第6話 勝負

第三章


 日帰りなのに午後からハワイアンズで泳ぎまくるという、予想外のハードスケジュールになってしまったが、なんとか俺たちは福島から東京に戻り、次のステージに向けて準備を始めていた。


「どうしてさぁ、あたしたちが前座なの?」


 レッスンの休憩中、歌山が怠そうに不満を呟いた。


「普通ならバックダンサーのところを、俺が無理やりライブにねじ込んだんだよ。罰当たりなことを言うな」

「……まだレコーディングもしてないのに?」


 大越は早く、自分の功績を形にしたいらしい。親を説得させることばかりが先行していて、隠し切れない気持ちが急いている。


「物販なんか最初から期待するんじゃないよ。CDなんてコピーして配れば十分だ」


 とはいえ、このままでは彼女たちのモチベーションを保てない。どうすればいいか思案していると、ヘラがニヤニヤした顔で俺を見つめていた。


「プロデューサーは見た目に反して、お金に執着心が無いんだね☆」

「一言余計な。使える金額には限りがあるから、ここぞという時のために残しとかなきゃならないだけだ」

「それっていつ?」


 どうやら歌山の興味を引くことに成功したらしい。他の二人も先程までとは、明らかに食いつきが違う。


「ライブが終わったら教えてやるから、今は目先のことに集中しろ」


 ここはあえてもったいつけることで、彼女たちに楽しみを植えつけておこう。返事も元気のいい声に戻っていたし、これで安心して次の仕事に行ける。


「それじゃ、俺はライブの打ち合わせに行くわ。レッスンちゃんとやれよ」


 レッスンスタジオを出て、これから宇喜田興業の本社へ向かう。歩いて二、三十分程度の距離のため、徒歩で道のりを行きながら頭の中で問題を整理する。


 社長に土下座してライブを組み込んだのはいいものの、肝心の先輩アイドルたちが難色を示し始めたのだ。それを知ったのが突然のことだったため、対応に少し遅れてしまった。


 本当ならば彼女たちで話し合わせるべきなのだが、歌山たちが集まって練習できる時間は限られているし、相手方も仕事で忙しい。仕方なく俺がスケジュールの合間を縫って、こうして出向かわなければいけなくなったのだ。


 それより、急に共演を断られた理由は何だろうか? 思い当たるものとしては、自分たちの下積み時代を、後輩の踏み台にされることに納得できないとかだな。とはいえ、彼女たちは歌山たちと違って、けっこう純粋な性格の乙女だったはずだ。数回しかあったことはないが、下ネタなんて言おうものなら社長に殺される。


 ヤバいな、まるで心当たりがない。体の良い言い訳を考えることもできないまま、事務所に着いてしまった。


「お帰りなさい末永君。あの子たちは奥の部屋で待っているわ」


 心の中で溜息を吐く。社長が直々に出迎えてくれるのではなく、ウチの事務所にも可愛い事務員とかいないのかな……?


「了解しました」

「ちゃんと説得しなさいよぉ?」

「いや、理由すら知らないんですけど」


 俺の話を聞くことなく、社長はさっさと仕事に戻っていった。何がしたかったのか謎でしかないが、あの人に気遣っていては身がもたない。俺も仕事しようと意気込み、応接間の扉を開けた。


「時間通りに来たようね」


 開口一番、上から目線の評価を下される。椅子に足を組んで座り、偉そうにふんぞり返っているのはアイドルの日向井牡丹(ひむかいぼたん)だ。ミニマムな外見にもかかわらず、その性格は炎のように荒ぶりやすい。


「こんにちは、末永君」


 その右隣にいるのが俺の先輩であり、〈夏いぜガールズ〉のマネージャーである渡部さんだ。俺より背が低く、顔の線が細い男性である。


「先輩こんちゃーす」

「名前で呼んでくれてもいいんだよ?」


 絶対に呼ばない。この事務所はサラリーマン時代の社長に惹かれ、一緒に会社を立ち上げた人たちが多いため、その属性も似通っている。まさに類は友を呼ぶだ。


「わたしのこと無視しないでくれる?」

「いいから本題に入りませんか?」


 日向井を諌めたのが、心配性の楽水真珠(らくすいしんじゅ)である。これまた小さい体格でありながら、その内面は水のように掴み所がない。彼女たち二人で「夏いぜガールズ」という、事務所初のアイドルユニットを組んでいるのだ。


「なぜ急に心変わりを?」

「もともと乗り気じゃなかったのよねー」


 髪の毛の先をクルクル弄りながら、ふざけた態度で拒否される。もう少しマシな言い訳を用意したらどうだろうか。


「これは仕事だ。気分で決定を覆されては困る」

「まだデビューもしていないのに、あの子たちだけ特別扱いされてない? 社長の娘だし、贔屓よ贔屓!」


 それを引き合いに出されては分が悪い。しかし、こちらも引き下がるわけにはいかないのだ。真っ向から対立しようとする空気を、慌てて楽水が両者を宥める。


「あの、バックダンサーということで妥協しませんか?」

「それはできない。彼女たちはCDを出してないというだけで、歌と踊りも高水準に達している。むしろ、まだ中堅に留まっている君たちを、後押しできるとさえ俺は考えている。どちらにしても悪い話ではないと思うが」

「だから問題なんじゃない!」


 日向井が立ち上がり、ヒステリックに叫ぶ。先程の説明に問題があるとするなら、彼女たちは後輩アイドルに喰われることを危惧しているのかもしれない。まだ憶測なので断定はできないが、慎重に話を進めなければいけない。


「それはどういう意味だ?」

「いえ、何でもないです。それよりも、私たちの下積みを踏み台にされるような真似は、理屈では分かっていても感情では納得できません。なんとか検討し直してもらえませんか?」


 そんな時間は無い、と言ってしまうのは簡単だが、相手は意固地になっている。あまり下手に刺激しない方がいいだろう。


「感情で話されるのなら、それでは埒が明かない。時間が無いのに、問題を先伸ばしにされたのでは意味がない。煮詰まって動けないくらいなら、強行突破しかないだろ?」


 頼むから俺にそのような手段を取らせないでくれ。気迫でそう訴えると、彼女たちは黙り込んでしまった。静かに話を聞いていた渡部さんが助け舟を出す。


「末永君ったら、あまりウチのアイドルをいじめないでよ?」


 少し大人げなかったかと反省したが、その右手に持っているバイブは何なのでしょうね? 身の危険を感じたため、俺は急いで取り繕う。


「まだ売れない頃、俺が作曲してあげたじゃないか。その借りを返すつもりで頼むよ」


 社長に頼まれたわけではなかったが、俺は自作した曲を売り込んでいたのだ。いくつか採用されたりもして、むしろ俺が彼女たちの人気に貢献していると思う。それなのに、日向井は否定的だった。


「わたしたちが序盤で躓いたのは、あなたのせいだと思うけど」

「冗談キツイなぁ」


 建前として愛想笑いを浮かべたが、彼女たちは至って真顔だった……。


「まさか今でも担当アイドルに、あの系統の曲を歌わせているんじゃ……?」

「そんなわけないじゃーん。ちゃんと拒絶されたって」

「勧めてはみたんですね」


 楽水に指摘され、ますます不信感が募る。


「そこら辺は大丈夫だから、安心して共演してくれよ」

「だからバックダンサーなら許可するって、最初から言っているでしょ」


 また話が振り出しに戻ったよ。意固地な日向井の態度を軟化させるため、俺はあえて軽口を叩いてみせる。


「そんな小さいこと言わないでさー」

「誰が小さいって⁉」


 急に立ち上がったものだから、情けなくも驚いてしまった。


「落ち着いて会長」

「ここでは会長って呼ばないで!」


 確か日向井と楽水は、同じ学校に通っている先輩後輩だったな。そして日向井は見た目によらず、これでも生徒会会長らしい。まぁ、そんなことはどうでもよくて、なんとか誤解を解かなければいけない。


「俺が言っているのは狭量さのことであって……」

「器が小さいってこと⁉」

「言い過ぎだぞ楽水」

「私じゃないですし、人のこと言えませんし!」


 相手にするのが面倒になってきたので、適当に敵意を受け流した。


「わたしは別に小さくない!」

「そうなんですか渡部さん?」

「僕のは大きいよ。見てみる?」

「お断りします」


 新しい問題が浮上した結果、誰もが下手に口を出せる雰囲気ではなくなってしまった。室内の静寂に居た堪れなくなった日向井が、ついに状況を打開する。


「もういい! ライブでも何でもやってやろうじゃない!」

「何を言っているんですか⁉ 相手の思うままですよ!」


 必死に止めようとする楽水を振り払い、日向井は宣言した。


「勝負よ! こうなったらアイドル生命を懸けなさい!」

「自分が何を言っているのか分かっています⁉」


 日向井は冷静な判断ができないでいるようだが、むしろ好都合だ。俺は大きな会場でライブさえできればいい。


「望むところだ!」

「勝負を受けないでください!」


 楽水は苦労人だな。いっそ狂ってしまえば楽なのに、運が無いせいで損な役回りをさせてしまっている。


「詳細は追って知らせるわ。首を洗って待ってなさい!」

「よし、じゃ俺は帰るわ! 先輩お疲れーっす!」


 日向井の気が変わらない内に急いで部屋を出る。そして楽水に呼び止められぬよう、ダッシュで事務所を出た。走りながら電話でライブ運営スタッフに連絡し、社長にメールで確定事項を報告する。これでもう二度と決定は覆らないだろう。


 ライブの広告活動をするため、また俺は次の仕事場所へと向かったのだった。


 ×   ×


 ライブ当日、俺は会場にいち早く着いて準備していたが、控室にいるアイドルたちとはまだ挨拶をしていない。そろそろ到着する頃だから、顔合わせに行ってみるか。


 控室のドアをノックすると、いつもの怠そうな歌山の返事が来た。部屋に入ると、前回と同じくリラックスしまくった三人が揃っている。


「おはよう。調子は良さそうか?」

「平常運転だよ☆」


 なんだかヘラの笑顔を見ると、いつの間にか安心できるようになったな。


「大きな会場でライブするのは初めてだからな。リハーサルで着替える前に、共演者の所へ挨拶回りに行くぞ」

「面倒臭いなー」


 また歌山が気怠そうな声を出しやがる。そういうことは士気の低下に繋がってしまうから、できれば控えて欲しいものだ。


「俺たちだけで運営できるわけないんだから、協力してくれる人たちに挨拶するのは当然だろ。そういうことは思っても口にするな」


 まぁ、歌山も自分で分かっていることだとは思うので、あまり強めには言わない。だが、どこで誰が聞いているのか分からないのだ。口は災いの元と言うし、用心するに越したことはないだろう。


「まずは先輩アイドルたちからだ。仲良くしろとは言わないが、本番前に喧嘩だけはするなよ? 絶対だぞ」


 せっかく共演してもらったというのに、彼女たちは興味無さそうだった。呑気な返事をし、黙って俺の後ろを付いてくる。


 ……〈夏いぜガールズ〉の控室前に来たところで思い出したが、そういえば勝負事をしていたな……。でも相手から連絡なかったし、別に気にしなくても大丈夫だろう。そう判断し、俺は軽い気持ちでドアをノックした。


「どうぞ」


 この声は楽水だな。室内から歌山たちが見えないように、壁の影へ押しやってから静かに扉を開けた。


「おはようございます」

「末永さん、おはようございます」


 お互いに業界の挨拶を済ませた後に気づく。


「あれ? 日向井は?」

「何か用があるらしくて、どこかへ行ってしまいました」


 もしかして入れ違いになったのかな……? 紹介が二度手間になるのは面倒だが、待ってやるほど時間も無い。


「じゃあ、楽水にだけ後輩アイドルを紹介する。おーい、入って来い」


 俺の呼びかけに対し、歌山たちの返事が無い。いつもなら形だけでも一応の返事をしてくれるのだが、待っている間に何かあったのだろうか?


「どうしたんだ? ちょっと様子を見てくる」


 廊下へ出ると、歌山が壁に手をついて日向井を恐喝していた。


「年上だからって、あんま調子乗るなよ……」

「は、はひ。すみません……」

「何やってんだ馬鹿共!」


 逃げられないでいた日向井を保護し、喧嘩になった理由を問い詰める。


「そいつがナメた口きくから、ちょいとシメてやった」

「リハーサル前に怯えさすな! ヘラたちも黙って見てないで止めろよ!」

「悪口を言われたのは事実だし☆」


 出会い頭に日向井が挑発している場面を、容易に想像できるな……。どちらが悪いかといえば日向井だが、こんなところでシコリを残しておくわけにはいかない。


 どうやって事態を収拾させようか考えていると、俺の後ろに避難していた日向井が怒鳴り始めた。


「何なのよコイツら! 特に口ピアス!」

「あ?」

「メンチを切るな! 離れろ!」


 歌山を引き離し、ここは一旦、落ち着かせるため全員を控室に入れる。


「おかえりなさい、牡丹ちゃん。……って、なんか目が赤くないですか?」

「赤くない!」


 楽水が日向井の異変に気づいたようだが、わざわざ説明している暇は無い。それよりも、当初の目的であった自己紹介をさせた。


「歌山叶っす。よろしく」

「宇喜田ヘラだよ☆ よろしくね!」

「……大越輿子。よろしくお願いします」


 第一印象が悪かったとはいえ、もう少し愛嬌よく自己紹介できないものだろうか。これでは気が滅入る。先輩をお手本として欲しい。


「楽水真珠です。よろしくお願いします」

「日向井牡丹よ。よろしくしてあげるわ」

「なんで上から目線なんだよ」

「いちいち突っかかるな」


 喧嘩っ早い歌山を抑える。歌山と日向井の相性は最悪みたいだ。会話は手短にして、早くこの控室から退散しよう。


「アイドルのくせに態度が悪いわね!」

「俺を盾にして喋るな!」


 口の悪さなら日向井も負けてはいない。根は良い子なんだが、同世代を前にすると意地っ張りになる性格のようだ。こいつに付き合ってられる楽水は天使である。


「そういえば、さっき牡丹ちゃんは一体どこに行ってたんですか?」

「真珠、よくぞ聞いてくれたわ。わたしはスタッフたちに、このアンケート用紙を渡していたのよ!」

「なんだこれ?」


 日向井が得意気に取り出したのは、ライブの感想が書き込めるプリントだった。趣味で演劇をよく観る俺にとっては、別に珍しいものでも何でもない。問題は、どうして彼女がこれを用意したのかである。


「勝負のことは覚えてる? 勝敗は、お客さんの投票率で決めるわよ!」


 都内でも有数の公立進学校の生徒会長だけあって、頭の回転力と実行力が大人顔負けである。質問項目も考え抜かれているし、フィールドワーク技法を熟知している。将来は良い社会調査士になれそうだ……って、そうじゃない!


「勝負って何?」


 このことを歌山たちに話せば、仲の悪さがヒートアップしかねん。本番前だというのに、余計なことを言いたくない。なんとかして誤魔化そう。


「後で話すから、ほら戻るぞ」


 腑に落ちていない歌山たちを控室の外へ追いやったのだが、扉を閉める直前に日向井の高笑いが聞こえてきた。


「結果が出るまで、念仏でも唱えてなさい! アーーッハッハッハッハァ!」


 あの野郎……。この後はスタッフたちに挨拶回りをするつもりだったか、歌山たちが勝負のことを気にして集中できなかったため、一度自分たちの控室に戻った。


「あの女は何だったんだ? イカレてるとしか思えない」

「世の中いろんな人がいるからね☆」


 こいつらは自分のことを棚に上げて、好き勝手に言いたい放題である。


「……勝負って、これのこと?」


 どさくさに紛れて拾ってきたらしい大越が、そのアンケート用紙をテーブルに置いた。歌山とヘラはテーブルに乗り出し、書かれている内容を食い入るように読んでいる。……もう、ライブの結果は終わったも同然だ。


「なーんだ。人気投票みたいなもんね」


 そうか。勝負と言えど、何を懸けているのかさえ内緒にすれば、歌山たちがムキになることはないんだ。心配して損した。


「ユニットでの括りじゃなくて、個人名での選択肢なんだね☆ 二組でしか参加していないし、意図的に偏りが出ないように作られてあるよ☆」


 よくよく考えれば、活動歴の長い〈夏いぜガールズ〉が有利なのは当然だった。日向井はそれを考慮し、個人での投票にしたのか。こちらの方は人数が一人多いし、条件としてはフェアである。


 日向井は負けず嫌いではあるけども、正々堂々とした勝負を望んでいるようだった。それほど真剣だということだが、俺はライブができれば賭けのことなど知ったことではない。そもそも社長が許すはずないし、今日は気楽にやるか。


「アイドルファンなんて、どーせ外見でしか見てねーべ。それならあたしの圧勝だな」

「寝言は寝て言えば☆」


 歌山とヘラが取っ組み合いの喧嘩になる前に、俺はライブの構成について説明した。


「みんな分かっている通り今日は二組だけ出演するんだが、けっこう変則的なライブ構成になるぞ。最初に〈夏いぜガールズ〉が出演した後に、後輩の紹介と言う体でライブに中入りする形だ。歌とダンスを披露し終わったら、最後にまた〈夏いぜガールズ〉が出演して閉める」


 お客さんは〈夏いぜガールズ〉を目的にして入場するため、この構成にするしかなかった。これがバンドだったら対バンさせれば良いのだが、同じ事務所だから仲の良い雰囲気を演出しなければならない。あくまでも音楽は癒しなのである。


「トップバッターよりかは気負い過ぎることはないが、途中参加はやり辛いだろうと思う。でもリハーサルは通しで行うから、なんとかそこで流れの感覚を掴んでくれ。今の説明で大丈夫そうか?」

「……了解」


 開始時間などの大まかな予定は事前に伝えてあるし、他の注意事項は後で気づいた時に追々説明すればいいだろう。


「それじゃ公式では初出演だし、気を取り直してスタッフたちの挨拶回りに行くぞ」

 説明を終わらせ、今度こそ会場内を歩き回った。

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