彼女と夜の街

現夢いつき

彼女と夜の街

 豪華ごうか絢爛けんらんと形容するに足る夜のネオン街に僕はいた。

 夜の闇の中にあって、しかし決して呑まれることなく煌々こうこうと光る輝きをもってさながら不夜城のごとき景観をそこはしていた。大学生に入ったばかりであり、言ってしまえば高校生を抜け出せていないような僕ごときがいてはいけない場所である。


 けれどもここまで来てしまったのはひとえに彼女のせいである。

 街の光を受けて七色の光を反射する金髪に、黒いドレスから伸びるスラリとした肢体。そんな彼女を一目見て憧れのような気持ちを抱いた僕は、さながら誘蛾灯にかどわかされた蛾のように彼女を追いかけてきてしまったのだ。

 そんな僕を誰が責めることができよう。見れば、夜の街を闊歩する男たちは皆、例外なく彼女のことを見ていた。ある者は、軽く甘い言葉で彼女を口説こうと試み、またある者はそもそも言葉をかける勇気を持たないのか、その場で地団駄じたんだを踏み己の矮小さを実感している。

 僕はと言うと後者の方に含まれるのだが、それはあくまでもどちらかと言えばそうといった意味である。本来ならばどちらともに属さないのだ。というのも、僕と彼女の周りに群がる男どもとでは、おおきな差異があったからである。

 

 それは、成人しているか否かの問題ではない。




 男どもがよってくる中を私は堂々と、モーセが割れた海を歩いているかのようにして進んでいく。二年ぶりにやって来たネオン街は相も変わらず盛況を博していた。その不夜城のごときそれは一点の曇りなく私を迎えてくれた。

 何人もの男達が私を口説いてきたが、その全てを適当にあしらった。微笑んで首を振るだけで、顔を赤くしたほろ酔い気分の中年男性は心中を悟ってくれたのか、笑いながら夜のかまびすしさに消えていく。しかし、若く日に焼けたいかにもイケメンであるといった風の男だけは、嫌だという態度を示してもまるで離れる様子がない。自分達は付き合っていると周囲に示すかのような態度もいくつか取られた。


 私はその度に、不快な気持ちが湧き水のようにこんこんと溢れてくる。しまいには、私がどういう人であるかを全てぶちまけて、その上で酷く――それこそ、トラウマになりうるような感じで振ってしまおうかと思った。

 けれども、幸か不幸か(おそらく彼にしてみれば幸運であった)私のもうすでに幾分か切れてしまっている堪忍袋が完全に決壊してしまう前に、彼は撤退を余儀なくされた。というのも、私の顔があまりにも露骨に嫌がっていたために、周りの男どもが気遣って彼を私の元から引きはがしたのである。

 後ろの方で彼が抵抗し、私の横に返り咲こうとしている気配を感じ取れたが、そうなると困るのでゆっくりとした足取りながらも確実に彼と距離を開けていく。とはいえ、別れの挨拶もなくああいう目に合わせられた彼に同情しないこともなかったので、雀の涙さながらの温情として耳についているリング状のピアスをわざと光らせておいた。


 しばらくすると、私の周りに誰も寄りつかなくなった。とうとう飽きられてしまったのかと思ったが、よくよく周りの声に耳を傾けてみると、どうやら私に気を遣ってくれただけのようだ。だとするならば、私もそれに応えなければなるまい。


 ここは夜の舞台であり劇場。そして、主役の私は周りの男を惑わすべく参上する。誰もが私を見て、興味を持ってしまう。その深紅のマニキュアは蠱惑的に男を惑わし、百合の花のようにあるく姿からは誰も視線をそらせない。

 そういうイメージで私は歩いた。

 歩いた先では、さながら大名行列のように観衆は左右に避けていった。もちろん、頭を地面にこすりつけている人などいなかったけれど、この平成という年号の現代でこのような待遇を受けるのはたいへん気持ちがよかった。


 ふと足を止める。そこはネオン街だというのに、照明でもって店名を主張する希有な居酒屋であった。私はそこからしている鶏の皮がパリパリに焼ける音と、美味しそうな匂いに己の食欲を我慢することができずに中に入ってしまった。

 店内は、お酒特有の蒸れた臭いがたばこのものと混ざり合って、お世辞にもいい臭いと言えそうになかった。けれども、そんなのは些細な問題である。しばらくもすればすぐにこの臭いにも慣れ、むしろ居心地の良さを感じてしまうようになるのだから。


 私は空いている席に座った。本当ならば、カウンターに座れればよかったのだが、開いているカウンター席がなかったのだ。二人席に通された私は厨房にぶら下がっているメニューを確認する。

 見渡す限り酒の進みそうな珍味! 呑んだこともないような日本酒! 食欲を刺激してくる色とりどりの料理が、木製の板の上で文字となって踊っていた。

 この夢のような空気を味わいつつも、覚めない程度に頭をスッキリさせたかった私は冷酒を頂こうとして、はたと困ってしまった。どう注文したものか分からない。

 いや、確かに普通に頼むことくらいできる。店員を呼んで注文すればいいだけなのだから。しかし、今言っているのはそういうことではない。

 どうしようかと頭を抱えていたところ、声をかけられた。


「おやおや、お困りですかな、素敵なお嬢様――って、お前か。紛らわしいな」


 かなり硬い言葉遣いをして私に話しかけてきたのは、私の知人であった。だけど、いくら知人だとは言えその言い草はなんだと思わなくもない。


「いやいや、そう不機嫌そうにするなって。俺だってようやくナンパに最適な美女がいると思ったらお前だったんだぜ。少しくらい同情してくれても、いいだろ?」


 いいわけあるかと思う反面、確かに立場が逆だったら嫌かもしれないとも思ってしまう。


「ま、いいや。とりあえず注文するから店員呼ぶけど大丈夫か」


 私が首を横に振ると、彼は少し不審な顔つきになったけれど、すぐに事情を呑み込んでくれたようだ。


「あー。まあ、そうだよな。えーっとじゃあとりあえずお前の分として冷酒頼んでおくから、他に食べたいのあったら指さして教えてくれ」


 店員に注文してしばらくすると、つまみとともに冷酒がやってきた。私はさっそく冷酒に口をつける。キリッとした辛さが喉を通り、爽快感を運んできた。できれば日本酒自体をもっと味わいたい気分もするけれど、まさか口の中で転がすなどと言うはしたない真似ができるはずもなく、その欲求はまた後で冷や酒を頼むことで満たすことに決めた。今はなんと言ってもこの喉ごしを味わうのがよろしい。

 宵が徐々に深まるにつれ、私と彼の体内をアルコールが回っていく。頬がほんのりと桜色に染まっていく私達の間には彼の話し声だけが聞えた。大学でほぼ毎日会っているというのに、なかなか話題が尽きない世間話から話が始まったはずなのに、バイト先の上司に対する愚痴を経由し、最終的に俎上そじょうに上がったのは私のことだった。


「しっかし、お前はまだあの人に憧れているのか。まったく、よくやるぜ。本当に」


 からかい半分、残りは呆れという塩梅でそんなことを言ったのだろうけれど、私はそれを素直に褒め言葉として受け取った。


「やめてくれ。そんな風に笑うんじゃねえよ」


 彼はそう言って、ジョッキに注がれたビールを飲み干すと、勢いよく机においた。


「にしても、俺達ももう二十歳だぜ、二十歳。……ってことはお前がこうなってから、二年経つというわけか。ったく、後一年後には就活なんだからしっかりしろよな」


 彼の忠告を右から左に、馬耳東風ばじとうふうを地で行くかのごとく聞き流し、二年前の美しい女性のことを回想する。あれは私が大学一年生になったばかりの頃であり、ここの空気になじめていないどころの話ではなかった時だ。その折りに名前も知らぬ彼女を目にし、夜の主人公であるかのように堂々と歩く姿に心を奪われ、憧憬の念を抱いたのだ。

 その懐かしさに思わず笑い声が漏れてしまった。


 彼はそれを聞いて嫌そうにこう言った。


「その格好で地声は止めてくれよ。見てくれはよくても、中身のお前は男なんだからさ」

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