部長

 滑りこみセーフとばがりに駆け足で体育館へと吸いこまれていく生徒が時折いるくらいで人足はまばらとなっていた。そろそろ部活が始まってもおかしくはない時間のはずだったけれど、センパイはやって来ない。だんごになった人の陰に埋もれて見逃してしまったのか、それとも、わたしがこの席に座って往来を観察し始めた時点で彼はすでに体育館内にいたのか。


 窓から視線をはずそうかとした時、ふいに美術室の扉が音をたてた。

 両開きのドアを片側を押して顔を覗かせていたのは部長だった。ネイビーのショートダッフルを着込み、背負ったリュックとは別に体操着入れらしいトートバッグを腕に通していて部活への移動というよりもこのまま帰宅でもしそうな完全防備だった。


「よかった~。人来てて~」

 ドアやカウンター様式の大きな教卓のせいで入口から窓際の前列は死角になりやすくて、部長は室内に視線を彷徨わせていたけれど、やがてわたしの姿を捉えたようで、安堵の息を吐くみたいにして小さくこちらに笑いかけた。


 入部した当時は目鼻立ちこそ中性的なものの輪郭は十代の女の子らしい丸みを帯びたものだったけれど、体重の変化が体型よりも顔に出やすいのか近頃は頬から顎にかけてのラインがシャープになっていた。サイドを刈り上げたベリーショートの髪と男子にもひけ劣らない長身も相まって、制服のスカート姿でもマニッシュな雰囲気がある。以前、放課後の体育館で美術部の話題になって部長についても言及された際に、ナオちゃんが「あー、美術部の部長ってあの人なんだ。あの人カッコいいね」なんて感想を漏らしていたのを覚えている。


 男子と錯覚しそうなイケメン然とした風貌だから、静かにしているとクール系というのか異性よりも同性にモテそうな凛とした感じで、美術部に所属していなくてあまり彼女について知らない生徒、とりわけ一年生なんかは近寄り難さを覚えているみたいだった。整った容姿でカッコいいという印象が先に立つせいか、親交もなく遠巻きにしているとルックスから想起するイメージを投影して、憧れにも似た感情を抱きながらも勝手に住む世界が違うなんて線を引いて距離を取ってしまう。入部当初のわたしがそうだったみたいに。


 けれど実際に接してみれば第一印象が与えるほど取っつきにくいわけでもなくて、むしろ、語尾をのばしてリズムを取るようなゆったりとした話し方で物腰も柔らかいので人当たりはよくて部内の上級生では一番親しくしている。


「川藤さん、今日最後まで残ってる?」

「そのつもりですけど」

「よかった~。だったら帰る時、戸締まりお願いしてもいいかな~。私これからちょっと用事があって」

「大丈夫ですよ。鍵を職員室に返しておけばいいんですよね」


 部活が終わるまでここで時間を潰すつもりだったし、どうせ向嶋センパイたちは最後の最後まで体育館から出てこないだろうから、完全下校の放送が流れだしてからドアを施錠しても十分に間に合うはずだ。チョコレートを手渡すくらい数分とかからず終わるわけでセンパイを捕まえられさえすれば良い。あとはわたしが実行に移せるかどうかの問題。職員室に寄るとなると体育館へ入って行く余裕はなく出口のところで待つ形になりセンパイのそばに居られる時間が減ってしまうけれど、いつもの放課後のあの触れ合いの中でタイミングをはかるよりも、出会い頭に勢いで渡してしまうほうが変に尻込みしなくて却って良いかもしれない。


「ごめんね~」

 それじゃあこれお願いとネームタグのついた鍵をわたしに預けて部長は踵を返し立ち去ろうとする。その背中につい声をかけてしまう。

「がんばってください」


 詮索するつもりはなかったけれどバレンタインに用事があるなんて口にされれば自然と恋愛絡みの方向に思考が行き、付き合っている人がいる様子もなかったし誰かに告白するつもりなんじゃないかなんて勘ぐって余計な一言を口にしていた。


 一瞬きょとんとした表情を浮かべて考えるような仕草をしていた部長だったけれど、すぐに頬を赤らめて顔の前で腕をばたばたと振りはじめた。

「別にそんなんじゃないから~」

「そういう事にしておきます」

「あ~信じてない。ちょっと寄る所があるってだけだから」

 

 否定の言葉とは裏腹に上気した顔が図星だと物語ってはいても部長本人が取り繕うとしているのだから強引に探るような真似をするのは気が引けてそれ以上追及はしなかった。それにしても、自分の恋愛では成就を望むでもなく、玉砕と呼ぶのはオーバーかもしれないけどただ散るためにと奮起してもぐずぐずと煮え切らないまま放課後になってしまったのに、他人の恋愛となると、妙な察しの良さを発揮し細かな事情もわからなずともただ上手くいって欲しいと純粋に思えるのが不思議だった。これから向嶋センパイと対面して思いをぶつける自分を部長に重ね合わせて仮託しているのでもないし、感情移入というのともちょっと違う。色恋なんて筋書き通りには行かないものだしすれ違いこじれてしまったりもすると知っている。なのに、そんな悪い想像は頭の片隅にさえなく、ただ頑張って欲しい上手く行って欲しいと思うのは、わたしが親しくしている人に幸せになってもらいたいという祈りのよう。


 部長が去ったあとそんな考えに耽りつつぼんやりとしていたのは、ストーブが温かくて眠気を誘ったせいもあるけれど、なにより誰も美術室にやって来なかったから。もともとスポーツが苦手な文化系の生徒の逃げ口みたいな側面のある部活で、さすがに絵が描けないだとか描きたくないという部員はいないけれど、コンクールや文化祭の前の時期を除けば室内が賑わっているほうが珍しい。それでも誰かしらは部活に顔を出しているから、冬期で早まった完全下校の間までの短い間を雑談に費やすつもりをしていたのに。


 乾いた空気に空咳をして、そういえばまたインフルエンザが流行り出していたのだと思い出す。学級閉鎖にまではならなかったけど一月に一度大きなピークがあってそれが収束して来たところに、遅れて感染する生徒が出てきて小さな流行となっているらしくてホームルームで配られた保険だよりで注意喚起されていた。校内ではマスクをした生徒も多い。


 この調子だと誰も来そうにないしテスト勉強でもしようかなとカバンに手をかけたところで、屋外の連絡通路のあたりからがやがやと話し声がしているのに気づく。一人二人といった人数ではなくまるで完全下校時刻前のような喧騒で、はっとして視線をむけると体育館から何人もの生徒が出ていて本当に部活が終わったような状況となっていて、まだ制服に着替えた生徒は少ないけれど、下校準備を済ませた生徒が体育館前でたむろしたり昇降口のほうへ移動したりしている。手にした下履きに履き替えてみざらの所からそのままアスファルト敷きの地面に降りて正門の方向へ向かう生徒もいる。


 耳を澄ませてみれば、体育館のニスの効いた床に靴底が擦れる音やボールが弾む音、あるいはホイッスルの音といった屋内運動部が部活中に響かせる環境音がしていない。慌てて時間を確認したけれど、まだ校内放送が鳴っていないのだから確かめるまでもなく下校時刻には早い。どの部も早めに切り上げられたのは明らかだった。たぶんインフルエンザのせい。


 わたしはコートに腕を通してファスナーを閉めるのもそこそこにカバンを手にして駆けだそうとした。ちらりと見える机の上のタグ付きの鍵。早くしなければセンパイが帰ってしまうと気が急くあまり戸締りをしなければいけないのを忘れかけていた。


 大丈夫、まだ間に合う。そう自分に言い聞かせながら窓が閉まっているのを確認してストーブを消し消灯、廊下に出て扉の鍵を閉めそのまま急いで体育館を目指す。まだ職員室にも寄らなければならない。

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