幕間

とある秋の日の追憶

 市内にはいくつかの書店があった。郊外のショピングモール内に出店しているもの、商店街に建つ個人経営の小規模なもの、CDやゲームの取り扱いも行うメディアミックス型の大型チェーン店などがあったが、放課後に行くとなるとその選択肢は限られる。ショッピングモールは学校の帰り道から外れており、かなりの遠回りをしなければならない。商店街は立地としては悪くなかった。教科書取扱店という側面もあり、参考書及び文房具の売り場が店内の半分以上を占める学生にとってはありがたい店ではある。しかし、いかんせん敷地面積がもともと広くないので書籍の品揃えはいまいちだった。文芸書の新刊はベストセラー作家のものでもなければ入荷されなかった。新刊目当てに足を運んでみても目的の品が見当たらず肩を落とす経験を何度もした。


 そのため、高校の帰りに通うのは、なかば必然的に国道沿いの大型チェーン店となっていた。市の中心部に近い位置にあり、他店に行ったついでに寄るのにも都合が良い。

 夕方の店内には、市内の様々な学校の制服が散見されるにも関わらず、不思議なことにその日まで郁子香と遭遇することはなかった。書店の性質上、立ち読みでもしなければ滞在時間はそれほど長くならない。帰宅時間がバッティングでもしなければ、顔を合わせる確率はそれほど高くないのかもしれない。


 俺が大型書店に行ったのは、贔屓としている作家の新刊を購入するためだった。お小遣いでやりくりしているため、金銭に余裕があるわけではない。それでもその少ない身銭を切るのを躊躇わなかったのは、その作家が広義のミステリを書き続けておりエンタメとして外れが少なかったからだ。ネットには好意的な感想がすでにいくつかあがっていたというのもある。なにより、文庫書き下ろしで財布に優しかった。


 迷わず文庫の新刊棚を目指し、そこにセーラー服を着た郁子香の後ろ姿を見つけた。周囲に友人の姿はなく、彼女は一人で来ているようだった。

 知り合いに出先でばったり合った場合、自ずとどちらかが声をかける形になる。他校へ進学したかつての同級生などであれば近況報告など軽く雑談をし、ときにはそのまま一緒に帰ったりもする。最低限、挨拶程度はするのが礼儀だろう。


 しかし、俺は書架の陰に隠れ郁子香が立ち去るのを待った。当時、俺たちは疎遠になっていた。楓おばさん、望月家の母親が亡くなってからというもの、隣家に住まいながら郁子香とはロクに顔を合わせていなかった。葬儀の折でさえ、まともに言葉をかけてあげることができなかった。俺は高校、郁子香は中学と学校でも会わないことに甘え、積極的に交流を持とうとはしなかった。こんな場所で偶然会っても気まずさしかない。


 郁子香をやり過ごしたあと、目当ての文庫を買い店を出た。それが間違いだった。用が住んだからとすぐさま帰ろうとせず、立ち読みでもしてしばらく時間を潰しておくべきだった。

 駐輪所で再び彼女に出くわしてしまった。今度は隠れられなかった。


「あっ、レイにぃ

 驚いた顔を浮かべたのは、やはり店内では俺に気づいていなかったからだろう。不意に口にされた懐かしい呼び名に、却って俺は決まりが悪くなる。逃げ出したくなるが自転車があるのでそうもいかない。


「なに買ったんです」

 俺の手に提がった、書店名が印字されたビニル袋を郁子香が目敏く見つけ訊ねる。仕方なく袋から取り出して表紙を見せた。

「評判良さそうですね、それ」

「らしいな」

「今年もランキング本に名前が載りそうですよね」

 けして誉めているのではなく、どこか蔑んでいるような物言いだった。広義のミステリではあれど、本格ではないと言いたいのかもしれない。翻ってそれは彼女がまだミステリに対する興味を失っていないことを示している。


 そこで会話が途切れる。本をビニルに戻してそのまま鞄に仕舞い、自転車の鍵を開ける。

 俺が自転車を出すと、郁子香も後ろから着いてきた。帰り道は同じなのだ。


 無言でいるのが堪えたからだろうか。あるいはまだ郁子香がミステリを読んでいると判ったからだろうか。

 俺は、自分が小説を書いていると打ち明けていた。

「ミステリですか?」

「いちおうな」

「読ませてください」

「嫌だよ。まだ習作の域を出ない」

 そんな話をしているうちに家が近くなり、これ幸いと俺はそのまま郁子香と別れようとした。彼女はなおも「習作だと思うなら、なおさら他人の感想を求めるべきですよ」などと言っていたが、「そのうち読ませてやるよ」と約束ともいえない曖昧な言葉でお茶を濁し、俺は家へと逃げこんだ。

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