Hyper ballad

いりやはるか

chill out city

 男の口から白いものが飛び出して、路上に散った。


 夜更けに降り出した雨が濡らした午前2時の路上で、街灯に照らし出されたそれは男の砕けた歯だと江藤は知る。突き出した右手の拳が痛む。未だにうまい殴り方が見つからない。

 男は鼻と口から鮮血を滴らせていた。くたびれた、安っぽい灰色のスーツがどす黒く汚れている。顔を押さえて必死に呻いているが、こちらに反撃してくるつもりはなさそうだ。戦意を失い、こちらに怯えるような視線を向けている。足取りはおぼつかないが、既に後ずさりを始めている。手加減したつもりもなかったが、この程度のダメージなら大した怪我でもないだろう。そもそも、この時間に出歩いている酔っ払いの初老の男が殴られたと言ったところで、良識のある人間から見れば「自業自得」と言われるのが関の山だ。


 後ろを見やるとナカヤマたちが「行こう」というジェスチャーを出していたので、江藤はうずくまる男を一瞥し、歩き出した。

 ナカヤマの仲間の一人が、動画撮影の為にかざしていたスマートフォンをパーカーのポケットに入れるのが見えた。通行人が来る前に、ここから立ち去らなくては。


 男の砕けた歯をスタンスミスで踏みつけると、ジャリ、という音がした。


 ■


 「じゃあさ、今度ランパするんだけど、男集めてよ」

 

 タマキはブラジャーのホックを留めながら言った。江藤はベッドの上で下半身を剥き出しにしたままミネラルウォーターを飲んでいたところだったので、思わず


「ランパ?」


 と聞き返してしまった。

 

 新大久保のラブホテルで江藤はタマキを定期的に指名しては、営業の外回りだと会社に言って行動予定表に「直帰」と書き込み、決まって木曜日の午後にロングで予約を入れた。

 スタンダードなデリヘルだが、3回目の来店で「プラス1万くれたら生で入れていいよ」とタマキの側から持ち出してきた。学生時代から風俗に入れ込んできた江藤だったが、タマキには夢中になった。月に一度が二度になり、ついに週一になった。


「ランパ。乱交パーティー」


 タマキが事務連絡のように言い、ベッドの端で丸まっていたショーツを直し始める。

 プロフィール上24歳となっているが、江藤は彼女が来年で30になることを知っている。手入れのされた体は均等が取れ、程よく肉づきもよく、抱いているときの感触はよいが、薄暗いホテルの照明の下でも、彼女の腹の肉が出会った時よりもほんの少し重力に負けて下垂してきているのがわかった。綺麗に形作られ処理された陰毛を見ていると、もう3度も射精しているというのに再び勃起の予兆を感じている江藤が


「乱交パーティーなんてやってるの。風俗で金もらったほうがいいでしょ」


 と言うと


「仕事だよ。あたしたちみたいな風俗の女の子が呼ばれて、金払って来た男の相手すんの。そうでもしなきゃ、女が来るわけないじゃん。ごめん、一本だけ吸っていい?」


 言いながらタマキの手にはもうマルボロが握られている。


「男が来れば来るだけバックがよくなるから。まあ、その分相手しなきゃいけない人数も増えるんだけど。風俗と違って時間もなくてやり放題だからいつまでも帰らないでやり続けるおっさんとかいて、割に合わないんだけどね。こないだもさあ、やりすぎてまんこ腫れちゃったんだよ」


 そう言って江藤の方に向かって股間を開いて見せる。


「最近その主催やってる人が男集まんないって、言ってたから。集めてくれる人探してるって言ってたよ。金必要なら、その人に話してみるけど。見た目いかちいけど、面白い人だよ」



 「江藤さん?」


 指定された赤坂のホテルのスイートルームの前に江藤が到着すると、待ち構えていたようにスキンヘッドにメガネをかけた長身の男が、やけにニコニコとしながらこちらへ向かってきた。擬音をつけるなら、ゆらり、という感じで気配を全く感じさせない、影のような登場だった。


「ゆきちゃんから聞いてるよ。手伝ってくれるんでしょ」


 ゆき、というのが一瞬誰だかわからなかったが、すぐにタマキの本名だろうと見当をつけた。


「はい」


「詳しい話はあとでするけど、せっかく来たんだし、どう?

 難しい話は抜きにして、セックス。疲れたら休んで、またセックス」


 左手で丸を作り、右手の人差し指をその中に抜き差ししながらスキンヘッドが言う。スキンヘッドの男の表情は変わらない。

 部屋のドアが開く。ドアの隙間にはバスタオルが詰め込まれていた。


「これやっとかないと、音が漏れるからさ」


 スキンヘッドがニコニコして言う。


「よく鳴くんだよ、あの女」


 廊下を進むと、部屋の中は一切の明かりを遮断され、真っ暗になっていた。暗闇から女の喘ぐ声と、男と女の肉がぶつかりあう音、衣擦れの音だけが這い寄ってくる。はっきりと見えないが、この部屋の中に相当数の男と女がいるようだ。人の気配、男と女のすえたような生臭い匂いが立ち上っていた。


「あ、ゴムはその辺にたくさんあるから必ず付けて。で、一発やったらそのまま次の子とやらないで。ゴムは必ず変えて、シャワー浴びてからにしてね。これ、マナー」


 江藤の横をメガネをかけた太った男が全裸で通り過ぎていった。たるんだ胸の肉。渦を巻いた乳首の周りの毛。汗で額に張り付いた薄い頭髪。吹き出物の目立つ脂ぎった肌。

 江藤はスキンヘッドの方も見ずに頷きながら、上着の前ボタンに手をかけていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る