2018/07/25『あなたへ』

 私の大切な友人とんでもない変人に捧げます。



 夏の蝉がうるさい。腹立つほどに空は青くて、太陽の光は遠慮なく私の肌を刺してくる。

 昔はこんなこと無かった。暑かったとしてもまだ風情を楽しむ余裕があった。やっぱり最近の天気はおかしい、こんなのは異常。

 家族にそう言うとお前は何歳なんだと呆れられるけど、だって本当にそうなんだから仕方なくない?


 信じられなくてもいい、私には前世の記憶がある。生まれた時からあったけど、人とか景色とか見たら追加でぶわって思い出したりもする。

 ラノベかよと思う? 私も思う。最初は私も、妄想得意だなとか、これはこれで才能だなとかそういうことばかり考えてたし笑い話にしてた。私のこの記憶がガチなやつだって分かったきっかけは、私がある作文の賞を受賞したことだった。夏休みの宿題で書いた作文が、そんなつもりは無かったけどある新聞社の賞を受賞した。おおぅと思った私はなんとなく過去の受賞者を調べてみた。そこに、前世の私の名前があったのだ。

 その名前を見た瞬間まず吐き気が込み上げた。急いでトイレに駆け込んだけど、食事をしたのはだいぶ前だったから透明な胃液しか出なかった。頭の中に前世の記憶がどばっと増えていることに気付いたのは、水を飲んだり涼しい空気を吸って落ち着いてからだった。元から情報量が多いのは得意じゃなかったから、あの吐き気はとんでもない拒否反応だったのかもしれない。あとは、思い出してしまった死の直前の記憶。その時の前世の私の感情はなぜか読み取れなかったけど、とにかくそれはまだ死から遠い私にとって怖すぎた。無理でしょ。まだ中学生だったし。


 頭がぐちゃぐちゃだった。そんな中でも私は真面目さんなので学校に行った。二回目の中学生だ、という感覚は今までもあったけど、それがより濃くなっていた。嬉しいことにちょっとだけ勉強は楽になりそうだった。

 教室に入って、元気に挨拶! ……はしない。私はコミュ障で人見知りだからそんなに友達は居ないのだ。ゼロなのは無理、人のことは好きだから寂しくなってしまう。だから数人のお友達と濃く深く仲良くさせてもらっている。その時はその中の1人が偶然にも私の隣の席だったから、私は重たい重たいリュックを机に置いて横を見て、おはようって言った。

 私の隣の席のその男友達は、読んでた本から顔を上げて私を見て、それで「ん、おはよう」って言った。


 いつものことだった。いつもの朝のことだった。でも、私は頭が真っ白になった。

 彼の白い夏服が、ページを丁寧にめくるその仕草がチカチカ光った。


 後から聞いた話だと私は相当な時間固まっていたらしい。良いんだか悪いんだか私はいつも奇行を繰り返しているので、特に気にも止められなかったようだ。ただ彼は読書を再開しつつ、(なんかずっと立ってるんだけど)って思っていたらしかった。


 私はそれどころでは無かった。また思い出した、というよりは気付いたのである。吐かなかったとはいえ今回も大混乱していた。

 私は彼のことをよく知っていた。今の私は仲良くしているから勿論だけど、

 彼は、いやは、前世の私の友人だった。人と人の間で生きることが苦手だった私を救い出してくれた、とても大切な友人だった。つまり、ということに私は気付いたのである。これは偶然か、必然か。運命って言っちゃったらちょっとスケールでかくて笑えてくるけど。とにかく私の中にある前世の私の部分が、彼女の存在を、彼女との再会をそれはそれは猛烈に喜んでいた。やっと会えた、また会えた、待っていた。そして前世の私は、彼女が彼であることをたまらなく嬉しく感じていた。


 彼女は病んでるか病んでないかで言うと病んでるタイプの人間だったみたいだ。前世の私は彼女の歪んだ部分も真っ直ぐな子供みたいな部分も好きで、ただたまに死なないかなって心配していた。色んな記憶が蘇る。めっちゃ仲良くしてくれてたけど、怒らせたこともあった。ちなみに彼も彼女も怒ると無言になって怖い。私はすぐ謝る。

 前世の私には、彼女はいつまでも自分が自分であることに悩んでいるように見えていた。理想というか、こうなりたいという願望をずっと抱えていた。年を重ねるにつれ、尖ってたり病んでたりする部分は落ち着いたりしたし、彼女が抱えるそれは少し中身が変わったりした。でもその願いの本質はずっと変わらなかった。ただそれは彼女が彼女として生まれてしまった時点で、もう叶えられないもので。


 そこまで思い出して、私はやっとへなへなと自分の席に座った。座らなきゃと思ったのではなく、身体から力が抜けた結果だった。

 前世の私が、彼女が彼であることを喜んでいた理由が分かった。

 彼は、彼女が叶えたがっていた全てを持っていた。あんなに欲しがっていた性別や、才能や、人格や、何もかも全てを。彼はそれを当たり前に持っていて、それを特別なことだとかありがたいことだとか思ったことは無いのだろう。それがどうにもたまらなくて、今の私の心にも刺さった。


 彼が腹立つくらい整った横顔をしていて、ごつごつした体格であることが凄く嬉しかった。じーっと見てたら、「何ガン見してんの」って真顔で私を見て言う。その声は、もう声変わりしてるから男らしくて低い。今まで当たり前に聞いていたその声になんか泣きそうになる。

 ただ学校では泣けないなと思った私は頑張って、それはもう頑張って涙をこらえて、どうにか笑って、今日も絵を描くのかと聞いた。彼は頷く。


「今日は妹を描くつもり。お前も来てもいいけど」

「はい! 行きます! お邪魔します!」


 彼は絵がめっちゃ上手い。それはもう上手い。私は絵に関して素人だからなんとも言えないけど、私は彼の絵を初めて見た時泣いた。絵を見て泣くのは人生で初めてだった。それくらいのすごい絵を彼は描く。

 そして彼には妹がいる。とても年の離れた妹で、なんとまだ彼のお母さんのお腹の中にいるのだ。前おうちにお邪魔したとき、優しそうなお母様とお父様は喜びつつも、少し照れていた。予定通り今年の冬に生まれたら、15歳差の兄妹になる。

 彼は毎日絵を描いていて、最近はもっぱらお腹の膨らみだした自分の母親を描いている。私はその横で彼の手元を見ていたり、宿題をしていたり、お母様とお喋りしてたりする。関係ないけど彼のお母様は料理が凄くお上手なので、出して下さるお菓子は何もかもが美味しい。私はよく食べすぎるので彼に呆れられる。美味しいから仕方がないと思う。


 私はまだ混乱していたため授業に集中できず、あとクーラーが気持ち良くてたまに寝ていた。彼はいつも通り黙々と真面目に授業を受けて、たまに私を起こしてくれた。指をぶすっと突き刺されたおかげで横腹は痛むが、まぁ無事に今日も放課後を迎えた。


 学校から出て、私は顔をめっちゃしかめた。暑い。今の私は半分前世の私なので、遠い夏の記憶との温度差が精神的にくる。三歩歩く度にうへぇうへぇ言ってたら、彼が自前の金属製の水筒を私の顔に押し当てながら聞いてくる。


「なんかお前今日変なんだけど。どしたの」

「あ〜つめたい〜ナイス水筒」

「暑さで馬鹿になったか」

「元から馬鹿です」

「……それ持ってていいからもう黙れ」


 ありがたい。ひんやりつめたい水筒を頬に押し当てながら、やっぱり周りから見ても変わったのかなと私は考える。前世がある人間なんてそんなに居ないだろうし、……いやまぁ横で歩いてるけど。これは多分思い出してないから例外として、前世があってなおかつ自覚してる人間なんてそこら辺の宗教の教祖くらいしか居ないのでは? これが筋肉痛だとか頭痛が痛いだとかそういう変化だったら色んな人に聞けるのだろうけど、ケースが特殊すぎて誰にも言えない。

 不安にさせてたら申し訳ないな、と横を歩く彼を見上げる。汗をかいてもイケメンはイケメンで、いつも通りめっちゃ構い倒したくなってくる。でも暑いのでやめといた。

 隣を歩いたことは前世で何回もある。今世でも何回も歩いてる。ただ昨日までと違うのは、見上げないと彼の顔が見えないことが嬉しい、と思うこと。彼女は身長のことを指摘されると、いつも不貞腐れていた。


 今世で出会っているということは前世で彼女は死んでるんだよな、ということをふと考えた。当たり前なことだ。でも自分が死んだ時の記憶を思い出してちょっと怖くなる。いくら頭を巡らせても、何故か彼女がどうやって死んだか私は覚えていなかった。私が死んだ後に死んだということだろうか。長生きしてくれたのなら、良かった。


 何回もお邪魔している彼の家に到着すると、彼は早速絵を描く準備を始めた。私は彼に許可を得て、今日は彼の部屋にお邪魔することにした。彼の部屋はいつも画材の匂いがする。彼の部屋はアトリエでもあるし、それに押入れには彼の過去の作品が大量に保存されているからだ。彼の絵は美術館とか資産家さんとかに買われてたりするけど、一部の作品や、没になった作品は彼のこの部屋に残されている。

 押入れをがさがさ漁って、キャンバスや紙をいくつも床に並べた。床に並べたら場所が無くなったので勝手に机に座らせてもらって、眺めてみる。

 彼は本当に色んなものを描く。植物や静物、景色や人物。頭の中のイメージを描くこともある。ただ言い表せないけどやっぱり共通した彼らしさがあって、こうやって並べても色彩やかたちがうまく喧嘩せず響きあって、心地いい。

 相変わらずパワーがあるな、と思いながら眺めていた私はふと、海の絵が無いことに気づいた。ここに無いだけかなと思ったが、よく考えたらここにない絵にも、海を描いたものは無い。私は彼の絵のファンなので分かるのだ。私達の住むこの街は割と海に近いので、デッサンしに行こうと思ったら簡単に行ける。どうしてだろう、と首を傾げた。

 その時、ガンッと音がした。ドアが半開き。隙間から、今日の絵を描き終わったらしい彼の顔が半分見える。

 私はその時はじめて、私が絵を床にぶわあぁと並べたおかげで、内開きのドアが開かなくなっていることに気づいた。


「……おい」

「……あはは」


 このあとすぐ謝った。そして片付けた。


 片付けたあと、私は彼に聞いてみることにした。どうして海の絵が無いのか、と。


「……なんでだろうな」


 彼ははじめて気づいたみたいに言った。彼にしては珍しく、ふわっとした言葉を続ける。


「よくわからんけど……なんとなく?」

「あぁ、じゃあ避けてたとか嫌いだったってわけではないんだ?」

「うん」

「えーだったら私あなたの海の絵が見たい」


 絶対綺麗じゃん、と言うと彼は少し考えて、窓の外、時計、と順に見る。そして、「今から行こう」と言った。なるほど。今から海に向かうと、丁度夕日が沈み出すくらいだろう。なかなか綺麗なはずだ。

 というか、「行こう」って。


「あっ、私も行くの?」

「……別に、」

「あっいや行くよ、行く行く! 海! 夏!」


 一緒に行っていいのか、と驚いただけだったんだけど、彼にマイナスなことを考えさせてしまった気がしたので慌てて訂正した。あと何故か、一人で海に行かせてはいけない、と思った。理由は分からないけど。

 今日はお菓子を戴かずお暇して、二人で電車に乗り込んだ。電車は割と空いている。夕方と昼の隙間の、黄色っぽい光が窓から射し込む。隣に座った彼の指に、少しだけデッサン用の黒鉛がついていた。


「今日はデッサンしたの?」

「なんで分かった?」

「手。ついてるよ」

「あぁ……ありがとう」


 彼は無造作にハンカチで擦って落とす。


「そういえば今日、母さんの腹に耳をあてた」

「おぉー。よくやるやつじゃん。心臓の音聞こえた? 動いた?」

「いや、動きはしなかった。まだ動かないらしい。……お前妊婦の腹に耳あてて、音聞いたことあるか」

「んー、多分無い」

「そうか、俺は今日初めて聞いたんだけど」


 海の音がした、と彼は言った。


「……海? 血液系?」

「多分そうだと思う」

「そっか、貝殻に耳当てた時みたいだね」

「そうだな。だから、さっきお前が海の絵を見たいと言った時、今から海に行こうと思ったんだ」


 ふぅんと思った。聞いたことがないから分からないけど、そういうものなのかもしれない。試しに、自分の掌を耳に当ててみた。ざああぁと不思議な音がする。

 私がそうしているのを見て、彼も同じように掌を耳に当てる。しばらくそうして、やっぱり母さんのと違うなと呟いた。


 海は久々だった。駅で私がアイスを買おうとして、苺かチョコか迷ったおかげで少し予定より遅れはしたが、ちょうど夕日が綺麗に沈もうとしていた。海がオレンジ色に染まっている。綺麗だ。この景色が、彼の目にはどんな風に見えるのだろうか。この景色を、彼はどんな風に描いてくれるのだろうか。


 彼を振り返ると、彼は何も言わずにただ海を見ていた。黒い瞳がオレンジ色に染まっている。やっぱり綺麗だった。彼女も彼も、瞳が真っ黒で綺麗なことは変わらない。彼の瞳は、夕日の全てを吸い込もうとするかのようにまっすぐだった。集中してるのかな、と思う。同じだ。集中すると決めたらひたすら深く真剣に取り組むのだ。もちろん本当は、彼女が彼の前世だったとしても、全く関係の無い別人だということはわかってる。わかってるけどなんというか、魂の共通点みたいなものを見つけようとしてしまう。

 悔しくなった。前世の私は彼女のことをよく知っている。前世の私は確かに今世の私の何倍も生きて死んでいる。だからその分長く彼女と居たし、彼女のことを知っていた。私はまだ彼と知り合って2年と少ししか経っていない。知らないことがたくさんある。彼も彼女のように願望を抱えているのかもしれないし、私が何かしてあげれることがあるのかもしれない。


 彼のことをもっと知りたい。そばにいてあげたい。前世とか今世とか関係なく、私がそうしたいと思った。なんか嫌だ、前世は前世で今世は今世。彼女と前世の私が仲良くしていた時、彼のことなんて知らなかったんだ。だって来世だったんだから。私は前世と同じように、彼のことを彼女のこととか関係なく、今までと同じように好きでありたい。

 思いがパンクしそうなくらい詰まった。湧き上がる。爆発しそう。あぁもう! 暑い!


「ちょっと私海入ってくる!」

「はぁ? ちょっ、お前制服のまま」


 私は彼の言葉を最後まで聞かずに走り出した。なんだこれ青春かよ。でもこうでもしないとたまらなくてほんとに爆発する。





 少女は海に向かって走り出した。器用なのか雑なのか、走りながら靴や靴下を脱ぎ捨てていく。


 少年は何が何だか分からなかったが、ひとまずあの暴走馬鹿を止めなければならないと思った。靴に砂が入り込む感覚を感じながら、走り出す。


 少年は、ふと目を刺した夕日に目を細めた。赤く染まる空の中で、何かの未練を残したように、青であることを捨てきれていない空の端。


 気づけば、少年はその場に立ち尽くしていた。


 美しいその景色をつゆほど気にせず、少女はざばざばと制服のまま海に入っていく。赤に染まった海面が跳ねる。


 膝まで海に浸かった少女は、わあああっと叫んだと思うと、笑いながらくるくると回った。


 笑い声が響く。きらきらと飛沫が光る。


 ふ、と。


 なにかに気づいたように、少年は目を見開いた。あぁ、と漏れた吐息は安心したようにも、納得したようにも聞こえる。


夕日は、ほとんどその地平に姿を隠そうとしていた。赤色が深くなる。別れを惜しむように、夜を拒むように。


 少年は微笑んだ。



「死んでよかった」


「えぇー? 何てぇー?」


「なんでもない。ほら帰んぞ! 戻ってこい!」




 海の音が聞こえる。

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