2018/07/22 『あたらしい人形』

「きのこと向き合って」


おばあちゃんはぼくによくそう言う。


「人間なんて、まだ若いいきものなんだから」

「大先輩の、きのこの声を聞きなさい」


きのこに声は出せないってことは知ってるけど、きっとそういうことじゃないんだろうね。


きのこをじっと見つめる。まぁるい傘。空に向かってのびる軸。傘のなかの、きめ細かいひだ。


きれいだなぁと思う。


でもそれだけだった。やっぱりぼくには声は聞こえない。

まぁ、大丈夫。そんな焦って何かやって、変わることじゃないと思う。

今ぼくがするべきことは、このきのこたちが、おいしくおいしくなるようにお手伝いすること。


いつもの作業をていねいに進めながら、ぼくはきのこのことをずっと考えている。


きのこは、ほんとうは野菜じゃない。きのこは菌類。

でも、行ったことないから知らないけど、大きい店とかでは、きのこは野菜の売れてるところにあるらしい。

よくわからないよね、うん。


きのこが菌類なんだよって、たまに来るお客さんに言うと、だいたいびっくりした顔をする。

少しだけ、嫌な顔をする人もいる。そういう顔をされたときは、ぼくはその顔がきのこに見えないように、そっと立つ場所を変えたりする。


よくわかんないものを口にするのは、危ない。

病気になったり、死んじゃうこともある。近所のみっちゃんはそれで死んじゃった。


でもたまにくるお客さんは、きのこのことをまったく知らないで、きのこを食べてたりする。

なのに、菌類だよって言ったら嫌な顔したりして、それがぼくはちょっとかなしい。

ほんとうに食べられるか確かめたり、よくよく調べたりしないで食べられたりするのは、しあわせなことなのかもしれないけど、ちょっとこわいよね。


じいちゃんはたまに、「お前は下りて……街に出た方がえぇんじゃないか」って僕に言う。


なんで、おじいちゃんがそう言うかはよくわかんない。

いまのところ、ぼくは街に行きたいと思ってないから、うんって言ったりもしないし。

ここで十分なんだけどな、と思ったりする。

でも、街から来たお客さんは、ここを見てまわって不思議そうな顔してるから、よっぽどちがうんだろうね、色々。


わかんないこと、知らないことがたくさんある。

でもぼくだけが知ってることもたくさんある。

ここ何にもねぇな、って、かっちりした黒い服を着た男の人がよく言う。

ぼくはここにずっと居るけど、ここについて知らないことも、行けてないところもある。

よくちゃんと知らないのによくそんなこと言えるなぁ、ってたまに思っちゃって、いやな気分になって疲れてしまうこともある。


床のちりやほこりを掃き集めて、いつもの掃除はおしまい。

さようなら、またあした。って、きのこにあいさつをした。

道具をまとめて外に出たら、すっかり夕方になっていた。

車がちょうど一台走れる太さの道、両側にはぼくも田植えをてつだった田んぼがひろがってる。

水のはられた田んぼは夕日をきらきらとはねかえして、太陽がたくさんあるみたいだった。


きれいだなぁ、ぼくはやっぱりここが好き。


じいちゃんがむかえに来てくれたんだろう、よく見る影がゆっくり、ゆっくりこっちに来るのが見える。

たそがれどき、って言葉をだれかが教えてくれたのを、なんとなく思いだした。


誰そ、彼、時。


前から来る人が影になって、ちょうど誰なのか分からない、そんな時間。


誰か分からないけど、もういいかな。

本当に向かってくる人が人なのかも分からない、それは相手にとっての僕もぼくもそうなんだろう。


僕はこれからずっと、誰彼時たそがれどきにいるんだろうな。


此処は、考えていたよりも広くて深くて、いくら時間をかけても、いくら考えても分からない。

此処は何処なのか?

どうして僕が此処にいなければいけないのか?

僕は誰にさせられようとしているのか?


泣き叫んでも、拒絶しても無理だったから、今度は何もかもを受け入れようとしてみた。

受け入れたら、それは思っていたよりしっくりときた。

恐ろしい程だった。

これは僕じゃない、分かっていても身体は知っていたみたいに勝手に動くし、口は勝手に知らない人の名前を呼ぶのだ。

こんなの僕じゃない。

でもこれは確かにぼくなのだ。

時間は地獄のようにどろどろと、ゆったりと進んでいく。


いいか、もうこれで。

うんいいんじゃない? もうこれでいいよ。

このまま日が暮れて、人影も見えなくなって、そうしたら、自分の手も見えないくらいまっくらになる。

わかるのはここにぼくがいることだけ。

それでいいや、うん。

もう、ぼくのことを考えるのは疲れたよ。


家に向かって走る。

たくさんの太陽は、ゆっくりと減ってきていた。

人影はやっぱりじいちゃんだった。ぼくを見て、目を細めるのはいつものくせ。

すこしだけ一緒に歩いて、大きな玄関をガラガラとあけて。


「ただいま」


これからはここが、ぼくの本当のおうち。

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