第7話:ふたつのクリスマスパーティ



 夏が終わり、秋が過ぎ、クリスマスになった。

 甥たちが戦死したことで、常に黒い喪服姿のリンドン老嬢だったが、今夜だけはお祝いだからと、若草色のドレス姿になった。

「まあ、おきれいですわ、奥さま」

 聖夜の晩餐会で、レベッカがそう褒めたのだが、女主人はまったく表情を変えなかった。

「……わたしは年寄りよ。お世辞はいいわ」

「いえ、喪服姿の奥さましか知らなかったんですもの。お世辞だなんて、とんでもありませんわ」

 給仕係のエリオットは、シャンパンをグラスに注ぎながら仲介した。

「奥さま。わが妻はファッションにうとくて、それはもう呆れるほど興味がございません。その妻が褒めたのです。嘘でないことは、わたくしが保証いたします」

 主人席にいるライナスが、こらえきれないように笑った。

「あはは! レベッカ先生、いっつも同じ服だ。貧乏じゃなくて、興味なかったんだ」

「まあ、言われてみれば……。面白いわね、ミセス・エリオットって」

「…………それは光栄ですわ」

 さすがのレベッカも恥ずかしかったらしく、赤面してうつむいてしまった。

 と、エリオットの肘を軽く突く者がいる。従僕クリスだ。

「どうした?」

 小声で、彼女は答える。

「アルフォンスとオリヴィアが、ずっと外に」

 クリスの視線が窓に移った。エリオットがそっと覗くと、幼い息子と娘が、白い息を吐きながら晩餐の様子をうかがっている。

 エリオットと視線が合うと、アルフォンスがライナスへ向って手を振る。

――ああ、坊っちゃんが呼んだのか。

 しかし使用人の子供だから、晩餐会に混じるのは許されない。おとなしく留守番をするように、とエリオットは言いつけておいたのだが。

 ライナスは立ち上がり、窓へ駆ける。エリオットを押しのけ、言った。

「来いよ! 三人だけじゃ寂しいんだ!」

「ちょ――ぼ、坊っちゃん! いけません!」

「ぼくがいいって、言ったからいいんだ」

「しかしですね、あなたさまは貴族です。労働者の子供と晩餐をともに過ごすなど、前代未聞。パーティをされたいのでしたら、また明日にでも内輪の――」

「お説教ばかりしてると、サンタクロースもこないわよ」

 呆れながらレベッカがあいだに入った。妻は坊っちゃんと息子が同席するのを賛成しているようだ。

――リンドン老嬢は?

 エリオットと目が合うと、女主人はほほ笑み、告げる。

「そうね。去年はクリスマスどころではなかったもの。楽しくなるのでしたら、賛成よ」

 エリオットの心配をよそに、子供たちが主体の晩餐会が始まる。料理を運んできたヒューに、ライナスがグラスを渡し、エリオットにワインを注がせる。

「いいんですかい?」

 目を丸くする中年部下に、エリオットはうなずいた。

「ああ。今夜は無礼講らしい。奥さまと坊っちゃんの寛大な御心に感謝しろ」

「やったぜ! ポートワインが飲めるっ!」

 つぎはクリス、そしてエリオットがグラスを持ち、晩餐に同席した。厨房から料理をすべて運んでテーブルへならべ、パーティをする。メイドたちも混じり、アルフォンスとライナスがジェスチャーゲームを始めると、笑いが絶えない。

 ふたりの少年はいつもいっしょに遊び、ものまねごっこが今、一番のお気に入りだと話していた。

 真面目くさった顔で直立し、横目でライナスを見るアルフォンス。その手には銀のポットが握られていた。

「さあ、だれでしょう?」

 ライナスの問いかけで、全員の目がエリオットへ向いた。

「ひょっとすると、これは…………僕なのか?」

「当たり!」

 どっと笑いがおこる。「似てる」と、どの声も絶賛していた。

「ま、まあ。僕の息子だからな。そりゃ、似ているさ……」

 即座にライナスが反論した。

「エリオットっていつも、目だけでぼくを追ってるじゃないか。大叔母さまに湯を注いでいるのに、すごい視線を感じるよ」

 自分ではそんなつもりはなかったのだが、無意識のうちにとっていた行動らしい。

 女主人が言った。

「それだけおまえを案じているのよ、ライナス」

「そうなの? 仕事だからだと思ってたけど」

「この屋敷におまえの家族はいないわ。エリオット夫妻が親代わりになって、ほっとしているのよ。正直、またすぐに辞めてしまうと決めてつけていたもの。これで、わたしはいつでも安心して、天国へ逝ける」

「大叔母さままで……。そんなこと言わないでよ」

 ライナスの表情が曇る。

「わたしは元気だから、まだ当分、お迎えはこないわ。だけど、覚悟だけはしておきなさい、ライナス」

「……」

 楽しいかったパーティに沈鬱な空気が流れる。

 どう言葉をかけようか、とエリオットが思案していると、真っ先に励ましたのは――。

「おれはどんなことがあっても、ずっとライナスと友だちだ」

「アルフォンス……」

「約束する」

 アルフォンスが差し出した手を、ライナスが固く握りしめる。

「絶対だからな。約束だぞ!」

 わっと歓声がわき、拍手が食堂を包んだ。

「あの子……、わたしたちが思っていたより、ずっと成長していたわ」

 涙ぐむレベッカの肩を、エリオットは優しく叩いた。

「そうだな。坊っちゃんのよき友人だ。使用人の息子だからと、心配ばかりしすぎたようだ」

「これからは、アルフォンスたちを信じましょう」

「ああ」

 こうしてクリスマスの夜は更けていった。



 翌日はボクシングデーである。クリスマスを楽しめない使用人たちが、パーティをするのが習わしだった。

 エリオットは今夜、一家でパーティをする予定だ。レベッカが屋敷の厨房でメイドたちと料理を作り、娘のオリヴィアといっしょに家へ運ぶ。そのあいだ、エリオットはアルフォンスとともに、食堂を飾りつけた。

 来客があった。ライナスだった。

「クリスマスのプレゼントだ、アルフォンス。さっきクリスと町で買ってきた」

 そう言って、カゴいっぱいの菓子を手渡す。

「うわ、こんなにたくさん! ああ、チョコレートにキャンディー、おれの大好きなフルーツケーキが」

「だから、その、えっと……」

 山高帽を取り、鍔で顔を半分隠す、ライナス。

「どうされました?」

 エリオットがたずねると、小さな声で答える。

「…………パーティに招待されてないけど。ぼくも」

「なんだ。そんなことですか」

「いいの?」

「当然です。というか、予定がくるってしまいました」

「どういうこと?」

 アルフォンスが肩をすくめる。

「このあと、おれがここに連れてくる予定だったんだ。ほら」

 と、息子は友人の腕を取り、食堂へ向かった。赤白ギンガムチェックのテーブルクロスの上には、五人分の皿が配膳してある。

「おれからのクリスマスプレゼントだって、びっくりさせようとしたのにな。やられた」

「ぼくはそんなつもりじゃ」

「もったぶってたおれが悪かったよ」

 それからはいつものように、少年ふたりは賑やかに準備をした。ふざけて走り回り、皿が落ちそうになる。エリオットは反射的に叱るが、元気いっぱいの子どもたちに効き目はなかった。

「こら、アルフォンス。それに坊っちゃんも!」

「父さん、昨日も言ったろ。クリスマスぐらい仕事休みなよ」

「仕事は休んでいるぞ」

「その小言だよ」

「おまえ、口も達者になったな」

 呆れるエリオットを、ライナスが爆笑する。

 レベッカとオリヴィアがごちそうを持って帰宅した。その後ろにはクリスとヒューがいて、同じく盆の上に料理の大皿を乗せて運ぶ。

 屋敷とは違って気兼ねないパーティは、エリオットを心の底から楽しませた。この日は主人ではなく、あくまでもアルフォンスの友人として扱う。それが坊っちゃんの望みだとだれもが知っていた。

 夫婦でプレゼントを交換するが、エリオットはレベッカのセンスに失笑せずにいられない。

「……あはは。これ、偽者が書いた『シャーロック・ホームズ』だぞ」

「ほんと? 最新作だって、町の書店で聞いたのよ」

「ほら、よく見ろ。シャーロックではなく、シェーロックになっている」

「……」

 しばしの沈黙。

 そしてレベッカは悔しがり、一家とライナスは腹を抱えて笑う。

「やられたわっ! あのタヌキ親父に!」

「おっちょこちょいな、母さんらしいや!」

「恥ずかしいな、お母さん……」

「エリオットって、夫婦そろって面白いな」

 レベッカへエリオットは奮発して、チャコールグレーの女性用スーツをプレゼントする。ライナスが指摘したとおり、いつも同じ服で教鞭を取っていた妻のためだった。

「きみが家庭教師を志願してくれたおかげで、僕は屋敷で奉公を続けることができた。ありがとう」

「いいのよ、お礼なんて……。だって夫婦だもの」

「地味だったかな?」

「あら、素敵よ。わたしが選んだら、ド派手な色を買ってたにちがいないもの。少しでも教室が明るいほうがいいかしらって」

――たしかに。

 若い時分、知り合ったときから、レベッカは自分で服を選ぼうとしなかった。興味がないというより、恐ろしくセンスがないのを、つねに母や従姉に指摘されていたためだ。だから、結婚後は妻の衣装選びも、エリオットの仕事のひとつだった。

 息子と娘にはおもちゃを贈り、ライナスには一晩の宿を与えた。昨夜のクリスマスで、ライナスは大叔母からたくさんの高価なプレゼントをもらっていたから、物を贈るのはやめておいた。

 二階の子供部屋で、アルフォンスとライナスが眠り、オリヴィアが両親の寝室に移動した。

 ベッドの上で、エリオットはレベッカに言った。

「今ごろ、楽しい夜を過ごしてるんだろうな」

「そうね。たくさん笑って、けんかもして。坊っちゃんにはずっとお友だちがいなかったもの。最高のクリスマスプレゼントだわ」

「きみがそう言ってくれると、心強いよ。僕はまちがっていない、と」

――まちがっていない?

 エリオットはおのれの言葉に、ふと疑問がわいた。

 心の片隅に引っかかるが、目を閉じるとそんな不安などどうでもよくなった。ただの考えすぎだ。

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