第一話 社畜3

 あんなに気味の悪い体験をしたというのに、工場の中に戻ってみると、そこにはいつもの光景が広がってた。それを見てようやく戻ってきたって感じがして、思わず安堵のため息をつく。


「おう、戻ったか。って、どうした?何だか顔色が悪いぞ」

「先輩。実は……」


 俺はさっき起こったことの一部始終を先輩に話した。先輩は最初こそ笑っていたものの、途中かはら真剣な顔をしながら、俺の話に耳を傾けていた。


「……ということがあったんですよ。やっぱりアレって、事故死したって言う社員の幽霊だったんですかねえ?」


 そう尋ねてみると、先輩は難しそうな顔をしながら何かを考えていた。そして。


「いや、違うな。そもそもあの倉庫で、死亡事故なんて起きちゃいない」

「えっ?だって俺のきいた話では」

「人から聞いた怪談話がデマだったってのはよくある事だ」

「でも、俺ちゃんと見ましたよ。あれはやっぱり幽霊ですって」


 誰もいないはずの倉庫の中に現れて、探し物を手伝ってくれた後はまるで最初からいなかったように消えてしまったあの男。もし幽霊でないとしたら、いったいなんだと言うのだ。


「落ち着け。何もお前が嘘を言ってるなんて思っちゃいない。いいか、あの倉庫で死亡事故なんて起っちゃいない。だが……だがな、あの倉庫で死んだ奴って言うのは、過去に実際にいるんだ」

「えっ?それってどういう事ですか」

「……いいか、今から言う話は、誰かにベラベラ喋ったりするんじゃないぞ」


 細めた声で確認をとられ、俺は無言のまま頷く。先輩は、いったい何を知ってると言うのだろう。


「その死んだって言う奴は、俺の同期でな。生真面目な性格で、任された仕事はいつもしっかりとこなしていた。来る日も来る日も、何時間も何十時間もな。けど、それがいけなかった。ある夜、ここで働いていたそいつは、さっきのお前みたいに部品を取りに倉庫へ行ったんだ」

「そ、それで?」

「目当ての品をすぐに見つけて帰るつもりだったんだろう。他の奴は全員帰らせた後で、奴は一人で倉庫に向かったんだ。けどそこで、毎日溜まっていた疲れが一気に来たんだろう。倉庫の中で突然倒れ、意識を失った。そして翌朝、社員が出勤してきた時にはもう……」


 疲れによる突然死と言うのは、何もそう珍しい話ではない。倒れてすぐに適切な処置を行えば何とかなったかもしれないけど、ほかの社員をみんな帰した後だったから、発見が遅れてしまったのだ。

 けど、あの男はそんなにも疲れがたまっていたのか。


「それじゃあ死んだのは事故死では無くて」

「ああ。過労死だ」


 過労死。それは決して遠い世界の話ではない。俺の仕事時間を聞いた友達や親戚は、ごぞって過労死の心配をしてくるくらいだ。あの倉庫に現れた男も俺と同じくらい……いや、もしかしたら俺よりもずっと働いていたのかも。


「でも、そんな話始めて知りましたよ。過労死なんてして、もっと問題になっててもおかしくないのに」

「仕方がないだろう。会社がもみ消して、事故死扱いにしたんだから」

「は?」

「表向きは事故死だ。そして俺みたいに真相に気付いている社員は、他言無用だと口止めされた。上の連中、よほどこの事を公にしたくなかったんだろうな。以来アイツは、ずっと倉庫の中をさ迷ってるってわけか。幽霊の噂なら俺もチラッと聞いた事あったけど、デマであってほしかった。アイツ、まだ成仏できてないんだな」


 先輩は遠い目をして、俺は底知れぬ恐怖を覚えた。幽霊ではなく、この会社にだ。

 過労死者を出しているというのに、未だに状況は改善されていない。


 そういえば前に、体調不良になる前に改善してほしいと上司に言ったことがあるけど、オーバーだと言われて笑われた。もう一人別の上司にも相談したけど、こっちは『金もらっていて文句を言うな!』と怒られてしまった。奴らは死者を出してもなお、働いている人間の事をまるで考えていないんだ。


 恐怖とも怒りとも思える感情が、胸いっぱいに広がっていく。そうしていると、先輩がふとこっちを見て言った。


「お前、今いくつだっけ?」

「今は二十九です。今年で三十になります」

「そうか。俺はもう四十四。妻も子供もいるから、今更再就職なんてしようと思ってもできない。けど言っちゃ悪いが、お前はまだ独り身だろ。もしも転職を考えるなら、今のうちにやっておけ。取り返しがつかなくなる前に」


 先輩は決して、俺が邪魔でこんな事を言っているわけでは無い。今の話を聞いて尚、ここで働き続ける気はあるのかと問いかけているのだ。

 今朝までの俺なら、仕事はきついけど頑張りたいと答えただろう。だけど今は、即答することが出来ない。もしかしたら次に会社に殺されるのは、自分かもしれないのだから。


 ちなみに後に分かったことだけど、この山の工場に配属された社員が次々と止めていく理由は、仕事が忙しすぎて体がもたなかったかららしい。

 毎日の睡眠時間が1、2時間では、そうもなるわな。




 それから数か月後、提出した辞表が受理されて、俺は解雇となった。


 無収入、無職。間違ってもいい状況とは言えないけど、なぜか心はとてもすがすがしかった。

 当然かもな。今までずっと、盆や正月まで仕事で潰れたりしていたんだ。数年ぶりに、自由を手に入れられた気がした。


 今は無事に再就職を果たして、新しい職場でせっせと働いている。

 収入は減ってしまったけど、自由に使える時間もあるし、毎日ちゃんと食事や睡眠もとれている。今にして思えば、食事や睡眠がまともにとれていたあの頃、よく体調を崩さなかったものだと、我が事ながら感心する。



 けど、そんな今でも時々思う。あの倉庫で出会った男は、今でもあそこにいるのだろうか?

 もしかしたらあの男は、生前に探していた物を、真でもなお探し続けているのかもしれない。そうだとしたら哀れで仕方が無い。

 せっかく死んで、会社と縁が切れるはずだったのに、今でも縛られ続けているのだから。彼は死して尚、あの会社に憑りつかれているのだ。



                              終わり



 ※麗子さんのコメント


 この人は辞めて正解だったかもしれないわね。いくら収入が良くても、それだけじゃあ仕事は続けられないもの。

 私もそんなブラック企業はごめんね。そんなに忙しいんじゃ、いつ怪談話を聞けばいいのよ?

 でも、その工場に行けば会えるかもしれないのよね。その幽霊に。う~ん。就職先として、考えておこうかしら?


 ああ、そう言えばこんな感じの会社に、前にネットで知り合った人も勤めていたらしいわね。確か名前は……無月っていったかな。幽霊と遭遇したことは無いけど、ブラック企業で働いていたって言ってたわ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る