第11話:ストライキ
クリスマスが近づいた。久しぶりに帰郷するあるじのために、使用人たちは活気づく。坊っちゃんの部屋を念入りに掃除し、大好物ばかり並べた晩餐の支度を整えた。
鉄道駅から迎えの馬車が帰ってきた。従僕リックが「ライナス坊っちゃんのご帰宅」と叫び、執事エリオットが駆けつける。そしてそのあとに家政婦ボーデン夫人、メイドたちと続く。
「おかえりなさいませ、ライナス坊っちゃん」
ドアを開けたエリオットが、恭しく出迎える。
「ただいまエリオット」
三ヶ月半ぶりに再会するわがあるじは、少しだけ背が伸びた。声はややかすれ、大人への階段を昇り始めたのだと知らしめる。
「おかえりなさいませ、ライナス坊っちゃん」
左右に並んだ使用人たちが、いっせいにあいさつをした。そのあいだを笑顔を見せないまま、ライナスは通りすぎ、リンドン老嬢のいる居間へ入る。そこであいさつを終えると、学校でのできごとを話さず、すぐに自室へ消える。
――寄宿学校で何かあったのだろうか?
ご機嫌が良くないあるじを心配するエリオット。ボーデン夫人も不安になったらしく、お茶を運んで様子をうかがうよう、言った。
さっそく茶盆に銀のポットと白いカップを置き、階上にあるライナスの自室に入る。
「お疲れでしょう、ライナス坊っちゃん。お茶をお持ちしました」
「今、おまえを呼ぶところだった」
「いかようなご用件でございましょう」
「これだよ」
茶盆を置いたテーブルの横に投げられたのは、一通の手紙だった。
「ぼくがアルフォンスに手紙を送った、その返事だ。読め」
命じられるまま便箋を広げる。
それには短く、こう書いてあった。
ライナス・リンドン男爵さま。
お手紙ありがとうございます。
お元気そうで何よりです。
新しい寄宿学校での生活は、ずいぶん忙しそうですね。
しかし、残念ですが、おれからあなたにお話するようなことは何もございません。
なぜなら、あなたはパブリック・スクールで勉強できるような貴族さま。
おれはただの使用人の息子です。
住む世界がちがいすぎて、あなたのお手紙は小説の世界みたいです。
正直、何を書いていいのかわかりません。
これから大人になるのですし、それぞれべつの道を歩まなくてはいけません。
だから、お手紙はこれきりにしてください。
冷たい手紙だった。
ライナスはアルフォンスと以前のような友人にもどりたかったのだろう。
だが、わが息子はそれをきっぱりと拒絶した。
まだ十二歳のアルフォンスの心中を思うと、エリオットは身体の奥が震えた。
――つらかったろうに……。
「おまえがアルフォンスに忠告したのだろう?」
「何をですか?」
「とぼけるんじゃない。貴族と労働者とでは、住む世界がちがう、と言ったのはおまえじゃないか」
「いいえ。わたくしは息子からは、何も聞かされておりません。この手紙を見るのも、今日が初めてでございます」
「嘘だ。嘘だ……。アルフォンスが本気であんなことを書くなんて……」
――坊っちゃんも苦しまれている。
しかしだからといって。
ぎゅっと唇を噛みしめるあるじへ、エリオットは静かに問うた。
「あなたさまのご命令どおり、わたくしがアルフォンスへ仲直りすべきだ、と父親ではなく、リンドン家の執事として忠告したといたしましょう。以前のように元通りになれるとお思いですか?」
目をぱちくりさせるライナス。
「また友だちにもどれるってこと?」
「よくお考えくださいませ。友だちとはだれかしらからの命令で、作るものなのだろうか、と」
「それは……」
「アルフォンスと真実の友情を復活させたいのでしたら、わたくしが介入するのは野暮というものでございましょう。ちがいますか?」
「エリオット、ぼくはそんなつもりじゃ――」
ライナスはうつむき、それきりエリオットと話をしようとしなかった。
その年のリンドン家のクリスマスはとても静かだった。去年のようにライナスがアルフォンスたちと過ごすことはない。
いっぽう、エリオットも息子にライナスのことは口にしなかった。アルフォンスは何を思っているのかわからないが、いつもどおりの日常を過ごしている。エリオット家が、小さな領主のことを話題にすることはなかった。
***
ライナスがパブリック・スクールに進学して、三年が過ぎた。その年の初冬、リンドン男爵家で問題が持ちあがる。それは、領地にある炭鉱所のストライキだった。
ウイロデイル屋敷の門前では、プラカードを持った労働者たちが集まり、抗議集会をしている。賃上げと交代制勤務の要求だった。
「放っておきなさい。そのうちあきらめて、おとなしくなるでしょうよ」
リンドン老嬢は意に介さず、いつもどおりの日常をエリオットたち使用人に命じた。
使用人ホールでは、毎日、ストライキの話題になる。屋敷の周囲を大勢がうろついているため、外出もままならないことに、女料理人が不満を爆発させた。
「ああ、もう。晩餐の買い出しだってできやしない。御用聞きだって、ストライキを恐れてなかなか来やしないじゃないか」
従僕リックがぼやく。
「……これも時代だぜ。戦争終わってから、労働者の権利とかいうやつが出てきた。俺が入院してたとき、同室の男に社会主義の素晴らしさをさんざん聞かされたな」
エリオットは困惑せずにいられない。
「新聞で読んで、ストライキがあるのを知ってはいたが、こんな田舎で起きるとは思わなかったよ。炭鉱所はたしかにリンドン男爵の所有だが、じっさい経営しているのは顔も知らない雇い人だ。どうすればいいのやら」
編み物の手を止めたボーデン夫人は、ため息をついた。
「わたしたちが口出しをすべきではないわ。あくまでも炭鉱所は主人一家が所有しているんですもの。労働者たちと交渉すべきは大奥さまよ」
階下の午後の茶が終わるころ、ガラスが砕ける音がした。エリオットとリックが階上に駆けつける。一階を走り回り、室内温室にいくつもの小石が投げられていたのを見つけた。温室の外には、数人の男だけでなく、女もいた。
「おまえら、出て行けっ!」
リックが労働者たちを恫喝する。さすが戦場帰りだけあり、火かき棒を持った姿は恐ろしい。殺気がびしばし伝わってくる。
「大奥さま、お怪我はございませんか」
エリオットは温室の隣の居間へ入る。いつも平然としていた老嬢だったが、今回ばかりは驚いたようで、青ざめていた。
「門番はどうしたの? 役に立たないわね……」
「裏の塀を乗り越えて来たのでしょう。リックが追い出しましたから、ご安心ください」
「ああ、いやだ、いやだ……。ジョナサンが生きていれば……」
先代男爵の名をつぶやきながら、女主人は寝室に引きこもってしまった。晩餐時にも顔を出さず、ボーデン夫人が食事を盆に乗せて運んだ。
すっかり弱ってしまった女主人。
翌日も寝室から出ようとしなかった。労働者たちが反抗したのがよほどショックだったのだろう。
看病はボーデン夫人に任せ、エリオットはリックとともに屋敷を見回る。暴力は本意でなかったが、念のために片手に棍棒を握りしめて警戒する。
「ちっ。こういうとき、銃があれば……」
ときおり舌打ちしながら、そうつぶやくリックだったが、エリオットにはそれが恐ろしい。その瞳の輝きは、まるで人間と思えないような暗いものだったからだ。
――リックのやつ、戦場で何人殺したんだろうか……。
とてもそんな問いかけをできる雰囲気ではなかった。
ストライキは半月がすぎても静まる気配がなかった。
そのあいだ、炭鉱は操業停止となり、領地の収入もまったくない。おまけに投石騒ぎが三度あり、使用人たちが怯えるほどである。
警察を呼ぶとすぐに労働者たちは逃げるのだが、翌日、またデモを再開する。労働者が数人、逮捕されても騒動が収まる気配はなかった。それどころか、ますますデモ隊は増える。
さすがにこれ以上、放置してはいけないと、エリオットはレベッカと相談して、女主人に進言することにした。
「経営者を探しだして、労働者たちと交渉のテーブルにつくことです。このままでは収入が途絶えてしまいます」
「わたしも何かできることがあれば、お手伝いしますわ。だから、お願いします。交渉なさってください」
「わ、わたしは何も知らないわ。無理よ。揉め事の後始末は、殿がたのお仕事ですもの……」
ベッドのなかでそれだけ言うと、女主人はエリオットに背中を向けた。
翌日と翌々日も「労働者と交渉を」と請うものの、拒絶の返事があるだけ。体調がすぐれないのを理由に、寝室から出ようとしない。
困り果てたエリオットとレベッカのもとに、うれしい出来事があった。ロンドン郊外のグラマー・スクールに通っているアルフォンスが、冬季休暇で帰郷したのだ。
屋敷の離れにある小さな住まいで、夕食をとりながら久々に家族四人で過ごす。
「ただいま、父さん、母さん。……手紙にもあったけど、炭鉱のストライキまだ終わらないのか。大変だな」
「そうよ、兄さん。屋敷に出入りするのが危ないから、リックさんに護衛お願いしているの」
秋から、娘のオリヴィアは町の女学校へ通っていた。
「そのあいだ、領地の収入がないんだろ? このままだと、父さんまた転職しないといけなくなる」
不安そうなアルフォンスに、エリオットは苦い笑みを返した。
「あはは。子供のおまえは心配するな。僕らのことは気にせず、しっかり勉強に励みなさい」
「俺、もう十五になるんだ。子供扱いしないでくれ。順調にいけば飛び級して、一年早く、大学へ進学できそうなんだ。いくらクリフォード伯父さんの世話になっているからといって、仕送り大変だろ?」
アルフォンスの通うグラマー・スクールに寄宿設備はなかった。基本的に自宅から通う学生たちのための学校で、遠距離で通えない者は下宿をする。アルフォンスの下宿先は、エリオットの兄が所有するフラットの屋根裏部屋だった。
レベッカは拳を握りしめ、喜びを全身で表す。
「まあ、飛び級! とてもがんばってるじゃない。もうわたしが教えられることは何もないわ。わたしたちの誇りよ。ねえ、ジョン?」
エリオットもうなずく。
「ああ。進学をあきらめた僕のぶんまで、しっかり勉強してくれよ。それで、大学はどこを希望しているんだい?」
「まだ具体的には決めてないけど。俺、医者になりたい。戦争で大勢の人が死んだろう。学校にも父親や兄が戦死したやつが何人もいるんだ。もしまた戦争があったら、従軍してひとりでも多くの命を救いたい。ライナス坊っちゃんを見ていたら、そう思って…………」
ここでアルフォンスは言葉を閉ざした。
しばし家族の食卓に沈黙が流れる。
エリオット家で、アルフォンスの前でライナスの話題を出すことは、タブーになっていた。
――心の底では、心配していたのか。
主人と使用人という身分の差が壁を作ったことで、ふたりの少年の友情は消え去った。そのはずだったが、本意ではないはず。
――だけど、僕が口出しすべきことではない。
そう心に決めていたエリオットは、べつの話題を出した。
「話はもどるが、リンドン家は危ういかもしれない。領主がまだ子供だからと、炭鉱所の経営者は、私腹を肥やしていたようだ。経営者は夜逃げしてしまうし、大奥さまは寝込まれるし、お手上げだ」
アルフォンスが言った。
「このお屋敷がなくなるかもしれない、ってこと?」
「ああ。覚悟しておきなさい。だから悪いが、大学も奨学金が出ないようだと、あきらめてもらう」
「でも、父さん。リンドン家の領主はライナスだろ。まだ子供だと父さんたちは言うけど、俺より年上だ。甘やかしてはいけないよ」
「まてまて。おまえとは立場が異なるんだ。領主として大人扱いするには早すぎる」
「ストライキのことは、ライナスは知ってるよな?」
「レベッカが手紙を書いた」
「返信は?」
「まだない。週末には帰郷されるから、手紙は書かれなかったんだろう」
「そういうところが、甘えてるっていうんだ」
まだ世間を知らないアルフォンスのまっすぐな思いが伝わる。
しかしいくらおのれが正しいからといって、向こう見ずな態度を領主に見せてはならない。感情だけで物事を動かそうとするな。それが使用人なのだから、とエリオットはわが息子を諭す。
レベッカが同意した。
「そうね。ジョンの言うとおり、ライナス坊っちゃんはまだ未熟だわ。けれど少年だからといって、炭鉱所の経営者みたいに大人の都合で利用してはいけないの。あなただって、先生や父さんの言いなりに生きるのは嫌でしょう?」
「まあ、それはそうだけどさ……」
口ごもったアルフォンスは、それからストライキとライナスのことは言わなかった。
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