつの時代も理想と言うものは変わらないものである。お年寄りも若かりし頃を思い出し、年甲斐もなく赤面しているのではないだろうか。そう期待せざるを得ない。
少しばかりの子供たちも、未来に想いを馳せているのを願っている。
などと勝手な感傷に浸っている場合ではない。いつの間にか曲が終盤に差し掛かっていた。歌の雰囲気が落ち着くように、アイドルたちはサビに向けて力を溜める。
“そんな時 桜散り行く中で 君を見た 僕の鼓動高鳴る
魔法にかけられ!”
“大地に芽吹く一輪の花まで きっと届くよね春風に乗せて
桜吹雪が僕たちを祝うよ 新しい恋の花咲きを感じて 一目惚れブロッサム!”
後奏の間もアイドルたちの躍動感あふれるダンスは止まらず、息の合った動きでフィニッシュを決めた。
茫然と見ていた観客たちは惜しみない拍手を送り、それに応えるように歌山はトークを再開する。
「ありがとうございます! 実はあたしたち、これが初ライブなんです!」
「どうして初ライブにいわき市を選んだのかと言うと、それはヘラたちのプロデューサーがいわき市の出身だからだよ☆」
余計なことを……。別に出身地が同じだからと言って、県で強い共同体としての絆があるわけじゃない。他人にとってはどうでもいい情報なのだが、歌山は観客の反応が乏しくとも、構わずさらに続けた。
「プロデューサーは地元に恩返しがしたいんだろうけど、あたしたち自身は震災復興とか、地域活性とか、正直よく分かりません! だけど大切な人が愛する故郷のためなら、何が何でも盛り上げてみせます!」
観客を楽しませるというトークの趣旨からは外れているが、自分たちの熱い行動理念を示せた。これなら理屈とかを抜きにして、純粋にライブを楽しめるだろう。
「……決して他人事じゃないから」
曲名しか言わないのかと思ったら、大越も意味深な事を喋ったな。代わりにヘラが曲名を告げる。
「それじゃ、次の歌は『ダイナブレイド』だよ☆」
ピアノの荘厳な音色を聴きつつ、まるで姪っ子の授業参観のような気持ちで、その後の展開も安心して温かく見守ることができた。
× ×
「これが報酬?」
漁師さんが開いた生牡蠣を片手に、歌山がこっそり呟く。
「報酬じゃなく、地元住民からの感謝と言え」
ライブの出番が終わり、俺たちは施設内を探索していた。その途中で、ライブを見て気に入ったらしい漁師さんに声をかけられたのだった。
「ヘラは満足だよ☆ 海に近い場所じゃないと、安心して生もの食べられないしね☆」
通ぶってポン酢をかけず、レモン汁だけで美味そうに啜っている。
「……食べないの?」
つま楊枝を使って上品に食べていた大越が、珍しく俺に気を使っている。こういうところにばかり勘が鋭いというか、親切心が心苦しい。適当に言葉を濁した。
「お前らが働いたんだから、俺より優先して食え」
俺が手にした生牡蠣を、無理やり大越に渡そうとしたら、歌山が恨めしそうな目で下から睨み付けている。アイドルの顔じゃない。
「海育ちのくせに、生ものが苦手とか……」
「うっせぇよ。コンプレックスを煽るな」
県内出身とは言ったけど、実は浜通りのいわき市ではなく、それより中通りの地方出身である。海というよりかは山だ。それか猪苗代湖だ。福島県は日本で三番目に大きい県だけあって、その地域を三分割しているのである。
正直、この磯臭さは何度来ても慣れない。俺は酒で下すくらい腹も弱いため、食材も火を通さないと安心できないのだ。
「あっちに行けばバーベキューもできますよ。今なら席も空いているんじゃないかな」
俺の心情を察してくれた漁師さんが、心優しい提案をしてくれた。それどころか、牡蠣以外の魚介類も渡そうとしてくる。
「いや、こんなに頂けませんよ」
「あんたにじゃなくて、この可愛い女の子たちにだよ」
それなら納得だ。ありがたく受け取らせてもらう。浜通りには粗暴な人間しかいないと思っていたけど、裏表の無い明るさは天然ものだな。
漁師さんに礼を言い、バーベキューができるエリアへ向かった。
「外じゃなくて、室内なんだね。どこに座ればいいの?」
室内と言っても焼肉店のような内装ではなく、民宿のウッドデッキみたいなバーベキュー設備だ。長机が並んでいるだけで、あまりにも開放的すぎる。
「とりあえず座ろうか」
ファミリー層が多い中、それらを避けるよう席に着いた。そして席に着いてから、俺たちのテーブルには七輪が無いことに気づく。他の人たちは七輪で焼いているのに……あ、子供と目が合って泣かれちゃったよ。
なるべく目につかないようにしていたかったが、ヘラがあることを指摘する。
「席料取られるみたいだよ☆」
「……店員を呼んで来よう」
居た堪れない空気になってしまったので、逃げるように席を外すと、すでに店員らしき女性が七輪を持って俺たちのテーブルまで来ていた。
「あ、席料は頂かなくても結構ですよ」
「そんな悪いです」
見たところ、相手は女子大生くらいだろうか。三角巾にエプロン姿といい、家業のお手伝いにしか思えん。
「さっきのライブ見てました。すっごく評判が良かったですね。これはお返しというわけではないのですが、私たちからのお礼です」
ここまで来ると温かい好意を通り越して、なんだか不気味である。普通に給金を得るよりも見返りが豪華だ。もしかして裏があるんじゃないかと疑ってしまいそうになる。
「あざーっす」
簡単に七輪を受け取るなバカ歌山! こんな時だけテキパキと自発的に動いて、セッティングしてるんじゃない!
「みんな嬉しいんです。だって、あなたたちとっても美味しそうに食べるから……」
「美味いもんは美味いでしょ」
お前は焼くなよ! 事務的に牡蠣から網に乗せようとするな!
と、いつもなら頭を叩いでもツッコミして止めさせるのだが、今ばかりは危うい雰囲気をものともしない歌山のマイペースさは貴重だ。
「そうじゃなくて、ほら、震災の影響とかで……。放射能を気にして、口にするのを嫌がる人もいますから……」
「……みんな食べてる」
よく言ったぞ大越! みんな幸せそうならそれでいいじゃん!
「それは磐城の近海で取れた海の幸ではなく、岩手県産の食材だからです」
ま、知っていたけどね。知っていて食っていたけどね。つーか、知らないで食ってる奴なんかいないけどね。
「でも、これだけ賑わってるし☆」
あまり空気を読まないヘラまでもが、今度ばかりはフォローに回っている。これはよほどのことだぞ……。
「実は、ほとんど県内の人たちなんですよ。それもここに住めなくなった……。私も普段は郡山の学校に通っていて、休みの日だけ戻ってきてるんです」
(※震災から数年間の話です。現在は風評被害にも負けず、福島のネームバリューを取り戻す以上に盛り返しています。)
……………………。
おいおい、誰か何か言ってくれよ。なんでこのテーブルだけ、お通夜みたいな感じになってんだよ。周りにいるファミリーとの温度差が激しい。
「あ、ちょっと無駄話が過ぎましたね。どうぞごゆっくり」
……とんだ家族サービスになっちまったぜ。
しかし、貰ったものは食さなければといけないと自分に言い聞かせ、切迫した思いで焼き牡蠣を呑み込んだ。その意気を察したヘラと大越が、泣く泣くホタテを口に運ぶ。さっきまで、あんな美味しそうに食べてたじゃん!
あまり余計なことを考えていると、一向に食材が減らない。食べることに集中して、黙々と箸を進める。
…………もう我慢ならねぇ!
「ハワイアンズ行くぞぉ!」
士気を上げるためヤケクソになりつつ、気合で海の幸を堪能し尽くしたのだった。
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