承・幼馴染、辞めますか?

考察、幼馴染の定義(前編)

 俺が考査テストに集中するために行うルーティーンの一つに『ペン回し』がある。

 ペン回し。

 一見すると子供の手悪戯ていたずらの様に映る行儀の悪い動作だろう。

 シャーペンを指でクルリと回転させてピタリと止める。それを気がすむまで何回も、場合によってはテスト中にも。

 なかなかどうして、これをやるとテストに集中出来るから困る。

 精神統一というか、一種の願掛けというか。

 ほら、スポーツ選手が試合の前にやるルーティーンとか何かカッコいいじゃん。バッドをスクリーンにかかげたり、ラケットを回したり、フリースローの前にボールを無駄にドリブルしたり。

 昔はそういうのに憧れていたから。

 小学生の時は手悪戯をすると通信簿に『行儀が悪い』とか『不真面目』だとか色々書かれて、高学年になってからはあまりやらなかったけど。

 ほら、小学校を卒業すると手悪戯って中々注意されないから。

 そのせいか、中学から地道にペン回しの練習をしたおかげで今はキレのあるペン回しが出来るようになった。

 人物評価プロフィールの特技にペン回しって書いても良いレベル。

 まぁ、自画自賛なんだけど。

 悪い癖もルーティーンって表現すると大体格好がつくから始末が悪い。

 行儀が悪いと隣人に注意されたら「これはルーティーンだ」と言えばそれで済むし。

 手癖の悪さもルーティーンにすればある程度の言い訳が立つ。

 なんにせよ、人にはそれぞれ何かしらのルーティーンがある。

 例えば、そうだな……隣の席にいる委員長様はテストの前になると必ず『筆記用具の手入れ』をする。鉛筆を削ったり、消しゴムの角を整えたり、そういう微妙な調整を神経質な委員長様はいつも一種のルーティーンとして行っている。

 俺の苗字が『柏崎』から『青海』に変わってから、どういう理屈か委員長様とはよく机を並べる機会が多かった。

 だから、隣に座っていると嫌でもそれが目に入るから。

 気にしていないはずなのに。

 目に入るとやっぱり気になる。

 いつも通りじゃないと何か気持ち悪い。

 いつも通りじゃないと何かあったのかと思うから。

 五月二十六日。中間考査二日目。特に何も無いはずの一限目。

 どういうわけか、隣に座っている委員長様は、この日いつものルーティーンを行わなかった。

 それどころか、普段なら絶対にしないはずの解答後の居眠りを委員長様はした。

 らしくない行動。普段なら見られない珍しい光景。

 微妙な変化。些細な違和感。

 気を付けないと見落としてしまうわずかな歪み。

 それに気付けない鈍感な自分。

 だからだろうか。

 俺が委員長様──伊織の目の下に浅黒いくまがある事と不眠症に悩んでいる事を知ったのは中間考査が終わった後である五月二十八日の放課後、彼女に呼び出された時だった。

 その日が来るまで俺は伊織と会話らしい会話を交わすことは無かった。

 ■ ■ ■


 朝ごはんをしっかり食べると頭の働きが活発になる。

 そう思えたのはテストに確かな手ごたえを感じたからだろう。

 五月二十六日。正午十二時頃。

 苦手だった文系科目のテストから開放されて意気揚々いきようようと学校から離脱すると校門を出たあたりで見覚えのある人物に遭遇した。

「見つけましたよ先輩」

 聞き覚えのある声。見覚えのある小柄で華奢きゃしゃな女子。

 視線を下げないとうっかり見落としてしまいそうなほど小さい後輩。

「…………」

 面倒だから見落としてもいいよな?

「ちょ!? 待ってください先輩! 美夜子をスルーしないでください!」

 トコトコと短くて細い足を懸命に動かして俺にチョロチョロとまとわりつく後輩。

「先輩、先輩っ。これ以上無視すると美夜子は実力行使に出ますよ?」

 俺の視界に入りたいのか、必死にピョンピョンと兎のように跳ねるチビっ子後輩。

 控えめに言ってめちゃくちゃウザかった。

 ウザかったので全力スルーを決行。仕方ないよねウザかったんだから。

「むぅ〜、先輩が美夜子を構ってくれない……」

 不満そうな声を漏らして俺の後を付いてくる一年生女子。

「…………」

 人目がある所でからんで来るなよ、本当に鬱陶うっとうしいなコイツは。

 歩くペースを上げて逃げるか? いや、外ならいっそ走って逃げるのもありか?

 そんな事を考えていた時である。

「…………えいっ」

 ボフっと。柔らかい中にも微妙な硬さを感じる『何か』が俺の背中を直撃する。

 風に乗ってほのかにシャンプーの匂いが香った。

「………っ!?!?」

 既視感デジャブを覚える事態に驚き、俺は声にならない悲鳴をあげる。

「おまっ、いきなり何やってんだよ!?」

 悲鳴じみた俺の問いに不満そうな声が返ってくる。

「何やってんだよ──はこっちのセリフですよ! 美夜子が話しかけてるのに先輩がつれない態度とるのがいけないんですからね!? 分かりますか? ご自身の器の小ささが!」

 ずいっとこちらの顔を覗き込む小さな顔。ペシペシと背中を叩く小さな手。大きな瞳と視線がかち合い体の内側から熱いものが込み上げてくる。

 相手の身体を触って押しのけるのは容易だ。だが、生憎と異性の身体に触れた経験が『未だに』とぼしいのでセクハラに抵触しない触り方と触っても許される部位がイマイチ分からない。

 だから相手が退くのをじっと待つしかないわけで。

 セクハラは犯罪。

 くどいけど、そういう事だから、俺は一切触らないからな!

「いいから、はやく離れろよ!」

「嫌です」

「なんでだよ!?」

「離して欲しいなら美夜子を構って下さい」

 後輩は木にしがみつくコアラの如くガッシリと俺に密着する。

「分かったから早く離れろ。人目がある所で急に抱擁ハグしてくるなよ、恥ずかしいだろ……」

 学校の敷地を離れたとはいえ、それでも真昼間の路上に人が居ないわけではない。通行人の目は五月の気温よりも生温かった。

「はいはい。分かりました──よっと」

 尻すぼみになる俺の注意が耳に届いたのかコアラ後輩はパッと俺から離れる。

「先輩、ご自身の器の小ささが理解出来ましたか?」

「俺の器の小ささよりも先にお前の身体の小ささが分かりそうだよ……」

 ほんと、色々と小さいよなコイツ。何処がとは言わない。

「むむ、今しがた美夜子のプリティーな胸が先輩の下卑げひた目に視姦されている気がするんですけど?」

「してねーよ。自意識過剰も大概にしろよ」

 自分で自分の胸をプリティーとか言っちゃたよこの子。自覚があるのか無いのかどっちなんだ。

「もー、先輩は本当に失礼ですねー。こう見えても美夜子は脱いだら結構凄いんですからね?」

 わざとらしくパチリとウインクをする色気ゼロの後輩。

「それで、何の用事だよ?」

「……先輩、ナチュラルにスルーされると美夜子でも地味に傷つきます……」

 めんどくさっ。

「ううっ……先輩、美夜子は悲しいですよ。敬愛する先輩に女の子として見てもらえないなんて……美夜子はショックを隠しきれません」

「そうか、次からはちゃんと隠せよ」

 ついでにウザい性格も直してこい。あと嘘泣きも。

「もー先輩は少しくらい悪びれる素振りを見せて下さいよ。女の子のイメチェンをスルーとか普通だったら重罪ですよ重罪。フリだけでもいいですから美夜子にごめんなさいして欲しいです」

「フリだけでいいのかよ……」

 じゃあやっぱり謝らないわ。

「イメチェンって何がだよ?」

「ほら、ご自身の目で美夜子の変化をよーく見てください。そしてこれでもかと褒めてください」

 そう言われて後輩の身体を頭の先かつま先まで舐めるように観察する。

「……ふむ」

 変わったことなんて、制服が夏服に変わったことくらいしか──。

「……髪型が変わった、とか?」

 よく見ると黒髪ロングが後ろの方で二つに分かれて束になっている。こういうのは確か『ローポニーテール』とか『おさげ』って呼ぶんだったかな。

 自信なさげにそう答えると後輩は無い胸を張ってドヤっと得意げな表情を浮かべる。

「ええ、そうです。でも、それだけじゃないですよ? もっと良く美夜子を見てください。そして可愛いと褒めてください」

「よく見ろ、ね……」

 良く見ろと言われたので目を皿にして後輩を凝視する。

 前と違う点は──。

「……お前ってニーソ履いてたっけ?」

 スカートとニーソックスの間に出来る空間、いわゆる『絶対領域』をまじまじと眺めて後輩にそう訊き返す。

「ふふん。やっと気付いてくれましたね」

 正解を引いたのか満足そうな様子の後輩。

「どうやら先輩は美夜子のニーソに釘付けになったご様子ですね? 今なら“特別”に思う存分見て萌えてくれてもいいんですからね」

 ニヤニヤと悪戯っぽく笑う後輩は。

「背の低さと後輩と幼馴染属性の三つだけだとキャラが弱いと思いまして。美夜子なりに萌える要素を追加してみました。どうですか先輩、萌えますか?」

 そんな事を俺に訊いてきた。うん、キャラが弱いって何のことですかね?

「いや、全然萌えないけど」

「そんな馬鹿な!?」

 目を見開いて驚く後輩。

「何でですか!? 背の低い女の子が履くニーソは萌えキャラの鉄板じゃないですか!? 先輩の感性が美夜子には理解出来ないんですけど!?」

「いや、そうは言われても……」

「言われてもって何ですか? 先輩はシ○ナちゃんとか英梨○んとかニャ○子さんが可愛いとは思わないんですか!?」

「そのチョイスに何らかの意思が垣間見えるんですけど!?」

 シャ○と○梨々は良いけどニャル○は駄目だろ。レーベルとサイト的に。いや知らんけど。

 それはともかく。

「何でまたイメチェンなんてしたんだよ?」

「そ、それは夏だからです」

「夏だから?」

 また出たよ夏だから。お前ら陽キャは本当に夏が好きだよなぁ。もう夏から一生出て来なければいいのに。

「夏だからって意味もなくイメチェンするのか? 変わってんな、お前」

「そ、それは……先輩にもっと構って欲しいから……です」

 モニョモニョと歯切れの悪い返しをする萌えない後輩。

「と、とにかく、先輩はもっと美夜子のことを構ってください。テストが終わったら本格的に部活動を始めるんですからね?」

「あん? 部活動?」

 そういえば、そんな事を前に言ってたなコイツ。部室が欲しいとか。

「部活動、ね。俺を勧誘したいならそれなりの説得力がある材料とプレゼンの準備してから出直せよ」

 そうは言っても、やる気なんて微塵も無いけど。

 正直言って部活動とかめちゃくちゃ面倒だし。

「先輩、今言いましたね」

 キラリと怪しく瞳を光らせる後輩。

「プレゼンをすれば美夜子と一緒に部活をすると、美夜子は今、確かに言質げんちを取りましたからね?」

「いや待て。そんな事一言も言って無いんだけど?」

「先輩、美夜子の情熱は今、夏の太陽よりも熱く燃えています」

「人の話を聞けよ」

 いや、でも。

 ちょうど良い機会なのかもしれない。

 自分を変えるには自分らしく無い行動を取るのが一番早いから。

 イメチェンとか露骨なことは出来ないけど。

 姫光のためにも。『みんな』のためにも。

 月岡さんのためにも。

 なによりも俺自身のために。まず一歩、小さな変化を始めなければいけない。

 なら、部活動ほどおあつらえ向きなイベントはないだろう。

「……やっぱり美夜子はお邪魔ですか?」

 フッと表情が暗くなる後輩。

「ごめんなさい先輩。美夜子はただ、昔みたいに先輩と一緒に仲良く学校生活が送れれば良いなって思ってただけなんです」

 でも、と。

「美夜子は先輩のご迷惑になりたくないので、これからはもう少し自重しようと思います」

 美夜子は。

 顔を手で隠して天を見上げる。

「それでも、もしご迷惑でなければたまにで良いから……『みゃーこ』のこと構って欲しいです」

 ポロポロと瞳から雫を零して──そう言った。

「美夜子……」

 俺はその行動が何なのかを知っている。

「……いや、目薬さして噓泣きしてもバレバレだからな?」

「…………」

 小悪魔の後輩は。

「うーん。やっぱり十年来の知り合いだと演技がすぐバレちゃいますかねー。流石、先輩です。伊達に美夜子の幼馴染やってませんねー」

 ケロっとした顔でそう言った。片手に持ってる目薬をいそいそとポケットに仕舞う。

「どうせ噓泣きするなら自力で涙を流せる努力をしろよ。あと幼馴染じゃねーから」

「嫌ですよ。そんな事が出来たら今頃美夜子は天才子役で一世を風靡ふうびしていますし。あと美夜子は幼馴染です。いい加減認めてください」

 女優とか役者じゃなくて子役なのか。まぁ、確かに女優って感じでは無いな。

 幼馴染うんぬんは面倒なのでスルーした。

「でも困りましたね。泣き落としが無理だといよいよ奥の手を使うしかありませんね?」

 いつぞやの時に見せたエロ親父の様な指使いで俺ににじり寄る変態後輩。

「使わんで良いから。近寄るな」

 俺は。

「部活の件。一応は前向きに検討するから」

 そう美夜子に伝えた。

「っ……先輩、美夜子は嬉しいです。先輩がやっと美夜子に心を開いてくれました。美夜子は今、近所の野良猫を手懐けた時よりも嬉しいです……」

 感慨深そうに口元を緩める猫好きの後輩。

「へぇ、あの辺りに野良猫いるのか」

 それはいい情報だ。機会があったら今度行ってみよう。

「先輩、そこは拾わないで流す部分です……」

 話題を野良猫にわれたのが不満なのか後輩はぷくぷくと頬を膨らませる。

 グダグダと無駄話をしながら歩いたせいか、気が付けばお城みたいな駅舎がすぐそこにまで迫っていた。

「で、結局のところ、お前の用事は何なんだよ? 部活の勧誘なら日を改めてからにしろよ。俺はもう帰るから」

「もー、先輩は本当に野暮ですねー。何のための午前放課だと思ってるんですか?」

「いや、帰ってテスト勉強をするためだけど?」

 そして。

 小悪魔の後輩は俺に予想外の一撃をお見舞いしてくる。

「美夜子と一緒に帰りましょう。いわゆる放課後デートってやつです」

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