夏は誰にも答えない

白川 夏樹

夏は誰にも答えない


 あぁ、暑い。


 夏に入ってから何日経っただろう。今日も遠くで必死に鳴いているアブラゼミの声が聞こえる。

 今年の夏も、頑張って生きてる人達をうん

 りさせるように遠慮なくこの日本の温度を上げていく。


 世の人間の何人かは夏なんて来なくていいと思っているのではないだろうか。そんなくだらないことを考えてはいるが、かく言う俺も夏の暑さに耐えきれずにこの狭い部屋から出られないでいる。

 いい加減ここからでなければならないとは思いつつもその未練を断ち切れずにいた。


 ……ふと、開いている窓を見ると2人組がこちらへ歩いてくるのが見えた。距離が近づくとその二人が高校の頃の友人のダイスケと、俺が当時好きだったクラスメイトのユイだと気づいた。


 ダイスケは外から顔を覗かせながら無邪気に笑って俺に話しかけてきた。


「久しぶり!ショウヘイ。元気してたか?」


 俺にタバコを投げながら喋るダイスケのあの頃と変わらない口調が懐かしく、安心しながら俺は応えた。

「ああ、お陰様で。そっちこそ元気そうでよ かったよ。それよりお前、ユイと一緒とは…

 俺への当てつけか?」

 冗談めかした俺の言葉をダイスケは苦笑気味に、


「ああ、ユイか?僕らが卒業したあと17回目の告白でやっと折れてくれたよ」


 と応えた。


「もう、そんなの言わなくていいじゃない」


 赤い顔でユイが諌める。

「そうか、ダイスケもユイもちゃんと成長してるんだな」


 2人は俺の言葉にうまく応えられずに寂しい顔をした。


「なぁ、ショウヘイ。お前はまだそこ出られないのか」


 そこというのはこの狭い部屋のことだろうか。

「俺もいい加減でなきゃいけないと思ってるんだけどな。まだ踏ん切りがつかないんだ」

 ダイスケは優しい口調で


「まだ出られないなら俺達がいつでもここに来るから、出たくなったら出ればいいさ」


 と言った。

 ユイも続けるように喋りかけてくれる。


「ショウヘイ君は私たちのヒーローだから、

 次は私たちが助ける番。何度でもここに来るから」


 そんなに思ってもらえているとは、少し照れるがそれ以上に嬉しい気持ちでいっぱいだ。


「2人とも、随分大人になったなぁ。他の奴らも成長してるのか?」

 俺の問いに2人は自慢げに応えてくれた。


「そういえばシュウは今や大企業の敏腕社長らしいぜ。この前外車見せつけられたよ」


「ああ、あいつはいつも自慢げに新しいもの学校に持ってきてたよな。先生に没収されて泣いてたっけ」


「マリコちゃんは海外で通訳してるらしいわ。卒業したあと英検一級取ったって嬉しそうだった」


「あのクラスで一番シャイだったマリコが!? 人生どうなるかわからないな……」

 同級生の活躍を聞いていると懐かしい気持ちが胸の底から溢れ出てきた。


「それで」


 ダイスケが少し間をおいて


「僕達も来週、結婚するんだ」


 と打ち明けてくれた。

 少し驚いたが、これ以上におめでたいことは無い。

「そうか……、二人ともおめでとう! 式には行けないけど、お祝いするよ」

 二人とも結婚するのか、みんな俺を置いてドンドン前に進んでいくんだなぁ。


 ユイが時計をちらりと見て、驚いた顔でダイスケの背中を叩く。


「いけない!クラス会の約束の時間になっちゃう。そろそろ行きましょ」


「もうそんな時間?じゃあ行こうか」


 ダイスケも慌てた声で答えた。

「二人とも、もう行くのか?」

 もっと話していたい。しかしダイスケは申し訳なさそうに


「短い再会でゴメンな。この埋め合わせはまた今度するからさ、ショウヘイ。だからさ……安らかに眠ってくれよ」


 と、短い謝罪の言葉を俺に送った。


 墓の前に立てられた線香の煙が夏の風に引っ張られる。空は夕焼けの橙に染まっていた。

 安らかに……か、簡単に言ってくれる。


「お前がユイをかばって死んでから17回目の夏だ。次はクラス全員でまた線香あげにくるよ」


「ショウヘイ君、本当に、ごめんなさい……」


 ユイが悲しそうな顔をすると俺のもう既にない胸がきつく、苦しくなる。

 そんな顔するなよ。ユイが悪かったわけじゃない。


 17年前の今日、俺はこの世を去った。

 その日、俺はユイに自分の思いの丈を全て伝えようと放課後、そのあとを追いかけた。すると川に溺れているユイを見つけた。その光景を目にするや否や、俺は泳げもしないのに迷わずに川に飛び込んだ。

 結果、喜ばしいことにユイを助けることが出来たんだ。その時のユイの腕には、彼女が飛び込む原因となったであろう子犬が抱えられていた。

 安堵したのもつかの間、元々勢いのある水流に流され、俺はもうユイに想いを伝えることも出来なくなった。でも、死んだことに後悔はしていない。といえば嘘になるが、子犬を助ける、そんなユイが大好きだったんだ。恨むはずもない。


「十七回目、もうそんなに経つか。みんな元気そうで何よりだ」

 誰にも届かない俺の独白に応えるようにダイスケは


「僕達、幸せになるから。お前の分まで生きるから。高いところで見守っててくれよ」


 と言ってくれた。

「もちろんだ。あと70年はこっちに来なくていいぞ」

 聞こえてなくてもいい、ただ思いが伝わってくれるなら。



「ふふふっ」


 ユイが不意に笑い出した。


「なんかショウヘイ君、私たちにまだこっちに来るなって言った気がした」


 さすが優等生、俺の考えていることはお見通しらしい。


「俺もそんな気がする。これはなんとしても応えてやらなくちゃな」


 そういってダイスケは振り返り、俺に背を向けて


「じゃあ、ほんとうにもう行くよ。ショウヘイ。さようなら」


 と言って歩き出した。


「……さようなら。ありがとう」


 ユイも続けてそのあとを追った。


 俺はまだユイのことが好きだ。

 見えなくなりそうなユイの背中に、あの日言えなかった思いを告げそうになった。だが口から出かかったその言葉を、俺はゆっくりと飲み下す。

 言っても聞こえないと分かってはいるが、なぜだか言葉にすることを憚られた。

「幸せになれよ。2人とも。……さようなら」


 ずっと言えなかった決別の言葉が今はすっと出た。言ってしまうと胸のつかえがとれたような気がした。

 その言葉の後、二人の背中はついに見えなくなった。気がつくと、先程聞こえていたセミの声が今は大人しくなり、辺りは風に撫でられて擦れた声を出す木々の囁きで満ちていた。空は薄い紺色に染められて、何かが俺の逡巡を全て塗りつぶしていったようだった。


「さて、この狭い部屋ともおさらばするか」

 小さな部屋の小さなドアノブに手をかけながら、俺は今までの夏を振り返った。

 俺が過ごせなかった夏を、みんなは代わりに過ごしてくれている。そう思うと俺を縛り付けていた深く太い未練という鎖がふっと消えていくのを感じた。


 今年の夏はまだまだ暑くなる。来年も、再来年も、夏はもっと温度をあげていくだろう。けれども、その夏に俺はいない。


「さようなら」


 俺が放った文字通り最後の言葉に、誰かが答えてくれた気がした。

 いや、そんなはずないよな。

 俺は苦笑しながら、頼りなく、けれども確かに先へ繋がっているであろうその扉を開けた。





『夏は誰にも答えない』








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