第2話 追っ手

走ってきた暑さが少しとれてきた頃、現状を頭の中で整理することにした。


気がついたら、背負い投げをしていた。


正しくはそうではない。

繁忙期にだけ呼ばれる短期のアルバイトは、学生の頃からずっと働いており、今回も同様慣れた仕事であったし小銭を稼ぐために引き受けた。

契約毎に行く現場は変わるのだが、上司となった人は10歳くらい年上か、いかにも体育会系というガタイのいい日焼けをした男だった。


「へえ、仕事してないんだね」

「結婚はしていないのか」

「就職決まらなかったんだ」


この男は、会うなり人の話を腹の底から楽しそうにげらげらと笑った。


面と向かってこんな風に言われたことは初めてだった。

幸先のいいスタートも切れず、面接には受からず、短期アルバイトを過ごしていた僕にとっては、それは現実のことだからと心の中で思い、力のない笑いを返した。


作業をしていると、突然足を蹴られた。


「もっと動け」


短期アルバイトはいつも評判がよく、それで毎回呼ばれていた。だが、この男は「違うだろ」と怒りをあらわにしながら、何度も蹴りを入れてきた。


蹴りが一発、二発・・・。


次の日も、三発、四発・・・。


そして次の日も、五発、六発・・・。


心の中で数えていた蹴りが十発になった瞬間、男の厚い胸板ではちきれそうなシャツを右手でぐっと掴み、黒い肌に眩しく光る時計をした腕を掴み、両肩から体をぐっと沈め、地面に叩き込んだ。


すぐ横にディスプレイされていた商品は、男の体に巻き込まれ一緒に宙に舞い、ガシャーンという音とともに、散乱した。


男は立ち上がると鬼の形相で激昂し、あやうく首を絞められそうになったが、腕を払いのけ距離をとり、言い合いとなった。


男は「返せ、返せ」と叫んでいた。


周りに人が集まりだし、僕は私物を持ち走って、逃亡した。


そして、街中を追われながら走り、電車に飛び乗り、こうして川にいる。


日給1万円を得ようと思ったら、こんな結果になった。


僕はうなだれた。


そういえば、「返せ」とは何のことだったんだろう。

ポケットをあさると、会社名の入ったカードが出てきた。このカードを紛失すると、解雇だか何十万円の罰金だか、遠い過去に読んだ契約書に書いていたような気がする。ただ、僕にはもうどうでもいいことだ。契約書に罰金など書いていても、日銭を稼ぎにくるような社会的地位も金もない貧乏人に請求されることはないと、同じアルバイトをしていた誰かから聞いたことがあるし、ぺらっぺらのこのカードにそんな価値があるはずもない。

このアルバイトも、二度と呼ばれることはないだろう。

携帯電話にある会社と関係のありそうな番号は全て着信拒否にしょうか。


そんなことを考えていると、携帯電話に着信があった。


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