break a dawn
「ええやん、江藤ちゃんいいわあ。平成の風俗王やんか」
フジマキと名乗る、顔の半分までタトゥーの入った男は、煙草の煙を器用に鼻から噴き出しながら愉快そうに言った。
どことなくイントネーションのおかしな関西弁を使っているが、本当に関西出身なのかはわからない。もしかしたら、出身地を誤魔化す為の、フジマキなりのテクニックなのかもしれなかった。
スキンヘッドの男はナカニシと名乗り、フジマキとナカニシの二人が実質パーティの主催であるらしかった。
タマキの紹介してくれた乱交サークルは都内を中心として20代から50代までの会員を募っており、総参加者は既に千人近い巨大な組織になりつつあった。手配される風俗嬢はタマキのような30前後の女が一番多いようだが、中には10代、それも女子高生や時には女子中学生が入ることもあるらしい。
「地方から家出同然で出てきたガキばっかよ。金になるし、食事も出るし、何より抑えるハコは都心の一等地のホテルのスイートやから、田舎モンはそれだけでもう、すごーい!みたいになっちゃってね。仕事のあと、ちょっとええ飯驕ろうもんならもうスタメン入りやね。投資が少なくて助かるよ、こちらとしては。二次利用までさせてもらって」
そう言ってフジマキは手元のカメラを撫でてみせた。
素人に近い女が入る時は気づかれないようにカメラを回している。無修正の映像が、裏のルートでロリコンには高値で取引されているようだ。
江藤が学生時代から風俗に入れ込み、奨学金も全額風俗に当ててきたこと、その時の借金が今のキャッシング生活の発端となっていることを話すと、フジマキは江藤のことを偉く気に入った様子だった。
「江藤ちゃん、それならこっちの手伝いより、もっと簡単に金になる仕事あるから、そっち手伝ってみぃひん? リーマンやってたらとてもやないけどもらえる金額じゃないよ? 月の手取りいくら?」
江藤が口ごもりながら話すと、フジマキは厚ぼったい瞼に覆われた目を開いて見せ
「うそやん、ウチの女の子の1日分やんか。」
と言ってから腰を折って笑い始めた。
■
指定された上野の雑居ビル前に行くと、フジマキと数人の男たちがいた。
男たちは皆一様に表情がなく、這いつくばればそのまま地面と同化してしまいそうなほど色彩の無い服装で揃えていた。
「簡単な見張り。誰か来たら工事中で危ないんで、言うて止めて。ほな、頼むで」
そう言って、フジマキはビルの中に入っていった。
中で何が行われているのだろうか。初めこそ、遠くの方からくぐもった人の話す声が聞こえていたが、ドアが閉まると音がして、それからは完全な静寂となった。
1分が過ぎるのが長い。いつまで経ってもフジマキたちは戻ってこなかった。
江藤の内面で焦りが生まれ始めてきた。間違いなくフジマキたちの行っていることはマトモではないだろう。ほとんど犯罪か、間違いなく犯罪そのものに違いない。何をしているかわからないとは言え、自分はその犯罪行為に加担しているのでは無いか。今こうして、ここに立っていること自体が犯罪の、まさに一部なのではないか。自分は何も知らなかった。脅されてやったんです。本当です。借金があって。私は善良な、ただの会社員なんです。
頭の中で警察官に問い詰められた際にシミュレーションをしていると、前方から老婆がやってくるのが見えた。真っ白な白髪を結き、75度ほどに腰を曲げ、前が見えているのかと心配になるような姿勢で、それでも足取りだけはやけにしっかりと歩く老婆だった。
そのままビルの中に入っていこうとするので、慌てて前に回り込む。老婆は軽く江藤に当たり、そこで初めて気がついたように顔を上げた。
「すみませんね」
脇をすり抜けていこうとする老婆をやんわりと押しとどめる。
「ここは、立ち入り禁止なんです」
全く説得力の無い言葉だった。
老婆は動きを止め、それからゆっくりと顔を上げて、江藤の顔を見た。
皺だらけの顔の中で小さな目が黄色く濁り、江藤の顔を値踏みするように睨み付けた。
「ここはあたしの家なんだよ。入れないってのはどういうことなんだ」
「工事中なんです。危険なので、少しだけお待ちいただけませんか」
「工事だあ? 聞いてないよあたしはそんなこと!」
老婆は小学校低学年ほどの身長からは想像もできないほどの大きな声を出して下校し始めた。江藤は周囲を見回し、誰もいないことを確認するともう一度老婆に言った。
「連絡したと思うのですが。ご近所の迷惑なので、大きな声はやめてください」
「冗談じゃないよ!工事だなんてあたしは知らない!あんたたちはいつもいつもそうやって、よってたかってあたしの生活を邪魔するんだよ!」
しまった。呆けてるのか。
口の端に泡をためて捲したてる老婆の唾が飛び、江藤の目に入った。
カッとなり、老婆の肩を反射的に掴み、そのままビルの脇まで引きずるように連れ込んだ。老婆の体は軽く、人形のように動いた。
「ババア、てめえいつまでも騒ぐんじゃねえ!」
押し殺した声で江藤が凄んで見せると、老婆は息を吸いこんだ。
大声を出される。
そう確信した瞬間、江藤は手のひらで老婆の口を塞いでいた。
老母の顔は小さく、江藤の手のひらで顔の半分以上が隠れた。鼻も押しつぶすように手のひらで塞ぐ。老婆が手足をばたばたと動かしたが、もともと強い力では無いため、江藤はそのまま口を塞ぎ続けた。黄色く濁った目がぐるん、と動いて江藤を見る。手羽先のような骨ばった小さな手が江藤の腕を掴む。それでも江藤は老婆の鼻と口を押さえ続けた。
この老婆は死ぬかもしれない。鼻と口を塞ぎ続けながらどこか冷静な気持ちで江藤は思った。遅かれ早かれ死ぬんだよババア、今ここで死ね。フジマキ、早く、早くビルから出てこい。死ねババア。楽になれよ。俺を人殺しにするつもりか。早く、早く。ババア死ね。早く死ね。俺の手を汚しやがって。死ね。
背後で足音が聞こえた。
振り返ると、フジマキたちがビルから出てきたところだった。
江藤は老婆の耳元で
「騒いだら殺すからな」
と言い、手のひらを外した。老婆はぐったりとなったまま、尻を着くように地面に座り込んだ。
老婆にまだ意識があることを確認してから江藤はフジマキのもとへ向かった。
「江藤ちゃん、見張りのついでに婆さん殺すのやめてぇや」
フジマキが言うと、周りの男たちが低く笑った。
「殺してませんよ、生きてます」
「殺してもよかったのに。ほな、これ」
裸のままの1万円札だった。数十枚はあるようだ。
「とりあえず、今回の取り分。次からもよろしく」
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