第3話 医療魔術師
「こちらへどうぞ」
インブリカス、と名乗る魔術師に促されて、サイファは中央寺院の祈祷室へ入った。寺院の地下で腐りつつある不死者について聞き込みをするためである。
一緒に調査するはずのエイダは、腐乱死体に嫌気がさして何処かに行ったままだ。だが気まぐれな彼女のことである。すぐ帰ってくるだろう。今頃は街で上級魔術師の仲間とゴダールの悪口でも言いながら、気晴らしでもしているはずだ。
サイファは荘厳な寺院のつるつるした石床の真ん中で顔を上げた。いつ来てもここの建物の巨大さには圧倒される。
空にも届くかとも思われる高い天井には、何百枚ものステンドグラスが張り巡らされている。その色鮮やかなグラスを通った太陽光は色を換え、万華鏡のような極彩色の光の筋を無数に床に落としていた。年月を経てクリーム色に変色した白い大理石の柱が50本、左右に並びこの巨大な天井を支えている。
厳粛な美しさに魅了され飽くことなく天井を眺めていたサイファだったが、いつまでもこうしてはいられない。インブリカスへ向き直ると、
「死体は拝見しました。ですが私には専門外のこととて、原因が全く思い当たりません。ご意見を伺えますか?」
と、問うた。
「さて、どうお話して良いやら。何しろこんなことは初めてですからな」
インブリカスは困惑した様子で下を向いた。四十がらみの日に焼けた小男だ。この死体を引取り、前もって調べていたのは医療魔術師の彼なのである。
魔術師はその役割に準じて様々な役職があった。人々の病気を癒す医療魔術師、天気を司る天候魔術師、農作物全般を司る食料魔術師、等々。そして、どのカテゴリーにも含まれない”何でも屋”がエイダやサイファであった。彼らの称号はただの「魔術師」だ。
何の専門職にも就かない代わりに、政務や治安活動など国家運営に重要な仕事を請け負うのがサイファらの役目だ。目立つ仕事であるため、自然、出世してゆくのはこの”何でも屋”である魔術師たちだった。
「地下で腐っているアレは、不死者である間ヘデラと呼ばれておりました。市場で農作物の運搬を担っていたようです」
メモを指でなぞりながら、インブリカスは呟く。
「して、そのヘデラが動かなくなったのはいつ頃です?」
「一昨日の晩と聞いております。突然、崩れ落ちるように倒れ込んで、それっきり動かなくなったそうです。そしてこの寺院に運び込まれました。後はご覧の通りです」
下を向きながらインブリカスは、手脂で黒光りする魔法の杖を弄んでいる。その様子を見てサイファは胸の中で顔をしかめた。
杖は魔法使いの命だ。むやみに自分の杖を人目に晒すのは恥であり、それは裸で街を歩くようなものであるとされている。魔術師が杖を晒すのはあくまで魔法を使うときだけなのだ。まともな魔術師なら、用もないのに杖を人前に晒したりはしない。
なのに、この男は気にするでもなく杖を弄び続けている。
嫌悪感を覚えつつも、サイファはそれを表に出さないようにしながら再び尋ねた。
「あなたはヘデラに治癒の魔法を施しましたか?」
「施すもなにも、あれは不死者ですぞ。もう死んでおるのです。治癒の魔法は生きている者にしか効きません。壊れた不死者を治すには修復の魔法しかないものなのです」
何を言っているのだ、という口調でインブリカスは続ける。
「ですから私はヘデラが運び込まれた時、修復の魔法を施してみました。しかし無駄でありましたな。大体、不死者に対する修復の魔法は肉体が損傷した時に施されるもの。命そのものに対するものではない。やはりというか、ですからこの不死者は全く動き出さなかった。単なる死者に戻ったということでしょう」
「どうしてこうなったのか、心当たりはりませんか?」
「全くない、ですなぁ」
放り出したようにインブリカスは答える。相変わらずメモから顔も上げない。
その後のサイファの質問にも、インブリカスは「ああ」とか「解りませんなぁ」とか曖昧な答えに終始し、非協力的な態度を崩さなかった。自分の仕事以外に関わることは興味がないという風だ。
仕方がない。こうなったらヘデラを不死者にした医療魔術師にことの仔細を聞くしか無い。サイファは「では最後に」と前置きして眼の前の男に尋ねた。
「ヘデラを不死者にした魔術師の名前を教えて下さい。同じ医療魔術師のお仲間でしょう?ご存知ですよね?」
インブリカスは返事をするかわりにひょいと杖を上げた。南の出口、”隠者”の彫刻が施された扉が杖の先にはある。
「魔法を施した者は、あの扉の向こうにおります。私の師匠でした」
「あの扉の向こうにお住まいなのですね?」
「違いますな」
馬鹿にしたような口調でインブリカスが続ける。
「扉の向こうは共同墓地です。師はかれこれ30年前からそこに眠っております」
インブリカスは初めて顔を上げると、サイファの目を正面から見つめた。その口元にはかすかに軽蔑の色が浮かんでいるようにサイファには思えた。
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