第3話 思考は飛躍する

携帯電話を開いてみると、アルバイト登録をしている会社からだった。


まだ逃亡してから1時間ちょっとなのに、早いなあ。こんな時だけ。困って電話してもろくに担当者には繋がらないクセに。


僕は、悪いことをしたのか?


初めて、物事の善悪が頭をよぎった。


僕は人を投げた。

だが、相手も怪我をするようなものではないにしろ、何度も蹴ったわけだ。もし相手が怪我をしていたら?病院に行ったとして診断が出るには早すぎる。今後なにか出たら?なにもないとしても、言いがかりのように痛みがあるなどと言われたら?いや、相手はチンピラのようなやつではあったが曲がりなりにも大企業の社員だ。そんなことをしている暇はないだろう。人に罪を押し付けるとすれば、商品を壊しただとか、営業妨害だとか、可能性としてはそのくらいか。


営業妨害にしろ、器物破損にしろ・・・僕は、大企業の内定を取り消された。


思考はなぜか、卒業を迎えたあの年へと飛躍した。


あの年、僕は内定を取った。

入りたい業界だったこと、憧れていた仕事、とても嬉しかった。

それが、たった一本の電話で「なかったことに」された。


内定取消という言葉が世間に広まる前のことだった。


その日は入社説明会があるはずの朝だった。

スーツに着替え、あと少しで家を出る予定だった。


ただ、申し訳ないと、なかったことにしてくれと。


仕方がない。いくら入れてくれとお願いをしたって無駄なんだろう。


「わかりました」と答えたが、その後どうしたかが全く思い出せない。


地下室にでもいるかのように、体と心が静かに冷たく感じたことだけははっきりと覚えている。


その後、派遣のアルバイトを続けることにした。毎月の研修会へ行くと、派遣法の改正で3年間働けば契約社員になることができるという話があった。


本当に契約社員になれるのだろうか。

ここにいる派遣社員だけで、300人を超えているのに。

新卒のようにエントリーシートから厳選され、面接を突破し、選ばれた社員達とほぼ変わらない福利厚生を受けられ、雇用される。このアルバイトは学歴や経験は一応問われはしたが、簡単な5分程度の面接で受かったんだ。そんなやつらを契約社員になんかするのかと疑問があり、人として信用のをしていた、おっちゃんの上司に聞いてみることにした。


「若いやつらは高学歴ばっかだよ。俺の時代はまだぎりぎり運よく入れたけど、お前のためにもはっきり言うと、これからはないだろうな。」


その言葉を聞いて、せっかくの派遣社員期間でついた有給休暇もリセットされるということもあり、派遣社員を辞めた。


時代が、違えば。


投げ飛ばした男がどうだかはわからないが、時代に恵まれ、家族に恵まれ、あの日焼けした体だ、休みの日はアウトドアでも楽しんでるんだろう。

一方、僕といえば、何のために呼ばれたのかわからないような面接で、「君に何ができるの」、従業員10人もいないような雑居ビルの中にある会社では「ぶっちゃけ、もっと経験があって優秀な人が欲しいんだよね。」と言われ、日雇いアルバイトでは、マスクもない中アルミの粉塵まみれで作業をしたり、ひたすら重いものをラインのつなぎ目がない場所に立ち右から左へ動かしたり、食品工場で「遅い」と頭に丸まったチーズを投げられたり・・・。


ー・・・僕が一体なにをしたって言うんだ!?


誰かを意図的に傷つけてやろうなんて生まれてこの方したことなんてない。誰かが理不尽に傷ついていれば、それはおかしいと言い、自分が我慢して済むのであればと、いつだって我慢をしてきた。


「我慢しなさい」「優しくしなさい」


そう、母親から言われて育ったから、好きな子に「優しいだけじゃ頼りない。」と中学の時に言われても、それでもいいと思った。


ただ・・・


この僕が、一体なにをしたって言うんだ!


初めて、体中から怒りが爆発するのを感じた。手が震え、鼓動が早くなり、体中の毛が逆立つような感覚だった。


今だって、なんで逃げなきゃいけなかった?先に手を出してきたのはあっちだろう。言いたいように会社に報告したんだろう。初めから悪意むき出しで接してきたようなやつだ。これまでの人生だってそんなもんだろう。そんなやつが幸せに生きて、なんで僕が悪者のように逃げなくちゃいけなかったんだ。こんな状況に立たされているんだ。


腹の臓器が熱を帯びた頃、再び携帯が鳴り、出てみることにした。



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