第10話 野外フェス

第五章


 完成したミュージックビデオを動画投稿サイトにアップしたところ、再生数が徐々に伸び始めた。CD発売までに一万回くらい再生されれば上出来だと考えていると、思わぬところで再生数が急速に跳ね上がったのだ。


「末永君、最近調子いいんじゃない?」


 事務所で仕事をしていると、機嫌の良い社長に話しかけられた。


「いつも通りですよ社長」

「またまた謙遜しちゃって。CDの予約枚数だけで、前回の枚数を上回ったそうよ」

「マジですか⁉」


 前回でも収支がプラスとなり、新人としてはヒットした方だったのだ。それを上回るとすれば、五万回再生を軽く突破したことになる。すぐにパソコンで確認した。


「あれ? そんなに再生数は伸びてないですよね……?」


 流石に五万回再生は突破しているが、前回の販売枚数を上回る人気だとは思えないほど、釣り合いの取れていない伸び代だった。


「ミュージックビデオの方じゃなくて、メイキング動画の方よ」


 オマケで撮影していたメイキングビデオの再生数は、メインであるはずのミュージックビデオよりも遥かに多い、なんと十万回再生以上だった。その勢いは納まることを知らず、どんどん再生数が増えていく。


「どうしてメイキングビデオの方が人気なんですか⁉」


 ミュージックビデオの内容は、普通から外れた少女たちが偶然出会い、未来の不思議な時間を共有するというものだ。雨を利用して光を綺麗に反射させ、マルチスクリーンの技法を組み合わせながら、編集で違和感無く背景にダンスを溶け込ませた。あれだけ手間暇をかけて撮影したというのに、たかがホームビデオに劣るだと……?


「台詞の掛け合いが面白いからじゃないかしらね」


 確かに作業中の会話は楽しかった。でも、それは皆が真剣に取り組んだからであって、現場はほのぼのとした空気ではない。きっと、それすらも虚偽性の無い日常として、視聴者に羨ましく思われたのだろうか?


「不憫だ……」


 最初とはいえ、けっこうな自信作だったのに……。俺としては歌山が渇望している理想を伝えたかったのだが、それはまだ受け入れてもらえないという結果に終わった。


「いいから元気出しなさいよ。また発売イベントを企画している最中なんでしょう?」


 社長に喝を入れられ、だらだらと仕事を再開する。CD発売イベントの企画は二度目なので、営業の流れは大体分かっている。前回の販売実績があるため、今度の企画はスムーズに決まりそうだ。


 慣れた手つきで段取りを進めていると、事務員が俺宛に電話がかかってきたことを知らせた。新しい仕事の依頼かと思い、期待して内線で繋ぐ。その内容は新しい仕事で合っていたが、期待していた以上のお誘いを受けたのだ。


 俺は歓喜してすぐにオファーを受け、急いでレッスン中のアイドルたちを事務所へ呼び出したのである。


「急にどうしたのさ?」


 レッスンを途中で抜け出したため、歌山は疲れ顔だった。だが、このオファーの報告を聞けば、体の疲れなど吹っ飛ぶに違いない。想像するとニヤケが止まらなかった。


「聞いて驚けよ」

「あ、そこは驚かないといけないんだ☆」


 俺はヘラの茶化しを無視して、手に入ったばかりのニュースを声高らかに告げる。


「なんと〈ゲットバッグ ザ アナーキーズ〉に、野外音楽フェスティバル参加のオファーが舞い込んできたぞ!」

「…………」


 あれ? このリアクションの悪さは何だ? あまりにもビッグニュースすぎて、脳の処理時間が追い付かないのか?


「反応薄いなぁ。もっと喜べ!」


 まぁ、いきなり言われたって実感が沸かないか。どこから説明したら良いか悩んでいると、ようやく大越が口を開いた。


「……もう八月だけど?」

「おいおい、別にサマソニだけが日本の大型フェスじゃないぞ。今回は九月の連休に行われる秋フェスだ」

「そうだとしても、この時期に出演アーティストが決まるのって不自然じゃない? いくらなんでも遅すぎでしょ」


 歌山の言うことは尤もだ。だからこそ、俺は電話先の相手に理由を問い質した。


「あのミュージックビデオを観て、主催者側が気に入ったらしい。無理やりタイムテーブルに押し込んだそうだ」


 正確にはメイキング動画だが、そこは少し見栄を張っといた。


「都合良すぎ☆」


 ヘラがそう思うのも無理はない。とはいえ、ここまでなんとか来られたのは、一重に運の良さである。テレビ出演や、ミュージックビデオの時だってそうだ。実力があるからこそ、運が味方をする。


「運も実力の内さ。アイドルを目指す中には、そのチャンスさえ訪れない人もいる。さぁ、お前らはどうするんだ?」


 自転車操業のような綱渡り営業で、なんとかしてやってこれたのは運だけじゃない。


「やらないなんて言ってないじゃん。むしろ楽しみ」

「……右に同じ」

「盛り上がって行くよ☆」


 大事なのは行動力。自分から動かなければ、今の状況から抜け出すことはできないのだ。


 ×   ×


 セカンドシングル『産声ロック/メガロポリス』の、CD発売イベントを無事に済ませ、初動の売り上げも好調に終わった。


 しかし、歌の内容が下品だったせいか、あまりメディアには取り上げられることがなかった。それでも一部のインターネット記事には載ったため、知る人ぞ知るアイドルとして人々に認知されるようにはなった。


 そのような確証を持てるようになったのは、フェスの前に行った単独ライブで、チケットがソールドアウトしたからである。このままライブで活動の清算が取れるようになれば、メディアに頼らなくとも人気を維持することが可能だろう。


 そのためには野外フェスを成功させ、新規のファンを獲得しなければいけない。俺は野外フェスに向けて本腰を入れたのだった。


 そして待ちに待ったフェスの初日。俺たちは県外のライブ会場へ向かうため、朝から事務所の車で高速道路を静かに走っている。


「いくらなんでも朝早くね? てか夜じゃね?」


 助手席に座っている歌山が不満を言う。今の時刻は午前四時。歌山の機嫌が悪くなるのも無理はない。


「タイムテーブルに押し込められた順番がラストで、その上リハーサルが逆リハなんだから仕方ないだろ」

「……逆リハって何?」


 業界用語に疎い大越が質問してきた。分からないことを訊くのは恥ずべきことではないため、俺はちゃんと返答する。


「逆リハというのは本番の出演順とは逆、つまり最後の出演者からリハーサルをしていくことだ。逆リハだとトップの出演者がセッティングをやり直す必要がないから、そのままのセッティングで効率的に始められるのが利点だ」

「……へぇ。面倒臭い」


 逆リハはバンドの欠点を補うものであって、楽器で演奏しないアイドルにとっては利点とならない。それを鋭く見抜いただけで、大越は本を読み始めた。


「前乗りとかできないの?」


 暇潰しの道具を持っていない歌山が雑談をしようとする。


「お前らが学校だったんだろ」

「そんなもんサボるのにー」

「社長の方針だから駄目だ。アイドルでも学業を優先すること」


 いくら社長でも立場上、実の娘を公共の場で特別扱いすることに躊躇いがあるのだろう。その娘はというと、後部座席で大口を開けて寝ていた。


「zzzz…………」

「鼾ウッセーなそいつ。鼻に何か詰まってんのか?」

「うるさくて眠れないよぉ……ふわぁ」


 耳栓代わりのイヤホンをしたかと思うと、欠伸をして歌山もすぐに寝入ってしまった。子守唄でも流れてんのか? 車の運転に集中しなければいけない俺にとって、その無垢な寝顔が何とも恨めしいことか……。


 まぁ、本番までに疲れを残してしまっては元も子もないため、睡眠をとるなら移動中の今しかない。バックミラーを確認すると、大越は本を読み止める気配が無さそうだった。


「大越は寝なくて大丈夫か?」

「……平気」

「もしかして、学校でも本の虫なのか?」

「学校では読まない」

「どうして?」

「お嬢様の護衛があるから」

「どゆこと⁉」

「実家の都合。それしか言えない」


 そういえば大越は家出してまでアイドルに執着していた。おそらく両親と仲が悪いのだろうと推測はしていたが、これは思っていた以上に根が深そうだ。


 とはいえ、大越の方から家庭の事情を教えてくれたのは僥倖である。他の二人も含め、これから少しずつ関係が前進していけば良い。


「車内は暗いから、ほどほどにしとけよ」

「……うん」


 本人が大丈夫なら心配しなくてもいいだろう。俺としても誰かが起きていてくれるのなら、運転中の寂しさを紛らわせて丁度いい。眠気覚まし用のブラックミントガムを口いっぱいに放り込み、安全な運転を心がけた。


 どうでもいい話だが、眠気覚ましに最適なのは熱いブラックコーヒーだ。しかし、それだと尿を催すのが近くなってしまうので、何かのイベントや運転中に飲むのは控えるように気をつけよう。


 車を運転していると、つい余計な事を考えてしまう。これが昼間ならドライブと割り切れるのだが、夜道は油断して走ると事故って死ぬ。暗闇が不安を煽ってくるため、一切気を抜けないのだ。


「…………プロデューサー」


 自分に安全運転を言い聞かせていると、後部座席から大越の呻き声が耳に届いた。


「どうした? ちょっと怖いぞ」

「…………吐きそう」


 言わんこっちゃない。車内の光を当てようとして、変な体制で本を読もうとするからだ。逆に酔わない方がおかしい。


「パーキングエリアまで待てるか⁉」

「……もう……無理」

「気合で耐えろ!」


 安全運転などしている余裕などなく、暗い高速道路を時速百キロ以上で駆け抜ける、スリリングなドライブとなってしまった……。


   ×  ×


 何事も無かったよ。

 フェス会場に着き、俺は清々しい開放感を得ていた。それなのに、なぜか車から降りた歌山は気分が優れないようだ。


「何か気持ち悪いなー」

「悪い夢でも見ていたんだろ……」


 フェスはキャンプ場も兼ねており、大自然の光景を眺めていれば気分も良くなるはずだ。そこら辺を散歩するだけで心も寛容になる。


「おいしい空気だね☆」

「…………うん」


 ずっと寝ていたヘラは太陽の光を浴びて、気持ち良さそうに固くなった体を伸ばしていた。それに対し大越は……まぁ、触れないでおこう。


 車から荷物を運び出していると、歌山は自分たちが披露するステージの場所を、パンフレットに記載してあるマップで確認していた。


「野外フェスなのに、あたしたちは屋内ステージでやるんだよね?」


 会場は大きく四つのステージに分かれており、それぞれが大きい順からメインのアースステージ、ムーンステージ、スターステージ、レインボーステージとなっている。俺たちは一番小さいレインボーステージであり、なぜかそこだけが屋内ステージだった。


「屋外ステージばっかりだった俺たちにとっては、むしろ屋内ステージの方が新鮮だろ」


 ちなみに、どうして俺たちがレインボーステージのトリなのかというと、そこからだとメインのアースステージの方へ行っても間に合わないからだ。そのような理由で最初から空けてあった時間帯に、俺たちが入り込むことができたのである。


 着いてすぐにリハーサルとなり、それも機材の確認だけで簡単に終わってしまった。苦労して早くから来たというのに、この扱い方では俺が報われない。


「見て見て☆ いつの間にグッズ増えたの?」


 そう落ち込んでもいられないか。会場に隣接してある物販ブースを見に行くと、新しいグッズでヘラのテンションが上がっていた。


「フェスの参加が決まってから、こつこつ制作していたんだ。ほら、歌山がデザインしたロゴも綺麗にプリントしてあるぞ」


 CDの他に追加されたのは黒Tシャツとタオルだ。製作の際、歌山に〈ゲットバッグ ザ アナーキーズ〉のTシャツ全体をデザインしてもらったのである。彼女は物販に否定的だったが、最低限このくらいは無いと困るだろう。


「よくできてるじゃん。これ着てライブしたい」


 どうやら歌山も完成品を手に取って気に入ったようだ。実は、Tシャツのデザインは彼女から申し出たことである。最初は俺がデザインを起こそうとしていたのだが、どこかで話を聞きつけた歌山が何枚かのデザイン画を渡してきたのだ。


 イラストの配置や、Tシャツとのバランスを計算しているあたり、ただの趣味として描いているわけじゃないのが伝わってきた。俺はその熱意に心を打たれ、歌山のデザインを採用したのである。彼女はデザイナーとしての才能があるのかもしれない。


「ここはもういいだろ。次に行くぞ」


 主催者側への挨拶回りさえ終わってしまえば、その後は自由時間である。他のライブを観て楽しむのも良し。長旅で疲れた体を本番まで休息するのも良しだ。俺は夜を徹して運転していたため、迷いながらも後者を選択しようとした。


「〈胡坐レディ〉のライブ観に行こうよ!」

「ここはライバルアイドルの〈UIL〉を敵情視察すべき☆」

「……〈ブロードバンドルーターズ〉」


 まだスタート前だというのに、こいつらはどのライブを観に行くかで俺を取り合っていた。まるで休日のお父さん状態である。俺はまだ二十代前半だというのに、十代のエネルギッシュさには太刀打ちできそうになかった。


「なーにやってんのよ」


 はしゃぎまくっている様子を、テントの入り口から日向井牡丹が呆れた顔で見ていた。彼女と仲の良い歌山が対応する。


「どうしてここに?」

「パンフのプログラム読んでるくせに、わたしたちが来ること知らなかったの?」

「あ、全然見えなかったわ」

「こいつら……」


 もちろん、知っていてからかっているのである。二人のやりとりを楽しく見守っていると、後から楽水真珠が挨拶をしに来た。


「どうも、おはようございまーす」

「オハヨ☆」

「今日も一緒に頑張りましょうね」


 いがみ合っている歌山と日向井とは違い、楽水の笑顔は清涼剤だな。ヘラのことは置いといて、大越がある疑問を口にする。


「……どうして同じ車じゃないの?」

「私たちはリハの時間が遅かったので、始発の新幹線で来ちゃいました」


 彼女たちは出番が早いため、俺たちと一緒の車に乗ることができなかったのだ。あんなに早くから移動していては、体の疲れが抜け切らないだろうと判断したのである。


「この後ライブがあるから、暇なら観に来てもいいのよ?」


 ツンデレ娘の言葉を訳すと、日向井は後輩たちにライブを観て欲しいと言っているのだが、その返答は錚々たるものだった。


「〈超絶ロリータシンドローム〉と被ってるから無理」

「その時間帯は〈ショッキングホルモン〉だよ☆」

「……〈インテリゴリラ〉」


 断るのが早いというか、こういう時だけ連携プレーを発揮できるのが恐ろしい……。日向井に対しての愛情表現が過ぎるぞ……。


「ぬぬぬぅ~~……。こいつらぁ~~ッ!」

「みんな予定あるようだし、私たちは準備に戻ろ。ね?」


 泣きべそをかいている日向井を、楽水が優しく宥める。いつもすみません、というアイコンタクトを送っていると、渡部さんが彼女たちを呼び戻した。


「おーい。そろそろ本番の準備お願い」

「渡部プロデューサーも呼びに来たし、早くしよう?」

「絶対ライブ観に来なさいよ!」


 最初からそう言えばいいのだ。プライドを捨てて素直になり、お願いを言い残してから去って行った。


「うっさいなー……」


 口では悪態をついているが、歌山は言われなくても行くつもりだったのだろう。小さく隅っこで笑いを堪えていた。


 ×   ×


 ライブも一通り観終え、そろそろ自分たちの本番が近付いてきた。


「準備はいい?」

「何でいるんだよ?」


 事務所が同じ〈夏いぜガールズ〉が舞台袖へ応援に来るのはいいとして、なぜか日向井は歌山と円陣を組もうとしている。


「全く、わたしがいないと駄目ね」

「話を聞けよ!」


 嫌がっている歌山を無視し、日向井は他のメンバーとも肩を組もうとしているが、やはり大越とヘラは巧みに避けていた。


「外は大雨のようですね……」


 楽水の言うように、外はバケツを引っくり返したような豪雨に見舞われている。天気予報では晴れのはずだったが、秋の季節は台風が気まぐれらしく、大きく進路を変えて直撃したのだ。これでは運営側も大打撃である。


「屋内にいる俺たちには関係ないだろう。それより目の前のことに集中するぞ!」


 本番前に俺が士気を鼓舞しようとしたが、彼女たちは捕まえようとする日向井から逃げて遊んでいた。


「さぁ、円陣を組んで!」

「どうして日向井が一番やる気なんだよ⁉」


 円陣を組ませようとする意味が分からない。謎すぎる熱血キャラへの変化に俺が戸惑っているところを、親切な楽水が解説してくれた。


「牡丹ちゃんは、皆で熱くなって何かをやるのが大好きなんです」


 部外者のくせに迷惑極まりない! 外は大雨の上に、今日のラストを飾るということで、日向井に変なスイッチが入ったようだ。厄介な性格である。


 ヘアメイクや衣装も崩れてしまうので、本番前に暴れないでほしい。ちなみに、今日の衣装は夏に発売されたセカンドシングルCD用の衣装であり、季節外れにも露出の多いものとなっている。基本は水着の上に着用しており、下はデニムショートパンツで統一されているが、上は個性に合わせてアレンジを加えた。


 歌山は白シャツをノースリーブにするだけでは飽き足らず、大胆にも下半分を切り取ってヘソ出しルックにしていた。それを見て気に入ったヘラが、自身のピンクパーカーを歌山のシャツと同じようにカットしたのである。そして流れで大越も便乗させられ、丈の短い黒ベストを着用することになったのだ。


 セクシーな衣装に身を包んだ彼女たちに見惚れている場合ではなく、なんとかしてこの場を治めなければいけない。邪魔な日向井が引っ掻き回して収拾つかないため、俺は少々強引な手段に出る。


「円陣組むぞ!」

「きゃ、セクハラ☆」

「張り倒すぞオッパイ! ……あ、すみません。円陣を組んで頂けませんか?」


 ヘラの二の腕を直に触ってしまい、思わずときめいたのを誤魔化すために強がってみせたら、鬼の形相で睨まれた。そして俺が縮こまるという情けない姿を見せたせいか、彼女たちは同情して指示に従ってくれる。始まる前から泣きそう。


「掛け声とかあるか?」

「DIY!」


 そのまま日本語で訳すと、自分でやる! という意味になる。円陣の掛け声には相応しくないので歌山の案は却下。


「いや、そういう意識高い系はいらないから。他には?」

「日向井牡丹万歳三唱!」


 円陣なのに自分押しかよ。却下。


「言い出しっぺのくせに考えてなかったのか。帰れ。他には?」

「ウキウキ☆ ヘラフィーチャーズ貧乳☆」

「殺すぞ!」


 貧乳四人の怒声が重なる。ヘラは事務所名とかけたのであろうが、メンバーたちの空気が殺伐とし過ぎたので、あえなく却下となった。


「酸欠で頭が痛くなりそうだ。他には?」

「……テスティファイ」


 ここに来て普通なのが来たら、そりゃ普通に駄目出しするしかない。ごめん、まともなのに大越の案も却下。


「悪くないけど、掛け声の語呂が合わないな。他には?」

「頑張るぞ! オーッ! じゃ駄目ですか?」

「可愛いから採用」

「ちょい待てや!」


 あからさまに楽水を贔屓したせいで、殺伐とした空気がさらに重くなった。円陣を組んで逆効果になるって、そうそうないぞ?


「もうプロデューサーが考えてよ。時間無いのにブレストしたって意味ないから」


 そうして歌山に切り出され、俺が考える羽目になった。時間が押しているため、俺の決めた掛け声がそのまま採用されそうだ。責任重大である……。


「そろそろ出番でーす」

「今すぐ行くよ!」


 急かすスタッフを怒鳴りつけ、俺は思いつきで円陣の掛け声を決めた。俺はその内容を彼女たちに伝える。


「じゃ、さっき言ったように合わせくれ。いいな?」


 とりあえず意味は無視して、語感の良い単語だけを選んだ。彼女たちに確認を取り、俺は大きく息を吸い込んでから、腹に力を入れて叫ぶ。


「ぶっ生き返す! FLASH!」

「BACK!」

「GET!」

「BACK!」

「反撃だ!」

「LET‘s FIGHT!」

『そ・く・は・め・ボ・ン・バァァーーッ!』


 示し合わせていないのにもかかわらず、まさかのシンクロでテンションはマックスになり、舞台袖なのに全員が暴れ回って絶叫する。


「うおおおおおおおおっ!」


 暴れ過ぎて〈ゲットバッグ ザ アナーキーズ〉を送り出すどころか、いつも間にか自分も混ざってステージの上を端から端まで駆け抜けていた。


 ライブは何事も無かったかのようにスタートすることができたが、その後でスタッフに滅茶苦茶に怒られた。


「何やってんだアンタら⁉」

「すみません。興奮しちゃって……」

「非常識だろ!」


 一次のテンションによる気の迷いとは恐ろしいものだ。久しぶりに大人から怒られていると、自分のやったことの罪を冷静に見つめられる。


「本当にごめんなさい!」


 実は俺と一緒に青春を駆け抜けていたらしい楽水が、代わってスタッフたちに平謝りしてくれた。例え誰だろうと幼気な少女を前にしては矛を収めるしかなく、スタッフたちは仕事に戻って行った。俺ってクズだな。


 罪を認めても罰を受けている暇は無いぜ。ライブの様子はどうなっている?


「最初からクライマックスのようね」


 まるでライバルの成長を知ったかのような目で、なぜか日向井は偉そうに舞台袖からライブを観ていた。


 ここにいるということは、日向井も一緒に青春を駆け抜けたらしい。だが、彼女だけスタッフに怒られていない時間差が発生しているということは、一人だけ置いていかれて寂しくなったので、たまらず後を追いかけたのだろう。こいつアホだな。


 とはいえ、日向井の言うようにライブは出だしから好調だった。彼女たち三人の息は合い、ダンスも乱れず、声も腹から出ている。変なテンションのせいで奔り過ぎているかと思いきや、その心配は杞憂だったようだ。


「一番小さいレインボーステージでも、こんなに人が集まるものなんだな」


 ステージに上がった一瞬だけ会場を見渡したのだが、スペースに空きがないほどの人だらけだった。知名度は高くないのに観客が多い、その理由を楽水が教えてくれる。


「あの、さっきスタッフさんから聞いたんですけど、この雨で機材が濡れて駄目になっちゃたらしくて、野外ステージの観客がこっちのライブに流れているそうです」

「何それBECKみてぇ!」


 ステージごとの入場者数で勝負事をしているわけではないが、伝説を作るには環境が整い過ぎている。ライブも中盤以降になると、会場全体が熱狂の渦と化し、その場にいる誰もが中へと巻き込まれていた。


 このままでは観客が貧血で倒れたり、怪我人が続出したりすることが危ぶまれるため、MCも務める彼女たち自身のトークで小休止を挟む。


「今日は人がたくさんいるね☆」


 ヘラが話し始めただけで、会場から一斉に歓声が沸き起こった。観客は突然の雨で溜まったフラストレーションをどこかにぶつけたいらしい。


 このような反応は彼女たちにとって初めての経験であるため、俺はスタッフを向かわせて近くにいた大越に情報を伝える。


「……他のステージは雨で運行を見合わせているって」

「何それBECKみたい!」


 あ、歌山と感想が被った。心外である。そして彼女は少し滑ったと思ったのか、チャレンジ精神で続けて笑いを狙っていく。


「ここにいる人ら全員、お目当ては雨宿りかよ⁉」


 とりとめのないトークというより、観客を楽しませようとする漫談に近いものとなっていた。歌山の少し毒舌な自虐ネタは観客のウケも良く、どこからともなく応援する声がちらほらと聞こえる。


「全員だとは限らないでしょ☆ でも、かなり熱気が籠ってるかも☆」

「……むさ苦しい」

「早くここから出してくれ~~っ! つーことで、行くぞ『産声ロック』!」


 観客の叫びを掻き消す、怒号の演奏が大型スピーカーから流れる。ドラム音の荒れ狂うようなビートが、アイドルたちのダンスを全開に引き出していた。


 疲れを一切感じさせない動きのキレに、いてもたってもいられなくなった人々が会場内で暴れ回る。またもや会場全体が熱狂の渦に包まれるのに、そう時間はかからなかった。


 “親の愛情を受けずに育つ 子供が子供でいられない

  痛み欠落 間引き赤ん坊 自分の子をどうしようが勝手だろ

  お前もう無理だって”


 止めどようのない怒りや悲しみ、迷いがサウンドによって押し出され、思いついた本音が零れ落ちていく。


 “中絶! 劣情!

  一片の知性も感じ得ない 青臭い鳴声 醜い嬌声

  悦楽の果てに性への目覚め 貞操観念の崩壊だ”


 鼓膜を刺激するAパートとは打って変わって、今度は心臓を揺さぶる横ノリのリズム。その鼓動は全身を伝い、体内へとエネルギーが充填されていく。


 “この子もあの子も犯す犯す その子もわが子も犯す犯す

  行動理念は犯す犯す犯す犯す犯す犯す犯す犯す……

  消えろ!”


 加熱された思考が濃厚なスープのように、ゆっくりと脳内に溶けて染み渡り、瞬く間に霧散していった。


 “生命への鬩ぎ愛情を求め 怒り狂ったセックス三昧

  子宮に宿る小さな命 どうして殺してしまうの?”


 音の圧力が鼓膜を刺激する度に、充たされていたドーパミンが弾けて、ようやく嵐のような一番が終わる。


「相変わらず酷い曲ね……」


 隣でライブを見守っていた日向井が、歌詞の内容に嫌悪感を示していた。その次には思わずハッ、とした動作の後に口を噤んでいる。


「まぁ、否定はしない」


 聞こえないと思って呟いたようだが、爆音が会場に流れていても、スピーカーの裏である舞台袖なら声が通る。


「よく分からないですけど、気迫はビンビン伝わってきます!」


 楽水は優しいな。でも、まるで赤ん坊はコウノトリが運んでくると信じているような穢れなき少女に、この歌を聴かせるのは俺の良心が痛む。


「どうしてこんなのを歌わせるの?」


 開き直った日向井が疑問を投げかけてきた。


「このままじゃいけないと思ったからだ」

「何それ?」

「生きたいのに生きられなかったら、もう爆発するしかないだろ?」


 本当はアイドルらしくありたいのに、現代のアイドルらしさが歪んで見える。そもそもアイドルとは何なのかを確かめようとし、それを実践している最中なのだ。


「それって楽しい?」

「俺もよく分からん」

「変なの……」


 確かに変だな。結局、何をしたいのか自分でも分からなくなってきた。アイドルの体制を崩すという使命感はあれど、それが本当に正しいことだとは限らない。まさにセックス・ピストルズのように、俺たちも破滅の道を歩んでいるのだろうか?


 ざわめくような不安の在り処はどこにあるのかを考えていたら、いつの間にか曲は終盤へと差し掛かっていた。


 “生命への神秘2億の精子 奇跡の結果あなたが誕生

  瞳に燃える大きな魂 愛を持ってこの世界に立ち向かえよ!”


 例え無謀な試みだろうと、胸の痛みは決して偽物なんかじゃない。それなら感情を爆発させることでしか、この想いを表現することができないのだ。


「止まらず続けていくよ☆ お次の曲はぁ?」

「……『アイアンガール』!」


 鉄の処女ならぬ、鉄の乙女。社会という現実に打ちのめされ、汚れて傷つきながらも、彼女たちは理想に向かって突き進んで行く。

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