2018/07/23『百回目の物語』-E
僕は顔を上げてヤクのことを見た。ヤクはいつの間にか大腿骨との語らいをやめていたようだった。
僕は立ち上がり、部屋の奥、窓枠に置かれた最後の1本の蝋燭の灯りを吹き消した。
「ひゃーく」
首元に衝撃が走った時、僕はチカチカと脳内に星が瞬くのが見えた。首を絞められながらも強引に振り向くとそこにはヤクが居る。僕のヤク。いつまでもなにもかもわからないヤク。
ヤクの顔は始めて見る形に歪んでいた。それはぐちゃぐちゃになった笑顔だった。いつも以上に忙しなく瞳が揺れる。細い指がメキメキと僕の首を絞める。ぐ、と漏れた僕の声は笑ってしまうほど嬉しそうだった。
「お、もいだした思いだした思い出した全てを」
「うん」
「私はあなたに目を潰された時決めたのですえぇそうです決めたのです」
「何を決めたの」
「はい、あなたを殺すと決めました」
「そっか」
首を締められるのは初めてじゃないのに、ヤクの指は僕の知らない感覚を与えてくる。脳が弾ける。心地いい。なんて気持ちがいい、素晴らしいんだろう。
仰向けに倒れた僕に跨るヤクの身体越しに、僕の部屋のもう一つの窓からもう10回以上は住んだ街の空が見える。
その空は、僅かに白み出している。太陽。朝が来る。太陽がまた僕らを照らす。
それは、本当になんとなくだった。
ふと右手を持ち上げて、僕はヤクの両目を潰した。
耳に飛び込んできたその音に、僕は歓喜した。
聞いたことがない。こんな音は聞いたことがない。また潰したのに聞いたことがない音がする。
次いで聞こえた叫び声、また歪む顔、こわばる指、汗の匂い。何もかもがわからない、新鮮で、たまらない。
両目から血を流しながら、ヤクは相変わらず笑顔を浮かべて僕の首を締め続けた。
視界の端がじわじわと黒に染まっていく、でもヤクの姿だけはずっと見ていたくて僕は最後までヤクのことだけを感じ続けようとしていた。右手の二本の指に突き刺さったヤクの眼球はゆっくりと冷えていく。
最後に見えたのも聞こえたのも感じたのも何もかも全てがヤクだった。
ヤクにも僕にも、夜明けはもう来ない。
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