第6話 コンビ結成

 さて、思い立ったら吉日である。俺は覚悟を決めたその日の内に、親父に商店街のイベントへ参加することを表明した。だから店のことも手伝えないと言ったら、親父は怒ることなく嬉しそうに快諾したのだった。


 そんな顔をされてしまうと、いっそのこと叱られた方が何倍もマシだ。俺は張り切る親父との会話を打ち切り、さっさと自分の部屋に籠ってやりたいことを考えてみる。


 もう商店街の祭りまで二週間も無い。準備も何もできない短期間で、衆人環視の観賞に耐えうるイベントステージを披露しなければならないのだ。やる演目は何でも良く、与えられる時間は一組で三十分程度はある。


 演目も時間も自由だからこそ、何をやるか非常に悩む。確か兄貴はバンドをやったり、ギターの弾き語りをしたりしていた気がする。俺に音楽の才能は無いため、歌やダンスの類は選択肢から消した。できれば少人数でも可能なものが望ましい。


 いや、俺はできない理由ではなく、やりたい理由を探したいのだ。そして最初からやりたいものが無いということは、何でもアリということである。そう考えると気も楽になり、俺は一人でも集中することができた。


 そして思い返すのは、良くも悪くも濃い経験をした修学旅行だ。その中でもスタンツは非常に生き生きしていた気がする。


 また商店街のイベントでもスタンツをやったら面白そうだが、今回は班員たちの手を借りることはできない。かと言って、俳優経験があるわけでもない俺が一人芝居をするにはハードルが高すぎる。


 どうしたら良いのか、次の日も一人で考え続けた結果、夏澤に相談してみないことには始まらないと判断した。彼女については俺も知らないことが多い。何かやりたいことがあるのか、明確な夢を持って努力しているのか、それらを確かめてから商店街のイベントに誘おう。

 しかし、俺の安直な考え方は容易に瓦解する。


「どうして私の夢を教えなきゃいけないの?」


 休み明けの学校で夏澤に夢はあるのか質問したら、予想以上に反発的な態度で拒否された。俺は少し引いてしまったものの、慎重に歩み寄ってみる。


「今度、商店街のイベントに参加することになったんですけど、僕が時にやりたい事って言うと、修学旅行でやったスタンツくらいしか思いつかないんすよね」

「他のメンバーは?」


 言われてみれば他のメンバーを誘わないのは不自然だ。誘わない確固たる理由は俺の中にあるにはあるのだが、それを夏澤に説明すると勘違いされそうなため、なるべく刺激しないよう低姿勢で頼み込んだ。


「彼らは彼らで他にやるべきことがありそうなので、ちょっと誘うのに気が引けちゃてぇ、サワーさんに協力してもらえないかと……」

「私なら暇ってか」

「いいえ! 決してそういう意味で言ったのではなく、僕とサワーさんとならステージ上の化学反応が起きるんじゃないかってね! そう判断したわけですよ!」


 まぁ、夏澤にもやるべきことがあるのなら、俺も無理に誘ったりはしない。だけど、その断る理由くらいは知りたかった。


「……うーん、気乗りしないなぁ。ちょっと考えさせて」


 YESかNOのどちらかしか想定していなかったため、夏澤が返答を先延ばしにすることは意外だった。商店街のイベントまで時間は無いが、かといって急いでいるわけでもない。

 その日は気長に待つことにして、俺は真っ直ぐ家に帰った。


「おかえり」


 店にいる母を除き、居間にいた薊姉が出迎えてくれる。


「ただいまー。……なんで中学生より帰るの早いの?」

「高校生にも色々あるのよ」


 薊姉は高校に入ってから卓球を辞めた。でも中学と高校では生徒会の役員だったらしいし、きっと何かやっているだろうから俺は触れないことにした。それよりも鞄から借りていた本を取り出す。


「はぁ……あ、そういえば読み終わったよ」


 俺が読んだのは金城一紀の『GO』だ。

 日本で生まれ、日本で育っても、韓国籍である主人公は日本人から在日の扱いを受ける。それでも自分の世界を広げようと知識を蓄えていく中、日本人女性に恋をすることで自分は何者なのか自問自答していく。差別や国境を一蹴する青春恋愛小説は、読んでいて非常に爽快で面白かった。


「お、いいペースねー。じゃ、次これ」


 そう言って渡されたのは、永遠の青春小説と名高いJ・D・サリンジャー、野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』だ。あまりにも有名すぎて読んでみたい本の一冊ではあったのだが、ここまでジャンルに偏りがあると疑問も浮かんでくる。


「これさー、俺に本を貸す選定の基準とかあるの?」

「一応はね」

「それにしたって、何か解説とかしてくんないとさー?」

「余計な解説を入れるよりかは、読んだその人の読み方や、感じたことを大切にした方がいいのよ。受け取り方は自由なんだから」


 確かに『GO』は読んでいて楽しかった。資本主義も共産主義のことも知らなかった俺は、辞書を片手に読み漁った。民族学校の存在さえ知らなかった俺は、自分の無知を自覚して社会を勉強し直そうとさえ思ったほどだ。

 しかし、まだ腑に落ちない点がある。


「いや、『夜のピクニック』は面白かったけどさ、なんで姉ちゃんがこれを俺に読ませたかったのか、その理由が分からないんだよ。結局、何が伝えたかったのかな? って、読んでて気になる」


 だったら自分で本を買えよという話だが、俺は金も無いし本に対する知識も無い。近所の古本屋は難しそうな大人の雰囲気で、中学生が入るには敷居が高い。となれば、姉に頼るしかなく、その姉は何を考えているのか分からない。


「仕方ないなー。そうね、例えば『夜のピクニック』で言えば、この本が人気の読者層って知ってる?」

「十代の若者じゃないの?」

「はずれ。この本を読んで感動しているのは、四十代くらいの中年層よ」

「なんで?」

「こんな青春あったなぁって、年くってから感傷に浸りたいだけだから」


 我が姉ながら、なんとも毒のある言い方である。姉の言うこと全てを鵜呑みにしてはいけないと思った俺は物申す。


「なぜそれを俺に読ませる⁉」

「書を捨てよ、町へ出よう。ここまでヒント出したんだから、後は自分で考えな」


 自分で本を渡しておいて、貸した相手には本を読むなってか。まぁ、これが薊姉の教育方針であることは慣れっこである。ただ単純に答えを教えるのではなく、巧妙なヒントを与えながら相手に考えさせるのだ。


 天才肌の兄貴とは違い、薊姉は理論的で教え方が一番上手なのだが、妹も弟も優しく答えを言ってくれる俺に教えを乞うてくる。もう教えるのに集中しすぎて、いつの間にか俺が計算ドリルをやっていた時なんかは恐怖さえ感じた。


 そんな思い出話はどうでもよく、俺は商店街のイベントや、受験勉強のことに不安を抱えながら本を読み耽ったのである。


× ×


 次の日にも夏澤を誘ってみたが、まだ彼女は悩んでいるようだった。イベントまでの期日を考えると、返答を待てるのは今週末までだろう。そろそろ最悪な事態に備え、自分一人でステージ上に立つ覚悟を決めなければいけない。


 家に帰って本を読んでいる場合などではなく、俺は放課後も学校に残って進路について考えているフリをした。焦燥感に駆り立てられる心境もあれど、かと言って何もできない自分にイライラする。


 例え一人芝居をすることになったとしても、俺は脚本などの物語を書いたことがないのだ。今から脚本を書いたとして、果たしてイベントに間に合うのか? そして脚本が書けたとして、そのクオリティは目も当てられないものになるのではないか?


 ……学校の教室でやきもきするくらいなら、やはり億劫でも家に帰った方が賢明だろう。ようやく重い腰を上げて教室を出ようと、ドアを開けたら樹理と出会い頭になった。


「うおっ!」

「……何その反応?」


 先に驚かれた樹理は腑に落ちないらしく、恨めしそうに俺を睨んでいた。


「いや、突然でビックリしちゃて……。何やってんすか?」

「何だっていいでしょ」

「それもそうっすね。じゃ、また明日!」


 俺は樹理の鋭い視線に耐えられなくなり、さっさと退散しようとしたところ、目ざとく彼女に引き止められた。


「ちょっと待って」

「あれれ、どうかしました?」


 正直に言うと、俺と樹理は修学旅行以外で親しげな会話をしたことがない。だから彼女から何を言われるのか、俺は全く予想できなかった。


「……一緒に帰らない?」


 久しぶりの危険信号が頭の中で鳴り響く。もはや基樹の姉女房と化している樹理が俺と帰りたいとは、一体どういう風の吹き回しだろう? 今は自分のことでいっぱいいっぱいなのに、他の奴らの相談事など聞いている暇は無かった。


「わーお! とっても嬉しいお誘いですが、間の悪いことに今日は塾があるんですよ! ごめんなさいね!」

「何も無いわけね。公園まででいい?」


 ……有無を言わせない迫力に押されてしまう。咄嗟に考え付いたウケ狙いでも何でもない言い訳は通用せず、俺は為すがまま連行さてしまった。


 校舎を出て下校している最中、樹理の方から何か話し出すでもなく沈黙が続く。俺は女子との沈黙が続くと、自分に興味を持たれていないのではないかと心配する小心者なので、取り留めのないことを質問した。


「部活はどうしたんですか? 確か卓球でしたよね?」

「今日は自主休部。あたしは団体の選手じゃないし、特にやる気も無いから」


 うーん、ちょっと地雷っぽいの踏んじゃったかな? この話題を続けても益が無さそうなので、文脈を繋げつつ家族の話へ逸らそうとした。


「そうだったんですか。えっと、僕の妹も卓球部なんですけど、そっちでは上手くやっていますかね?」

「まぁ、ボチボチって感じ?」

「ま、身内としてはそんくらいがちょうどいいっすね」


 熱血すぎる練習をやらされてしまうよりかは、軽く手を抜いているくらいが俺も心配をしなくて済む。それが本人のためになるのかどうかはともかく、妹の雫については兄である俺でさえも計り知れない部分がある。嫌な所が姉と母に似たものだ。


 その後も、どうでもいい当たり障りのない会話をしながら歩いていると、帰路の分かれ道である手前の公園に着いた。


 しかし、ここで手を振って別れられるような雰囲気ではなく、俺と樹理は無言のまま公園のベンチに腰かける。そして公園の遊具で楽しそうに遊ぶ子供たちを見ながら、徐に樹理は相談事を話し始めた。


「どうして部活になんか入らせるんだろ? どうしてあたしたちの努力は、運動や勉強でしか測れないんだろって、考えたことない?」


 なんだか哲学的な導入である。その慎重さから樹理も探り探りで言葉を紡いでいるように感じたため、俺は安易に共感するのは無責任だと考えた。


「そうは言っても、じゃ他に何があるんすか?」

「それが分からないから困ってるの。ただ一つだけ分かっていることは、あたしは運動も勉強も好きじゃないってことだけ」


 要は自分のやりたいことが分からず、自分に何も無いことで悩んでいるのか。商店街のイベントで何をやるか苦しんでいる俺にとって、なんともタイムリーな話題である。


「運動も勉強も好きじゃないことが分かったのは、運動も勉強もやったからこそ分かったんですよ。やっぱり何かに挑戦した人でないと、自分の器は測れませんて……」


 俺が何度も自問自答して思い浮かぶのは、やはり修学旅行で披露したスタンツである。これをやりたいと思えるのは、その経験があってこそだ。


「でも、それは評価されないじゃん?」


 確かにそうだが、他のメンバーが楽しんでくれたのならそれでいい。特に基樹なんかは世界が変わったと言ってくれた。それだけで俺は報われた気持ちになる。


「なんでもかんでも分かりやすい方が便利なんすよ。だったら社会的に評価されるされないは重要じゃなくて、誰かにさえ伝わればいいんじゃないですかね?」

「どんなに理不尽な目にあったとしても、この不満を受け止めてくれる人がいることで、やるせない気持ちの収め所が見つかるってこと?」

「はい」


 俺の場合は、その存在が夏澤だったのかもしれない。身近にいる大切な人のことを、気づかせてくれたのは彼女だったからだ。


「それじゃ訊くけどさ、なんでサワーなの?」


 あまりにもストレートすぎる質問に対し、まさか心を見透かされたと勘違いした俺は、挙動不審になるのを必死に堪えた。


「……何がですか?」

「商店街のイベント、サワーと出るらしいじゃん」


 なるほど、そういうことか。俺が夏澤をイベントに誘っていたことを知り、樹理は物事を深く捉えすぎているらしい。


 俺が夏澤を誘った理由は面白そうで、かつ暇そうだったからである。あいつに分かって欲しいなんて露ほども思ってはいない。


「まだOKもらってないですよ?」

「なら、あたしで良くない?」

「え、出たいんですか?」

「出たい」


 まさか樹理が商店街のイベントに出たがるとは思いもしなかった。言われてみれば、確かに樹理でも良かったじゃないか。何も夏澤に固執する必要はないのだが、俺の中では妙に引っかかる感触を覚えた。


「商店街のイベントで何やるか分かってます? コントですよ、コント! アンジュさんのキャラじゃないでしょ?」

「なんでキャラじゃないって思うの?」

「いや、余計なお世話でしょうけど、アンジュさんは学校の人気者ですし、俺なんかと一緒に博打する必要なんてないですよ」

「あたしの人気って何? 何があたしを決定づけるの? もう何かする度、人にとやかく言われるのはうんざり」


 樹理は学校のクイーンビーだが、その称号を与えたのは周囲の人たちである。さらに言えば俺も何となく使っていたとはいえ、定義さえ曖昧なものを他人に押し付けるべきではなかったと反省する。


「……勝手なこと言ってすみません。でも、すれ違うことを恐れずに理由を言いますと、きっとコントは絶対にアンジュさんがやりたいことではないでしょ? もっと別のことを見つけた方が有意義ですって」

「なんで分かるの?」

「なんで、でしょうねぇ……。でも、見てたらなんとなく分かりますよ」

「ふーん……」


 根本的な解決に至ってはいなくとも、とりあえずのところ樹理は納得したようだったが、俺の方は疑問がまだ残っていた。


「どうして商店街のイベントに出たがったのか、理由とか訊いてもいいですか?」


 樹理は落ち着いて深呼吸し、脱力したまま静かに話し始める。


「……中学一年生の今頃ね、友達がバスケ部の先輩を応援したいって言うから、大会をする体育館に誘われたの。あたしは興味無かったんだけど、断れなかったから仕方なく付いて行ったわけ。でも肝心の試合はボロ負けで、目当てだったイケメンの先輩も出番がなくなちゃったの。


 あたしも友達も残念がってたその時、交代で試合に出場してきたのがブギー。あんたは勝てる見込みのない得点差でも、最後まで諦めずにボールを追いかけてて、それが印象的でずっと見てたら、どんどん点差が詰まって行くからさ、あたしは夢中になって試合を観戦したの。結局、試合には負けちゃったんだけど、最後のダブルクラッチがすごくカッコ良かった。あの頃から、あたしの脳裏にはブギーのシュートが焼き付いて離れないの。だからあたしもブギーと何かしたかった」


 ああ、俺もその試合は良く覚えている。がむしゃらなプレイをして最後に派手なダブルクラッチを決めたら、試合が終わった後に顧問から呼び出され、目立つ個人プレイをするなと怒られたのだ。


 なぜ駄目なのか理由を説明されても納得できなかったし、そんなバスケはつまらないと顧問に反感を覚えた記憶がある。俺にとっては苦い思い出だ。


 しかし、樹理にとっては印象的な試合だったらしい。きっと樹理の中では思い出が美化されているのだろう。ならば、その幻想を解いてあげなければいけない。


「僕と商店街のイベントに参加すれば、何か変われるかもしれないと?」

「……うん、そんな感じ」

「僕はそんな大した男じゃないですよ?」

「ううん、そんなことない。この前のゲームでクロエがシュートしたダブルクラッチは、ブギーのシュートとそっくりだったもん。きっとクロエも、あの時の試合を見たんだと思う。だから今まで辛い練習も頑張れたのに、当の本人がバスケやらなくなっちゃったらさ、何をしてでもバスケ続けさせようと意固地になるんじゃないかな? きっとブギーのプレイには、他人の人生を変えるだけの力があったと思う」


 樹理は後から合流したのではなく、実は隠れて俺たちのストリートバスケを観戦していたようだ。話の真偽は国府台に確認してみないと分からないが、彼女が執拗に俺をバスケに復帰させようとしていた辻褄は合う。


「いやー、恐れ多いっすよ。でも、ありがとうございます。自分がバスケやってて良かったって、初めて思ったかもしれません」


 バスケなんかやっていても自分が報われないことの方が多かったが、こうして誰かの力になれたのなら、これ以上に嬉しいことはない。ようやく俺も前へ進めそうだった。


「……もう一度訊くけど、なんでサワーなの?」

「なんで、でしょうねぇ……。それを本人の前では説明できるようにしときます」


 様々な理由はあれど、それらが夏澤に直結するかどうかは定かではない。樹理と話した今日のように、彼女とも話し合う必要がありそうだった。


「そう……。つい長話になっちゃった。また明日ね」


 樹理はベンチから腰を上げ、自分の家へと続く分かれ道へと足を向けた。その後ろ姿が寂しく見えた俺は、その背中に向かって大声を出す。


「祭の当日は僕の家でバイト募集してますから! ぜひ来てください!」


 振り返った樹理は驚いたような顔をした後、笑顔で手を大きく振り上げた。俺も大きく手を振り返すのを見届けてから、彼女はまた踵を返したのだった。


× ×


 次の日、水曜日である。いい加減に夏澤の返答を悠長に待っていては、来週の日曜日にある商店街のイベントに間に合わない。まだ何をするかさえ決まってないのだ。そろそろ焦燥感に煽られる頃合いだが、だからこそ俺は慎重に事を進める。


 金曜日までに首を縦に振らせることを見越して、今の内から強引にでも腰を据えて話し合わなければいけない。夏澤は放課後になると速攻で帰宅するため、俺は昼休みに話しかけることにした。


「商店街のイベントの件、考えてもらえましたか?」

「あー、それねー。うーん、まだ決心できないなー」


 いつも思いついたことは即決して実行に移していた、かつての夏澤の面影は見るも無残に跡形も無く、彼女は腕を組みながら首を傾げて眉を顰め、自分がどうしたら良いのか非常に迷いあぐねていた。


「何を悩んでいるんですか? サワーさんらしくないっすよ」

「私らしさを勝手に決めないで欲しいなぁ。……商店街のイベントでステージに立つとしたら二人なわけだし、コントじゃなくて漫才だよね?」

「いいですね漫才。やりましょう」

「でもねー、そうするとねー、私は漫才に人生を懸けるくらいの意気込みじゃないと、誰かとコンビを組むことはできないなぁ」


 中学生時に漫才コンビを組むだけで、なんとも重すぎる契りを交わさないといけないとは……。まぁ、それだけ夏澤が漫才にただならぬ情熱を込めている証拠だろう。その本気に報いることができるよう、俺も志を高くする決心をした。


「いいでしょう、この先は漫才で食っていく覚悟を今決めました!」

「……信用できない」

「どうしてですか⁉ 一緒にお笑い界の天下を取りましょうよ!」

「いくらなんでも決断が軽すぎない?」


 夏澤の指摘する通り、ちっぽけな商店街のイベントから、一気に人生の終わりまで話が飛躍しすぎた感は否めない。


「まぁ、ちょっと勢いみたいなとこは認めますけど、僕は本気です。やっと自分のやりたいことが見つかったんですから、限界の行ける所まで行きたいです」

「いや、私としても中学生の段階でブギーとコンビを組めるのは、すごい人材に恵まれてると思うよ? でもねー……」

「何が問題なんすか? 相談くらいはしてくださいよ」

「そりゃ私だって言いたいけど……怖い。もしブギーに全てを打ち明けたとして、一瞬でも怯んだ表情を見てしまうのが、とても怖い……」


 まるで寒さを堪えるように自分を抱きしめ、小刻みに体を震わせている夏澤を見たのは初めてだった。弱る彼女を問い詰めるのは俺の本意ではない。


「分かりました。それなら放課後にまた話し合いましょう。僕はサワーさんに信頼してもらえるなら、何だってしますから」


 しかし、夏澤は放課後になった途端、脱兎の如く教室から飛び出て行った。慌てて追いかけても姿は見当たらず、俺は腹癒せに地面を強く蹴った。


「クソが!」


 次の日の木曜。放課後だと夏澤に逃げられてしまうため、また俺は昼休みに彼女へ話しかけることにした。


「……どうして逃げたのかは責めません。ただ、はっきり断らないということは、まだ未練があるからですよね?」

「……多分」

「それなら待ちますが、タイムリミットは明日の放課後までです。それ以上待ってしまうと、商店街のイベントに出場する準備が整いません。いいですか?」

「いいけど、どうしてブギーは私と漫才したいの?」


 よし来た。俺は樹理に質問されてからというもの、この日のために考えてきた理由を簡潔に答えた。


「僕はサワーさんのギャグセンスが好きだからです。あなたと話している時だけ、気兼ねなく接している自分に気づきました。だから僕はサワーさんを信じています」

「……そう」


 いざ考えてきた理由を口に出すと、想像していたよりも意図せず告白紛いの軽い台詞を発してしまった。こういう青臭いことを言いたかったはずではなかったのだが、その違和感の正体を掴めぬまま、俺は次に話を移行するしかなかった。


「明日は絶対に逃げないでください。そしたら僕も絶対に逃げませんから。約束ですよ?」

「うーん、分かった」


 そして運命の金曜日。俺は昼休みに夏澤へ話しかけるようなことはせず、放課後になるまで石のように待ち続けた。


 そして放課後になってすぐ、俺は掃除の班よりも俊敏に動き出し、廊下へ先回りして夏澤を待ち構えたのだ。


「いよいよですよサワーさん。覚悟はできましたか? 僕はできてます」


 俺たちはいないものとされているクラスの教室とは違い、廊下ではすれ違う通行人たちの注目を集めている。その視線を一身に浴びている夏澤は居ても立ってもいられず、俺に背中を向けて走り出した。


「やっぱ無理!」

「待ちやがれゴラァ!」


 学校で穏便に生活するための笑顔で固まった仮面を脱ぎ捨て、本来の反抗的な素顔へ豹変した俺は夏澤を追いかけた。


 しかし、他のクラスも帰りのSHRが終わっていたため、急に教室から廊下へ出る生徒が増え、あっという間に彼女の姿は人混みの中へ紛れてしまった。


 どうせ下駄箱に行けば落ち合えるだろうと思っていたら、夏澤の靴入れには外履きが入っていなかった。俺が追いかけてくることを予想して靴を持ち運んでいたとは、呆れるほどに用意周到な奴である……。


「逃げられたんか?」


 悠々と後からやって来て、俺に声をかけてきたのは釈迦戸だった。俺は振り返り、不敵な笑みを浮かべる。


「いえ、まだ日付が変わるまでは追いかけますよ」

「そんなら自分も探すの手伝うわ」

「いいんですか⁉」

「かまへん、かまへん。基樹にも掃除が終わったら手伝わせるさかい、準は先に外へ行ったらどうや?」


 本来なら部外者である彼らを巻き込むのには抵抗があったが、夏澤を一緒に探してくれる人手が増えるのなら願ったり叶ったりである。俺は友情の力に感謝し、釈迦戸の申し出をありがたく受け取ることにした。


「恩に着ます! それじゃ午後六時に近所の公園で待ち合わせましょう! よろしくお願いします!」


 俺は急いで靴を履き、学校の玄関から飛び出すように走った。夏澤の家など知らないため、無我夢中に町内を駆け巡る。


 そういえば、夏澤と知り合ったのは中学に入学してからである。何気に三年間を一緒のクラスで過ごしているにもかかわらず、彼女がどこの小学校の出身なのか俺は知らない。俺たちの地域には三つの小学校があるのだが、誰も夏澤と一緒の小学校だったという話を聞いたことがなかった。


 実は釈迦戸と基樹のように、夏澤も転校生だったという可能性がある。それが中学からの転入だったために、今まで誰も気づくことなく学校生活を過ごしていたのか。彼女が言い淀んでいた秘密とは、もしかして出生に関わることなのかもしれない。


 こんなことなら散開して闇雲に探し回るのではなく、基樹の清掃活動が終わるまで俺も待てば良かった。そうすれば釈迦戸と樹理と国府台を含め、小学校の記憶を基にして探り当てられたかもしれないのに……。


 まぁ、今さら後悔しても仕方がない。事態は急を要するため、とにかく町の施設とかがあるポイントを頼りに、夏澤がいそうな場所を回って行ったのである。


 しかし、公園、商店街、町民体育館、河川敷、図書館、神社など、どこへ行っても夏澤の姿は見当たらなかった。


 まだ諦めずに範囲を広げようか考えていると、どこかから童謡の『ふるさと』が流れてくる。この午後六時を知らせる町の放送が鳴り響いたということは、もう公園で釈迦戸と待ち合わせする時間だ。


 仕方なく俺は捜索を中断し、一旦は公園へ戻ることにする。同じく夏澤を探す手伝いをしてくれた釈迦戸と、基樹と情報交換すれば、少しは手掛かりが掴めるだろうと期待していたら、公園には誰もいなかった。


「俺が先に着いたのか?」


 彼らが約束をすっぽかす筈がない。いや、絶対に俺を裏切らないという保証はどこにも無いのだが、そんなことを一瞬でも考えてしまう自分が嫌だった。


 ああ、一人だと深く考えてしまう癖がある。町中を走り回って疲れたことだし、ベンチに座って休みながら彼らを待つか。


 そう判断してベンチが置かれている方へ向かい、水飲み場がある公園の中央を横切ろうとした時だった。公園と住宅街をし切っている茂みの奥から、お尋ね者の夏澤が飛び出して来たのである。


「……どっから現れてんすか?」


 本当なら文句の一つも言ってやりたいところだが、あまりにも面白い登場の仕方に不意を突かれ、つい笑ってしまった。そんな締まりのない俺の顔に反して、目の前にいる彼女は切迫した表情を浮かべている。


「……私のことを知っても、今まで通りに接してくれる?」

「当たり前じゃないですか。というか、僕は今まで以上に親密な関係になってもいいくらいですよ?」


 軽い冗談を言うだけの余裕はある。俺は夏澤がどんな重大発表をしたとしても、柔軟に受け止めるつもりだった。


「……その言葉、信じてもいい?」

「男に二言はありません」


 そう断言すると、夏澤は俺に聞こえるほどの大きな深呼吸をしてから、俺の目を見ないで静かに言った。


「……私は、日本人じゃないの」


 確かに重そうな話ではあるが、身近に金髪ハーフの国府台がいるせいか、いまいち事の大きさが伝わり辛かった。俺はショックを受けて沈黙することなく、眉一つ動かさないまま会話を続ける。


「はぁ、そう……。じゃあ何人ですか?」

「韓国人」

「へぇ、そういうことだったのか……」


 それでようやく、今まで謎だった俺の行動原理に整合性がついた。俺がバスケ部に戻ろうとしたのも、商店街のイベントに参加しようとしたのも、根底には夏澤と交わした言葉があったからなのだ。


「で、でも私は日本で生まれて、日本で育った。教育だって日本の義務教育を受けてきたから、韓国語は話せないし、歴史や文化も知らない。だから私は――」


 妙に納得している俺の反応を見て、勝手に落胆したと勘違いし始めた夏澤が必死に弁明し始めたため、海より広い心を持つ俺も遂に堪忍袋の緒が切れる。


「そんなことは問題じゃねぇ!」


 大声を出した俺は夏澤の胸倉を掴み、こちらへ勢いよく引き寄せた。


「テメェ、修学旅行の時に言った言葉を覚えてるか? フェリーの上で、変わる必要性はあるのか、って俺に訊いたよな?」


 夏澤は黙ったまま、借りてきた猫のようにコクコクと頷く。


「その時に俺が変わりたいって言ったら、お前は変わらない俺が好きだとか言ってたけどよ。あの意味は自分が韓国籍であることで、それを知った俺の態度が変わることに怯えていたからなのか?」

「そ、そんなことは……」

「だったら秘密を告白することに、ここまで躊躇わなかったはずだ。やっと俺がお前をイベントに誘おうと思った理由が分かったぜ。俺は、お前の、自分を他人と重ねようとする考え方が無性に、気にくわなかったんだ! だから俺は変われないと思っているお前の意見を否定して、世界は変われることを証明してやりたかったんだ!」

「何それ⁉ 変わる変わるって、気安く連呼しないで!」


 胸倉を掴まれていた夏澤は俺を突き飛ばし、束縛から解放されて一定の距離を保った。俺と彼女との間に溝があろうとも、そんなものは軽く飛び越えてやる。


「俺は何もできない自分が嫌なんだよ! でも俺は、お前が俺のことを間違ってないと肯定したと勘違いして、なら世界を変えようと思ったんだよ! せめて自分の世界だけは輝けるものにしようと決心したんだよ!」

「そんなの知らない! だって私は変われないし、変えたい世界なんてない!」

「だからそれを俺と重ねるなって、言ってんだろ! きっと商店街のイベントで誰かと組むとしたら、あの瞬間から夏澤だって決まってたんだ! まずは手始めに、お前の狭い世界から変えてやる!」

「はぁ⁉ 私の世界って言うか、価値観? を変えたところで、生きやすい社会になるわけないでしょ! 偉そうに理想を並べたって、結局は何もできやしないんだ! そこに私とブギーとの違いはあるの⁉」

「そんなもんねぇよ! 俺は自分が賢いとも、特別な存在だとも思っちゃいねぇ! だけどな、俺とお前の二人が一緒なら話は違う! こんなクソみたいな社会とも、俺たちが生きるために戦えるんだ!」


 世の中なんてクソ喰らえだ。どいつもこいつも自分の居場所ばかりで、コミュニティ外から間違いを指摘しても、誰も俺の意見に耳を貸そうとはしない。そういう人間ばかりが大多数であり、俺みたいな根無し草は排他される。


「理不尽な社会と対峙したところで無意味だよ! 私は学校の連中も、他の人たちも、全てを壊したいと思ってる! そんな私に人を楽しませる資格なんて無い!」

「だったら笑い死にさせてやろうぜ! 俺一人では無理でも、お前となら変革の火種を植え付けることができる!」


 俺だってムカつく奴らを殺せるもんなら殺したい。でも、殺した後には何も残らない。それなら既成概念を破壊した後で、どのように彼らを生き返らせるかが重要なのだ。


 その手段として笑い死にを提示することで、ようやく夏澤を黙らせることができた。俺は最後、一気に畳み掛ける。


「こうなったら世界の全員、何がなんでも笑わせてやる! だから夏澤夕景、俺の相方になってくれ!」


 この世の中は空っぽだ。何かしても何も変わらないし、そこに希望は見い出せない。


 しかし、この空虚さは挑戦するべき虚空なのだ。もしも俺たちが生きることに希望を見い出したいのなら、この虚空に挑戦することでしか道は開かれない。


「……まぁ、漫才の相方になろうと思ったから、こうして出てきたわけなんだけどね」


 夏澤は照れ臭そうに言い、右手を差し出した。


「こういうのはケジメが大事らしいぞ」


 俺は晴れやかに言い、夏澤と握手をする。

 繋がった手と手は固く結ばれ、複雑な心の絆は合致した。これからの人生を長く共にする戦友として、コンビが結成された瞬間である。


「おめでとう!」


 無言のまま数秒見つめ合っていると、茂みの奥から基樹が笑顔で飛び出してきた。

……顔の筋肉が固まる。


「いやー、感動もんや!」


 その後から、釈迦戸も拍手しながら現れた。そして彼らだけでなく、国府台と樹理も静かに出てくる。


「何やってんだテメェら⁉」


 今更のこのこ登場したということは、俺と夏澤とのやりとりを一部始終、余すことなく見ていたということである。すっげぇ恥ずかしい!


「自分らは待ち合わせ場所に来ただけやで?」


 そうだった。行方不明の夏澤探しの協力に感謝こそすれど、俺の方から非難される謂れは無い。例え死ぬまで何度も話のネタにされて笑われようとも、俺は唇を噛み締めて泣き寝入りするしかなかった。


「アタシは準が本当は熱い男だって知ってたよ」


 無駄に目をキラキラさせた国府台は俺の肩に手を置き、分かった風な笑みで満足そうに言う。俺は軽く殺意を覚えた……。


「明日は都大会なのに、こんなことしている場合か?」

「だから疲れを残さないよう、早めに上がれたんだ。友達の一大事だってのに、ウカウカ練習してられないよ」


 先週ストリートバスケをして以来、大会前で張り詰めたオーラを発していた国府台だったが、すっかり快活な彼女に戻ってなによりである。


「あーあ、心配して損した。後は二人で勝手にやってよね。あたしは帰る!」

「ああっ、樹理ちゃん待ってよ! と、とにかく二人ともコンビが組めて良かったね! お祭りが楽しみだよ! じゃ、また学校で!」


 それだけ言うと、基樹は慌てて樹理のことを追いかけた。


「ありがとな! 気をつけて帰れよ!」


 彼らの背中に向けて呼びかけても、樹理はこの前のように振り向くことなく、二人は早々に帰ってしまった。


「……いつまで握ってるの?」


 樹理と基樹の従姉弟コンビを見送っていたら、夏澤に言われて彼女と握手しっ放しだったことに気づく。もう俺は自分に呆れすぎて気が動転するのを通り越し、努めて平然を装ってポーカーフェイスで答えた。


「……上手い返しが見つかるまで」

「あんまし目の前で惚気ないでよね!」


 帰ったはずの樹理が釘を刺すためだけに、猛然とした勢いで公園に戻ってきた。これ以上は勘弁してくれと願った俺は反射的にツッコんでしまう。


「まだいたのかよ!」

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