第2話
生ぬるい空気に満ちた放課後の室内プールでは、消毒薬の臭いが鼻を突きます。体育館がある棟の地下に造られたこの古いプールは、天井の塗装が所々剥がれています。水泳部のわたしたちは、白いキャップに紺色のスクール水着、それからゴーグルを身に着け、まるで統御されたように黙々と泳ぐのです。中一から高二まで、五十人ばかりでしょうか。部活動は高校二年で引退です。三年生は受験勉強に専念するためです。
水泳部がわたしに与えるものは、経時的な成長です。集団による推進力です。そして、無音の世界です。
水の中だと、地上よりずっと自由に体が動く気がします。手足を、体幹を、滑らかに動かすと、水の中を貫くようにぐんと早く進めるところが、水泳の好きなところです。空を飛べるとしたら、こんな風でしょうか。たとえば、妹が生意気だとか、先生に叱られたとか、友達と喧嘩したとか、わたしが日常の中で衝突する小さな問題なんて、肉体的な疲労でさっぱりと洗い流せるような気がするのです。
顧問の寺田先生は厳しいと評判の先生です。はっきりとした顔立ちの、筋肉質な中年の先生です。彼女はわたしたちの姿勢の乱れや、気の緩みをすぐに見つけ、その度に鋭く笛(ホイッスル)を吹いては、よく通る声で名を呼んで注意します。
年度の初めの頃、殆ど小学生と変わらないような中一の生徒の中には、そんなとき、どうしたらいいか分からず泣き出しそうになってしまう生徒もいました。でも、今はもう秋。もたもたと戸惑っていた中一たちの動きも、少しずつ様になってきています。号令や、先生の指導を受ける際に返す、はい、お願いしますという声も、もう、しっかりと力強く発することができているのです。
中一、中二、中三……、と、それから、高一、高二、と。部員たちは学年ごとにまとまって泳ぐので、その技術が時間を経てなだらかに上がっていくのがよく分かります。クロールの腕一つとってもそうです。中一だとまだ手探りで、ただ手を前に伸ばすだけだったり、無駄な力みがあったり、途中で疲れてフォームが崩れてしまう生徒も見られます。勿論、同じ学年でも、素質や経験や体格によって違いはありますが。それが高二になると、腕を耳につける様にして抵抗を減らしながら伸ばす過程から、水を掴んで後方に押し切り、すぐさま元の位置に戻る動作の流れが連続的で、疲れを見せない、自信に満ちたダイナミックな動きになるのです。
そして、わたしたちの身体を構成する無数の曲線も、きっと、勾配をもって変わってゆくのです。薄く小さな子供の身体から、ゆたかに脂肪を含んだ女性の身体へと。
部長や副部長を務める学年である高校二年生は、わたしが入学したての時、とても眩しく見えました。その時の部長は平瀬さんという方で、とても面倒見の良い、丸顔のほほえみが優しい方でした。彼女はすぐにひとりひとりの名前や性格を覚え、逐次、部活動での作法や泳ぎ方のアドバイスをくださいました。平瀬さんのほほえみを励みにしていた新入生は多かったと思いますが、彼女の話題が出なくなって久しい今も、ここに来るとわたしは平瀬さんを思い出すのです。
わたしは、あっという間に高一になってしまいました。けれど、入学当初に見ていた高校生の先輩のようになれているかというと、全くそうは思われません。むしろ、自分は中一のころからあまり変わっていないような気がしてしまいます。小学校六年生から中学に上がるとき、中一から中二になるとき、直前まで見えていた一年上の先輩は、ほんとうに大人っぽく見えるのです。けれど自分が進級してしまうと、あぁ自分はまだまだ子供っぽいなぁと、がっかりするのです。それで、一年前に一年上だった先輩はまた一年上になり、いくら手を伸ばしても決して届かない蜃気楼(ミラージュ)のようにきらきらと輝いているのです。
準備運動を済ませ、一時間ほど泳いだ後、部長が進行する反省会を行います。各学年の反省、全体の総括を終えてから、プールに礼をし、練習は終了します。心地よい疲れが、濡れた綿のようにじんわりとわたしの全身を抱いています。
いつもは二時間ほど泳いだり、陸上での筋力トレーニングをしたりするのですが、今日の練習は早く切り上げられました。一週間後に迫った文化祭の準備をするためです。水泳部の出し物は、体力測定。来場者に踏み台昇降や反復横とび、握力などのテストを受けてもらい、その結果からその人の体力がどれくらいかを総合的に点数化するというものです。
わたしたちは制服に着替え、多目的室に移動しました。
多目的室には広いテーブルがいくつもあります。広い窓からは、紫丁香花(ライラック)みたいな空が見えます。わたしたちは部屋中に散らばって作業を始めました。立て看板を作り、模造紙に説明文を書き、景品にするための色紙を切り、説明のための用紙をパステル・カラーの紙に印刷します。ある先輩はイラストが得意で、親しみやすい絵のついた説明文を描いてくださったのです。わたしは泳ぐことも好きですが、時にこうやって一丸となってイベントの事前準備をし、また当日にいろいろな人と交流するのは、とても楽しいのです。
ほかの部員たちと作業をしながらもわたしは、時折ふと気が付くと鳳仙さんのことを思ってしまいました。
あれから町で鳳仙さんを見かけることはありません。でも、わたしは夢美を迎えに行くとき、いつもつい、鳳仙さんの姿を雑踏に探してしまうのです。
教室での鳳仙さんは相変わらず、ゆかしく佇んでいました。わたしの視線は、蝶が止まるように鳳仙さんの頬をなぞります。髪をなぞります。けれどそれは決して彼女の内部に届かないのです。あの夜彼女が何をしていたのか、わたしには知ることができません。そればかりか、鳳仙さんが放課後に何をしているか、家で何をしているか、休日をどう過ごすか、部活動……華道部で彼女がどうふるまうのかも、わたしは知らないのです。
鳳仙さんに接する機会は、思いのほか早く訪れました。それは、傍から見ればきっと、とるに足らない、他愛もないことでした。
その日わたしは週番でした。週番は出席番号順に二人一組で、三日間ずつ割り当てられます。週番は、朝出席をとったり、日誌に授業内容の記録をしたり、また授業の準備をしたりする役割を担うのです。
次の数学の授業までに、週番は、数学の問題集用のノートをクラスの成員から集めることを言いつけられていました。もう一人の週番である佐藤さん――演劇部に所属していて、英語が得意な活発な人です――と話し合い、わたしが集めることにしました。先週の終わりにもノートが集められ、期日に提出した人のノートは教室の後ろの箱に入れられていました。ですが何人かが、ノートを忘れたのか、指定までの問題を解くのが間に合わなかったのかでノートを提出しておらず、今日、週番が全員分のノートを確実にそろえて提出するように、と数学の先生に念を押されていました。そして、鳳仙さんが先週ノートを提出していなかったのをわたしは知っていたのです。何しろわたしは学校にいる限り、鳳仙さんをじっと見ていたのですから。彼女が蝶をあしらった模様の鏡を愛用していることも、彼女が爪を磨いて艶を出していることも、彼女が明らかに高校生には似つかわしくない、非常に繊細な、レースや刺繍の装飾のついた高級そうな下着を身に着けていることも、彼女が持ち込みを禁止されている携帯音楽プレイヤーで何かを聴いていることも、彼女の二の腕や内腿に切り傷が絶えないことも。
わたしは前任の週番から受け取った名簿を眺めました。やはり、鳳仙さんを含む数人の欄が空になっていました。つまり、彼女たちはノートを提出していないのです。数学の先生の指示では、期日に提出した人と遅れて提出した人を区別して記録するように、とのことでした。
わたしはまず、鳳仙さんを除く四人からノートを集めていきました。ノートはそっけない大学ノートだったり、ペンやシールで装飾されたパステル・カラーのノートだったりします。皆、済まなそうに、愛想よくノートを提出してくれました。その度にわたしは彼女たちの名簿にチェックマークを書き込み、それから今日の日付を書き足しました。
わたしは漸く、鳳仙さんを見ます。白いセーラーカラーに垂れた長い髪、物憂げな仕草を。
「鳳仙さん、数学のノート、提出してもらえる?」
「ああ。……はい」
鳳仙さんは気のない声でそう言い、水色のノートを私に預けました。冷たい、しなやかな指がコツンと無造作に少しだけ、わたしの手に触れました。その後になってわたしは想像の中で何度その手を取り、握り、彼女を見つめ返したか知りません。けれどその時のわたしは鳳仙さんと目を合わせずに、軽く会釈することしかできませんでした。それでいてなんと身勝手なことか、わたしはほんの少しだけ憮然としていたのです。鳳仙さんとのもっと細やかな会話を期待していたのです。ありがとう、とか、遅れてごめんなさい、とか。それだけでもよかったのに。でもそんなのは、わたしの独りよがり。
鳳仙さんの水色のノートの表紙には、クセのある、かしいだ字で教科と名前が書かれていました。名簿を見ながらわたしは逡巡しました。そして、鳳仙さんの名の横に、期日の日付を書き込みました。
いったい、何のつもりだというのでしょう、わたしは。こんなことをして。でもそれが不当な、的外れな期待だというのは……わかっているのです。鳳仙さんは何も気づかないままでしょう。わたしはうっかりして、鳳仙さんの欄に今日の日付を書き加えず、先日の日付を書いてしまったのです。そう、これはわたしの単なる過失なのです。
数学の先生がやってきました。五十代半ばの長身の先生です。白いシャツに、大分時代遅れの、グレーの長いスカート。化粧っ気のない顔。丸い鼻。勿論アクセサリーの一つもつけていません。彼女は独身です。制服を着ているわたしたちより、彼女こそが、修道女に近いのかもしれません。
わたしはクラス全員分のノートが入った箱と名簿を、何食わぬ顔で彼女に渡しました。あら、ありがとうね。彼女はあっさりとそう言って箱を受け取りました。勿論、何も変わったことは起きませんでした。自分が思ったほど動揺していないことに対し、わたしは何故だか少しうろたえていました。
きっとわたしの年ごろの、少なくない生徒たちは、もっと大幅に、容易く規則や道徳を超えているのでしょう。授業中に携帯電話をいじったり、放課後にゲームセンターに行ったり、煙草を吸ったり、お酒を飲んだりするかもしれません。学校なんかに行かないかもしれません。お店で物を盗むかもしれません。喧嘩ばかりしているかもしれません。でもこれは、わたしの行為は、そうした行為と較べていかに小さく見えようとも、そうやって自分を言いくるめようとしてさえも、はっきりとした不正です。クラスの皆に対する不公平です。わたしはそれを、よく分かっていたのです。
文化祭(フェスタ)が訪れます。土曜日と日曜日の二日間、それは行われます。
毎週土曜日に感じることですが、休日の朝の地下鉄は平日よりもずっと空いているのでほっと安心できます。平日の朝、わたしは大勢の通勤者と共に細長い車両に押し込まれ、何とかして互いの靴が重なり合わないようにして立つ場所を確保します。そしてわたしたちは瓶詰めの豆にでもなったかのように、四方八方からの、軟らかく、また堅い他人の身体の熱と圧力と車両の揺れに耐えながら、じっと目を閉じて外界を遮断し、目的地に着くのを待つのです。しかし一方で週末の朝は、足の踏み場の心配をすることのない、人のまばらな車内で、多くの人が携帯電話を凝視し、何人かが文庫本を読んでいるのを見ながら、吊革につかまっていられますし、運が良ければ座って眠ることさえできるのです。
そんなわけで、その日のわたしは少しばかりうららかな気持ちで登校しました。校門には花飾りのついた手作りの立て看板が立っていましたし、校舎のあちこちにもきらきら光るリボンや色とりどりの紙細工や工夫を凝らした大きなポスターといった装飾が施され、校舎全体が浮き足立っているようです。水泳部員は、出し物の最終準備のため、八時半に東館の多目的室に集合することになっていました。わたしが自分の教室に到着したのは八時でした。下駄箱の半分くらいは上履きではなく革靴になっていましたが、教室には十人程度の生徒がおりました。これはつまり、出し物の準備のためにいつもより早く来る生徒が多く、かつ、その多くは教室から部室に既に移動しているということです。わたしは鞄の中身を整え、教室内でプログラムを眺めたり、談笑したりしている級友たちに軽く挨拶をすると、多目的室に向かうことにしました。
廊下に出ると、隣のクラスの須藤可奈さんが、腕章をつけた担任の岡崎先生に注意されていました。須藤さんは茶色く染めた髪を派手なピンで飾り、ワンピースのスカートを短く切っていました。そのせいで、古風な制服は安っぽい衣装に成り下がっています。そんな、わたしたちの学校の生徒にしては開放的な出で立ちでいながら、彼女は、マニキュアを塗った指をおなかの前でもじもじと組み、髪を顔に掛ける様にして俯いていました。お化粧をしていたために叱られているようです。
「そんなことをしなくても、あなたは十分に可愛いのよ」
岡崎先生の叱責の言葉を後にしながら、わたしはそっと廊下を歩いていきました。
須藤さんは岡崎先生の言葉を、安易なごまかしだと受け取ったのでしょう。生徒たちに化粧をさせないように説得するための。また、「友人のような」教員として振舞おうとしている岡崎先生が、生徒を叱った後もその立ち位置を保つための。
けれど先生の言葉は一つには真だとわたしは感じていました。級友たちは皆、そのままでそれぞれに美しさを持っている、とわたしは本心から思っていたのです。笑顔が愛らしかったり、言動が可憐だったり、声が、文字が、ポニー・テールの揺れる様が、足首の細さが、くびれた腰が、珊瑚のような爪が、わたしにはそれぞれに美しく見えていました。わたしはそうした他の少女の美点をみとめ眺めることを好んでいました。
それでいておかしなことに十五歳の今も、わたしはお化粧に対してほとんど無知でした。他人を眺めて楽しむ割に、自分の身体を飾ることに対しては無頓着だったのです。勿論清潔な、すっきりとした身なりであることは心がけていますが、自分の睫毛の長さとか、目の大きさとか、胸の大きさとか脚の長さだとか、鼻や唇の形だとか、太っているとか痩せているとか、そんなことは本当にどうでもいいことでした。
実は、お化粧に関しては苦い思い出があります。中学に入ったばかりの頃、母がわたしと妹にリップ・グロスというものを買ってくれました。それは可愛らしい装飾のついた小さなチューブに入った、粘性のある液体でしたが、わたしはそれをリップ・クリームと混同しました。眼球が乾いた時に目薬をさすように、唇が荒れた時に塗るものだと思っていたのです。しかしそれはリップ・クリームよりむしろ口紅に近い社会的役割を持っていたようなのです。暫くしてから、授業中に何の気なしにそのリップ・グロスを塗ってみたわたしは、突如、劇しい非難の的になりました。
「桜枝さん、授業中になんてことをするんですか!」
教室にある百近い瞳がすべてわたしを見つめました。先生はその静寂を切るように歩み寄ると、わたしの真新しいリップ・グロスを取り上げました。わたしはとっさに反応することができませんでした。叱られた理由が分からなかったために呆然としていただけなのですが、数学の先生はわたしが反省している、或いは怯えて落ち込んでいると受け取ったようです。
「今回だけは見逃します。二度としないように」
入学したてということもあって、おとがめはそれで済みました。しかし、それからしばらく、わたしを指差してひそひそ言う人が絶えませんでした。彼女たちは決まって流行りのブランド品をもち、スカートをたくし上げていましたが、やがて学校に馴染んでいくと教師たちの目を盗み、次第に大胆に、短いスカートやハイソックス、アクセサリーを身に着けるようになりました。彼女たちにとっては、やはりお化粧は特別な意味があることのようでした。それが必ずしも、素顔より美しくなることを保証するものではなくとも。
文化祭で、化粧を施した彼女たちは男友達を、あわよくば恋人を、作ろうとしているのでしょう。そしてまた流行りの化粧や流行りの持ち物、仲のいい男の子――名門校の学生が標準で、名門大学生だったり、時には音楽家など少し変わった職業であったりすると尚更その価値は上がるようです――の存在は、そうした少女の集団の中で、背伸びやあこがれの中で、互いを結ぶ紐帯であり、互いに競うための駒でもあるようなのです。
鳳仙さんはあの日、あの雨の夜、確かにお化粧をしていました。それは華やかなグループの人たちのもの……判で押したような、実際の肌のきめ細かさや顔だちの個性を損なうような化粧とはちがい、上品で垢抜けていて、真に鳳仙さんの美しさを際立たせるものでした。映画の中で、長い髪を惜しげもなく風になびかせて笑う、少女女優のように。
――どうして? 何のために……?
セーラー服の胸元が、薄荷で撫でられたように冷たくなりました。
あの暗い空、雨の街の中。後姿の鳳仙さんの視線の先に、顔のない男性の影を見たような気がしたからです。
わたしたち水泳部員は多目的室で、訪れる人々を出迎えました。やってくるのは、在校生やその家族、お洒落をした親子連れ、小学生たち、在校生の友人であろう他校の学生たち、そして卒業生たち。彼女らは愉快そうに笑いながら、時にはむきになって、様々な項目の体力を測定します。例えば上体起こし……所謂腹筋が三分間で何回できるか、それから長座体前屈……マットの上に脚をのばして座り、上体を脚の上に重ねるように寝かせていき、両手を爪先よりもどれだけ前に出すことが出来るか。他にも、握力の測定に、反復横とび、踏み台昇降。身長や体重も測ります。中学生でしょうか、脚が短い方が、長座体前屈が有利だ、などと言いながら笑い声を立てています。踏み台昇降の足音が、行進曲(マーチ)のリズムのように陽気に響いています。
測定結果を集計し、規定に従って総合体力年齢を判定するのが、わたしと後輩の役割でした。用紙に年齢を書き込み、結果に応じたスタンプを押してお客さんに渡します。判定を受け取るたびに、喜んだり苦笑いしたりするお客さんの反応に、わたしたちもにんまりします。
当番の時間を終えたわたしは、ほかの部の友人と落ち合い、学園中を見て回りました。学園は東棟と西棟に分かれていて、西棟には高校生の教室があり、東棟には中学生の教室と、体育館や音楽室などの特別教室があります。わたしたちが今歩いている西棟の方が新しく、明るい雰囲気を持っています。階段や玄関には、特に優秀な生徒の美術作品が展示され、廊下にはクラブ活動の部員募集や作文コンクール、短期留学生募集の張り紙がピンでとめられています。ステンドグラスに秋の陽光が透け、微睡むような色彩が床ににじんでいました。窓からのぞむことのできる中庭では見事な濃淡のコスモスが咲き乱れていました。
学園にはたくさんのクラブ活動があります。とりわけ、舞台を使う部活動はとても華やかです。たとえば演劇部にダンス部、歌劇部。それから合唱部に管弦楽部、室内楽同好会が、大講堂・小講堂や、音楽室で次々と演技や演奏を披露します。大講堂での出し物はとても人気が高いので、整理券を手に入れないと見ることができません。運動部もバレーボール部やバスケットボール部は他校を招いて親善試合をしています。弓道部や剣道部、新体操部は実演をしています。水泳部のように他の出し物をするところもあります。卓球部はお客さんと試合をするのです。それから、文科系の部もたくさんあります。英会話部、料理部、書道部、科学部、歴史部、華道部、チェス同好会、漫画同好会……。料理部の模擬店は長蛇の列ができますし、科学部のプラネタリウムもいつも込み合っています。更に、有志やクラスで出し物をしているところもあります。学年によっては修学旅行の報告会をしているところもあります。
友人たちとさまざまな展示や演技を見て回り、英会話部でスタンプラリーを楽しみ、学園に憧れる小学生と保護者の眩しい目線を受け、生徒会の休憩室でピザを食べ、出し物の感想を話し合い、ふざけ合いながら、わたしの心はとても高揚していました。けれど一方で、晴天のもとを歩きながらふと首筋に感じた細い雨の幻覚のように、微かにひんやりと、こんな考えも沁みてくるのです。……先生方は折々、若いわたしたちには無限の可能性があるのだと言います。でもそれは翻せば、可能性というものは時を追って減っていくということなのでしょうか。生まれついた時はひらけていたものが、十五歳の今はもう幾ばくか刈り込まれ、減ってしまっているのかもしれません。水泳部に所属しているわたしは、例えば演劇部に所属することによって知りえた世界を、もう知ることが出来ないのです。もちろん、転部したり、劇団に入ったり、大学に行って演劇を始めたりすることは出来るでしょう。しかし十二歳から十八歳まで、この学園の仲間たちと、この学園の演劇部で過ごした経験はもう決して得ることは出来ないのです。卒業後にどの大学のどの学部に行って何を学ぶか。どんな職業に就くか。一つ選んでしまうともう、違うものを選んだときの人生を歩むことは出来ないのでしょうか。選択の自由。それは、無論、恵まれているということです。しかし、それはなんと重苦しくなんと恐ろしいことなのだろう、と、ふと感じたのです。
部の用事があるという友人たちと順々に別れた後、わたしは華道部の展示が行われているはずの、東棟四階の第二礼法室に向かいました。第一礼法室は和室で、中一の時わたしたちはここで、和室での立ち居振る舞いを勉強しました。正座のしかたや礼のしかた、お茶の飲み方や障子の開け閉めのしかたなどです。第二礼法室はその隣に造られた洋室で、中二になった時に、わたしたちはここで洋間での振る舞いを勉強したのです。つまり、椅子に座る作法やお辞儀のしかた、ものを戴いたり渡したりする方法、紅茶の飲み方などです。和室では茶道部が、洋室では華道部がお茶会や花の展示を行っていました。どちらも盛況であることが、人の気配からうかがえました。
第二礼法室のドアは開け放たれていました。室内に入った瞬間、わたしは目を奪われました。部屋の中央には、木製の、大きな丸い卓(テエブル)と四角い卓が並んでいるのですが、どちらにも、様々な形の器に鮮やかな花が活けられています。その光景は豪奢な料理が並んだ中国の王宮の食卓を思わせます。華道に詳しいのでしょうか、卒業生らしき老婦人のグループが作品を見ながらあれやこれやと批評をしています。
わたしは素早く目を走らせて、鳳仙さんを探しました。彼女は長い髪を垂らし、膝の前で指を組むようにして、ちょっとよそ見をする風に、部屋の角に置かれた椅子に腰かけていました。花卉と彼女を含むのその一角の空間自体が静物画のようでした。けれどわたしは何食わぬ体で、卓(テエブル)を見て回ります。
ぱっと目に入ってきたのは、円筒形の陶器に、濃淡さまざまの紅色の花――大ぶりの花と、きゅっと小さな濃い色の花、そして淡い色の、花火のような花――が活けられているものでした。花の周囲には細長い葉や丸い葉が意図をもって配置され、器と共に抑制された美でもって花を引き立てています。花器には、毛筆で学年と名前の書かれた紙が添えられていました。これは、山吹さんのものでした。優等生で人気者の山吹さんらしく、高級な料亭の床の間にでも飾ってありそうな、豪華な生け花です。それから、細い器に、こっくりとした深い紫の実のついた大ぶりの、放射状の枝と、丸く塊になった赤黒い花、それから大きなつやつやした葉が左右非対称に飾られている作品も目を引きました。これは錦木さんの作品でした。円満でゆたかな彼女の印象に照らすと、その少しおどろおどろしいような作品は意外な感じがしました。それから、知らない先輩のものですが、花が長い曲線的な茎と共にリズミカルに躍っているような楽しい作品がありました。その隣に、鳳仙さんの作品がありました。籠のような花器に、背の高い薄と、赤い小さな丸い花、そして、菊でしょうか、鍵のような葉をもつ黄色い花が幾つか活けてありました。それはすっきりとしていて、でもどことなく寂しげな印象を与えました。わたしは彼女が、そんな表情をして花を活けているところを想像していました。
「……桜枝さん。来てくれたんだ」
それを破ったのは鳳仙さんの声でした。わたしは顔を上げました。彼女は花越しに、わたしのすぐそばまで来ていました。
鳳仙さんとわたしを除くすべての人物が、音と彩度を失いました。わたしたちの周りにはただ、色鮮やかな花々だけがありました。
わたしは彼女を見つめ返しました。こんなに柔らかな顔立ちの人だったでしょうか。ちょっぴり目じりが垂れていて、ふわりとした優しい、無邪気ささえ感じさせる表情で微笑んでくれています。
「素敵ね。こんな風にお花を活けられるなんて……」
「ありがとう。大したものじゃないのよ」
わたしたちは鳳仙さんの生け花を挟んで見つめ合いました。
「あの……。お花、どんな風にして活けるの。……見てみたい。もし、よかったら」
わたしが大それたことを言ってしまった後、鳳仙さんはしばらくの間、沈黙していました。
「……ええ。わたし放課後よく、この第二礼法室にいるの。来てくれたら、活けるところを見せられるわ」
「本当に? 行ってもいいの?」
鳳仙さんは少しそっけないような感じで肯きました。それからわたしは、鳳仙さんのゆるしを得ると、携帯電話(スマート・フォン)で鳳仙さんの作品の写真を撮りました。いいえ、正直に言うと、あえて少し離れて、鳳仙さんと作品の写真を撮りました。時代錯誤な校則は校内で携帯電話の電源を入れることを禁じていましたが、即物的なわたしは、この美しい絵画が消えてしまうことを恐れたのです。
それからの数日、わたしがどんな風に過ごしたか、想像することは難くないでしょう。わたしは早速図書室に向かい、生け花の本を幾つか借りました。そしてそれをそっと鞄に仕舞うと、自室に帰ってから読み耽りました。季節の花や、道具や、手順を知るために。花を立てる、針山のような土台を剣山という恐ろしい名で呼ぶようです。どうやら、華やかな花と、小さな地味な花や葉っぱをバランスよく織り交ぜてそれらの個性を生かすのがよい作品のようです。平たい器には堅い枝を活けてしゃっきりと立たせるようですが、細長い器にはしなやかな茎を活けて、斜めに垂らすこともあるようです。そうした手引書を眺めながら、鳳仙さんが花を生ける様子が想像されました。鳳仙さんはどんな花が好きなのでしょう。わたしはしばしばベッドに寝転んだまま、携帯電話の中の鳳仙さんの写真を見つめました。花器の向こうに、鳳仙さんがいました。何かを演じている女優のように凛と。どこか遠くを見て。自然な風を装って鳳仙さんの連絡先は聞いていましたが、わたしは彼女にメッセージを送る勇気など持ち合わせておりませんでした。
それからまた、はやる心をそらすために、わたしは馴染みの漫画を読みました。幾つかのお気に入りの漫画がありました。わたしが買ったものもありますし、妹が買ったものもあります。母が読むこともあります。殆どは中学や高校を舞台にした類型的なラブ・ストーリーです。主人公の女子生徒が、人気のある少年とのままならない恋に思い悩んだり、思ってもみなかった男子生徒に好かれたり、友人の少女や少年を巻き込んだ複雑な恋模様に巻き込まれたりします。わたしはそれらをぱらぱらとめくり、しかしどれも読み通すことなくページを閉じました。わたしがまっさらだったころは、受動的(パッシヴ)な空想で以てこれらの物語を楽しむことが出来ました。然し今は、ヒロインの気持ちに沿うことが出来なくなっていたのです。むしろ、ヒロインに横恋慕する不遇な少年に同情する始末でした。多くの少女が共感し、応援したであろう、ヒロインの少年に対する恋心は、硝子の上を這う美しい油脂のように、とりどりの色彩を見せながらも、もったりと、無遠慮に、決して浸透することなくわたしの心を上滑りしていきました。
仕方がないので、所在なく、本棚の隅から、子どもの頃に好きだった本を取り出します。イギリスの児童小説、小公女です。ページをめくると、ところどころに現れる挿絵に色鉛筆で色が塗られています。余白が多く、ムラのある塗り方。塗ったのは私と妹です。幼い日、わたしはセーラのような少女になりたいと思っていたのでしょうか。それとも、セーラのような少女の一番傍にいて、彼女にかしずき、彼女を誰よりも慕い、彼女のことを誰よりもよく理解し、そして彼女に誰よりも大切にされることに憧れたのでしょうか。
こんなことばかりしていて、わたしはしばらくの間、上の空でした。母や妹と会話をする際、彼女たちは自分がしゃべるばかりで、わたしが聴く側に回るのが常でしたから、わたしの落ち着かない様子に気づきませんでした。あまつさえこの間、父とはまともに会いませんでした。ああ、愚かなわたしはこの状況を、浮ついた諧謔をもってさえ甘受していたのでした。わたし自身、家族に対する関心を落していたのです。そうしてのちになって耐えがたい事実を突きつけられるまで、そのことを気に留めてさえいなかったのです。
第二礼法室の柱時計が五時を打ちました。鈴蘭型のシャンデリアのもと、たっぷりとしたドレープのカーテンの向こうからはやわらかな夕陽がさして、寄木張りのフローリングと、ゴブラン織りのカーペットの上に、鳳仙さんとわたしの影を伸ばします。
鳳仙さんのほっそりとした手の中で、花ばさみが茎を裁ちます。魔女裁判の類の無惨な刑罰にでも処せられているように、痛々しく、葉は削がれていきます。無辜の草花が、鳳仙さんの意のままに整えられてゆくさまを、静謐な舞台芸術を鑑賞するように、わたしは息をひそめて観ていました。
鳳仙さんはマヌカンに似た無機質な美しさを持っていました。すんなりとした手足も、顔立ちも、彫刻刀で作り出されたかのように整っていました。彼女とその所作と鋏と花器と植物すべてが、糸で結ばれ、調和の中に巧みに配置された人工物のようにさえ見えました。
何らの説明もなく、鳳仙さんは花を活けてゆきました。新聞紙に巻かれていた植物を手に取り、ボウルの水底でその枝を切ると、掌ほどの剣山、針の山に、丸い葉のついた枝を、それから、細長い葉と丸い身のついた堅い茎を刺しつけていきます。そして彼女は色の淡い菊を刺しつけ、彼女の美意識にかなうように花の角度を決めていきます。試行錯誤を経て、花器の上に小さな庭園(ガアデン)が出来上がります。
「すごい、どうやって配置を決めていくの」
「……適当よ」
にべもなく鳳仙さんは言いました。
それでもどうしても、彼女が緻密で神経質なこだわりでもって鋏を動かしているように、わたしには思えたのです。
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