最近何かとウワサのSF警察

 最近、Amazonで「彼方のアストラ」に書かれたレビューに端を発してSF警察に対するバッシングが起きている。驚いたのはSF警察に対して色々含むものがある人が結構多くいたことだ。嫌われているんだなぁ……


 自分も遭遇したことがあり、正直かなり不愉快を感じた。因みに自分の場合はリアルでの話、もう爆発ものだった。

 ともかく口が悪かった。そして差別的――つか差別主義者そのもの。何かと言えば「こんなものはSFではない!」、「SFとは~(色々な言い方がある)でなければならない!」をしつこく繰り返し、少しでも反論すると顔を真っ赤にして(比喩ではなく本当に赤くしていた)、怒り出した。

 どうも考証至上主義なところがあり、主に設定関係に難癖をつけていた。つか難癖しか聞いたことがない。凡そ褒めるということがなく、批判しか述べない。いや、口のききかたのせいもあるが、あれは悪口、愚弄、罵倒、嘲笑でしかなかった。批判とすら言えないな。いい加減ウンザリしたものだ。


 あの者との会話はかなりストレスを感じさせ、嫌になった。当然すぐに関係を断ち、その後、二度と会うことはなくなったが、しかし記憶には残った。どうもPTSDみたいな感じになって(大げさな言い方かもしれないが)、事あるごとにフラッシュバックを起こして思い出したのだ。SFに触れると必ず思い出し、一気に気分が悪くなるを繰り返した。だからSFに触れること自体ができなくなり、次第にこのジャンルから遠ざかっていった。ゼロ年代初期の頃の話、以後約十年に渡ってSF関係の作品には触れなかった。主に小説になる。漫画やアニメは例外だった。どうも意識を分けることができたみたい。決してSFではない思っていたわけではない、漫画・アニメという項目に意識の重きを置いてSF云々を意識しなくなっていたのだ。だから漫画やアニメならフラッシュバックを起こすことはなかった。でも小説は無理だったな。


 復帰の契機はサイコパス特別編放送時の「虐殺器官」の映画のCM、槙島の声を演じた人のナレーションがカッコよくて作品に興味を持ったのだ。それで原作があることを知り、久方ぶりにSF小説に触れたわけだ。十年以上振りだったかな。

 ――で、まぁ「虐殺器官」を読んで地団駄を踏んだね。こんな傑作を知らずにずっと過ごしていたのか、何たる損失、なんたる失策――と! 改めてSF警察――というかあの者――への恨みが燃え上がったわい!

 以降はSF作品に普通に触れるようになった。記憶は今もあるが、苦痛を伴うフラッシュバックは起きなくなっていた。時が解決したのかな? そして今に至る。

 失われた十年を返してほしいぜ。



 SF警察は害になる――などと決めつけるのは間違いだとは思う。中には有用な意見を述べる者もいるかもしれない。自分が遭遇したのは特に質の悪いに輩だったのだろう。あの者には確実に人格上の問題があった。

 ただ、今回のアストラ騒動に関する意見の数々を見るに、かなりの人々がSF警察にネガティブな印象を持っているのが分かった。――となるとSF警察はみんな“あんなもん”なのか? 或いは“あんな感じ”の性格の持ち主がSF警察になるのだろうか? よく分からん。


 こういううるさい人は昔からいた。以前はSF原理主義者などと呼ばれていたらしい。

 例えば高千穂遥、クラッシャージョウシリーズやダーティーペアシリーズの作者の人。ガンダム(ファーストのこと)がヒットし始めた頃(80年代初頭)、各所で「ガンダムはSFじゃない」を繰り返し述べていた。主にSFマガジンや今は亡きスターログ日本版、月間OUTなどで。あまりにもしつこかったので(自分にはそう感じられた)、恨みでもあるのかと穿ったものだ。因みに高千穂氏は松本零士にも噛みついたことがあるらしい。うぅむ……勇気があるな、とは思った。

 彼の言うSFとは、センス・オブ・ワンダーであり、SFマインドがあるどうか、なんだそうだ。事あるごとにこの言葉を繰り返していたた。ただこれらワード、自分にはアバウトで実体の定かでないものに思えた。つまりよく分からん。

 センス・オブ・ワンダーの教科書として彼は「宇宙の戦士」(ロバート・A・ハインラインによる軍事SF)を挙げていた。それで自分も読んでみたが……はて、そうなのか? ――としか思えなかった。

 「宇宙の戦士」は非常に硬直的で政治的プロパガンダを連呼する極右小説にしか見えなかったのだ。本国でも作品発表時にはハインラインはファシストになった、などと騒がれたらしい。彼がファシストかどうかは分からないが(多分違うと思う。同時期くらいに発表された「月は無慈悲な夜の女王」は真逆の共産主義的なものに見えたからだ)、今はそこを語るのは控える。ともかくも、自分にはセンス・オブ・ワンダーの教科書には見えなかった。高千穂氏に言わせるとラスト近くで明かされる主人公の出自、非白人であるということがセンス・オブ・ワンダーになるそうだ。

 え? 何なのそれ? としか自分には思えなかったが、作品発表時(60年代)のアメリカでは非白人が主人公になること自体が稀で、だからセンス・オブ・ワンダーになる、と主張したいらしいが、どうも理解できない。それって当時のアメリカ人にとってのセンス・オブ・ワンダーであり、以後の人々、まして日本人には理解できないことなのでは――と思うのだが、これは理解の足りない証拠なのだろうか?

 最後まで高千穂氏の主張にはどうにも同調できなかった、今も同じ。

 一つ付け加えるが、氏は決して失礼な言い方はしなかった。強い口調ではあったが、バカにするような言い方はなかったし、決して主義主張の違う人を見下すようなことはなかった、少なくとも自分の見た範囲では。氏の名誉のためにも強調しておく。 


 今のSF警察はどうだろうか? 件のアストラレビュアーはかなり口が悪かった。どう見てもこき下ろすことが目的としか思えなかった。ああなると幾ら指摘が正しかろうと耳を貸す気にはなれない。あくまでも評価だと言いたいのなら、最低限口調には気を付けるべきだと思う。他にSF警察と言えそうな者はちょくちょく目撃するが、似たようなものが多いな。PTSD(みたいなもの)がぶり返すのが嫌なのであまり深くは見ないことにしているので断言はできんが、まぁ……本質は変わらんかな。

 彼らは設定や考証ばかりに気を取られるみたいだ。ンなもんはどーでもいいんだよ! ――なんて言いきるのもアウトな気もするが、もっと大切なのは物語だ。物語としてどこまで面白いかだ。そこに主眼を置くべきであり、SF警察の見方では作品が楽しめないんじゃないかと思う。面白い作品が書けない自分が言うのも何だが……




 追記:ガンダムのモビルスーツの元ネタが「宇宙の戦士」の強化服パワードスーツだというのは有名な話。

 70年代後半のある時、企画に悩んでいたサンライズのとある企画担当者が当時友人だった高千穂氏に相談したらしい。それで氏は「宇宙の戦士」を紹介したとか。後日企画担当者は高千穂氏に「あの強化服パワードスーツっていいですね、使えますよ」と言ったらしいが、この時氏は「私が伝えたかったのはセンス・オブ・ワンダーだ。SFマインドだ」と言って怒ったとか。これは聞いた話。ウィキでも書いてあったかな。

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