第一話 社畜2
朝六時に出勤して、終わったのが深夜一時。この日の勤務時間はおおよそ19時間。大分遅くまでかかった方だ。
さすがに毎日ここまで時間が掛かるというわけでは無い。早い時には、夜の9時くらいに終わることもある。しかし、今日はかなり疲れた。
時計を見てため息をつきながら、腹に手を当てる。昼の弁当を口にしたのを最後に、12、3時間ほど何も食べずに働いていた。
家から持ってきた弁当を食べてしまえば、その日の食料は無くなる。この辺、コンビニも無ければ自販機すら無いからなあ。
そんな事を考えながら、後片付けに入る。動かしていた機械の周りを簡単に掃除しながら、どうせまた明日も動かして汚れるんだから、適当でいいじゃないかとつい思ってしまう。おっと、明日じゃなくて、もう今日だな。
しかし、ノルマを達成した時はやっと終わったって思ったけど、考えてみれば全然終わっていないな。
まだ一週間のうちの1日が過ぎただけ。火曜から土曜までのあと5日、毎日働かなければならない。こんなの、とても終わりとは言えない。
ちなみにうちの会社では土曜は休みでは無い。一応カレンダーでは休みになっているけど、必ず休日出勤がある。必ずだ!
前に用事があるから休ませてもらえないかと上司に言ったところ、『遊ぶことばかり考えるな!』と怒られたことがある。
ああ、憂鬱だ。
そんな事を考えていると、一緒に掃除をしていた先輩が急に声を出した。
「いけない。明日朝一で使う部品を、用意しなきゃいけないの忘れてた」
先輩が忘れるだなんて珍しい。俺より10歳以上歳上のベテラン社員で、何でもそつなくこなす出来る人なのに。きっと今日は忙しすぎて、そこまで頭が回らなかったのだろう。
「先輩、もう明日でいいんじゃないですか?」
「うーん、でもなあ。明日の6時には生産を始めたいから、それまでにはなんとかしなくちゃならない。少し早く出勤して用意するのも面倒だしなあ」
「ああ、確かにそうですね。仕方がない、俺が取ってきますよ」
「本当か?助かるよ。倉庫にあるから、鍵を持っていけ。ここの戸締まりは俺がやっておく」
「了解」
倉庫は、工場となっているこの建物から少し離れた所にある。鍵を持って外に出ると、そこは一面の真っ暗闇。山の中だから、街灯も無いんだよな。
ポケットからスマホを取り出し、そのライトを頼りに進んでいく。
エアコンの無い工場内よりも外の方が断然涼しいけど、その代わり気味が悪い。そこらかしこから聞こえてくる虫の鳴き声が、何とも言えない不気味さを漂わせている。
しかし、これでまた帰るのが遅くなってしまった。次の出勤時間まで、もう5時間も無い。
その間に帰宅して風呂や食事をすませ、またここまで戻ってこなければならない。今日はいったい、何時間眠れるだろう?
こんなことを続けていたら、いずれ体を壊しそうな気がする。先月の残業時間の合計は、たしか140時間を越えていた。
今は金よりも時間の方がほしい。毎日これじゃあ、給料をいくら貰っても使う暇が無いな。
おっと、考えているうちに倉庫の前に到着した。分厚い扉にかかっている南京錠に持ってきた鍵をさすと、カチャリと音がする。
引き戸になっている重い扉に体重をかけ、横にスライドさせると、ギィーっという音が辺りに響いた。周りに家が無くて良かった。こんな夜中に音を建てたら、迷惑だろう。
倉庫の中は熱がこもっていて、長い間いたら体に悪そうだ。早いとこ目的の品を取って帰ろう。
中に足を踏み入れて、壁に取り付けられた電気のスイッチに手をかける。しかし……
「あれ?」
おかしい。いくらスイッチを押しても、いっこうに電気がつかない。故障かな?
スマホのライトだけを頼りに探さなければならないのか。
面倒くさいなあと思いながら、壁に背を向けたその時。
「ひっ!」
思わず声を漏らした。
視線は部屋の中央に向けられている。おかしい、あそこには間違いなくさっきまでは誰もいなかったはず。
しかし今は違った。そこには、工場の作業服を着て帽子をかぶった、四十歳くらいの男が立っていて、生気を全く感じさせない死んだような目でこっちを見ていた。
いつからそこにいたんだ?倉庫には確かに鍵がかかっていたよな。この暑い中、ずっと倉庫内にいたのか?
この時俺は思い出した。この倉庫に出ると言う、昔事故死したという男の幽霊の話を。こいつが、そうなのだろうか?
一瞬のうちに、様々な考えが頭をよぎる。そうしていると男は、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「……何かお探しですか?」
「あ、あの……」
「……何かお探しですか?」
本当はこんな不気味な奴と話したくなんて無いけど、怒こらせたら何をされるか分からない。怖いのを我慢して、震える声で質問に答える。
「ぶ、部品を……さ、探しにきました」
ガタガタ震えながらも、何とか目当ての部品の名前を伝える。すると男は無言のまま背を向け、倉庫の奥へと歩き出した。
このままどこかへ行ってくれたらいいのに。しかし男はすぐに立ち止まり、振り返ってじっとこっちを見る。これは、着いて来いと言いたいのだろうか?
怖いが、逆らう勇気など無い。先を行く男の後を追っていくと、部品棚の前で立ち止まった。そして男はおもむろに棚に手を伸ばすと。
「……探し物はこれかな?」
そう言って渡されたのは、確かに目当ての品の入った箱だった。
「は、はい。ありがとうございます」
「……どういたしまして……アナタこれから帰るんですか?」
「はい……そのつもりですが」
「……そうですか……お気をつけて」
気をつけて……そう聞いた瞬間、思わず上を見上げた。たしか聞くところによると、この幽霊、棚から落ちてきた荷物で頭を打って亡くなったそうだ。まさかそれと同じように、何か落ちてきやしないだろうか⁉
……そう思って上を見たのだけど、視界に入って来たのは天井だけだった。どうやら俺の思い過ごしだったらしい。
考えすぎか。そう思ってもとの位置に視線を戻し、固まった。
「———————————ッ!」
そこには、さっきまで確かにあったはずの男の姿が無くなっていたのだ。
暑さは相変わらずだというのに、背筋に冷たいものを感じる。
俺は夢でも見ていたのだろうか?けど、手にはさっき受け取った部品の入った箱がある。やっぱり、あの男はいたんだ。なのに突今は忽然と消えている。
もう間違いないだろう。やっぱりあの人が話に聞いていた、倉庫の幽霊だったんだ……
「あ、ああ……」
震える唇から、声が漏れる。足をズルズルと引きずりながら、俺は這うようにして倉庫を出た。入口の扉に鍵を掛けるなんて余裕も無く、ただひたすらにそこから離れることだけに囚われていたのだった。
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