第3話 宣材

 仕事が終わり、高円寺にある自分の部屋に帰る。

 ここら辺一帯の家賃は高額だが、俺は何とかして北口方面のボロアパートに住むようにした。少し無理してでも良い暮らしにしたかったのは、中野にある仕事場に近いし、一人暮らしならではの生活だと思うからだ。ここでなら、プロデュースする企画やらのインスピレーションも湧いてくる……はず。


 汚い畳の狭い部屋でも、いつもなら落ち着ける空間なのだが、今は彼女たちが心配で仕方ない。何もする気になれず、スーツから着替えないまま布団に寝転んだ。リラックスして今までのことを反芻する。


 生意気でオシャレに敏感な歌山叶。他人のパーソナルスペースに入り込む天性の資質があり、無垢な愛嬌を振りまく姿は微笑ましい。元気溌剌とした性格は、いかにも派手な振り付けのダンスが得意そうだ。


 寡黙でクールなモデル体型の大越輿子。歌山とは正反対である他人を寄せ付けないオーラを身に纏う高嶺の花だが、それに見合うだけのビジュアルと、ミステリアスさがある。レッスン次第で歌唱力に大きな伸びしろを期待できるだろう。


 そして最後に社長の娘である宇喜田ヘラこと、通称ヘラちゃん。初対面でも分かる人の良さと、電波っぽさでキャラは立っている。彼女だけは完全なる未知数の不確定要素だが、上手く他の凸凹コンビ仲を取り持つバランサーとなって欲しい。


 プロデューサーである俺としても、魅力的な彼女たちのステージをぜひとも観賞したい。


 しかし、全ては保護者の承諾があってこそ成立する。やきもきしながら彼女たちの健闘を祈っていると、携帯の着信音が鳴った。画面には大越の名前が表示されており、俺は慌ててベッドから跳ね起きる。


「もしもし。両親は説得できたのか?」

「………………まぁ」


 なんとも歯切れの悪い返事だな。とりあえずは大丈夫そうだが、近い内に親御さんと話し合わなければいけなさそうだ。


「そりゃ良かった。じゃ、また明日すぐに事務所へ届けてくれ。郵送でもいいぞ」

「……今すぐ届けられるよ」

「いや、もう夜遅いし、明日でいいよ」


 本来ならば直接受け取るところ、郵送でもいいと申し出ているのだ。こちらから催促しているとはいえ、そこまで気を使う必要は無い。


「大事な書類なんでしょ?」

「そんなものより大越の方が大事だ。さっさとクソして寝ろ」

「今、ボクのことが大事だって言った? 言ったよね?」


 さらっと口走った、デリカシーのない発言はスルーかい。夜の電話といい、書類を提出するだけなのに、どうしてか切羽詰っている印象を受ける。


「ああ言ったよ。だから何だってんだ」

「家出したから迎えに来て」

「はぁ? お前どこにいんだよ?」

「……新宿」

「ちょ、今すぐ行くから駅の西口にある交番で待ってろ! 間違ってもこの時間に、歌舞伎町なんか行くなよ⁉」


 通話を切り、急いで部屋から出る。高円寺から新宿なら、それほど遠くはない。終電がなくなるまでには、なんとか迎えに行けるだろう。


 それにしても、どうして家出なんて……。やはり、アイドルのことで親子喧嘩をしたのだろうか。これは思ったより、親御さんと話し合う機会が早くなりそうだ。


  ×   ×


 電車に揺られること十数分。ホームから上がり、人の流れに逆らうように改札を出る。急いで交番の前にまで来たのだが、どういうわけか大越の姿はない。不安にイラつきながらも、なんとか平静を保って電話をかける。


「…………はい」

「大越か? 今どこにいる?」

「……後ろ」


 振り向くと地下鉄への入り口から、大越が小さく手を振っていた。都心でジャージなので、間違いなく大越だ。


「何で隠れてんだよ?」

「……警官に見つかったら補導される」


 言われてみれば真っ当な理由である。とはいえ、リスクを考慮するなら警官に保護されていた方が心配事は減っていただろうに。


「話したいことはあるが、その前に場所を変えよう」


 このまま立ち話をしていては、あらぬ誤解を受けてしまいそうだ。大越の住所は知っているが、家出したというのに強制送還しては不憫である。まずは彼女がどのような解決方法を望んでいるのか、丁寧に聞き出さねばならない。


 とりあえずタクシーに乗り、中野の事務所に戻るまでの間、大越は言われるがままに付いて来た。非情に落ち込んでいる様子だったため、紅茶でも淹れてリラックスできる雰囲気を作り出す。


「で、どうして家出なんかしたんだ?」

「……ボクはレズビアンなんだ」

「ぶっ!」


 突然のカミングアウトに、思わず飲んでいた紅茶を噴き出してしまった。


「ゴホッ、ゴホッ! ……それが家出と何の関係が?」

「ボクの実家は由緒ある家系なのだけれど、ボクが女であるがゆえに、後継者不足に悩まされている。焦ったお父様は婿養子を受け入れるために、高校を卒業したら男と結婚しろと言うんだ。いくらなんでも理不尽だよ。だからボクはアイドルになって、経済的に自立しようとしたんだ。それなのに両親から許可なんてとれるわけないでしょ?」

「それで家出したと?」


 こくりと頷いてから、大越は静かに紅茶を口に含んだ。

 ……ここへ来るまでに考えた言い訳にしか思えないが、今のところは信じよう。下手に言い返してしまえば逆効果になる。


「分かった。今日は事務所に泊まれ。難しいことは明日、社長と相談しよう」

「……いいの?」

「いいも何も、仕方ないだろう。親御さんには俺から連絡しとく。俺は隣の部屋にいるから、何かあったら呼んでくれ」


 大越は俺の対応に戸惑っている様子だったが、いちいち気にかけてやる必要はない。さっさと部屋を出て、まずは社長に電話で報告する。


「はぁい。出張ソープランド宇喜田でーす」

「大越が家出した模様です」

「なんだとぉ!」


 急に地声になるもんだから、鼓膜が破れるかと思った。とりあえず落ち着かせるため、ちゃんと家出少女は見つけたと伝える。


「大丈夫です。俺が無事に保護しました。今は事務所で休ませています」

「ふぅ、それは良かったわ。家出した理由は、やっぱり親御さんのことかしら?」


 年の功と言うのか、察しがよろしい。話が早くて助かる。


「そうらしいですね。アイドルになることを両親が認めてくれなかったようでして、その反発だと思われます」

「第二反抗期というやつね。いいわ、私からご両親に話をつけてくるから」

「お願いできますか? 本当なら俺が行きたいところなんですけど、車は無いし、大越を一人にするわけにもいかないので」

「任せておいて。情熱のある女は嫌いじゃないのよ」


 それには俺も同意するが、あんたはどこからの目線で言っとるんだ?


「……くれぐれも、どうか穏便に済ませてください」

「心配性ね」

「顔が怖いので、そっちの方だと勘違いされないでくださいよ」

「なんだとコラァ!」


 電話を切る。ひとまず、これでなんとかなるだろう。そうだ、社長が来るまで大越家へ向かう前に、俺から電話で挨拶しとかないと。それに学校のこととかもあるのかぁ……。


 問題は山積みであり、俺は寝る間を惜しんで対応策を考えることとなってしまった。


   ×   ×


 なんだか気持ちが安らぐ、香ばしい匂いがする。空腹で目を覚ますと、誰かがキッチンに立っていた。あの凛々しい後ろ姿は大越だろうか? まだ覚醒しきっていない脳を奮い起こし、なんとか立ち上がった。


「……おはよう」


 起きた俺の気配に気づき、大越の方から挨拶してきた。気持ちのいい朝だからか、なんだか機嫌が良さそうだな。


「おはよう。何をしているんだ?」

「……コーヒーを入れてる。飲みたい?」


 香ばしい匂いの正体はこれか。朝の空きっ腹に響く。


「ああ、いただこうかな」

「目が覚めるよ」


 大越からコーヒーの入ったマグカップを受け取り、一気に口へと流し込んだ。


「美味い」


 ただのコーヒーなのに、大越から受け取っただけで家庭的な温もりというか、母のような優しさを感じられる味わいになっていた。おかわりを注いでもらい、今度はゆっくりと寛ぎながら味わう。


「そういえば事務所が綺麗になっているんだが、大越が掃除したのか?」

「……うん」


 一宿した恩を返したかったのだろうか。いい心がけである。そういう気配りが苦手だと思っていた大越に感心していると、社長がいつものような軽快さで事務所に出勤してきた。


「グッモーニン、子猫ちゃんたち。今日は良い知らせを持ってきたわよ」

「おはようございます社長。良い知らせというと?」


 思い当たるのは、大越が家出する原因となった両親の件についてだが、そう簡単に問題が解決するはずがない……。今までの教育方針を曲げてまで、娘の勝手な行動を許すはずがないからだ。


 きっかけとはいえ、俺は親子の仲を引き裂くようなことをしてしまったわけであり、下手をすれば勘当されるまでに悪化してしまうほどデリケートな問題だ。時間をかけて慎重に扱っていかなければいけない。


「輿子ちゃんのご両親から、アイドル活動の許可をいただいたわ」

「ええっ! 一体どんな手を⁉」

「死人に口なしと言うからな……って、何を言わせるのよ!」

「俺は何も言っていません! ただの自滅じゃないですか!」


 とはいえ、本当にどういった方法で大越の保護者を説得してきたんだ? 冗談が冗談に聞こえなくなってきたぞ。


「アイドル……やってもいいの?」


 まだ半信半疑な大越を安心させるため、社長は懐から一枚の書類を取り出した。


「承諾書にハンコを押してもらったから、心配かけないように今日は帰りなさい」


 書類を手に取って確認した大越は、口元を手で覆いながらも驚きを隠しきれなかった。あの鉄面皮を剥がすほどに、厳格な両親の許可が下りたことが信じられなかったらしく、徐々に笑顔が溢れてくる。


「良かったな大越」

「ま、まぁ……」


 取り繕うような返事だが、顔の赤みまでは消せていない。機械的な人間に見えて、大越も少女らしいということを実感できた。


「何はともあれ、これで当面の問題は解決したわけだ。来週までにユニットの召集かけるから、その時にまた先のことを話し合おう」

「……うん」


 大越は社長にお礼を言った後、ご迷惑をおかけしましたと、丁寧なお辞儀をして事務所から去っていった。


「社長、俺からも礼を言います。今回の件、本当にありがとうございました」

「あまり気にしなくてもいいわよ。私からすれば社員の尻拭いをすることも、尻を掘ることも一緒なんだから」


 いや、それは大いに気にしなければいけないことなんだが……まぁ、いつもの軽口だと思って聞き流そう。


「それにしても、よく大越の保護者を説得できましたね。何か秘策があったんですか?」

「説得とは違うわね。言うなれば論理的な文法の応用かしら。なんでも一つの言葉にまとめてしまうと便利だけど、その言葉の意味や概要までは忘れてしまいがちで、既成概念でしかイメージできないのよ。どんな言葉でも脱自明化しなきゃいけないってこと」


 何を言っているのか分からんが、社長から滲み出る玄人のオーラに憧れてしまう。


「知っているようで知らないことって、人生の中でいくらでも出てくるものよ。この仕事を長くやっていると、人との繋がりを強く意識しちゃうものだし、浅い知識で踏み入れようとすると手痛い歓迎を受けるから肝に銘じてね。おかげで印象の良い言葉の使い方まで身に着いちゃったわ」


 芸能界の中で生き残ろうとする人間に対して、贐のようなアドバイスをもらったが、人生を悟るような深さを俺が理解できるはずがなかった。ボイスレコーダーで録音するから、もう一度だけ喋ってくれないかな?

 なんて返したらいいのか分からず、とりあえず適当なコメントを言う。


「語りますねぇ」

「……久しぶりに殺意が沸いたわぁ」


 テヘペローンと、おちゃめに舌を出す社長の目つきは、獲物を狙う狩人のそれだった。

 さて、仕事しよう。


   ×   ×


 俺とアイドルの三人は事務所に集合してから、近くの撮影所に来ていた。薄暗い室内に、所狭しと機材が立ち並んでいる中、これから何をするか説明する。


「今日はアイドルユニットを結成する前に、宣材写真を撮影するぞ」


 いの一番に反応したのは歌山だった。


「洗剤? 何それ洗濯すんの?」

「あははー。叶ちゃんてば、おもしろーい。宣材っていうのはね、宣伝材料のことだよ。略して宣材!」


 ヘラは親切心のつもりで分からない単語を教えたのだろうが、それは歌山の自尊心を傷つけただけだった。


「何がおもしれーんだよ? あん? それならそうと最初から言えってんだ」


 噛みつく勢いで歌山はヘラに詰め寄る。身長差があるおかげで剣幕な雰囲気にはならないとはいえ、それでも説明の邪魔なので引き離す。


「やめろ馬鹿。今からやることはヘラの言った通りだ。説明を続けるぞ。宣材写真は事務所のホームページでも紹介用に使うし、仕事のオーディションでも使用する大事な写真だ。お願いだから真面目にやれよ」


 一人で洗濯されてろ、という冗談が喉元まで出かかったが、苦難の末に呑みこむ。俺が規範となってリードしていかなければ。


「えー、履歴書の写真じゃ駄目なのー?」

「履歴書の写真は可愛くないからダメ―ッ! だぞ☆」

「テメーに聞いてねぇんだよ! そのキモい喋り方なんとかならねぇのか?」

「だからやめろって」


 天丼ネタを繰り返そうとする二人を再び引き離す。


「ああ、もういいや。控室に着替えが置いてあるから、自分の好きな服装に着替えて、またここに集まれ。いいな?」


 はーい! と、返事だけは素直な歌山とヘラは控室に向かって行った。あの様子だと、歌山に口ピアスを外せと切り出すのは面倒だろうな……。あのままでいいか。


 撮影の準備をしているカメラマンの打ち合わせは既に済ませたし、空いた時間で俺も一休みしようかなと考えていると、大越だけがその場に残っていたことに気づく。


「どうした? 大越も着替えに行っていいぞ」

「……その、どんな格好をしたらいいか分からない」


 自分の好きな服を選べばいいんだが、大越の場合は黒ジャージがデフォルトだったな……。オシャレ好きな歌山に決めてもらうのは大越のプライドが許さないだろうし、ここはやはり俺がプロデュースしなければいけないか。


「俺の好みで決めてもいいのか?」

「うん」


 歌山はドラゴンタトゥーの女張りのパンクファッションで来るだろうし、ヘラは少女趣味が全開のふりふりレースが付いた服装で来るだろう。せめてゴシック調に合わせてくれれば帳尻も合うが、それを期待するのは無理難題だな……。


「長袖の白ワンピースか、ノースリーブの黒オールインワンのどちらかを、他の二人と相談して決めてくれ」


 結局、最初の第一印象に合いそうなものを選んだ。学校の制服以外でアンティークさを主張してしまうと、実年齢より老けて見えてしまう。大越は身長が高いから、清楚と高貴な服装が似合うだろう。それなら表情が硬くても不自然に思われない。


「……分かった」


 意外とすんなり受け入れた大越は、さっさと控室の方へ行ってしまった。あの一件以来、大越は不気味なほど大人しい。歌山と対立することもなく、平然とした態度で淡々と行動している。まだ親との心境の変化に対応できていないのだろうか?


 まぁ、反抗する対象を失ってしまえば、存在意義に空虚を感じてしまうのは無理からぬことだ。個人の責任が重くなったとはいえ、自由の内面的な不安を乗り越えられないようでは、今後のアイドルユニット活動にも亀裂が生じてしまうだろう。


「お待たせー」


 どうしたものかと考え込んでいると、着替えてメイクも済ませた三人が戻ってきた。

 歌山は色落ちしたグレーのGジャンに、インナーは白ワイシャツと黒ネクタイだ。それだけなのに、フォーマルな印象を受けるのが不思議である。勿論、黒スキニーとレザーシューズは欠かせない。


 ヘラは変則的なサイケデリック寄りだが、俺の期待通りゴスロリっぽいファッションを選んでくれた。白いブラウスとロングスカートの上に、派手なパープル色のライダースジャケットを羽織ることで、茶髪とも自然に調和している。


 そして肝心の大越は、ノースリーブの黒オールインワンを選んでくれたようだ。単調になりすぎないよう、さりげなくリングピアスなどのゴールドアクセサリーが光り輝き、大人っぽい高貴さを演出している。真っ赤な口紅を塗り、心なしか顔色も改善されていた。


「おお、いい感じじゃないか。見直したぞ」


 アイドルっぽいかと聞かれれば首を捻らざるを得ないが、俺自身がパンクロッカーだったせいか、こういうファッション性がツボなのである。


「でしょー? あたしがセレクトしたんだから」


 まるで自分の手柄かのように話す歌山は誇らしげだった。アクセサリーやメイクは確かにそうなのだろうが、果たして他の二人も納得するだろうか?


 恐る恐る反応を伺うと、ヘラはニコニコしており、大越は無表情だった。あまり普段と変わらないところを見ると、案外楽しかったのかもしれない。


「それじゃあ、最初は歌山から撮影を始めようかな。スタッフさんに挨拶してから、カメラマンの指示通りにポーズをとってくれ」

「オッケー」


 機嫌の良い歌山の調子が変わらない内に、さっさと問題児を送り出す。ファッション誌に載るわけでもないため、手早く終わらせることができるだろう。後はプロに任せる。


「プロデューサーは放任主義なんだね☆」


 一息ついていると、ヘラが下から覗き込むように上目づかいで話しかけてきた。この距離感と言うか、女の子らしさを狙っている仕草が苦手だわー。


「心を見透かしたように人聞きの悪いことを言うな」

「えー、だって心配じゃないの?」

「あのな、そこまで過保護に世話する必要はないんだ。アイドルの顔色を窺ってまで仕事なんかできるかよ。ヘラも緊張しなくていいから、あくまでも自然体でいてくれ」

「ヘラはヘラだよ☆」


 どうだか……。ヘラヘラしやがって、前フリにしか思えないんだよなぁ……。休んでいる場合じゃないと悟り、気を引き締めようとすると、大越が俺の袖をつかんだ。


「どうした?」

「あれ」


 大越が手で指した方向には、カメラに向かって全力の変顔メタルポーズをしている、腹立たしい歌山の姿があった。


「おいブスこら! ふざけてんじゃねぇぞ!」

「いたっ!」


 撮影中にもかかわらず、俺は出せるだけの瞬発力で歌山の頭を叩く。


「ちょ、すみません! 今すぐ他の子と交代させます! 次はヘラが入ってくれ!」


 はーいと、ヘラの気軽な返事を聞き流しつつ、涙目になった歌山を撮影場所から引き離す。そして壁に手をつき、退路を塞いでから改めて訊いた。


「あの表情とポーズは一体どういう了見だ?」

「なんていうか……照れ隠しっていうか……いざ撮るってなると、恥ずかしくなっちゃって……みたいな? えへ」


 どこぞのミュージシャン被れみたいな言い訳をしたら許さなかったが、初めての撮影で緊張しているらしい。少し肩の荷を降ろさせてやるか。


「カメラを意識しすぎるから緊張するんだ。ただの宣材写真なんだから、心を無にして笑顔にしていればいいんだよ」

「何か大事なものまで失ってしまいそうだね……」


 十五歳の少女に、大人の処世術を教えるべきじゃなかったな。やる気まで削がれては写真の出来上がりに支障が出てしまう。


「えーと、それじゃあ……楽しいことを想像してカメラを見ろ。ここからアイドル活動が始まると思えば、未来に希望を持とうとするだろ?」

「まだ何か引っかかる言い方だけど……まぁ確かにそうだよね」


 腑に落ちない部分がありつつも、なんとかアドバイスを受け入れたようだった。人はこうやって大人になっていくのかと感慨深く思っていると、また大越が俺の袖をつかんだ。


「どうした?」

「あれ」


 大越が手で指した方向には、至近距離でカメラに向かって、全力の横ピースをしているヘラの痛々しい姿があった。


「おいブスこら! ふざけてんじゃねぇぞ!」

「痛いっ!」


 撮影中にもかかわらず、俺は出せるだけの瞬発力でヘラの頭を叩く。


「ちょ、すみません! 今すぐ他の子と交代させます! 次は大越が入ってくれ!」


 無言でカメラの前に立つ大越を尻目に、俺はヘラを撮影場所から引き離した。そして壁に手をつき、さらに足で退路を塞いでから改めて訊く。


「あの表情とポーズは一体どういう了見だ?」

「自然体って言われたから、その通りに実践しました☆」


 宣材をプリクラか何かと勘違いしてるんじゃねぇのか? 最近の若者は自分のコミュニティだけで自己完結しているせいか、公共でのマナー違反が甚だしい。


「どっからどう見ても不自然だろ。お前はまず社会規範から覚えた方がいい」

「なんでヘラが社会に合わせなきゃ駄目なの? それが縛りとなって個性を抑圧するなら、ヘラはヘラを貫き通すだけだよ☆」


 社長の娘だけあって、軽薄さと難解さが入り混じった主張をしやがる……。聞いているこっちの頭が狂いそうになり、一瞬だけヘラの意見を肯定しそうになってしまった。

 しかし、このままではアイドルユニットだけでなく、ヘラ自身が自滅してしまうため、なんとかして方向修正を図らなければいけない。


「あのな、お前が特別な存在になろうとしても、結局は誰かから見た誰かでしかないんだ。ヘラはヘラであっても、それを理解して支えてくれるのは周囲の人間だけだろ? みんな最初からヘラを知っているわけじゃないことを自覚しろ」

「…………ほえー」


 俺としてはいいことを言ったつもりなのだが、ヘラの反応はいまいちである。


「何か変なこと言ったか?」

「プロデューサーって、意外と哲学者なんだね☆」

「なんだよ哲学者って。いいから、次はちゃんとやれよ」

「はーい☆」


 こんなものは現代社会学の基本的な理論だ。音楽をやるついでに大学で社会学を研究し、自己を追求していっただけなのだが、まさかこんなところで役に立つとは。道の途中で落ちている石は躓くだけではなく、拾えた石もあったんだな。


「撮影終わりました! 次の子お願いしまーす!」


 無事に撮影を終えた大越は、いつもと変わらずクールな佇まいで戻ってくる。他の二人と違い、度胸が据わっている。


「ただ突っ立っていただけなのに、どうしてあれでOKなのさー?」

「お前ら凡人とは身に纏うオーラが違うんだよ。別に大越の真似はしなくていいから、撮影を楽しんでやる気概で行って来い」

「うぃーす」


 撮影に入った歌山は、考えること自体がアホらしくなってきたようだった。カメラを意識することを放棄し、目の前に人がいるかのように自然な表情を作れている。


 ヘラも歌山の態度を観察することにより、不慣れな環境でも対応する術を身につけ、ひとまず個人での撮影は無事に終了した。


「ちょっと苦しいんだけど」

「……我慢して」

「輿子ちゃんの言う通りだよ! ヘラたちはセンターを譲ったんだから、これ以上の我儘は厳禁だぞ☆」


 個人での撮影は終わったが、三人で集合した写真も撮っておかなければいけない。アイドルらしい衣装に着替えてから撮影入りしたのだが、誰をセンターにするかで揉めたため、非常に険悪な雰囲気のままカメラの前に立たせることになってしまった。


 正面から見て真ん中が歌山で、大越が右、そして反対の左がヘラである。身長的に見ても、なかなかバランスの良い配置になった。


「図体がデカいんだよ」

「……態度よりはマシ」

「おっぱいはヘラの勝ちだね☆」

「殺すぞ!」


 貧乳の二人が同時にキレる。この一枚はアイドルユニットを発表する際に使用する大事な写真となるので、表面上だけでも仲睦まじく写る協調性を見せてほしいものだ。


「中腰になれよ」

「……台座に乗ったら?」

「きゃっ、谷間が強調されちゃう☆」

「毟るぞ!」

「喧嘩するな馬鹿共!」


 俺の怒声を浴びせることで、彼女たち三人は大人しくなった。これが遊びではなく、アイドルとしての仕事なのだと自覚して欲しい。


「これから先、お前たちは苦難を共に乗り越えなければならない。いがみ合っている場合じゃないぞ。恥を知れ!」


 俺の説教が彼女たちに届いたのか、渋々ながらも喧嘩することなく、互いを引き合せるかの様にポーズを取り始めた。


 このまま順調に撮影が続けば、俺のプロデューサーそしての評価も上がるだろう。やはりメリハリが大事だと一人で頷いていると、既に一枚だけ写真を撮った後だった。


「ちょっと見せてくれますか?」


 カメラマンに了解をとってから画像データを確認すると、両脇の二人に歌山が押し潰されていた。


「取り直しだ!」


 歌山だけ一歩前に出させることで問題は解決し、これでアイドルユニットを発表する際の宣伝材料は準備できたのだった。

 ……こういう嫌がらせだけは一枚岩を誇る彼女たちは、やはり捻くれている。

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