望月郁子香

 中学のころの郁子香と話す機会はほとんどなかった。望月家の母親が亡くなったのはそのころだったし、微妙な年頃だったからというのもあり疎遠になっていた。学年も部活も違ったので学校で会話をするようなことはなかった。忌中ということもあって望月家に行くのも遠慮していたため、隣家に住んでいながら接点を完全に失っていた。しかし、桃花とは違った。小学生のころと同じような様子で郁子香に構っては面倒を見ていた。俺にも軽い調子で話しかけてきて、それに応じているうちにわだかまりはなくなった。桃花とは、性差を意識せず同性の友人のように親しんでいた幼い時分の関係を保っていられた。あるいは桃花のそうした振舞いは俺と郁子香の間の緩衝材となり幼馴染としての三人の関係を崩さないためだったのかもしれない。けれど、俺はその期待に応えることはできず、相変わらず郁子香とは距離が開いたままだった。


 だから、正直なところ郁子香が入部して来てもどう接したものかと態度を決めあぐねていた。

 しかし、当の郁子香は昔と変わらない調子でしゃべりかけてきた。俺はほっと胸を撫で下ろし、彼女に倣ってブランクを埋めるかのようにかつてのように交流を持った。


 俺という話相手がいたことで、郁子香が部内に打ち解けるのは早かった。人見知りで引っこみ思案の彼女も趣味の話をできる仲間を得て、以前に増して明るく振る舞うようになって行った。


 ところが、悪い虫がでた。ゴールデンウィークのまえあたりだったろうか、ミステリについて語っていて興が乗ったのか彼女は演説をぶった。


 いわく、ミステリの伏線にはポジティブなものとネガティブなものがある、と。一般に伏線と言われると先の展開をにおわせる描写をさすが、ことミステリになるとそれは真相のヒントを指すことが多い。しかし、トリックや犯人を示唆する陽性のものだけが伏線ではない。他の可能性が排除してひとつの真相が浮き彫りになるものこそが優れたミステリだ。そして、そのためには真相以外の推理を否定するための手がかりが提示されなければならない。それこそがネガティブな伏線なのだという。美しいミステリというのは余計な要素が削ぎ落とされ綺麗にまとまっているものだ。だから、二種の伏線は明確に分けられるものではない。ひとつの伏線が二重三重の意味を兼ねているのが優れたミステリなのだ。展開によって証拠が持つ意味合いが変化する、そうしたロジックの転換こそがミステリの醍醐味である。


 そのようなことを実例をあげながら長々と説明し満足気に鼻を鳴らす郁子香のそのテンションに周囲は若干引いていた。


 それでも、講釈を垂れるだけであればまだ部員たちに受け入れられていただろう。奇矯な言動も、そういう性格なのだと一度認められればそのうちに慣れてしまう。男所帯の部活だったので、オタサーの姫ではないが、このころはまだ甘やかされているようなところがあった。


 たとえば、こんなことがあった。郁子香が部室でとあるミステリを読んでいた際の出来事だ。読者への挑戦状の挿入された本格を謳った小説で、彼女はノートにメモを取りつつ推理しながらページを繰っていた。ところが、解決編の前で文庫本を閉じたところから進まなくなってしまう。メモとにらめっこをして悪戦苦闘する彼女に、ひとりの部員が「いい加減諦めたら」と声をかけた。なおも渋っていたが「その調子で読んでいたらいくら時間あっても足りないよ」と諭されようやっと重い腰を上げて解決編にとりかかる。そして、読了後に彼女は「これはダメです」とつぶやいて立ち上がり、愚痴とも持論ともつかぬ心のたけを熱く語り出した。部員たちは、また始まったかと呆れつつも生温かいまなざしを向けていた。空気の読めないミステリ読みといったキャラとして彼女はいじられつつも和気藹々とやっていたのだ。


 それが変化したのは、他のジャンルにも郁子香がミステリの視点を持ちこむようになったからだろう。


 謎が物語をひっぱる力となり、わからないからこそ先が気になるというのはミステリに限った話ではない。どんなジャンルであっても情報開示する順を操作して読者の興味を引く手法は用いられている。

 そうした他のジャンルの作品であっても、やれフェアじゃないだの無駄が多いだのと批判するのだ。自分の好きな作品に文句を言われれば気分がよいものではない。不快感を露わにする者もいたが、しかし反論もできない。なにしろ、問題点を洗い出して整理し改善方法まで示すのだから。好悪を単純に語っているのであれば、そういう視点もあると笑っていられただろう。口汚く貶すのでもなく、冷静に問題を詳らかにされれば黙るしかない。


 あれをやられると溜まったものではない。自作を批評された経験のある俺が言うのだから間違いない。


 カクヨムをはじめる前に『ラッキースケベ殺人事件』という短編を郁子香に読んでもらったことがある。いちミステリ読者として自分も書きたいという欲求がありながら、ロジックを整理するのも苦手な俺がはじめて挑んだ小説は、トリック一本のバカミスだった。


 彼女の評価はさんざんなものだった。タイトルからして真面目に読むもんでもないだろ、とせめてもの反論を試みるも「ミスリード狙ったと可能性が否定できない以上、真剣に読む」と真顔で言われた。驚かせればそれでいいというわけではないと懇々と語られもした。そんなわけもあってカクヨムで小説を書いていることは彼女にも言っていない。


 ともかく、郁子香の批評によって部内の空気は悪くなった。あの作品面白かったと興奮して感想を口にしながらも、彼女に批判されてしまうのではないかと恐れる。自然と、郁子香の耳を避けるようになり、次第に部室に顔を出す生徒は減って行った。感想を言い合うなど友人間ででもできる。ただでさえ立地が悪い部室が、居心地まで悪化したとなれば好んで来る奴などいない。


 彼らは、いわば郁子香に追い出されたようなものだ。彼女を恨んでいてもおかしくはない。郁子香自身もそれは理解しているだろうに、部活なんて来たい人だけ来ればいいと鷹揚と構えていた。


 恨みがあるのならば、それが悪意に転じてもおかしくはない。悪意の刃を向けられないとなぜいえるだろう。

 郁子香はそれに気づいていないのだろうか。だからこそ、こうしてノートに不可解な文字を書かれても余裕でいられるのだろうか。

 いや、と俺はその考えを否定する。


 顔の見えない相手によって書かれた意味のわからない文字列。何もわからないからこそ不安になり、そこに敵意めいたものを見出しいてしまう。


「悪意によって書かれたものではありません、これはメッセージです。そう、暗号なのです」

 郁子香が言うのを聞きながら、俺は想像する。

 彼女はすでに暗号を解読しているのではないだろうか、そしてその意味するところや書き手が誰かさえ気づいているのではないか。

 だからこそ不安がることもなく落ち着いていられる。

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