2018/07/23『百回目の物語』-B

 これがなんといいますか、変なものです。えぇ、変な病です。物心ついたときからわたくしの身体には管がささっておりました。それでずっと寝台に寝ていまして、出会う人出会う人お医者様や看護師の方だけでして、えぇ、だからわたくしは数年ほど前まで人間が青い部屋の中以外でも活動できるということを知らなかったのです。

 青い、そう青いです。わたくし今でも恥ずかしいことですが自分の身体のことがよくわかっておりません。むずかしい話は今も昔も滑ります、脳みそに刻まれず滑っていかれます。ですがとにかくわかるのは、わたくしの視界はずっと青かったということです。ただわたくしにとってはそれが普通でしたから、青、という色を知ったのもつい最近です。他の色を知ったのもつい最近です。病院というのは色のないところですね、だからわたくしは目に見えるものが青だけなことに疑問を持たなかったのかもしれません。今は他の色も見えます。世界は色とりどり、色がぶちまけられてぐちゃぐちゃで、それでも美しいのですから不思議なものですね。

 色という概念を知ってからわたくしはずっと不思議でした、どうしてわたくしには青しか見えなかったのだろうかと。青は美しいです、宝石のようで涙のようで、暗く曇った空の端、まるで救いのように思える色です。ですがべつに青でなくても良かったと思うのです。わたくしの病はよく分からないものでしたし、前述したように病のことはよくわかりませんので、お医者様は何かこのことについて仰っておられたのかもしれませんが、やっぱりわたくしにはよくわかりませんね、お医者様のお話は大体滑りますから。

 あぁそれで、それで最近ふと思い出したのですが、そう、最近よく思い出すのです。わたくしは記憶というものが曖昧で、それはおそらく痛みや苦しみが多少なりとも病によってもたらされていたからなのでしょう。それから解放された今になって、ゆっくりゆっくりとマグロの死体冷凍マグロが解凍されるように思い出しはじめております。えぇ、何を思い出したかといいますと、夢のことです。夢、夢をあの真っ青な病院の中で見ていたことを思い出しました。内容、内容は村の話です。小さな村です。土や岩が積み重なってそこに木や草が生えて水が流れた、生き物の多く住む、あれはなんでしたっけ。あぁ、山。山ですね。その山に囲まれた村でした。不思議な、不思議な夢なのです。わたくしそのような村に行ったことはございませんし、いちばん不思議なことはその夢は青一色ではなかったことです。繰り返しになりますがわたくし、ずっと青色しか見ていませんでしたので、まぁ明るい青、暗い青とそれくらいの区別はありましたが、それ以外の色は知りませんでした。ですがその夢には色がありまして、それは変な話ですよね、青しかわたくし知らなかったのですから。はい、それで、それで夢の話です。

 夢の中でわたくしはその村に住んでおりました、その夢の中でも己のことはよく分かりませんでした。それこそ住んでいるということくらいです、分かっていたのは。わたくし、夢の中では元気に走り回っておりました、人間が走れるということも最近知りましたので、えぇ、お医者様や看護師の方は病室で走りませんからね。なぜそのような夢を見ることができたのかわたくしには分かりかねます。村の中でただただ走り回っている、そんな夢を何回も何回もわたくしは見ていたようでございます。

 はい、そうです、夢はそれで終わりませんでした、夢の中でわたくしはずっと走り回っておりましたが、一度だけ、一度だけ違うことをした時がございました。

 そのとき夢の中のわたくしは走っておりませんでした。止まっていました。。もっと言うなら座っていました。。夢の中のわたくしにその動作を強要したのが誰かは分かりません。分かりませんが、同じ人類であったことだけは分かります。強く握った、わたくしの右肩を強く握った手は、確かに人類のものでございましたから。ただその方は太陽の光を背中に浴びられていて、夢の中のわたくしからは真っ黒にしか見えなかったのです、いわゆる逆光というものですね、美しい写真を撮る時の敵であり友でございます。

 その方はわたくしに少々乱暴を働いたようでした。わたくしは夢の中で頰や腕に痛みを感じておりましたし、肩を握るその方の手には生々しく血が付着しておりました。

 右肩、そう右肩ですね、私が握られていたのは右肩だけでした。つまり私の目の前に向き合っていた方の右手は空いていたわけです、そしてその右手も夢の中のわたくしのために使われました。

 その右手は正確に、ぴったりと、鮮やかに、夢の中のわたくしの両目を貫いたのです。

 わたくしたち人類は、自分の声というものを正しく認識できないらしいですね。それは、自らの放った声が空気を震わせて自らの耳に入るのと同時に、自らの骨を震わせて身体の中からの音を捉えるかららしいです。難しい話は得意ではありませんがこの事実は滑りませんでした。

 えぇ、夢の中のわたくしが両目を貫かれた時、沢山の音がしたからです。言葉で表現できるようなものではありませんが、とにかく色々な音でございました。そしてそれは私の体の中からも、外からも聞こえてきたのです。潰される音です。わたくしの両目が潰される音です。

 最後、夢の中のわたくしが最後に見た、両目を潰される前に見たのは、空でございました。真っ青な空、迫り来る指の影から見える青空でございます。雲ひとつ浮かばない青々しい空。それが夢の中のわたくしが最後に見た色でした。

 わたくしがこの夢を思い出して、これでわたくしは青色しか見えなかったのかと思いました。はい、えぇ、ですがこれは夢の話です、あくまで夢の話です。ですからただ、ただの夢なのです。わたくしが見た夢だとはいえ、それがどうしてわたくしの身体に青色しか見せない理由になりましょう?

 まぁ、まぁ不思議な、奇妙な夢の話ということで、これにておしまいとさせていただきます。

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