第3話 転・再開

 1


 次に乃人が瞼を開けるとそこは町だった。と言ってもおそらく最早「町」と言っていいのかどうか分からない。

 周りを見渡せば、半壊の民家、捲れたアスファルトによって凸凹になった道路、人のものかと思われる赤い血潮が飛び散った壁が視界を埋めた。

 それは一週間前、雅が死んだ日の繁華街にどことなく似ている光景だった。

「ちっ……」

 乃人が軽く舌打ちをする。

『乃人さん……乃人さん……』

 肩から聞こええて切る翼の声に振り返る。少しノイズが入っているが……どうやら翼のカメラは正常に機能しているようだ。ノイズが少し五月蝿いが……。

「羽島か、このノイズはどうにかならないのか?」

『でも通信は問題なし、無事に平行世界に行けたのは上々です。改良すれば飛べるものに制限をなくせるかもしれません』

 翼はカメラを遠隔操作で動かすと周辺も確認をしながら言う。

『これはこれは……』

 翼も乃人同様に、程度は違えど、この惨劇を目のあたりにして思う事があるようだ。

 乃人は警戒を解かないまま散策し、周辺にジオルがいない事を確認する。

「これからどうするんだ?」

『そうですねぇ……まずは情報収集です。この世界の住人と接触してこの世界の現在の状況を知っておきましょう』

「賛成だ」

 それから、しばらく散策する乃人たちだったが人に出会う事はなく、気付けば陽が傾き、空が段々と黒に染まっており、たまに生き残っている電灯の光には小型の虫が群がっていた。

「そろそろ暗くなってきたな。こんなに探しても人っ子一人見つからないとなると、周辺の人は全員どこかに避難したんじゃないか?」

『それか蹂躙されたか……』

 その翼の一言で乃人の表情が少し険しくなる。

「じゃあ、この世界の雅も殺されたって言いたいのか?」

『あくまで可能性の話ですよ、そうかもしれないってだけです』

「ちっ……もし生きているのなら俺が殺させねぇ。もうあんなヘマはゼッテェしねェ」

『……そうですか……』

 翼は静かに相槌を打つ。

『もう少し探してみましょうか』

「ああ」



 時刻は深夜二時。この時間になると、時間が時間だけに通常、人が外を出歩く事はない。

「どうする? もうこんな時間だ……もうかれこれ半日以上は歩きっぱなし。ジオルも出てこないし、そろそろ俺は寝たいんだが……」

 疲労がピークに達した乃人は壊れた民家から飛び出しているベッドを見つめながらぼやく。足が棒になるとはよく言ったものだが、本当に棒になったのは初めてだ。

『そうですね……時間も時間ですし、今日はもう休みましょう。あっ、寝る前はカメラを取って棚の上にでも置いて寝て下さい。ジオルが出現した場合はすぐに知らせますので』

 この世界でヴィホォンは使えない。あれは防犯カメラに映ったジオルを政府が知らせるためのもので、それ以外に使い道はない。なので翼の協力は必需になるだろう。

「サンキュー」

 翼のお許しが出て、ベッドに飛び込もうとした乃人がカメラを肩から取り外そうとした時、

『ッ‼ 乃人さん、ジオルが出現しました‼ しかも二体です‼』

「って、早っ‼ どこだ⁉」

『目の前の白い建物の右の広場です!』

「……あれか、分かった!」

 乃人はジオルを殺したいと常々に思っている。

 ジオルを殺せる興奮によりアドレナリンが上昇、一気に眠気を忘れた乃人は翼の支持通り目の前の白い建物目がけて走った。そして右に曲がる角に辿り着くと、身体を建物に隠し、どこにジオルがいるのかを静かに確認する。 

「……いた」

 暗い闇夜の中、乃人は目を凝らしながらジオルと周りの地形の特徴を確認する。

 ジオルの身長は約二mの小型が二体ずつ。雲が月明かりを妨げ、ここからでは姿が影でしか確認できない。ジオルが立っているのは広場の中心で、障害物らしきのもは見当たらない。

『どうしますか、乃人さん?』

「勿論殺す」

 乃人の言葉には小さいながらもそれには確かな殺気が含まれていた。

『ではありません、あの影のところに人の姿があります。数時間散策して初めて出会った人です。まずは彼(女)? に危害が加わらないように対処して下さい』

 冷静に状況分析をする翼。しかし、現場にいる乃人は具体的にどうするか、と翼と話し合っていると、


「俺の名前は波佐間乃人! 人類の宿敵にして汚らわしいジオルたちよ、天誅だ。こいつをくらいやがれ! サンダ~・クライシス!」


 ジオルの側に佇む人影から発せられた少年の声。

 次の瞬間、少年を中心にした半径五メートル程周辺がバチバチとした青白い光の空間に様変わりした。光の空間は数秒で消滅し、その中から現れたのは一人の少年だった。しかし、そこには既にジオルの姿はなく、代わりに光の粒子が空中に浮遊していた。


 2


「そんな事をいきなり言われても信じられるはずがないだろ」

「いや、本当なんだって! 信じてくれ! お願いだからさあ!」

 半壊した静寂の町。そんな町の静寂を壊すかのように大声で訴える波佐間乃人。彼は隣を歩くおそらく『雷使い(エレクトロ・マスター)』の黒髪少年に「お願いだから!」と大声で叫んでいる。白髪の肩に付いているカメラの向こう側にいる翼は「証拠を探してきます」と言って席を外したまま戻ってきていない。

「本当だって! 本当に平行世界から来たんだって!」

「だ~か~ら~、そんな事をはいそうですか、って素直に信じられるかっての」

「じゃあ、どうすれば信じてくれるんだよ⁉」

「ちっ……面倒くせぇなあ~、こちとら顔が似ているだけの見知らぬヤバい構ってちゃんに構っていられる程暇じゃなぇんだよ」

 黒髪は白髪の話も聞かずに更にスピードを上げた。

「おい、波佐間乃人、自分の話くらい聞きやがれ‼」

 白髪も更にスピードを上げた。片方がスピードを上げればもう片方も歩くスピードを上げる。二人の歩みは最早完全な走りとなっていた。



「「はぁはぁはぁはぁ……」」

 全力疾走を終えた二人は大きな門の前で息を乱していた。

 門の前には黒いマントを羽織る二人の中年の男たちが見張りのように立っており、門の周りにはなにかを覆うように大きな人工物で作られた黒一色の壁が建てられていた。

 黒髪は息を整えると白髪を残して見張りの男たちに懐から出した許可証的なものを見せる。

「うむ」

 見張りの男の一人が頷くと彼は少し空いた巨大な門の間を潜るように中に入って行く。

「ま、待てよ!」

 白髪は門の向こうに消えた黒髪を呼び止めようとするが、時すでに遅し。完全に閉まった門を叩きながら呼びかけるが、門は非常に分厚く、白髪の声が彼に届く事はなかった。

「畜生が……待てよ! 待てよ待てよ待てよ! このままじゃ、この世界の雅も死んじまうかもしれねぇじゃねぇか! この馬鹿野郎おおおおおォォォォォッ‼‼‼」

 絶対に届くはずのない声。それでも彼は必死に門を叩き続けた。ここは平行世界、雅がこの世界にいるかもしれない可能性が少しでもある限り、白髪は諦めがつかない。

「え?」

 気付けば男の一人が白髪の背後に移動していた。

 白髪の意識は一瞬で刈り取られた。


 3


 薄暗いレンガ造りの個室。あるのは鉄のドアと簡易型のトイレ、カラカラと音を立てる換気扇、それ以外は何もない殺風景な部屋だった。

 じめじめとした湿気に、カビのツンとした臭いが充満していたが、換気扇がどうにかそれを外に逃がしているのが現状だ。

「暇だぁ~……」

 乃人は仰向けで天井のシミを数えながら呟く。

 乃人がここに閉じ込められて早三日。門の前で明らかに不振な行動をしていた事により、拘束された乃人は、肩に付けていた翼との通信手段であるカメラ、持ち物などなどを没収されてしまい、やる事がない。いや、やりたい事が出来ない。そんな苦痛の時間を過ごしていた。

 今となっては翼とも連絡を取る手段もなく、向こうが何をしているのかすら分からない。翼はともかく、クロエも自分の事を心配しているのだろうか?

 乃人は心配するみんなの顔を想像しながら、みっともない自分を自虐的に笑う。その時、ぐぅぅ~、と乃人の腹の虫が盛大に鳴った。

「そろそろか」

 乃人は天井のシミを数えるのを中断すると、個室に設置された唯一の出入り口であるドアに顔を向ける。

 すると、それと同時にドアの下の方、もう一つの小さなドアからおぼんが部屋に入れられた。

 おぼんの上には一口サイズの正方形の緑色と茶色の混ざったようなサラサラした塊が一つと、コップに注がれた一杯の水が置かれていた。

「またこれかよ……」

 乃人はそれをためらわずに口に入れ、少し噛むと飲み込む。

 無料で食べられる飯ほど美味いものはない、と言うが三日間同じだと流石に嫌になる。

 食感は柔らかくもなく硬くもない。味は特になく、どちらかと言うと、

「不味い……」

 最低限の栄養補給を目的にしただけのブロック体だ。不味いからと言って食べないと身体が持たない。

 食べ終えた後に残る口の中の苦い粉は水を飲む事によって除去した乃人は再び横になると、天井のシミ数えを再開した。



 それから更に一週間が過ぎた。

「未だに何の反応のないってマジでヤバくね?」

 乃人の顔には一週間以上伸ばした髭が生えており、口元が黒くなっていた。更に風呂にも入っていないため、そろそろ自分でも体臭が気になり始めた頃だ。

「いっその事、脱獄でもするか?」

 乃人は大監獄から脱出する海外ドラマの事を思い出しながら少々本気で考えていると、

「波佐間乃人、出ろ」

 不意に思い鉄のドアから男の声が聞こえてきた。

 ドアは音もなく開かれ、そこには乃人をここまで連れてきた男が立っていた。



 ザザザ……ガザザザガガ……。

 

 ノイズの音と共にカメラに電源が入る。

『こんにちは、乃人さん、一〇日ぶりですね』

「ハッシィィィィィィーーー‼‼ お前は本当に頼りになるな、この野郎‼‼」

 乃人は肩に装着されたカメラに向かい叫んだ。

 さっきの男にカメラと持ち物を返され、見た事もない町に連れていかれて途方に暮れていた乃人にとってそれは天の恵みだった。

 翼曰く、乃人が捕まった後、翼がカメラ越しにこの世界のお偉いさんに、事の経緯を話して連合を組むように交渉。この世界のお偉いさんにも都合があり、始めは保留。しかし、一〇日間の粘りの末、ある条件を飲めば交渉成立と言う場面にまで発展したっらしい。

「で、その条件って言うのは何だ? ジオルならいくらでも殺すぞ?」

 乃人が平行世界の人々たちの暮らしぶりを見学しながら翼に聞く。

 今、乃人が歩いているのは一〇日前に乃人が叩いた門の中にある町だった。外の光景が酷過ぎたので、中が良くてもスラムのような所を想像していたのだが、民家がちゃんと立っており、道端にゴミも見当たらない。近くの公園では子供が元気に遊んでいて、水道からは透明でf綺麗な水道水が出ている。治安がいい証拠だ。

 そこはまるで乃人の世界の日本となんの変わりようがなかった。

『そうですねぇ……まずはあれを見て下さい』

 翼が遠隔操作でカメラを斜め上に向かせる。

「あれ? あ~、あれか~」

 乃人は翼の言ったあれ(・・)を見た。

 あれは大きな門だった。

 その門の横には門同様の大きさの壁が町を囲んでおり、それ含めて一枚の大きな壁と言った方が正しい。

 それは一〇日前、乃人が叩いた門だった。

『あれはこの町にジオルを出現させないための門なんです』

「どう言う事だ?」

『簡潔に言えば、あの門からこっち側にはジオルは絶対に現れません。それはあの門の不思議パワーの範囲内にこの町があるからなんです』

「え⁉ マジで⁉ それってメッチャ凄くね⁉ ってかなに、不思議パワーって⁉」

 そのようなものは便利なものは乃人の世界には存在しなかったため、乃人は異文化に驚きを隠せなかった。出来ればあの壁を調べたいくらいだ。

『ですがこの世界には少数ですがジオル肯定派がいまして、彼らはあの門を壊そうとしているんですよ』

「なんとけしからん奴らだ‼」

『そのジオル肯定派の人々のせいでお偉いさんたちがいろいろ困っていましてね「連合を組みたいならそのジオル肯定派を潰して結果で示せ」と言われまして……』

「待て待て待て。もしかして交渉成立の条件って……」

『はい、ジオル肯定派の殲滅です。そのために、そっちの世界にいる乃人さんを牢屋から出してもらいました』

「あらら~、それは面倒くさいな……」

 乃人は肩を落としながら溜息を吐いた。

 実際、乃人のやりたい事はジオルの殲滅だ。それと雅関係以外の事はどうでもいいのだが、

『仕様がないですよ。やらないと連合を組んでくれないんですからね。RPGと同じです、魔王を倒す前に必ず起こる強制イベントとして考えましょう』

「じゃあ、仕様がないな……はあ~」

『はい。ちなみにこの事がジオル肯定派に漏れたら大変ですので、他言無用との事です』

「じゃあ聞き込みが出来ねぇじゃねぇか」

「それに関してはお偉いさんが情報提供してくれるそうです」

「そうかあ……」

「はい」

 翼から相槌を貰った乃人はそこである疑問が浮上する。

「待てよ、それはこの壁の中の生活が保証されただけで壁の外はどうなっているんだ? あの廃墟から察するに外には全く手を出していないように思えるんだが……」

「他に自分たちもような生き残り、自然状態、生態系など。壁の外は詳しい事はなにも分かっていないので、別にどうでもいいみたいです」

 ……つまりは壁の中だけで生活が成り立っていると言う事か。そうでなければ外に開拓に出るはずだしな。

「分かった。じゃあ、最後に一つだけ」

「はい?」

「それなら俺はジオル肯定派を潰すまでの間、どこを拠点にすればいい?」

 では今から潰します、と言っても相手は少数ながらも組織。一朝一夜で潰せる訳ではない。なら潰せるまで俺はどこを拠点にすればいいんだ?

『それなら大丈夫です。お偉いさんに話して乃人さんにピッタリな場所を選んでおきました』

「流石は羽島、仕事が早い」

『私、仮にも執事ですので』

 乃人は翼の指示通りに歩を進め、最寄りの公園の中へと入っていった。



 公園に寄り、冷たい水道水で震えながらも身体を洗い、体臭を消した乃人の向かった先は散髪店だった。民家と店が一緒になっているタイプだ。外で全身を濡らしても風邪をひかなかったのは、この世界の季節が乃人のいた世界と同じだったのが幸いした。

「始めはホームレス高校生になるかと思ったけど……なんだ、ちゃんとした民家じゃないか」

『いえ、ここじゃないですよ』

「なに? じゃあ、どうしてここに? 一〇日ぐらいじゃあ、髪は伸びていないと思うけど?」

 乃人は自分の髪を指先でいじりながらクルクル回る赤、青、白の棒を見ながら言った。

 髪は多少難があっても先程、公園で水浴びをしたため、一応クセッ毛が出ないように固めてある。

『髪ではなく顔ですよ。より正確には髭です。流石にそのまま行くのは失礼です』

「あっ、確かに……」

 自分の髭の伸び具合を確かめた乃人は感嘆の息を漏らす。

 人間は第一印象が大切だ。それが髭面の少年と言うのは流石に相手も自分も堪える。

『はたから見たら三十代前半にも見えなくもないですよ』

「マジか⁉ 早く入ろう! ……金は? 俺の世界の金は使えるのか?」

『安心して下さい。調べてみたところ一部以外は同じ通貨でした。でも今回はお偉いさんから紹介されているので、この世界にいる限りは金銭の心配しなくても大丈夫です』

「OK、理解した」

 カランカランと言う音と同時に、乃人は散髪店のドアを開いた。



「おい、もしかしてここが……」 

『はい、乃人さんのこの世界での拠点です』

 その民家は極ありふれた家だった。周りを見渡せば同じような民家がゴロゴロ転がっている。しかし、乃人はその民家に思わず言葉を失ってしまう。

 ここは平行世界だ。勿論、自分はこの世界に来るのは初めてだし、今まで暮らしていた事もない。それでもこの民家は……この民家と、隣の民家は見覚えがある。見た事もないのにとても懐かしいように思えた。

 乃人は緊張により震える手でドア横のチャイムを押す。


「は~い」


「⁉」

 心臓がバクバクとうるさい。知らずの内に手には汗が流れ、呼吸も浅くなっていた。この声は雅のものではない。だがとても懐かしい、幼い頃に失い、いくら手を伸ばしても伸ばしても決して届かなかったもの。雅が太陽なら、声の主は乃人にとっての月。

 ドアが開く。

「どちら様ですか……って乃人⁉ なんで髪を白く染めているの⁉ 学校はどうしたの⁉ それどこの制服⁉」

「か、母さん……」

 出て来たのは声に少し怒気を含んだ女性。

 今は亡き母親。自分と雅をジオルから庇って死んだ母親。

 波佐間(はざま)恵(めぐみ)。

 その人の声が聴けるのなら、それは例え怒声でも彼には十分だった。

 その声を聴いた瞬間、泣き崩れてしまった乃人はしばらくその場から動けなかった。



「はい、ココア。甘いものは心を落ち着かさせてくれるのよ」

「ありがとうございます」

 実際、母親に敬語というのはいささか違和感を覚えるが、長年話さなかったし、それに彼女は波佐間乃人の母である事には変わりないが、自分の母(波佐間恵)ではない。

 乃人は笑顔で出されたココアに一口付けると、リビングの椅子に座りながら事の経緯を話した。

 自分は平行世界の住人である事。自分の世界では恵や雅、その他の人は死んでいる事。そしてジオルの殲滅を目的に行動している事。

 まだ感情が安定しない乃人は翼の補助説明を加えながらどうにか恵に話し終えた。

 翼の補助説明は最低限でおおよその事しか分からなかったが、それは世界が違えど、久しぶりに母親と再会を果たした乃人が、彼女とより多くの会話出来るようにとの気遣いだった。

「……そう……そんな事が……」

「信じてくれるんですか? こんなSFった話を」

「ええ、信じるわ」

 予想外の恵の反応に困惑する乃人。こんな突拍子のない話を信じるのは馬鹿か相当のお人好しだけだ。

 もしもそうなら詐欺に引っかからないか心配だが、恵には確かな根拠があった。それは、

「だって今、ココアを淹れている時に国のお偉いさんから直々に電話がきたんですもの」

「って、おい⁉」

 親子の絆などそのような感動的なものではなく、もっと確かな根拠だった。

 思わずツッコんでしまった乃人は咳払いをすると、ココアを一気に飲み干し、椅子から立ち上がる。ココアがまだ熱く、少し舌を火傷してしまった。

「じゃあ、俺はここを出て行きます」

「え⁉ なんで⁉」

 さっき私が感動的な言葉を言わなかったから? と恵が涙目で訴えかけている。

「詳しい事は言えませんが、俺はとある組織を殲滅させるためにこれからこの世界でひと悶着しなければなりません。そしてその戦いの火の粉をこの世界の生き残った家族に飛ばす訳にはいきませんよ」

「⁉ なんて頭の周る乃人、この世界の乃人なんて四六時中、エッチな事しか考えていない馬鹿息子だと言うのに……」

「は、ははは……」

 俺も少し前まではそうだったんだよなあ~……。

 乃人は引きつる笑みを返すと、きびすを返して家を出ようとする。

「ま、待って!」

「はい?」

 しかしそれを止めるかのように恵が乃人の手を引いた。

「わ、私は困らないわよ。それに、それに……そうよ! あなたはまだこの世界のあなたに会っていないじゃない! まだゆっくりしていきなさいよ! お菓子も沢山あるんだから、それを食べながら一緒にアルバムを見ましょう。この世界の私たちの事は話すから……だから……まだここにいなさいよ……」

 その目には悲しみにも哀れみにも見える色が含まれていた。

 自分の話を聞いて同情してくれたのか。それとも、平行世界でも我が子は我が子だからなのか。小さい時に親を亡くし、今まで親と言う存在に触れてこれなかった乃人にはそれが分からなかった。

 しかし、どちらにしろ乃人の答えは決まっていた。

「ば、晩ご飯までなら……いいですけど……」

 恵の瞳から流れた一筋の涙。

 乃人は世界は違えど、久しぶりに会った親を泣かす程の親不孝者ではない。これ以上、最愛の親に涙を流させる訳にはいかない。



「ただいま~」

「「お帰り~」」

 高校帰りの乃人はいつも通りに家の玄関を開けると帰りの挨拶をした。

 しかし、そこにはこの時間帯には母しかいないはずの家に、もう一人の声が混ざっていた。

「母さん、誰か来ているのか?」

 乃人は玄関に置かれた見慣れない靴を発見する。

「そうよ~、早く来なさ~い」

 リビングから聞こえる上機嫌気味の母の声に連れられ、乃人は首を傾げながら速足でそこに向かう。

「早く早く~」

「急かすなって」

 乃人がリビングのドアを開けるとそこには一人の白髪の少年が恵の横で仲良し気に一つのアルバムを覗いていた。

 それを見た乃人の目がカァッと見開かれる。

「母さん、そいつは⁉」 

「そうそう、聞いて聞いて! なんとこの子は……」

「もう一人の僕ってやつさ」

 そこには肩にカメラらしき機械を装着した平行世界の自分がいた。



「俺のターーーーーン!!!! キランッ! き、きた! 俺は魔法カード『溶合』発動! これで俺の手札は丁度二枚、俺はこの二枚のカードを溶合させる! 溶けて一つに合され、俺のヒーロー達ッ!」

「そうはさせるか! 伏せ(リバース)カード発動(オープン)! 『光の封札刀』! このカードの効力により、お前の手札のカード一枚を四ターンの間、裏側で除外する! つまりお前の残り手札は一枚、溶合は無効となり、墓地に送られる。この勝負、もらった!」

「ふっ、あまい! 俺の手札はこのカード一枚、そして俺の場には他にカードは存在しない……この意味が分かるかな?」

「ま、まさかっ⁉」

「バブリシャスマン、特殊召喚! いくぜっ! 俺の右手が奇跡を起こす! バブリシャス~・ドロー!!!!!」

「な、なにぃぃぃぃっっ!!!!!」


 二階の黒髪の部屋。

 二人の乃人は親睦を深めるために、とある有名なTCG(トレーディングカードゲーム)をしていた。白髪の世界とは少しカードの名前やイラストが違ったが、効力やルールはほぼ同じ。

 黒髪が使っているのは二代目主人公デッキで、白髪が使っているのが初代主人公デッキだ。存分に楽しもうと言う事で二人共、テンションが高く、現在、場違いな翼はカメラの電源を消し、なりを潜めている。

 二人の熱が上がり、勝負はこれからだ、と言う時に恵の声が二人の動きを止めた。

「ご飯出来たわよ~」

「「は~い」」

 二人は同じ家で育った双子の兄弟のような合った動きでカードを片付けると、一階のリビングに向かった。

 リビングのテーブルには傍目から見ても豪勢な料理がずらっと並び、下のテーブルが見えないくらいだった。

 乃人たちは目の前の料理にあんぐりと口を開けている。

「ほらほら二人共、そんなところに立っていないで、食べちゃいなさい。お母さん、今日は腕によりをかけて作ったんだから」

 恵が二人の手を引き、それぞれの席に座らせる。椅子は丁度三席あり、恵は余った椅子に座った。

 そこで白髪はある事に気づく。

「この世界の父さんは?」

 この世界の波佐間家には椅子が三席あった。白髪の世界では自分の両親と雅の両親はジオルに殺され、それからは雅と共に波佐間家で暮らすようになった。なぜ波佐間家で暮らすようになったのか? それは事件が起きたのが美鈴家だったからだ。そのため、自分の家にトラウマを持った雅は乃人と波佐間家で暮らす事になった。だがこの世界では自分の両親は疎か、雅の両親の死んでいないと聞く。つまりこの自分が座っている椅子はこの世界の雅のものではない。つまり消去法でいくと、この世界の自分の父親にたどり着く。

「ちっ……あの野郎なら、またどこかの女にちょっかいを出しているんじゃねぇのか。ちっ……帰って来たら一度絞めてやる……ちっ……」

「母さん。キャラが崩壊しているぞ」

 黒髪のその言葉に額に青筋を立てていた恵はハッと慌てた様子になると、一度咳払いをした。

「さっ、食べましょう♪」

 我慢しているのか、額に青筋を立てながら笑っている恵に二人は苦笑いを返した。

「いただきます♪」

「いただきます」

「い、いただきます……」

 戸惑いを覚えながらもこれがこの世界の当たり前の光景だと認識し、白髪は取り敢えず目の前に置いてあった玉子焼きを口に運んだ。

「っ⁉」

 その瞬間、白髪の舌に電流のようなものが走るのを感じた。

 懐かしい。一言で言うとそれだった。

 しかし、これは母の手料理。懐かしいのは当り前。だが違う。白髪はつい最近までこの味に毎日のように、いや毎日、確実に世話になっていた事を覚えている。

「雅……」

 ふとその言葉が一筋の涙と同時に流れた。

これは雅の味だ。でもなんでこの世界の母さんが雅と同じ味の料理を作れるんだ?

 白髪は他の料理も口に運びながら更に考える。

これもこれもこれも……全部、雅と同じ味だ……。

 そして白髪は思い出す。

 お互い両親を亡くし、同棲し始めた頃の事、雅が恵のレシピノートを何度も何度も何度も読み返しては失敗していた事を。それを自分が毎日のように嫌々食べていた事を。

「み、みや……び……」

 白髪の滝のような涙が彼の皿の上に落ちる。

 それを見て始めは何事かと思っていた黒髪と恵はしばらくすると、何かを悟ったのか自分たちの皿にそれ以上の料理は乗せなかった。



「本当にいいの? 余ったご飯は箱詰めにするわよ?」

「ありがとうございます。ですがそしたらまた泣いてしまいそうなので、気持ちだけ受け取っておきますよ」

 玄関にいる白髪は腫れた目を擦りながら答えた。

「そう言えば行くあてはあるの? 今晩だけでも泊まっていかない? 私たちなら大丈夫よ。ジオル肯定派に襲われようと、こう見えて結構強いんだから!」

 恵は腕を直角に曲げると、ない力こぶを見せた。

 白髪は苦笑しながら、いえいえと手を横に振る。

「実はもう泊まる所に連絡を入れたんですよ。向こうも俺の事を待っているのでそろそろ行かなければなりません」

「あら……そう……なら仕様がないわね。またいつでもいらっしゃい。あなたは世界が違くても私の子供には違いないんだから。後、親子なんだから敬語禁止。次に来る時までに直しておきなさいよね」

「……はい」

 深く頷く白髪はどこか懐かしむような顔だった。

「黒髪、彼を送って行ってあげて」

「ああ」

「それでは……お世話になりました」

「絶対にまた来なさいよね」

「……はい」

 白髪は恵に別れの挨拶を済ますと、黒髪と共に波佐間家を後にした。



「おい、黒髪」

「なんだ、白髪?」

 夜、壁の中にはジオルが現れる事はないが、ジオル肯定派は存在する。この壁の中の犯罪の八割以上がジオル肯定派によるもので、彼らは人目の少なくなる夜に活発に活動をするらしい。そのため、壁の中には夜の街を出歩く者はほぼ〇に等しく、この二人以外、街を出歩く者はいなかった。

「お前の好きな娘、誰だよ?」

「なんだ、そのお泊り会の定番ネタは? ……聞かずとも分かっているだろう」

「まあな、ちょっとした確認だよ……この世界の雅は元気にしているか?」

 白髪は心配の気持ちを含めて聞いた。本当なら姿を確認したかったのだが、それでは彼女を巻き込む可能性が上がってしまう。そのため、白髪は自分の気持ちを抑える事にした。

「ああ、元気だぜ、元気過ぎて困るくらいだ。学校ではクラスが違うのに授業中、俺の隣の席の娘を恐喝してその席に居座るわ、日常生活では朝起きたら閉めたはずのドアが開いていて勝手にベッドに入っていたりするわ……せめて学校では辞めてほしいな……はあ」

 黒髪は心底深い溜息を出した。

「はっはっはっはっ、なんだお前、嫌なのか?」

「別に嫌と思った事は一度もねぇんだけどよ、なんかな~、限度ってものを知ってもらいたいんだよ」

 すると白髪は黒髪を小突く。

「いてっ⁉」

「バーカ。それで雅との距離が少しでも離れたどうするんだよ……幸せな時間はいつなくなるか分からないんだ。今にもかもしれないし、明日かもしれない。はたまた明後日かもしれない。だから限度なんてものはいらない。学校でも日常生活でも思う存分イチャイチャしやがれ、この幸せ者」

 白髪は目の前のもう一人の自分と、それと届くはずのない過去の自分に言い聞かせる。彼らの心に届いたかは分からないが、少しでも心の隅に刻んでもらえれば白髪はそれで良かった。

「そう言えば、なんでお前は壁の外でジオル退治をしていたんだ?」

「バイトだよ、バイト」

「バイト?」

「おう、国から正式に依頼されるバイトだ」

 白髪は頭を傾けるとそのままオウム返しで聞き返す。

「この街を守っている壁はジオルを一定範囲内に出現させないだけであって、破壊する事は可能だ。破壊しようとするのは、主に遠方で出現したジオルとジオル肯定派。壁の周辺をパトロールしてこいつらを見つけ次第駆除するっていう簡単なバイトだ。一応命がかかっているからそれなりにバイト料もいい。異能が強いやつは結構している」

「ふ~ん、なるほどな~……」

 確かにそれはいい考えだ。パトロールをする事により、壁に近付くジオルは駆除出来るし、ジオル肯定派も動きに制限が加わる。しかし……、

「万が一の事があっても絶対に死ぬな、雅が悲しむ」

 それだけが心配なのだが、

「自分の力量くらい十分に理解しているさ」



 ここまででいい、と波佐間家から徒歩二〇分くらいの道で黒髪と別れた白髪は肩に装着されているカメラに向って話し始めた。

「羽島、聞こえるか?」

『…………』

 カメラからの反応は帰ってこない。

「おっと、ここのボタンを押すんだった」

 乃人は翼が電源を切る前に伝えた、乃人側から翼に連絡する時のボタンを押すと、カメラの画面にノイズが現れ、お馴染みのガサツな音が聞こえる。

 ノイズはすぐに消え、画面には赤いパジャマ姿の翼が立っていた。

「もしも~し、羽島、聞こえているか?」

『聞こえていますよ、乃人さん。どうしたんですか、世界は違うとはいえ、せっかくの家族との時間を私なんかと話していて無駄にしてもよろしいんですか?』

乃人はこれ以上この世界の家族を巻き込まないようにする事など、これまでの経緯を話す。

『なるほど、分かりました。ではこれから今晩泊まる宿泊先を探します。少し待っていて下さい』

「いや、いい。これは俺が独断で決めた事だ、寝床ぐらい自分で探す。それにお前、寝ていたんだろ?」

 翼はこの一〇日間頑張ってくれた。それは世界の命運を賭けた交渉だ。きっと自分が思う以上に疲労が溜まっているのだろう。なら休める時にやすんでもらいたい。

 翼は少し悩んだ末『では』と言った。

『私はこれで休ませてもらいます。お休みなさい、乃人さん』

「おう、お休み」

 そう言うと、翼は通信を切り、そして乃人は月が浮かぶ明るい夜空を眺める。

「さて、どこで寝るか……」


 4


 時刻は午前七時。

 朝露が雑草に滴り落ちるどこにでもあるような朝の公園。

 その公園にはアラームを鳴らすスマホの音が大音量で流れていた。

 公園の中には数多の遊具が存在し、その中の一つ——トンネル型の遊具の中に白髪が特徴的な波佐間乃人がアラームをけたたましく鳴るスマホの横で盛大にイビキを掻いていた。

「……………うっさ……zzz……」

 雅がいなくなった翌日から乃人は昨日まで、寝たい時に寝て、食べたい時に食べる、という自堕落な生活を送っていた。雅がいなくなったからデートするために早起きをする事や、自分一人なので朝飯も適当なもので過ごした結果がこれだ。朝にはめっぽう弱くなった。しかし、今の乃人にはやらなければならない事がある。それはジオル肯定派の殲滅。ジオル肯定派を殲滅する事により、この世界のお偉いさんと協力体制を結ぶ絶対条件。

「……しゃあねぇな……怠……」

 スマホのアラームを止める。

 実際、一人でもジオルの世界を破壊しに行きたいのだが、翼曰く、ジオルの世界に行く方法や戦力も未だ不明らしい。今では平行世界と協力体制を結び、少しでも戦力を強化する事がジオルという存在自体をこの世界、いや全世界から抹消する一番の近道なのだから仕様がないとも言っていられない。

 平行世界に来たからか、慣れない場所で寝たせいか、少し身体が怠いが乃人は顔をパチンと叩くと近くに設置されている水道水で顔を洗った。

 顔を拭き終わり、これからどうするか翼と相談しようとした乃人は、カメラのボタンを押した。

「羽島、起きているか?」

『はい、起きていますよ。おはようございます、乃人さん』

「おう、おはよう」

 執事服姿の翼の挨拶に乃人も軽い挨拶を返し、早速本題に入る。

「で、俺は一体何をすればいい?」

『そうですねぇ……何をしましょうか?』

「おい」

 乃人のツッコミに翼も『実は……』と少し困った様に、

『ジオル肯定派は謎のベールに包まれていまして、この国のお偉いさんでも情報収集は無理だったみたいです。アジトの場所や構成人数、その他に関しても情報は一切なしという事です』

 翼は心底残念そうに言った。

もしそれが本当ならこの国のお偉いさんは無能の集まりという事だ。どの国でも有能な政治家は極一部しかいない。それはこの世界でも変わらないらしい。

それから乃人と翼は今後の活動方針を会議する事にした。

「じゃあ、俺がジオル肯定派に入って、中から潰すってのはどうだ?」

『居場所も分からないのにどうやって入るんですか』

「じゃあ、聞き込みは?」

『それじゃあ、ジオル肯定派に私たちの存在が奴らに知られる可能性があります。実際に聞き込みをした相手がジオル肯定派だったらどうするんですか。それにそんな事をしたらジオル肯定派を探っている変なヤツがいる、との事で乃人さんが襲われたらどうするんですか』

「そこでとっ捕まえてやればいい」

 俺なら出来る、と自信あり気に笑う乃人だが、

『その作戦には反対です』

「何でだ⁉」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった乃人。何故かこれもダメだしされてしまった。

『乃人さんは現在の私たちにとって平行世界への行き来を可能にする唯一の手段です。出来る限り危険な目に遭わせたくありません』

「ぐっ……」

 波佐間乃人の異能——∞は常に微弱ながら平行世界へと結合されている異能。

 他の手段がないから晴馬が乃人に頼み込んだ。そして彼は他の手段を探すと言った。それから約半月、たったこれだけの期間で新しい方法が見つかるとも思えない。唯一可能性のある晴馬でさえもうこの世にはいない。つまり、今後の事を考えると乃人は絶対必要不可避という事だ。どんな立場から見ても代用品のない無二の存在。

 翼の意見も少し考えれば素直に頷ける。

「じゃあ……インターネットでジオル肯定派の情報を探すって言うのはどうだ?」

『ジオル肯定派の中にハッカーがいたら速攻で私たちの存在がばれてしまいます。以下省略です』

 必死に考えた乃人の案が翼によってダメだしされ続ける。

「じゃあどうすればいいんだよぉぉぉぉぉ!」

『……適材適所、私の知り合いにこう言う案件に信頼のおける人物が一人います。その方を呼びましょう』

 翼は携帯電話を取り出すと、誰かを呼び出す。

『もしもし、はい、私です。はい、あなたの力が必要です。至急来てして下さい』 



 五分後……。

「いや、だから二世のケビンが一番だって」

『いえいえ、やはり父のロビンが最高です』

「こっちはその父のロビンの技を全部使えるし、父親と違って高濃度酸素吸入マスクをしているし……装備からしれもケビンの方が上だろ」

『こっちには決勝戦でウル○ラマンを倒したと言う実績がありますので』

「ウルトラマ○じゃなくてウルドラ○ンって言うところがミソだよな。でもそんな事を言うならこっちは主人公倒したぞ。アニメでは負けたけど……」

『ねぇ、なんの話をしているの?』

 互いが好きな作品の話に花を咲かせていた乃人たちの会話は一人の少女によって遮られた。気づくと画面の向こう側にいる翼の隣には一人の少女が立っていた。

 金色に輝くまばゆいアンニュイロング、碧い瞳はまるで古の海のように綺麗に澄んでいる。少し大人びた顔は西洋人を思わせ、一言で言うと美しい。

「クロエ⁉」 

『久しぶり、乃人……ちょっと痩せた?』

 クロエは約二週間ぶりに会う数少ない友人に満面の笑みを見せた。

「待て待て! もしかして羽島が呼んだのって……」

『はい、クロエ様です』

『私、こう言う事大好きなんだぁ~♪』

「絶対人選ミスだろっ‼」



 それから約一時間後。

 乃人は公園内のベンチに腰をかけていた。

 まだ朝早いからか、公園には乃人しかおらず、他に人の姿は見当たらなかった。朝の散歩をする老人が公園の横を通り過ぎるくらいだ。

 そんな静かな公園の中、乃人は肩のカメラに向かって話かける。

「で、なにかいい案は浮かんだか? クロエ様よ」

『待って、後一〇分だけ時間を頂戴』

「もうその言葉は六回目だぞ」

 画面に『う~ん』と言いながら額に指をつけるクロエの姿が浮かび一時間。その間、乃人は最寄りのコンビニで電子マネーで買った新聞を読み、情報収集をしていた(しかし、ジオル肯定派の記事は見当たらない)。翼が任せられると言ったから待っていた乃人だったが、そろそろ我慢の限界に近付き貧乏ゆすりを始める。

「なあ、クロエ、お前本当にこう言う事得意なのか?」

『うん? 別に得意じゃないけど好きよ。謎解きゲーム——レイト○とか。あのゲームは本当に神シナリオよ。始めてまだ一日だけど』

「このにわかが……まあ、それはいい。後、神シナリオのゲームと言えばうたわれるも○だ。これ絶対、そこだけは譲れない」

 乃人は小さい溜息を吐くと手に持つ新聞を閉じて考える。

羽島は馬鹿ではない。クロエがこの短期間の間にレ○トンにハマったからと言って頭が良くなったとは言えない。現に今、これだけ待っていても一つも案が上がらない状態だ……。

「羽島、聞きたい事がある」

『翼ならいないわよ』

「なに?」

『各部署の司令塔の私が抜けたからその穴埋めで変わりに私の仕事をしているんだって。なんか自分が私を抜いたからその分の仕事は自分がやる、って言っていたわよ』

 クロエは更に難しい顔になると、今度は腕を組み始めた。

「司令塔? お前が?」

 到底信じられない情報に乃人が訝し気な顔をするが、

『そうよ、なにか?』

「い、いや……」

 クロエが睨み、乃人は画面越しでも少し後ずさってしまった。この至近距離で初めて分かった事だが、クロエの目の下には大きなクマが出来ていた。そこで乃人はふと思う。

「その各部署の司令塔っていつからやっているんだ?」

『そうねぇ……あなたがそっちに行ってからずっとかしら』

「ちゃんと寝ているのか?」

『一日ちゃんと七時間寝ているけれど?』

「じゃあなんでクマがあるんだよ! 頑張り過ぎて寝ていないと思ったわ!」

『いや~、私って一日九時間寝ないと本調子が出ないから』

「寝過ぎだ、バカ……まあ、分かったからいいけどよ」

『分かった? 何が?』

「こっちの話だ……あっ、ああ、そうだ。この手があったか」

『え? 何々、いい案でも思いついたの⁉』

 乃人の発案にペットの犬並みに食いつくクロエ。

「ああ、とびっきりの案だ」

『聞かせて聞かせて!』

「それは駄目だ。話したら聞かれる可能性がある」

『うぅ……そ、それもそうね』

 クロエは仕様がないと言った様子でしぶしぶ下がる。

「だから後は俺がやるからお前はゆっくり寝ていろ。羽島も自分が戻るまでに時間が余ったら寝ていていいって言っていたぞ」

 これは嘘だ。翼がいなくなったのを知らなかった乃人がそんな事を知っているはずがない。しかし、相手はクロエ。この嘘が通じない相手ではない。

『えぇ‼ 本当‼ 寝てもいいの⁉ じゃあ寝るね‼ おやすみ‼』

 ハイテンションで睡眠に入ったクロエはどこから出したのか、食パンの形をしたクッションを抱えて寝ていた。

 それを見届けた乃人はカメラの電源を切った。

確かにこの案はいい。羽島はクロエを休ませるためにクロエの仕事を肩代わりし、俺のところに呼んだ。しかし、それは作戦を考えるのを放棄する事を意味する。だってクロエが作戦を考えてもいい案が出るはずがない。現に約一時間待たされた。これが証拠だ。結論、羽島は俺にクロエのお守をさせた。ならお昼寝の時間だってお守の内に入る。そして俺を騙した羽島君には存分に働いてもらおう。

 乃人は「それは駄目だ。話したら聞かれる可能性がある」と言った。ではそれは誰を指していたのか?

 この世界の一般人にか? 違う。

 ジオル肯定派にか? 違う。

 クロエにか? 違う。

 羽島翼にだ。

「ふふふふふふふ……」

 乃人はちょっとした勝利感を胸に秘め、公園のベンチから立ち上がる。

 実はこの乃人の考え自体を含めて翼の狙いだったのだが、この時の乃人に知る由はなかった。

 

 

 いい案が浮かんだと言うのは一つだけではない。

 翼をはめる方法、それとジオル肯定派と接触する方法だ。

 ジオル肯定派は主に夜間に行動する。なら夜間出歩いていれば会えるのではないか?

 と言う短絡的な考えに至った乃人は夜になるまでの間、昼の町をブラブラと出歩く事にした。

 先程読んだ新聞によるとこの世界は今日は日曜日。学生や社会人が町に集まり、友達と遊んだり、恋人とデートをしている。特に変わったところがなく、ジオルの存在に震える者もいなく、まるで平和そのものだ。もし、あの門の不思議パワーが自分たちの世界にもあったら雅は死なずに済んだんじゃないか? とさえ乃人は思った。しかしそれは過ぎた事、いくら考えても雅が生き返る訳ではない。

「さて、この町に観光スポットはあるのか?」

 乃人は自分で言葉にしてから気づく。

 外の様子が分からず、門を潜って来る人間がいないこの世界には観光客はおらず、そのため勿論観光名所と呼ばれる場所も存在するはずがない。ではこの世界の住民の一般の休日を観察しようと思い、観察した結果、自分の世界の休日と変わらないと判明。つまり、

「暇だ……」

 夜まで壁の外でジオル駆除をしようにも、門を通るのには許可証が必要。しかもそれで何かあっては本末転倒だ。バイトの申し込み方法も分からないし。

 ブラブラと歩いていた乃人は気づけば公園のベンチに戻り、力なく寄りかかっていた。顔を空に向ければ太陽の光で目が半開き状態になる。

「暇だ……」

「……乃人?」

 もう一度、誰に言うでもなく呟いた乃人の声に反応したのは一人の少女だった。

「うん?」

 突然呼ばれた自分の名に不意に反応し、乃人は少女の方を見た。

 そこにいたのは、

「あっ⁉」

 透き通る程の綺麗なサラサラとしたストレートロングの茶髪を持ち、胸が大きく、少し幼さを残した顔には庇護欲を掻き立てられる。しっかりした性格なのだが、外見のせいでどこか放っておけない衝動に駆られる。

「雅ッ⁉」

 美鈴雅。本人だった。

 


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