第7話 お祭り
最終章
漫才コンビ結成の一日目。俺と夏澤の二人は学校が休みの土日を利用して、商店街のイベントで披露する漫才の企画会議をすることになった。
とはいえ、中学生では公園や図書館しか集まれる場所が無い。それらは十分に話し合うには適していない環境のため、仕方なく俺は夏澤を自宅へ招待した。
「お、彼女?」
「違うよ。漫才の相方」
先週の休日は出かけていたくせに、こういう時に限って薊姉は家にいた。そして案の定、夏澤を連れて来た俺を見てニヤニヤしている。商店街のイベントに参加することは公言しているため、何か余計な詮索をされる前にあしらった。
「ったくよぉ、一ヶ月もしねぇで別の女を連れてくるたぁ、流石は俺の息子だ! やっぱり色男の血は争えねぇなぁ!」
「黙ってろ」
そう言えば我が家には恥晒しの親父がいた。相手にするだけ無駄なので、さっさと俺は二階に上がって夏澤を自分の部屋へ通すことにする。
しかし、彼女は階段を上ろうとはせず、ある部屋の片隅を見つめていた。
「お邪魔してます」
夏澤が挨拶したのは、柱の陰に隠れてこちらを覗き見している雫と律である。
「……何見てんだよ?」
「こんにちは!」
俺の睨みは一切の効果を発揮せず、律は馬鹿でかい声で挨拶をした。その一方で、雫は奥の方へ引っ込んでしまう。
「こんにちは。元気だね」
「もういいから、早く部屋に入ってくれ。それと、お前らは二階に上がって来るなよ」
素直に頷く律だったが、こいつのアホさは信用ならない。まぁ、家族を相手にしても俺が疲れるだけだ。勝手にさせておく。
「賑やかだね」
階段を上っている最中、夏澤は村西家の感想を告げた。
「鬱陶しいだけだ」
親父と兄貴のことは嫌いだし、母は苦手だし、姉には搾取されるし、弟はアホで祖父はボケている。心の癒しは妹しかいないのだが、家族の前以外では引っ込み思案な性格だとは知らなかった。
「これが男の子の部屋か」
夏澤を自室に通すと、彼女は物珍しいのか無遠慮に見回した。
「弟と兼用だけどな。さ、早く漫才の台本を書いちまおう」
俺の部屋は畳敷きであり、木製の二段ベッドと、二つの勉強机と、無駄にデカいタンスくらいしか置いていない。それでも生活感のある空間を見られるのは恥ずかしいため、俺は中央に折り畳み式の卓袱台を用意し、さっさと夏澤を座布団に座らせた。
「それなんだけど、もう書いてきちゃった」
「お、やる気だな。読ませてくれ」
嬉々として夏澤が自分の鞄から台本を取り出そうとした拍子に、中から黒くて丸い物が転がり落ちた。
「何か落ちたぞ?」
「あ、それ爆弾だから気をつけて」
日常会話の中で聞き慣れない単語が耳に入り、拾ってやろうとした俺の動きが止まる。何か俺は試されているのだろうか?
「はぁ? 何を言ってるんだ?」
「けっこう簡単に作れるんだよ。市販の花火から火薬とか寄せ集めてね」
嘘に決まっている。いや、嘘であってくれと願った俺の軽口は、妙に饒舌な夏澤の説明で打ち消されてしまう。この際、これが本物の爆弾かどうかはどうでもいい。それよりも、別の問題について議論する必要がありそうだ。
「……本当は法律的に駄目だけど、百歩譲って爆弾を作るのは個人の自由だとしても、それをなんで俺の家に持ち込む⁉」
「ブギーの家に限らず、いつも私は持ち歩いているよ」
「マジで⁉ 学校でも⁉」
「うん」
「いや、うんじゃなくて! 危ないだろ!」
自分が韓国籍だと打ち明けた以上の、驚愕する事実に慄いている俺とは対照的に、夏澤は終始あっけからんとした声音で返答し続ける。それが逆に壊れたようでいて、俺は彼女の神経を疑った。
「私の好きな小説家の一人に中村文則さんっていう人がいて、その著作に『銃』っていう本があるの。これは大学生が拳銃を拾ってしまうという物語なんだけど、じゃあ私が爆弾を持ったらどうなるんだろう――って?」
「だからなんだよ! 興味本位で遊ぶな!」
もしも、ただ知的好奇心を満たしたいという理由だけで爆弾を製作したのなら、俺は夏澤とコンビ結成したことを早くも後悔することになるだろう。だが、幸か不幸か俺は選択を後悔せずに済んだ。
「元々、教室で爆発させようと思って作ったものだし」
「そんなこと考えてたの⁉ 怖ぇよ!」
前々から暗い女だとは思っていたが、まさか教室を爆破する陰謀を企んでいたとは……。それを阻止できたという意味でも、俺は夏澤とコンビを組めて良かったと思う。やはり彼女の思考は奇天烈で面白い。
「これを作った当初はクラスメイトを皆殺しにする計画だったけど、もう必要なくなっちゃったね。いる?」
「いるかそんなもん! 捨てろ!」
例え面白かったとしても、今でこそ笑い話で終われるのだ。きっと爆弾を作った動機は人間関係との軋轢に悩み、一人で切羽詰っていたのだろうが、いつまでも爆弾に依存し、肌身離さず持ち歩く必要は無い。
「分かったよ」
「俺の部屋のゴミ箱に投げ捨てるな! 持ち帰れ馬鹿!」
その後もブツブツと文句を呟きながら、夏澤は黒い球体を自分の鞄の中に収めた。代わりに俺は彼女から数枚のルーズリーフを受け取る。
さっそく読んでみると、AがツッコミでBがボケらしい。二人が織りなす会話劇はアホな発想でありながらも流麗で、台詞が切り替わるテンポの良さは非常に楽しめた。
しかし、まるでお手本のような漫才の台本である。これを中学生にして書けるのは素晴らしいが、俺たちのやる漫才がテンプレートでは意味が無いのだ。
「これ一晩で書いたのか?」
「いや、今まで書き溜めてきたので、一番の力作を持ってきたつもり」
「なるほど、だからか。すげぇ面白いんだけど、俺と夏澤っていう感じがしない。なんていうか、テンプレート過ぎて俺たちじゃなくてもいいんじゃないかって思った。実際にやるとしたら本人のキャラを生かさないと」
本来なら基本ができてこそ、自分たちのオリジナルを編み出せるのだろうが、そんな技術が身につくまで待っていてはヨボヨボの老人になってしまう。俺たちは今を生きるのだ。
「じゃあ、台本を書くより先に、私たちらしさを考えよう」
「俺たちらしさ?」
「そう。コンビ名とか」
夏澤の提案通りに考えると、やはり印象的なのは昨日の出来事だ。俺は彼女と漫才コンビを組むために説得した言葉を思い出した。
「……笑い殺す?」
「物騒だね」
「駄目だ、思いつかん」
「私もアイデアが浮かばない。見通しが立たないからコンビ名は後回しにして、先にボケとツッコミの役割を決めようか」
「それは書いてきた台本の通りでいいんじゃないか? 俺がツッコミで、夏澤がボケ担当で。その方がしっくりくる」
例え俺がボケようとも、夏澤はボケにボケを重ねようとしてくるのだ。ボケに対する執念なら、彼女の方が人一倍強い。
「……ブギーがツッコミ役だと、前のチャラいキャラでしか想像できないんだよね」
「別にいいよ。できるだけ公共の場では素の自分を見せたくないし」
「もう仮面を被るのは止めたんじゃなかったの?」
「その必要性があれば被るよ。ただ、今は自分を偽れないだけだ」
昨日あれだけの醜態を晒したというのに、今更になって取り繕っても意味が無い。そう考えて俺は親しい友人たちとは、素の自分で接することに決めた。
「ふーん……」
夏澤が感情を読み取らせない表情で頷くと、不意に部屋の扉が開いた。
「ねぇ、準ちゃん。お菓子食べる?」
「うおおッ! ノックぐらいしろ! それと準ちゃんて呼ぶな!」
現れたのはお盆を持った実の母である。いい加減、抜き足差し足で階段を上ってくるのはマジで止めて欲しい。
忍者のような現れ方をした母に対し、夏澤は座りながら丁寧にお辞儀をした。
「こんにちは。準君の漫才の相方の夏澤夕景です。お邪魔しています」
「あら、いい名前ね。私は準ちゃんの母の遥と申します。これは粗茶ですが、どうぞお飲みになって」
「ありがとうございます」
ずずずっと、夏澤は湯呑に入ったお茶を穏やかに飲む。
「…………」
「いや、用が済んだら戻れよ」
饅頭を置いて落ち着こうとしている母を押しのけ、力づくで部屋から追い出した。そして振り返ると、夏澤は饅頭を食いながら何やら部屋を物色し始めている。
「何してんの?」
「エロ本探し」
「小学生の弟もいるのに、あるわけねぇだろって」
徐に何をし出すかと思えば、この女は定番とも言うべきエロ本探しを実行していたのだ。その熱を早く覚まさせるよう、俺は平静を装って興味なさげに茶を啜った。
「……お、ニーチェじゃん。好きなの?」
「兄貴のだよ。俺が哲学書なんて難しくて読めるわけないだろ」
去年までは俺と兄貴の二人部屋であり、まだ俺の机には兄貴がいた名残がある。そのいくつかは姉が持ち出したため、こういう分厚い本ばかりが机の上に並んでいるだけだ。
「そうかな? 大体の哲学書なんてのは言葉が難しいだけであって、書いてある内容は理解できないでもないけどね」
「いや、俺もちょっとは読んでみたけどさ、超人とか、永遠回帰とか、もはや何のことか意味分かんねぇよ」
「変にキャッチーな名称を付けたがるのは、説明した内容をいちいち書くのが面倒なだけであって、大事なのはその名称を使って何がしたいのかじゃない?」
「ニーチェ詳しいのか?」
「図書館にニーチェ入門ていう本あったから、興味本位で試しに読んでみただけ。ちょっとだけ説明してみる?」
どうせニーチェなんて、それらしいことを語っているだけで大したことないだろ。ただ兄貴がニーチェ好きだったという可能性があるかもしれないため、俺は夏澤が解説するニーチェの思想について耳を傾けることにした。
「神は死んだ! 我々が殺した! 紳士淑女よ、超人を目指せ! 実存主義万歳!」
ニ十分後、そこには人生観を変えた俺がいた。
「また、ニーチェに傾倒してしまう若者が生まれてしまったか……」
「ニーチェすごいな! この生き方は画期的だ! 人生の師匠と呼ばせてもらう!」
「落ち着いて馬鹿。あまり深みに嵌らない方がいいよ」
「どうして⁉」
どんなに人生で嫌なことがあったとしても、永遠回帰の考え方なら己の正を肯定できるというのに、この思想には大きな欠点があるらしい。夏澤は馬鹿を見るような目で俺を見て、頭を抱えながらも説明を加えた。
「もしも、自分が何か失敗したとするでしょ? でも、その責任を自分だけで負えるわけがないんだよ。例えば、誰も彼もが困難を個人の力量で乗り越えようとして、生活水準の格差を実力の反映だという解釈をしてしまったら、きっと世の中は歪む」
「ああ、他人を思いやれなくなるのか」
「そう。ま、ニーチェくらい過激な人がいたから、変革の時代を生きる行動力の源になったのかもね。とにかく、ニーチェの思想が哲学と言う枠を超えて、別の何かを主張する際に用いるのは危険すぎる。あくまでも、人間とは何か? っていう形而上学だから」
「危ないとこだったぜ……」
思い起こせば、俺が挫折した際に救われたと感じたのは、親しい友人たちのおかげだった。そして大切な人のためだからこそ頑張れるのに、自分のことしか考えられない人間では、多分できることも限られてしまうだろう。視野の狭い大人にはなりたくない。
「でも、これは漫才のネタに使えるかも」
「え、どこが?」
「ツッコミ担当であるブギーのキャラをチャラくするんじゃなくて、なんか中二病的な意識高い系に設定するんだよ。これならミサワっぽく笑いにできそうじゃない?」
さっきからチャラチャラしてるとしか言われていないのだが、俺ってそんなにチャラかったか? まぁ、確かに言動は軽かったので、遊び人と思われるよりはマシだ。俺は夏澤の意見に同意する。
「面白そうだな。問題は、それをどう漫才に落とし込むか……」
「だったら台本は任せ……あ、駄目だ。商店街のイベントで披露するには、ちょっと台詞が過激すぎるかなぁ……」
「お前は俺に何を言わせるつもりなんだ……?」
とてつもない暴言を吐かせたいことだけは伝わってきた。その後も暫く夏澤は実現可能かどうか悩み、ある一つのことを質問してきた。
「今までのお祭りはどんな感じだったの? 私は行ったことないんだよね」
「そうだなぁ、去年までは兄貴がライブとかしてたかな?」
「何系の音楽なの? パンクとかだったら祭でもネタが許容範囲になるよ」
あまり兄貴の話はしたくない。せっかくの良い気分が沈んでしまうのを感じながら、俺は話を有耶無耶にしようとした。
「さぁ? 俺は聞き流してたから……」
「それならお兄さんに訊いてみようよ。今どこにいるの?」
もう秘密にしておくのは限界だった。夏澤には嘘が吐けないと悟った俺は、家庭の事情を洗いざらい白状する。
「……いない。去年から行方不明」
「……だとしたら、呑気に漫才してる場合じゃないよ」
「いや、それが、自分はロックミュージシャンになるとか叫んで、誰にも相談しないで高校を中退した後、勝手に家を飛び出したんだ……」
あの夜ほど衝撃的な瞬間を経験したことはない。何かに挑戦する兄貴の姿は弟の視点からでも頼もしく見えたが、最後には戻ってくるという安心感があった。その安定した基盤は崩れ、中心に大きな穴が今でもポッカリ空いている。
「ある意味ロックと言えばロック……」
「兄貴がロックだろうと何だろうと関係ねーよ。どんなに恵まれた才能があったとしても、残された俺たちにとっちゃ、たまったもんじゃない」
家を出て行った兄貴は、自分の好きなことができて幸せかもしれない。でも、それは長男としての責務から逃れただけであり、その皺寄せは次男である俺に降りかかってくる。
「……お兄さんは天才だったんだ?」
「地元では神童だと持て囃され、学校では誰よりも人気者で、俺の自慢の兄貴だった……。けど、今では兄貴のことは禁句だ。あいつは長男のくせに家のことも何もかも放り捨てて、自分は好き勝手に生きやがるクソ野郎だ……」
今思えば、俺は兄貴の仮面を被っていたのかもしれない。できるだけ世間との衝突を避け、なるべく平和に生活しようとしたが、やはり欠陥品では長く耐えられなかった。だからこそ俺が俺であるために、前へ進む選択をしたのだ。
「もし、天才肌のお兄さんがニーチェに本気で傾倒していた時期があったのなら、きっと自分のことしか考えてなかったんだと思う。そして周りの人間が振り回されていく内に、お兄さんのことばかり考えるようになった。かくして、みんなの世界の中心はお兄さんになったわけだけど、家族の期待を一身に受ける長男の重圧はどうだったのかな?」
「……何が言いたいんだ?」
「さっきと一緒だよ。お兄さんは悲しきことに、困難を個人の力量で乗り越えようとする偉大な人となってしまった。だから、人間としての豊かな自己の能力や個性を実現させていく過程で、そういった地元の評価や家族の期待が煩わしくなったんだと思う」
まさか夏澤が兄貴の方に肩入れするとは……。俺には考えもつかなかった彼女の立ち位置に嫉妬する。
「会ったこともないくせに、よくも分かった風に語るな」
「ま、私だって家庭の事情に踏み込みたくはないけど、これだけは言わせて。誰が悪いってわけじゃない。自己中心的なお兄さんにも非はあるし、それに気づけなかったブギーにも非はある。それなら、外からそのルールはおかしいって、誰かが言うべきだったんだよ。悔やむべきは、外のルールを思い出させてくれる人間が不在だったこと。それに尽きる」
しかし、実際問題は山積みだ。実家の跡取りは消息を絶ち、このままでは次男の俺が店を継がされる。また、リーダーシップのある兄貴に頼り切っていたこともあり、どことなく商店街は活気を失い、それぞれの家庭での後継者不足が表面化した。
未来への不安は簡単に払拭できるものではないのだが、それを夏澤は部外者であることを自覚した上で、損な役目を買って出てくれたのだ。誰かが悪い負けじゃない。それは俺が誰かに言って欲しかった言葉かもしれない。
「……あー、なんか悪かったな。俺が言うのもなんだけど、兄貴のことについては気が楽になったよ。ありがと」
「どういたしまして」
……ちょっと辛気臭い空気になってしまった。恥ずかしくて夏澤を直視できないでいる俺は、気を取り直して作業に取り掛かろうとする。
「よし、漫才は夏澤の言う、意識高い系の方向性でやろう。さっそくネタ作りだ」
「その前にコンビ名を決めとかないと、書いてる途中でキャラがぶれる」
「遊ぼ!」
さっそく作業が進むのかと思いきや、いきなり弟が空気を読まずに部屋へ入ってきた。これは教育的指導が必要か。
「来るなって言ったよな?」
「まぁまぁ、子どもには優しくしないと」
意外と子ども好きらしい夏澤は俺を諌め、年上らしい余裕を持って対応しようとする。だが、身内である俺の目は欺けない。
「待て、そいつは斥候だ。誰に命令されたか言え」
「小学生の弟相手に尋問しないでよ」
「いいから遊ぼ!」
「いつも遊んでる友達はどうした? 喧嘩でもしたか?」
確か律は国府台の弟と仲が良かったはずだ。アホそうな律とは違い、国府台の弟は利発そうだった。交換して欲しい。
「ミゲル君はね、お姉ちゃんの応援に行った! 大事な大会なんだって! 準兄ちゃんもぼくを大会に連れてってよ!」
大事な試合と言うのは、バスケの都大会のことか。男子バスケ部から追い出された俺の現状を弟には話していなかったとはいえ、なんでもかんでも無垢な子どもだからって許されると思うなよ?
「お前、横にサワーがいなかったらブン殴ってたからな?」
「うんこブリブリぃ!」
「テメェこの野郎!」
「落ち着いて!」
兄の傷口を抉る弟を殴ろうと身を乗り出したら、夏澤が身を挺して俺を羽交い絞めにした。その隙に律は彼女の後ろに回り込む。
「準兄ちゃんが遊んでくれないよ!」
「じゃあ、私と遊ぼうか。何して遊ぶ?」
俺にも見せたことのない柔和な笑みを浮かべる夏澤は、すっかり親戚のお姉ちゃんを演じ切っている。甘えたがりな弟は嬉しそうに答えた。
「ゲーム!」
「何のゲーム?」
「うーんとねー、ポケモン!」
夏澤の笑顔が固まる。俺は彼女が修学旅行のバス内でプレイしていたのを見たので、かなりなヘビーユーザーだということを知っていたが、あのゲームマナーの悪さを律の前で曝け出したら年上の威厳を失うだろう。さり気なくフォローする。
「おいおい、今時ポケモンを持ち歩く中学生がいるわけ……」
「準備はいい?」
「いるんかい!」
俺の助け舟も空しく、用意周到な夏澤はDSを鞄から取り出す。そして電源を点けると、あっという間に対戦が始まってしまった。
「よーし、行け! ボスゴドラ!」
まーたメガ進化しやがったよ。俺もポケモンやろうかな……?
「あ、コンビ名を思いついた」
手始めに律のプレイデータを削除しようか考えていると、何の前触れも無く夏澤がコンビ名のアイデアを閃いたと言う。
「それって、もしかしてさ……」
嫌な予感がしつつ画面を覗き込むと、やっぱりそこにはアイツがいた。
「サワムラー」
× ×
一週間後。六月の第一日曜日。
いよいよ待ちに待った御礼祭である。かしこまった御礼祭と言っても、形式的な儀式をするのは神社の神主くらいで、商店街の面々はせっせと朝早くから屋台を組み上げている。それは我が村西家も同様なのだが、青年部の盛り上げ隊長である俺は、実家を手伝わないでメインステージの設営に行っていた。
「なんで私まで……」
低血圧で朝は弱いらしい夏澤は、駆り出されたことに対して不満を呟いている。
「お前もステージ使うだろうが。ただでさえ人手が少ないんだから、今は猫の手だって借りたいんだよ」
この中央ステージを組み立ててからでないと、青年部のメンバーは自分の屋台を組み立てに行くことができないのだ。骨組みだけは前日に仕上げたとはいえ、誰だって無駄口を叩く暇は無く、夏澤以外の男たちは真剣に作業している。
「か弱い女子に早朝から肉体労働を強制させるなんて、こんな商店街なんか滅んでしまえばいい……」
「物騒なこと言うな! 他の人たちだっているんだぞ!」
「いや、自分ら丸聞こえやで……」
脚立の上でステージに装飾を施している永介が呆れたように注意すると、反省の色が見えない夏澤は馴れ馴れしく言った。
「固いこと言うなよバッカス」
「誰がバッカスや! そないなあだ名は絶対に認めへんで!」
あだ名で呼び合っているのは夏澤と樹理くらいなもので、俺と永介と国府台の三人は結集して、あだ名断固反対の姿勢を貫いていた。ちなみに、国府台のあだ名はキルビル女という悪口から派生し、なぜか一周回ってリーと呼ばれている。
「おい、中坊共! 黙ってやんねぇと、怪我するぞ!」
「分かっとるわ!」
大声を出していたせいで、釈迦戸家の親父に怒られてしまった。息子の永介に負けずとも劣らない、屈強な体格をした親父であり、軽々と木製の階段を一人で運んでいる。
そんな強面である親父を前にしても、夏澤はデリカシーの無いことを言い放った。
「親子揃ってスキンヘッドとは、仲が良いんだね」
「気色の悪いこと言うな。親父のは天然ハゲや」
ちゃんと永介は声量を抑えて答えたつもりだったが、その親父の地獄耳はしっかり悪口を聞き取っていた。
「誰がハゲだぁ! 俺はハゲであることを選んだハゲだぁ!」
「やかましいねん! ハゲに反応しすぎや!」
「毛根が敏感なだけだ! ハゲであることを選んだ父親を誇れ!」
「誇れるかぁ!」
朝っぱらから取っ組み合いの親子喧嘩が勃発しそうになる寸前、音響機材を運んでいた永介の姉が異変に気づいて駆け寄って来た。それはいいのだが、精密機械を運んでいる途中にもかかわらず手を放したものだから、川肉屋の兄ちゃんがヘッドスライディングしてでも機械を死守していた。
「ハゲハゲうるさいんだよハゲ! みんなの迷惑になってるだろ!」
「邪魔するな翼! もう我慢ならねぇ! リングの上に立て永介!」
「上等じゃボケぇ!」
「あなたたちのリングではありませんよ⁉ みんなのステージですよ!」
俺の抗議も空しく、訊く耳を持たない釈迦戸親子は壇上に登って行った。ヒートアップしていく暴走を止めるには、お姉さんの力を借りるしかない。
「ちょ、ちょっとお姉さんも見てないで、早く親子喧嘩を止めてください!」
「ああなってしまったら、もはや誰にも止めることはできないね。こういう時はお互いにぶつかった方がスッキリするさ」
「……いや、達観してる場合じゃないですから!」
あやうく納得しそうになったが、よく考えたら最初から最後まで意味が分からない。他の青年部メンバーは真顔でステージ設営に没頭してるし、いつの間にか元凶である夏澤も逃げやがった。この状況に疑問を感じているのは俺だけなのか?
「おばちゃん呼んできたよ!」
高校生である川肉屋の兄ちゃんが釈迦戸母を連れて来た。青年部の中で俺の味方は彼だけである。釈迦戸母ならステージ上で睨み合って動かない邪魔な馬鹿親子を、一喝で治めることができるだろう。
「ナイスです川肉屋の兄ちゃん! さぁ、永介のお母さん。馬鹿な夫と息子にビシッと言ってやってください!」
「うう……、ひぃ~、えぐっ……」
「なんで泣いてるんですか⁉」
前に会った時はいかにもな大阪のおばちゃん風だった釈迦戸母が、今は微塵も想像できなかったほどに号泣して俺は面食らってしまった。
「誰だ貴子ちゃん泣かしたの⁉」
「あんたらだ、あんたら!」
「貴子ちゃん泣かす奴は、この俺が許さねぇぞ!」
「こっちが泣きたいわ!」
俺のツッコミが少しでも届いてくれたのか、釈迦戸親子は壇上から降りて一家で釈迦戸母を取り囲む。
「ああもう、お母さん泣かないで。一回みんなで家に戻ろ。ね?」
「仕方ねぇな……」
「勝負はお預けや」
みんなで口々に釈迦戸母を労わっている言葉をかけ、これで大団円だと安心していたら、釈迦戸家は作業を中断したまま自宅へ帰ってしまった。
「……いや、手伝ってよ」
いつか絶対に町内会の洗礼をかけてやると自分の中で誓いながら、俺はステージ設営の作業に没頭したのである。
× ×
釈迦戸家劇場というアクシデントに邪魔されたものの、なんとか祭の開演時間には間に合った。商店街のイベント程度でリハーサルなどやっている時間は無く、すぐさま俺は実家が出店しているスペースの方へ行く。
「もう準備できた⁉」
村西家のテントへ駆け込むと、すでに薊姉はレジ前で待機していた。商品の洋服もラックに掛けられてあるし、いつでも販売できる体制が整っている。
「遅っそい。今年は雫とバイトがいたから、なんとか間に合ったけど」
「えっへん」
我が家では中学生になってから家業の手伝いをさせられるため、初めての経験をした雫は得意気に胸を張った。その胸も心なしか膨らんでいるような気がするし、どんどん大人へなっていく妹を間近で見られるとは感慨深い。
「成長したな……」
「ちょっと、あたしは?」
ああ、そういえば樹理をバイトとして雇っていたのだった。彼女の胸が成長したかどうかは分からないが、とにかく別のことで褒めておこう。
「……アンジュさんが手伝ってくれて大助かりです!」
「今の間は何?」
いけない。つい都合が悪くなると、未だに急ごしらえの仮面を被ってしまう癖が出てしまう。それを勘づいた樹理をどうやって流そうか考えていると、薊姉がいるレジの方から陽気な声が聞こえてきた。
「おいーっす! 店の調子どう?」
「まだ始まってもないから」
現れたのは憎き釈迦戸家の長女である。どうやら薊姉と同学年の友達らしく、いかにも親しげな雰囲気を出しているのだが、モチベーションの低い薊姉を彼女は一笑に付した。
「ふっ、勝負は既に始まっているのさ。今日の売上金は照屋の勝ちと見た!」
「別に競ってないから」
二人の温度差が激しい。これ絶対に仲良くないだろうと思っていたら、俺の目が釈迦戸姉の視線と合ってしまった。
「おや、あの少年が薊の弟かい? 長嶋に行った修学旅行のお土産に、坂本龍馬像を贈ったっていう、あの?」
「一応は?」
なんで疑問形なんだよ。ウケ狙いで坂本龍馬像を贈ったことを、友人に言いふらすほど未だ根に持っているらしい。その友人はと言うと、ステージ設営の作業を途中で抜け出ししやがったというのに、全く悪びれもせず自己紹介し始めた。
「それじゃあ挨拶しないと! どうも初めまして! ウチは照屋の看板娘こと、釈迦戸翼って言います! よろしく!」
「……村西家次男の準です。さっきも会いましたよね?」
「あらら、もしかしてウチを口説いてる? いけない子だなぁ」
「いえ、全然違います。一家でメインステージの設営をサボったこと忘れませんよ」
「忘れられないほど、ウチと出会ったことが印象的だったと? あーん、もう可愛い! ウチの弟と交換して!」
どうやら人の話を聞かないのは母親譲りのようだ。このテンションに日々付き合わされる永介に同情するが、そこで俺は翼さんが関西弁を使っていない事に気づく。そういえば父親も標準語だったか……?
「馬鹿なこと言ってないで、早く戻ったら?」
「おっと、そうだったね。じゃ、また!」
頭の中に浮かんできた謎を解明する暇も無く、店の売り上げに余念のない翼さんは風のように去ってしまった。
「嵐のような人だったね……」
的を射ている樹理の感想を聞いて、どっと身体に疲れが押し寄せてくると、段ボールを運んでいた親父が俺に発破をかけてきた。
「おい、盛り上げ隊長がこんな所にいてどうすんだ? 開会式の挨拶は俺に任せて、お前は他の店を見回りに行け」
「分かったよ。じゃ、後は任せるから」
「あ、ちょっと待て準。ついでにこいつも連れてけ」
さっさと俺は樹理の視線から逃れたかったのだが、親父が顎で指した方向には天道町の公式マスコットキャラクターの、お天道サンがいた。
これは赤字に黒の斑点模様がある球体を押し潰したような体に、手足と口と、そして馬鹿デカい青のサングラスが付いているという、なんとも毒々しい見た目の着ぐるみである。あまりにも不評すぎて後から頭頂部に太陽を象ったハットを被せたものの、ゆるキャラブームの波には乗り切れなかったという、可哀想な過去を持つ存在だ。
「別にいいけど、誰が中に入ってるの?」
「私だよ」
お天道サンがハットを上にズラすと、その中から夏澤の顔が現れた。
「うおッ! 何やってんだ⁉」
「このオッサンが無理やり私を拉致して……」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ嬢ちゃん。こういう小さな町内の祭っていうのはよぉ、人と人との助け合いだぜ?」
とか言いながら、実は先週から狙ってやがったな? 快活に笑う親父を夏澤は恨めしそうに睨んでいたが、これはステージ設営を途中で投げ出した天罰だな。俺は情状酌量の余地は無しと判断する。
「ほら、気持ちは分かるから一緒に行くぞ。ハット被って」
「どこ行くの?」
「最初は体育館かな。会場の確認とかしときたいし」
さっそく体育館へ向けて歩き出そうとすると、マスコットキャラクターの着ぐるみを被った夏澤は動けずにいた。
「……視界が悪くて歩きにくい」
「手を引いてやるから離れるなよ?」
「あ、あたしも行きたい!」
夏澤に手を差し出したら、なぜか樹理までもが一緒について行こうとする。だが、そうは問屋が卸さない。
「バイトは店番」
「そんなぁ~っ!」
いや、当たり前だろ……。薊姉が樹理を捕らえている間に、俺は夏澤の手を引いて体育館へ向かったのだった。
× ×
御礼祭の本会場である文化会館の駐車場とは別に、そこから歩いて三分の場所にある町民体育館では、スペースを贅沢に使って天道町の歴史資料や工芸品などを展示している。伝統を守ろうとする博覧会とはいえ、地味なのは否めない。
こんな所に来る物好きは老人くらいなものだが、見覚えのある子どもが体育館の中央で騒いでいるのを発見した。
「おい、律! こんな所で遊ぶな!」
「あ、準兄ちゃんだ!」
敷かれたブルーシートの上に置いてある長机の間を、縫うように動き回っていたのは実の弟と、その友達のミゲル君だった。律は真っ直ぐ俺の前へ駆け寄ろうとするが、その動きをミゲル君が制する。
「待って律君! 隣に変なのがいるよ……?」
怯えながらミゲル君が指し示した方向には、お天道サンの着ぐるみを着ている夏澤がいた。毒々しい色のマスコットキャラに警戒しているミゲル君とは対照的に、律のテンションは最高潮に達する。
「本当だ! なんでお天道サンがいるの⁉ わー、気色悪ッ!」
「こら、お天道サンは律のことを見ているぞ。悪いことしたら罰が当たるからな」
「うっそだぁ! 嘘ついた方が悪者だもんね!」
そう生意気なことを言うや否や、律は夏澤に向けて思いっきりドロップキックをした。正面から蹴りを受けた夏澤は衝撃で傾く上半身の自重に耐えられず、仰向けに倒れて二回ほど派手に転がる。
「何やってんだ馬鹿!」
俺は腹を抱えて大笑いする律に拳骨をお見舞いする。それでも痛みより笑いの方が強いらしく、今度は頭を抱えて大笑いしていた。すると、その笑い声を聞き取ったのか、夏澤は三回目の回転で勢いよく立ち上がり、近くにあった工芸品の壺を振り回す。
「これ見よがしに壺で素振りするな! 危ないだろ!」
「ひいいッ!」
不気味な生き物が鈍器を持って暴れているという、現実味のない狂気染みた光景の前に、すっかり二人は体が竦み上がっていた。とばっちりを受けたミゲル君に免じて、ここは許してやろう。
「ともかく、これで分かっただろ? もう悪さするなよ?」
「はいッ!」
返事だけは素直だな。この俺でさえ博覧会は退屈だというのに、こんな子どもが体育館に来ているのはおかしい。
「で、どうして律たちが体育館にいるんだ?」
「ミゲル君のお母さんが授業しているからだよ!」
ということは、国府台の母親? パンフレットを取り出して授業っぽい出し物を確認すると、体育館の端っこに国府台ナオミ教授の文化人類学と言う項目があった。
「オー、ミゲルここにいたのデスカー? 勝手に離れてはいけまセンヨー?」
「……ごめんなさい」
仕切りの向こうから、なんだか胡散臭そうな日本語を使う、金髪眼鏡美女が現れた。とりあえず挨拶しておこう。
「こんにちは。僕は花見月商店街青年部、盛り上げ隊長の村西準です」
「準って、あのミスター準デスカー?」
「どの準かは分かりませんけど、僕は村西家次男の準です」
「アー、ゴ紹介が遅れまシタ! ワタシはナオミ・国府台と申しマース! いつも娘がオ世話になってマース!」
名字が国府台ということは、やはり国府台の母親だ。なんだかややこしいため、次から娘の方は名前で呼ぶことにしよう。
「いえ、こちらこそクロエさんとは仲良くさせてもらってます。それで、この文化人類学の講義と言うのは……?」
「ママ! もう椅子並べ終わったよ!」
「…………」
仕切りの向こうから現れたのはクロエだった。いや、息子がいるのだから娘が会場にいたって何も不思議ではない。むしろ至極当然のことなのだが、お互いに沈黙が生まれてしまう理由は別にある。
「ワーオ、ありがとうございマース! 助かりまシタ! 流石はワタシの娘ネ! ……どうかしまシタ?」
「うわっちゃああああ!」
ブルース・リーの再来だ。いつもは頼りがいのある姉御肌を見せていたのに、親の前では子どもらしい甘えた声を出しているらしく、それを運悪く同級生に見られてしまったクロエは発狂した。
「大丈夫だから! 俺しか見てないから!」
「アンタを殺して、アタシも死ぬ!」
すごい取り乱しようである。弟のミゲル君なんかは今にも泣き出しそうなため、俺は身を犠牲にしてでも冗談を言うしかなった。
「俺もマザコンだから! 恥ずかしくないから!」
「いや、それは恥ずべきことだよ」
取り乱すクロエを落ち着かせるために言った嘘なのだが、俺がマザコンだと言った途端に彼女はドン引きしやがった。また訂正しても面倒なことになりかけないので、俺はせめてもの抵抗を示す。
「……意外と甘えん坊なんすね」
「ワタシの夫が東京下町の芸人でーしてー、娘もスッカリ江戸町人情に憧れちゃったみたいデースネー!」
「余計な事言わないでよ!」
あの江戸っ子口調のルーツは父親にあるらしい。その父親が下町の出身でありながら、自分の金髪が外人にしか見えないことにコンプレックスがあるのだろうか? でも、名字の国府台って言う地名は東京じゃないし、あまり深入りしない方がいいだろう。
「ぼくの準兄ちゃんも芸人だよ! 今日だって漫才やるんだ!」
やけに大人しいと油断していたら、律は目を輝かせて余計な情報を与えやがった。案の定、ナオミ教授のテンションは上がっている。
「ワンダフォー! お相手が見えないようデスガ、一人で漫談でもするのデスカー? ミスター準は隠れた才能をお持ちデスネ!」
「相方のお姉ちゃんもいるけど、ぼくはあんまり好きじゃない……」
律はポケモンでボコボコにされて以来、どうやら夏澤のことが苦手になったようだ。あまりにも大人げないと夏澤を責めたら、だって攻撃技しか選択肢に入れてないから、気持ち良いくらいに不意打ちが当たるんだもん! とのことらしい。知るか。
「ま、それはそれとして、ナオミ教授は何を教えているんですか?」
「日本で具体的な研究対象を挙げるのなら、いわゆる江戸時代で美徳とされた粋や、恥の文化などが分かりやすいデスカネー? 現代でも根強く残る民俗学を踏まえながら、社会の成り立ちについて考える文化人類学を専攻していマース!」
「ちょっと分かり辛いですね……」
「例えば、外国人から日本人は慎ましいとか、静かな風景が好きだとか言われたことはありまセンカ? それらのオリエンタル・カルチャーは、オクシデント・カルチャーの鏡から見て形成されたにすぎないのデスヨ?」
「はぁー。そうなんですか……」
ここら辺で俺は既に話の内容を聞き流していた。
「まーだ理解できていないようデスネー。つまり、ワタシの変な喋り方も、日本人が作った外国人らしさでしかないのデース!」
「あ、自覚はあるんですね。もしかして普通に喋れるんですか?」
「…………日本語は難しいネ!」
まぁ、要するに他国に対する陳腐なイメージなんて言うものは、自分たちの共同体が勝手に想像しているだけということだろう。いい加減な国や人種で先入観を持つのではなく、個人として接すれば無用な争いを避けられるのだ。
それは俺が夏澤たちと接していく内に実感したことである。非常に興味深い学問だが、俺にはやらなければいけない仕事があった。
「ここは問題なさそうですから、俺たちは次の現場へ向かいます……ん? どうしたお天道サン? 何々……?」
夏澤が俺の腕を引っ張るので可能な限り密着して、着ぐるみ越しに声を聞き取った。
「講義を受けてみたい」
「いいけど、時間ないぞ?」
「私だけ残る」
「分かった。でもハットは脱ぐなよ?」
頭にハットが無いと、このマスコットキャラクターは倒したら経験値が入りそうな、気味の悪いダンジョンモンスターに変貌するのだ。
「お天道サンがナオミ教授の講義を受けたいと言うので、ここに置いて行きます」
「オー、見所がある怪獣デスネー! ワタシの弟子にしてやりまショー!」
ナオミ教授は夏澤に抱きつくと、そのまま仮設教室がある仕切りの向こうへ行ってしまった。健闘を祈る。
「律たちはどうするんだ?」
「一回、店に戻って小遣いせびってくる!」
「ママ、律君の店に行ってくるね」
「ミスター準と一緒デスカ?」
ミゲル君が呼びかけると、ナオミさんが仕切りの向こうから戻ってきた。別に律がいれば無事に辿りつけると思うので、予め俺と弟は別行動だと断っておく。
「いえ、僕は他の店へ行かないといけないので」
「あ、それなら娘をエスコートしてくだサーイ!」
「ええっ!」
隣にいたクロエが仰天する。
「頼みますよ、ミスター準!」
弟たちとは別行動だと言った手前、無下に断ることはできなかった……。
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