第6話:ジェニングス家、再訪



 食堂での晩餐の準備に、エリオットはクリスを重用した。彼女は物覚えが良く、しかも器用だったからだ。ヒューの何倍も頼りになる。

「そうそう、皿とグラスの位置はこれで合っている。よし、間隔もぴったりだ」

「それはよかったです」

 冷めた口調のクリスを見るたび、エリオットは歯がゆい思いをする。

――ああ、女でなく男だったら、執事として出世できたろうに。

 予定より早く準備が終わったので、以前から気にかかっていたことをきいてみた。

「キッチンメイドをしていたそうだが、料理が好きじゃないのか?」

 クリスは小さくうなずいた。

「料理は得意だったよ。けど、つまんなくてさ。ずっと薄暗い厨房で作業だし、旦那さまや奥さまの顔を見ることすらない。従僕たちを見ていたら、いつもうらやましくてね。それだけ」

「それだけ、か。もったいなあ」

「え?」

 クリスの目が見開かれる。

「それって、あたしが従僕に向いてるってこと?」

「ああ、適職だな。戦争が終わるまでってことだから、教育をするつもりはなかったんだが」

「じゃあ、教えてくれるんだ?」

「僕も十年ぶりの優秀な部下を持って、血が騒いでたまらない。短いあいだでもよければ、僕が指導しよう」

「お願いします! あたし、少しでもいいから従僕らしくなりたい。坊っちゃんのお伴をしてみたい」

「決まりだな」

 両者はぱん、と手を叩きあった。短い契約が成立した。

 エリオットの指導が始まると、乾いた大地が雨水を吸収するようにクリスは覚え、成長した。主人の着付けから始まり、紳士服や小物の手入れ、銀器の管理、接客、食卓の支度……。器用にむだなくこなす部下の姿に、エリオットは感動を覚えずにいられない。

 次はライナス坊っちゃんのお伴をさせるため、戦死した若さまのスーツを借り、それをクリスに着せる。丈が少々、長い以外は問題なかった。

「これで立派な従者だ」

 執事室の姿鏡を前にクリスは、ネクタイを結びながら顔を輝かせる。

「変じゃない?」

「帽子を被れば、ご婦人には見えないさ。明日のピクニックは、ヒューの代わりにきみにお伴を頼もうか」

「はい!」

 そんな上司と同僚を呆れ顔でヒューが見守る。食器を並べる手が止まったままの部下に、エリオットは注意した。

 不真面目な中年従僕は、その夜、エリオットに小声で忠告した。

「……いいんですか? 戦争が終わったら、がっかりしますぜ、彼女」

「教育するまえに、話はつけておいた。クリスだって承知している」

「まあ、エリオットさんがそう言っているのなら、心配する必要はないんでしょうけど。なんか胸騒ぎがするっつーか」

「どんな?」

「あいつ本気で楽しんでいるし、興奮してこれが天職みたいなこと言ってたし」

「初めはだれだって、新鮮な驚きでいっぱいだ。僕もそうだった」

「やっぱ、考えすぎですかねえ」

 ヒューが大きなあくびをしたことで、話はここで終わった。



 火曜日。約束どおり、エリオットはライナス坊っちゃんとともに、ジェニングス獣医のもとへ向かった。徒歩で一時間近くかかる距離だ。

 同行者は執事エリオット、女家庭教師レベッカ、従僕クリスだけでなく、エリオットの息子アルフォンスがいた。連れて行く心づもりはなかったのだが、両親の会話を盗み聞きしたアルフォンスは、出発したライナスたちを追いかけたのである。

 アルフォンスは母親であるレベッカに似ていた。栗色の髪とすみれ色の瞳はもちろん、好奇心いっぱいの性格と向こう見ずな元気さもだ。

 やんちゃなアルフォンスは九歳、いたずら好きなライナスは十歳。数分もしないうちに、ふたりの少年は幼なじみのように遊び始めた。

 草むらにあった枝を持って、「決闘ごっこ」をしたとき、エリオットは生きた心地がしない。わが息子が、領主さまを傷つけやしないか。だから同行させたくなかったのに、と。

 アルフォンスの枝を取りあげようとしたら、レベッカがその腕を取って制止した。

「大人が止めるべきではないわ。好きなだけ遊ばせましょう」

「何かあったらどうするつもりだ?」

「そうやってあなたたちが過保護にするから、いたずらで発散するようになったんじゃないの。違って?」

「しかしこれは、遊びというより闘い――のような……」

「まるで猿二匹ね……」

 枝を振り回すライナス。それを器用に避け、木の実を投げるアルフォンス。

「あいてっ! 飛び道具は卑怯だぞ。それでも騎士に仕える従者か!」

 歯をむき出しにしたライナスが、威嚇するように言うと、アルフォンスは舌を出す。

「べーっだ。いっつもいばってる坊っちゃんって、ホントだったんだ。おまえ有名人だもんな」

「有名人? 貴族だから当然だろ」

「おまえがどんなやつか、見たかったんだ。だっておれの父さんを、泣かせたじゃないか」

「ええっ! と、突然、なんだ、アルフォンス!」

 解雇されかけた日のことだろう。子どもたちを不安にさせたくないから、秘密にしていたのだが、小さな息子はお見通しだったようだ。

 赤面する上司へ、クリスが呆れたように言った。

「どうやらエリオットさんのご子息、かなりのやんちゃものだね。坊っちゃん顔負けだ。だれに似たのやら」

 と、視線がレベッカに移る。

「おほほ……。血は争えないって言うものね……」

 はらはらしながら見守る大人たちをよそ目に、暴れん坊の少年ふたりはジェニングス氏の動物病院に到着するまで、たっぷり遊んだ。ライナスは転んで膝を擦りむき、アルフォンスは右手首にかすり傷を負った。「名誉の負傷だ」と、クリスが笑う。

 疲れ果てたのだろう、ふたりは「休戦だ」を合図に、診療所のソファへくずれるように倒れた。居間でそのまま眠ってしまう。

 紅茶と焼菓子を運んできたジェニングス氏が、苦笑する。

「おやおや。ずいぶんと楽しい旅だったようだね」

 エリオットも苦い笑みを浮かべずにいられない。

「いやはや、わが息子ながら元気すぎて、さすがの坊っちゃんもお疲れのようです。せっかく、こちらへお伺いするのを楽しみにしてましたのに」

「子供らしくていいじゃないか。それより、怪我をしたのか?」

「ええ、大した傷じゃありません」

「油断はいけない。万が一、化膿することがあったらどうする?」

 動物相手とはいえ、病院だ。簡単な治療なら人間でも可能だ。ジェニングス氏がてきぱきと傷の手当をすませるが、少年ふたりは目を覚まさなかった。

 従僕クリスは使用人だから半地下で待機し、少年ふたりは待合室で休んでいる。居間にはジェニングス氏とエリオット夫妻だけだ。ジェニングス氏はエリオットがききたかった話を察知したように、みずから切り出した。

「ライナス坊っちゃん、先代さまたちが亡くなる前は、説得すれば聞き分けの良いご子息だったんだがね。どうしても男爵になりたくなかったようだ」

 ライ麦のクッキーをつまみながら、エリオットが言った。

「お寂しいだけではなかったのですか。それにしてもなぜ?」

「ライナス坊っちゃんは人付き合いが不器用で、人間よりも動物といっしょににいるほうが楽しい。だがね、動物が好きなだけでは、この職業は務まらないって、私は忠告した。いつも救えるわけではないし、病んだ家畜は人間のように言うことをきかない。それに負けない体力と根性だって必要だ」

「それでも獣医になりたい、とおっしゃったのですね?」

「ああ、そうだ。昨年、私は先代男爵さまをなんとか説得し、坊っちゃんは獣医学校へ進学する予定だった。それを信じておられたし、兄ふたりがいるから、リンドン家の家督を継ぐなど夢にも思っていらっしゃらなかった」

 ため息とともに、レベッカが言った。

「……戦争が全てを変えてしまったのね」

「ああ。ライナスさまはリンドン家はもちろん、これからは貴族として帝国を支えなくてはならない。社交と議会と政略結婚と、毎日が人間相手の仕事だな。大叔母のリンドン嬢もかなりお歳を召されている。だから家族の助けを借りることはかなわない」

「ああ、おつらいでしょうに。決めたわ。わたしがライナス坊っちゃんの助けになる。そうよ、ジョンだっているし、ずっと奉公すればいいんだわ。家族みたいになれるじゃない?」

 瞳を輝かせるレベッカに、エリオットは困惑した。

「僕らは使用人だぞ。同情はともかく、あまり深入りしないほうが……」

「まあ、冷たいのね!」

「だから冷たいとかそういう問題じゃあなくて」

「そうは言うけど、もしアルフォンスが孤児になったらどうするの? 深入りしたら、後悔するからほうっておきましょうって、説得するつもり?」

「アルフォンスは庶民だが、ライナスさまは男爵だぞ。比べることそのものがおこがましい」

「もう、理屈ばかりならべないで、ジョン」

「レベッカ、きみこそ、どうして僕の話を理解できない?」

「だって、わたしは――」

 ここでジェニングス氏が、会話をさえぎる。

「今後のことは、ご帰宅したあと、じっくり夫婦で話し合いをなさったほうがいい。私はあくまでも、村の一獣医だからな」

 要するに、夫婦喧嘩をここでしないでくれ、と言いたいらしい。

「ええ、そういたします。お騒がせしました……」

 エリオットが謝罪すると、われに返ったレベッカも頭を下げる。

「お恥ずかしい場面を見せて、申しわけございませんわ……」

 空になったカップへ紅茶を注ぎながら、氏はこらえきれないように小さく笑う。

「教育係の苦悩が垣間見えますな! それだけライナスさまを案じてらっしゃる、ということか。良い家庭教師をお持ちでよかった」

 そのとき、軽快な足音がふたつ近づいた。ライナスとアルフォンスである。

「お腹空いた!」

 と、ライナスが言うなり、

「うまそうなクッキー!」

 と、アルフォンスが残りの焼き菓子をすべてつかむ。

 行儀が悪い、とエリオットが注意しようとする前に、アルフォンスがライナスに菓子を半分わけた。紅茶の入ったカップ片手に少年ふたりは夢中で食べる。

「少し早いが、昼食にしましょうか、ライナスさま?」

 ジェニングス氏がそう問うと、すぐに返事があった。

「うん! アルフォンスもだろ?」

「もちろん!」

 すっかり打ち解けたふたりは、どこからどう見ても友人同士だった。



 昼食が終わるとすぐ、ライナスがアルフォンスを連れて庭へ出た。青緑色をした六角型の屋根が印象的な小屋へ案内する。坊っちゃんを見守るため、エリオットはあとについていった。

 木造建物は、鳥小屋だった。すべての窓には金網が貼ってある。鳥が逃げないよう、二重ドアになっており、奥側を開けると別世界がエリオットたちを待っていた。

 高い天井まで届く止まり木では、白、ピンク、黄色、緑の鳥たちが賑やかしく鳴いている。まるで海の向こうの南国に来たようだ。

 木箱でできた鳥の巣がいくつも壁際へ置かれ、窓下には濃い緑色の観葉植物がならんでいた。

 ライナスが止まり木へ近づくと、ある一匹の大きな白い鳥が羽ばたいてそばの枝に止まり、ぎゃああ、とひときわ大きな声で鳴いた。あまりの音量に、エリオットは耳を塞いだ。

「アルフォンス。この白いのがタイハクオウム――ヘルメスだ。ジョンソンさんがインドネシアから連れてきた。ジェニングス先生にすごい懐いてるんだぞ」

「病気だからここにいるの?」

「ううん。ジョンソンさんが病気になったから、先生がヘルメスを引き取ったんだ。オウムは五十年以上、生きるからね」

「五十年! 人間みたいに長生きなんだ!」

 率直に驚くアルフォンス。それがうれしいのか、ライナスは得意げに続ける。

「だからオウムやインコを飼うときは、自分の歳を考えるんだぞ。ジョンソンさんは三十歳のときから飼ったって、聞いたよ」

「ジョンソンさんって何歳なんだよ?」

「六十五」

「計算したら――あと十五年かあ。でもさ、おれが飼うんだったら……死ぬまでずっといられるんだ。あ、父さんは無理だね」

 と、背後で見守っているエリオットへ、少年たちの視線が移った。

「おまえが気に入ったのなら、飼ってもいいが、僕はいっさい世話をしないぞ。就職しても結婚しても、おまえが生涯、連れて行け。いいな」

 好奇心いっぱいの瞳に危機感を覚えた。父親としてしっかりと釘を刺す。

 アルフォンスは唇をとがらせた。

「……もう、父さんはいつも真面目すぎるよ。ライナス坊っちゃんが笑ってるじゃないか」

「あははっ! エリオットっていっつも真面目くさってるもんな!」

 笑い声に鳴動するように、小鳥の愛らしい声が聞こえる。

「胸が紅色のがいるだろ。モモイロインコが鳴いてるんだ。かわいくてすごく人なつこいから、人気のあるペットさ」

「あれも飼えなくなったのが?」

「そうだよ。先生が若いころは、小鳥を飼うのがブームだったんだって。でもすごい長生きするから、困った人が預けてそのままになったんだ。この鳥たち、みんなそうさ。昔はもっとたくさん、鳥小屋にオウムとインコとカナリアがいたって聞いた」

「ふうん。坊っちゃんはすっごい物知りだな」

「当たり前だろ。だってぼくは獣医になるんだから」

「男爵なのに?」

「それは……」

 ライナスの表情が曇る。

――獣医になりたかったのに。

 そう、心のなかで叫んでいるのだろうか。

 気まずい空気を察知したエリオットは、家のなかへもどろう、と少年たちをうながそうとしたのだが、それは杞憂に終わった。

「獣医の男爵さまって、かっこいいな! おれがペット飼ったら、診察してよ。約束だからな」

「当たり前だろ。ぼくたちは友だちだぞ」

 ぱあっと笑みがもどったライナスは、アルフォンスを連れて庭の外へ出た。次は牧羊犬を見せるのだという。

 エリオットは息子たちを追いかけるのをやめた。

「あら? 坊っちゃんは?」

 ジェニングス氏とともに庭に出たレベッカは、不安そうに周囲を見つめる。

「アルフォンスがいるから心配ない」

「それはよかった。私がお相手するには、歳が離れすぎていたからなあ。力不足だと気にかかっていたんだ」

 得心したように、ジェニングス氏はあごに手をやり、ほほ笑んだ。


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