大体人が死ぬ短編小説集

明日

2018/07/21 『英雄』

銃を手にするということに、抵抗が無いわけではなかった。

それも、人の命を奪うためなら尚更。


細い指に節の目立つ祖母から聞かされた英雄譚や、近所の子供が目を輝かせながら話していた正義を貫く男の話。

純粋な子供だった頃は、自分も心をときめかせながらその話を聞いたものだった。


自分には特に目立った才能というものは無いが、一つ秀でているといえば想像力だった。

見聞きしたものを貪欲に吸収した自分は、そこらの子供よりも早く、深く鮮明な想像ができるようになった。

成長して、改めて話を聞いて気づいた。


悪役を斬り伏せたその刃には人の血がべっとりとつき、銃口から放たれた銃弾は確かに心臓を貫き命を奪っているということに。


ぞっとした。正義とは人の命を奪う事だったのか。悪いことをした人は命を奪われても仕方が無いのか、 命を奪うということは、悪いことではないのか。


今まで憧れていた想像の中の大きな背中が、鮮血と硝煙と悲鳴にまみれていく。


どうすればいい、分からない。自分を貫くことが怖い。もしそれが正義と呼ばれるなら、自分はそれで人を殺してしまうのではないか。


どんなに悩み苦しんでいても、人生は意外と簡単にくるくると回ってくれる。

年を重ねる毎に知識も経験も増えていき、自分は英雄にはなれないと知った。正義などを振るわずとも、自分はゆっくりと、大切な存在と共に生きていければそれでいい。

そんな後から思えば贅沢な考えに浸っていた自分の前で、大切な人はあっけなく奪われた。


一瞬のことだった。想像していたよりも小さな音、衝撃にくるりと舞う柔らかな身体。お気に入りなのと嬉しそうにしていたワンピースが、どす黒い赤に濡れていく。

チカチカと明滅する視界の中で、火薬の匂いと、楽しそうな男の笑い声が脳裏にこびりついた。


殺そう、単純にそう思った。

家にひとりで待っていても、帰ってこない。

この軋む木の扉があの細い手で開けられることはもう無い。

死後の世界なんて信じていないが、きっと仇討ちをするなんて言ったら困った顔で首を振るのだろう。やめてくれとも言うだろう。

でも曲げたくなかった。やめる気は無かった。


この世界で銃を手にすることはそんなに難しいことではない。

憎しみや辛さに満ちた体でも、それを手に取る時はやはり躊躇した。

冷たいそれを握って、ふと笑いが漏れる。


大切なものを守るため立ち上がった英雄達は、どんな気分で武器を手に取ったのだろうか。


自分が奪われたように、自分もこれから奪うのだ。

相手にも家族や仲間が居るかもしれない。それすらも知らない相手を殺そうとしている。


嬉しくも面白くもないのに笑いが止まらなかった。

乾いた笑いが、夜風に流れていく。


知識だけは多い。少しの特徴しか知らない相手でも、見つけ出すことは容易だった。


夜の闇の中でゆっくりと動く人影。

間違いがあってはならない。だからこそ、逸る心とは反対に頭は冷静に保つ。

暗さに慣れつつある目で、その人影を冷静に観察する。


何度も確認し脳味噌に染み付いた情報と、目の前の影の特徴がぴたりと合わさっていく。


こいつだ。


頭の中心がカッと熱くなった。


ざあっと視界が晴れる。

光のない新月は明確に、そいつの姿を照らし出していた。


何度も反芻した動作のままに手が、身体が動く。燃えて溶けてしまいそうな頭の熱さとは反対に、これから人を屠る鉄の塊とそれを握る手は氷のように冷たい。


く、と指に力を込める。仕組みのままに弾は打ち出される。

殺意の先で人影がふと、星の輝く夜空を見上げたのが見えた。


こうして自分は人を殺した。命を奪った。


当たり前だがそれで、あの笑顔が帰ってくるわけではない。

ただ自分の手が汚れただけだ。

風が吹く度に、ふわりとなびく髪のまぶしさを思い出す。

雨が降るたびに、ぽろりとこぼれた雫が頬を伝うせつなさを思い出す。

何を見ても何をしても、記憶の中の残像を追いかけてしまう。


ただ月の無い空を見上げた時だけ、自分は一人きりになれた。

あれから何度訪れたか分からないあの場所で、星の支配する空を見上げる。

あれ以降、銃を握ったことは1度もない。


敵討ちのために人を殺しても、自分はどうやっても英雄にはなれない。

救いはない。自分から落ちているのだから当たり前か。


「人殺しの英雄よ」


「あなたがたは、何を想って自らを貫き続けたのか」


しわがれた自分自身の声に笑ってしまう。

気が付かないうちに、随分年をとったものだ。


見えない新月を見上げて、目を細めた。


がさりと草むらから音がしても、あえて振り向かなかった。


「断罪だな」


向けられた殺意をしっかりと枯れた身体に感じながら、これでいいのだと微笑んだ。

生き続けても死んだとしても、自分の大切な人にはもう二度と会えないのだ。


銃声が聞こえる。




それは、自分の近くにあった木に突き刺さった。




荒い息、金属音。僅かに汗の匂い。


老人はため息をつきながら、そちらを振り向いた。

若々しい、荒削りな殺意を未だ浴びながら苦笑する。


暗闇のなかでも分かるほど光を宿した目に、熱病に侵された時必死に自分の手を握り祈っていたあの目が重なる。


全く、あの人は自分のことをどうしても簡単には死なせてくれないらしい。


精悍な顔つきのその青年は、ガタガタと体を震わせながらも真っ直ぐに自分を見つめ続けている。


命を奪うことを畏れているのか。


ふとそう気づいて、あの時震えもしなかった自分のことを思い出した。


命を奪うことに躊躇しなかった。きっと今でもそうだろう。

自らの命が奪われることもそうだ。自分はもう命なんかいらない。

一番大切にしたかった命が消えた今、もう必要ないものだ。


近寄り、その震える銃口を掴む。

抵抗される前に、自分自身の胸にぴたりと合わせた。

息を呑む音が聞こえる。相手が何か言う前に、若々しく大きな手を掴んだ。


「……全く、若僧めが」


先程から心にあった疑念が、近寄って確信に変わった。

目がよく似ている。顔も、体つきも。やはり骨格は遺伝するものなのだな、といつか読んだ本の内容を思い出す。


「基本がなっとらん……構えはこう。そんな構えだったらこのじじぃにも避けられるわ」


あれこれぶつぶつと言いながら調節を続ける。

少し経てば、震えていた両手は完璧で最適な角度で銃を構えていた。

思わず満足感からため息が漏れる。

目の前の青年の顔を見ると、どう見ても混乱した顔をしていた。

その顔からはまだ、命を奪うことへの恐怖が読み取れた。


笑いが漏れる。答えはこんな所にあった。


「どうした」


それでこそ。それでこそ、英雄だ。


「お前の仇はここに居る」


その目が、その手が、語っている。

お前は命の価値を知っているのだろう。


「殺せ、そして進め」


命の重みを知っている者こそ、命を奪うに相応しいのだ。


「私はお前の父を殺した時、一片たりとも迷わなかったぞ」


混乱に揺れていた目が、明確な殺意に染まった。


大きな音。

目の前が弾けたような感覚。


ふわりと身体が衝撃で揺れる、それを感じてやはり笑いが込み上げた。


痛みを感じる暇もなく、視界の端が黒に喰われていく。


完全に意識が落ちる直前、あの時聞こえたものとそっくりな、小さな笑い声が聞こえた。



さようなら、人殺しの英雄。


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