考察、幼馴染の定義(中編)

 ここで今一度、幼馴染の定義について考える必要がある。

 この辺りで関係性と立ち位置を確認しておかないと後々面倒なことになると思うから。

 幼馴染。

 読んで字のごとく幼い頃から親交のある馴染みの関係。

 俺が思っている幼馴染に該当する条件は全部で三つ。

 一つ、幼少期である小学生低学年からの知り合いであり、俺の旧姓を知っていること。

 二つ、俺が引っ越す小学五年生の春まで近所に住んでいたこと。いわゆる同郷というやつだ。

 三つ、それらの条件を満たした上で俺の友人であり“今現在”も仲間であること。

 それが俺の思っている幼馴染の定義だ。

 一つ目の条件だけだと小学校時代の同級生クラスメイトの大半がそれに該当するだろう。

 でも、それはただの同級生。間違っても幼馴染では無い。

 二つ目の条件でふるいにかけると残るのなんて精々十人にも満たないと思う。今のご時世に親交のあるご近所さんなんて誰だって数えるくらいしかいないだろう。

 そして三つ目。

 これが一番重要な項目である。それは間違いないだろう。

 三つ目の条件を満たしていなければ──それはやはりただの同級生でありご近所さんであって幼馴染では無い。

 親しくなければ友人では無い。俺の事を嫌っている奴は仲間じゃない。それはただの同い年の同じ故郷に住んでいるただの隣人だ。

 だから伊織は幼馴染では無い。まぁ、赤の他人とは言わないけど。知人や隣人、同級生ではあるだろう。

 昔は仲が良くても俺のことを傷つける奴はただの敵。

 だから雪雄は俺の敵だ。

 友人であり親友と呼べる間柄でも一度絶交すれば、それはやはり幼馴染とはもう呼べない。

 だから、大智はもう幼馴染では無い。それどころか友人ですら無い。今はただの同級生だ。

 まぁ、姫光の様に仲直り出来れば話は別だけど。

『ウチはヤマくんの幼馴染を今日で辞めるッスから』

 辞めると言われた以上もうあの『変人』とは幼馴染では無い。

 サブカルクソ女はサブカルクソ女らしく家にでも引きこもっていればいい。アレに関してはもう俺もさじを投げるしかない。

 俺が掲げる幼馴染の定義に該当しない奴はもう幼馴染では無い。

 俺の幼馴染は健と姫光だけだ。

 なら、あの後輩はどうだろう?

 一学年下の背が小さくて、チョロチョロと俺にまとわりつくあの後輩は──俺にとってなんなんだ?

 俺にとって見附美夜子はただの後輩なのだろうか?

 なぜ俺は美夜子を幼馴染と認めたくないのだろうか?

 そもそも美夜子は俺のことをどう思っているのだろう。なんとも思ってない相手をデートに誘うなんて普通はしないだろう。

 やっぱり『アレ』は本気だったのだろうか?

 分からない。

 だからこそ、今一度ここで俺と美夜子の関係性をハッキリさせる必要がある。

「というわけで、先輩、とりあえず美夜子と一緒にお昼ご飯を食べましょう」

「……あ、ああ。分かった」

「積もる話はご飯を食べながらゆっくり話しましょう」

「お、おう。分かった」

 デートという単語に過剰反応したせいか、俺は不覚にも後輩相手にドギマギと一種の緊張感をつのらせていた。

「先輩はお昼ご飯何が食べたいですか?」

「そ、そうだな……手軽にラーメンあたりが良い、かな」

「ふむふむ、ラーメンですか。こってり系とあっさり系どっちにします?」

「え、えーと。こってり系で……」

「ふむふむ、分かりました。じゃあ、駅から近い学生さん御用達のお店にしましょう。先輩、美夜子について来てください」

「え、ああ……分かった」

 そんな会話を経て、流されるままに後輩に連れられて、俺はお城みたいな駅から徒歩四分くらいの位置にある学生御用達のラーメン屋に足を運んだ。

 赤い暖簾のれんと壁に並んだお品書きが目印の居酒屋みたいな感じの店だった。

「あっさり系ならとりそばの『ぬまアジ』なんですけど、先輩がこってり系をご所望されたので『ガキ大』にしてみました」

「へぇ……」

 いかにもラーメン通みたいな雰囲気を醸し出してペラペラと喋る後輩にテキトーな相槌をうって店内に入る。

 昼時のせいもあり店内はそれなりに混んでいた。外に行列が無いからそんなに待たなくても良いとは思っていたけど。

「いらっしゃいませー。お二人様ですね、奥の席にどうぞー」

 店員さんに案内されて小上がり席の奥の方に座る。椅子のあるテーブル席じゃなくて座布団が引いてある卓袱台ちゃぶだいなのがいかにも田舎のラーメン屋という感じだった。子供用のおもちゃが置いてあるあたり、こういう作りは家族向けなんだろうな。

「先輩は何にしますか? 美夜子のオススメはネギ味噌ですけど」

 テーブルに置いてあるメニューをパラパラとめくり、そんな事を訊いてくる後輩。

「こってり系ならとんこつもオススメですけど……デートでニンニク臭いのは美夜子的にNGなので、出来ればニンニク系はやめてほしいです」

「いや、俺も昼間からニンニク入りは食わないから」

 そこまでエチケットに無頓着じゃない。

「メニューのチョイスはお前に任せるよ」

 正直言って食にはあまりこだわらない派だし。いや、決して味音痴だとか選ぶのが面倒だからとかではないけど。

「むっ、そう来ましたか。これは美夜子の女子力的なセンスが試される場面ですね」

「いや、別に試してないから。お前の好きに選べよ」

 というか、学生御用達の割に学生の客いないじゃん。

 平日の昼間だからほとんど社会人とママ友らしき婦人のペアしかいない。傍目はためから見たら、俺たちかなり周りから浮いているんじゃないだろうか?

 第三者から見れば学生カップルが仲良くラーメン食べに来ているとしか思えないだろう。

「…………」

 恋仲カップル、か。

 一時期はそういう関係も可能性の一つとして考えてはいたけど。

『先輩、ずっと昔から好きでした。美夜子と付き合ってください』

 あの時言われた後輩の言葉が脳裏をかすめる。

 今から一カ月前にあたる四月二十日。帰り際にたまたま出くわしたあの時に後輩から言われた『それ』を俺が断ったという事実。

 それは変わらないはずなんだ。俺の気持ちも。断る理由も。何も変わっていない。

 俺はまだ諦めたくないから。

 あの時は俺をからかうための冗談だと思っていたけど。

『先輩、美夜子は諦めませんから』

 こうしてデートに誘われると、どうしてもそれが冗談には思えない。

 やっぱり、確認するべき事はハッキリとしておかないと駄目だよな。

 だけど。

 気軽に訊けるほど軽い案件じゃないんだよなぁ……。

「すみませーん。注文良いですか?」

 注文が決まったのか、後輩は店員さんを呼んでラーメンを頼んだ。

「ネギ味噌ラーメンの大盛りと煮干しつけ麺で」

 注文を受けて厨房の方へ消えて行く店員さんを尻目に俺はとりあえず当たり障りのない質問を後輩に投げかける。

「お前さ、テストの出来はどうだったんだ?」

 俺の問いに美夜子は。

「んー、そうですねー……高校一発目のテストという事で少々身構えていましたけど、思っていたよりは割と楽な方でした」

 しれっとそんなことを言う。

「へぇ、そうか……」

 なんだろう、ちょっと悔しいというか、普通にムカつく。

 伊達に弁護士一家の末子じゃないってことか。そりゃそうか。進学高に入学出来るんだから頭が悪いわけがないよな。

 いや、知ってるよ? 美夜子が頭良いことなんて。昔から嫌というほど塾で思い知らされているから。

 美夜子は一個下の癖に俺とほぼ同じかそれ以上の学力を持っている。

 あの塾に序列という概念は無かったけど、伊織や雪雄がトップ層であるAクラスと仮定すると美夜子はBクラスの上位に入るレベルだろう。

 下は下で健、大智、姫光が熾烈な最下位争いを繰り広げていたけど。

「おやおや? 何ですか先輩、美夜子がテストに苦戦していないのがそんなに悔しいんですか?」

 ニヤニヤと悪戯っ子みたいにほくそ笑む後輩。その顔、ちょっとイラッとくるかな。

「はっ、べつに。お前の学力はあの塾に通っている間に嫌ってほど知っているからな」

「……塾、ですか」

 懐かしむように目を細めて美夜子は呟く。

「直江津サンシャインスクール、今はもうただの廃墟なんですよね……」

 後輩の目に少しばかり哀しみの色がある様な気がした。

「…………」

 沈黙が気不味い。

 どうして俺はこうも会話で地雷を避けるのが下手くそなんだろう。B型はマインスイーパーが下手くそという仮説が俺のせいで真実味を帯びてしまった。

「分かってますよ」

 ポツリと。

「美夜子はもう過去には囚われません」

 後輩は。

「大事なのは『今』と『これから』です」

 そう呟いた。

「……いや、何が分かったんだよ? 脈絡がないことをいきなり言われても俺は理解出来るほど賢くねーぞ?」

 何かあるならちゃんと言え、俺がそう言うと美夜子は言い辛そうに返す。

「……やっぱり先輩は美夜子の事が嫌いなんですか?」

「…………っ」

 お前はもう少し空気を読め。素直にそう思った。

 それはラーメン屋でする話でもなければデートでする話でもないだろ。

「……それは、よく分からない」

 肯定でも否定でも無い曖昧な返事。我ながら情けないと思う。

「分からない、ですか……」

 空気が読めない後輩は周りなんて気にせずに場違いな話題を上げる。

「美夜子は一学年下で『あの事件』の詳細はよく知りませんけど……あの時は単純に『みんな』が先輩をハブって遊んでいるだけだと思っていました」

 だから、と。

「美夜子もあの時は周りに合わせて先輩と距離を置いていました」

 重々しい口調で美夜子は語る。

「でも、先輩が二学期から学校を頻繁に休むようになって、ようやくそれが遊びじゃなくてガチのイジメなんだって分かったんです」

 そして美夜子は──。

「美夜子はあの時、周りに合わせて先輩を遊び半分でハブっていました……それは変えられない美夜子自身の罪です」

 自分が抱えている罪を俺に告白した。

「だからこそ、美夜子は先輩に償いをしたいんです」

「…………」

 償い、か。

 やっぱりアレはそういう魂胆だったのか。

「……だから俺と付き合うってか? 俺の彼女になることが罪滅ぼしだって思ってるなら、それは大きな間違いだ。そんなマイナス思考で告白されるのはハッキリ言って迷惑なんだよ」

「いえ、それは違います」

 俺の返しを即座に否定する美夜子。

「……ん?」

 え? 違うの?

「えっ? 何ですか先輩、そのお顔は? 先輩は美夜子がそんな小っちゃい事でわざわざ自分を犠牲にする様な安い女だと思っていたんですか? それは心外にもほどがありますよ?」

「いや、お前、小っちゃい事って……」

「小っちゃい事ですよ。たかがハブられた位でいじけるとか、人としての器が小さ過ぎます。身長は人の何倍も大きいのに中身が小さいと宝の持ち腐れですよ?」

「…………」

 あれ? 何で俺コイツに怒られてんだ? 意味わかんないんだけど?

「もう、本当に心外です。美夜子は確かな恋心を抱いて先輩にあの時頑張って告白したんですからね。まぁ、『最初』は振られちゃいましたけど」

 ぶつくさと文句を垂れ流す美夜子の小言を全力で聞き流していたら店員さんがいそいそとテーブルにラーメンを運んで来た。

「お待たせしました。ネギ味噌大盛りと煮干しつけ麺になります」

 救世主が舞い降りた瞬間だった。

 これで気不味い空気も話題も煙に巻ける。ありがとうラーメン屋の店員さん。

「えっと、大盛りが彼氏さんでつけ麺が彼女さんで良いですよね?」

「あっ、はい。そうです」

 店員さんの質問に即座に反応する後輩。いや、待て俺は彼氏じゃねーから。

「ごゆっくりどうぞー」

 どこか生暖かい目で会釈する店員さん。田舎の飲食店ってこういう所がナンセンスだよなぁ。

「つーか、何で俺の方だけ大盛りにしたんだ?」

「何でって、ここは学生だと大盛り無料だからですよ。育ち盛りの先輩にはもってこいのサービスだと思いますけど?」

「いや、これ以上は育ちたく無いんだけどな」

 その理屈だとむしろ大盛りはお前の方にするべきだろ。

「……もしかして、お気に召しませんでしたか?」

「いや、そんなことねーよ。味噌ラーメン凄え美味そうだし」

「ふふん。そうですとも、美夜子は気の利く女ですからね」

 まぁ、気が利いているといえば気が利いているんだろう。さり気に大盛りにするあたり何だかんだで抜け目が無いよなコイツ。

「それじゃあ、さっそく食べましょう先輩」

 気の利く女をアピールしたいのか後輩は箸入れから箸を取り出して俺に「どうぞ」と手渡してくる。

 いただきます、と手を合わせてレンゲでスープを一口すする。

 濃厚な味噌の風味とネギ特有の辛味がいい感じに口の中に広がる。

「どうですか先輩、美味しいですか?」

「ああ、美味いよ。お前のオススメは中々の味だよ」

「ふふん。そうですとも美夜子のチョイスに外れなんて無いんですからね」

 俺の感想に満足したのか美夜子も箸を手に取り、つけ麺のスープを──。

「ふー、ふー、ふー……」

 ふーふーして冷ましている。

「いや、お前。つけ麺の上にスープまで冷ますとか、どんだけ猫舌なんだよ?」

 そう言って俺はある事を思い出した。

 昔、シャイニー海賊団がまだ健在だった頃に先生とみんなで一緒にラーメン屋に行ったことを、美夜子が猫舌で一人だけお子様ラーメンセットを小さな器に移して食べている光景を、俺はこの時にハッキリと思い出した。

「…………」

 お子様ラーメンセットからつけ麺に変えるだけ進歩したって事か。

「ふー、ふー、ふー……ん? 先輩何か言いましたか?」

「いや、なんでもねーよ」

「ふむ? てっきり美夜子のあざとい仕草に胸がときめいているのかと思いました」

「自分で自分のことあざといとか言ってんじゃねーよ」

 その後も他愛のない会話をグダグダとだべりながらラーメンを食べた。

「ここは俺がおごるよ」

 伝票を持って俺はそんなことを言う。

「っ……先輩、美夜子は嬉しいです。初デートで先輩がご飯を奢ってくれるなんて。美夜子はこの日のご恩を一生忘れません」

 勘違いした後輩は感慨深そうにうんうんと頷く。いや、断じてデートだから女に奢るとかそういう魂胆ではないから。

「バカちげーよ。この前のくれた唐揚げ弁当のお返しだよ」

「もー、先輩は相変わらず素直じゃないですねー」

 でも、と。

「先輩が奢ってくれるとおっしゃるなら、ここは素直に先輩の御好意に甘えるのが可愛い後輩の立ち振る舞い方ですかね?」

 そんなことを訊いてくる後輩。

「ああ、そうだな会計は俺がするからお前はさっさと外に出ていろよ」

「分かりました。外で待ってますね」

 そう言って後輩はそそくさと店の外へ出て行く。

「ごちそう様でした」

 店を出る時にお店側にお礼を言うあたりが律儀というか、その常識を他にも向けて欲しいというか。ほんと、アイツはよく分からない。

 そんな事を考えながら伝票を片手にレジへ向かう。

「お会計、1560円になります」

 一人頭800円を割っているリーズナブルな値段設定が学生御用達たる所以というか、家族ファミリー向けの強みなんだろうな。

「ごちそう様でした」

 会計を済ませ、そう一言残し俺も店の外に出る。

「先輩、ごちそう様でした」

 店を出てからちょっと歩いたあたりで後輩にそうお礼を言われた。

「ああ、気にすんな。どうせ唐揚げ弁当と大差ない値段だから」

 そして。

「あの、先輩」

 ラーメン屋から離れて駅に向かうちょっと前の、なんの変哲も無い道路で。

「やっぱり美夜子は先輩のこと、今でも好きです」

 だから、と。

「美夜子と付き合って下さい」

 ラーメンのお礼だと言わんばかりに、二回目の告白を何の脈絡もないタイミングで俺にしてきた。

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