水いろのスケルツォ
@m_e_yszw
第1話
色鉛筆で描いたような細い雨が、秋の街をしめやかに包んでいました。わたしは少女期の半ば、恋と憧れの素地を無自覚に膨らませていましたが、それは誰も触れることのないまっさらな木綿(コットン)のまま。十五歳のわたしは、女子学園と、それから両親と妹で構成されるこぢんまりとした円満な家庭を規則的に行き来して生きていました。
その夜わたしは、中学受験を控えた妹を、進学塾(クラム・スクール)に迎えに行かなければなりませんでした。これは週に何度かあるわたしの務めでした。小学生が夜の街を歩くのは危ないということと、妹が寄り道をしないように、ということで、仕事の忙しい母がわたしに言いつけていたのです。面倒に思うこともありましたが、わたしは母の言いつけに敢えて反抗することも知りませんでした。
相も変わらず、S駅前の大通りは非常な混雑でした。おかしな髪型の若い大人たちでごった返し、かれらの濁った笑い声、居酒屋やカラオケやいかがわしい店への客引きの声が響いていました。ここに来るたび、わたしは本当はすこしばかりの恐怖を感じてしまいます。それで、うねるような人波を縫いながら、わたしは背筋を伸ばして早足で歩きました。妹のスクールは、歩道橋のすぐそばにあります。
と、客引きの声の向こう、雑踏の中に見た女のひとから、わたしは目を離せなくなりました。薄紫色の傘の下にいたのは、長い髪を腰まで垂らしているひとでした。ちらと彼女の横顔が見えます。彼女はわたしのクラスメイト、鳳仙りるかさんによく似ていました。お化粧をしているようで、その面差しは普段にも増して、女優かモデルのように、美しくあか抜けて見えました。ごみごみした、無秩序な雑踏と大声の中で、まるで映画(フィルム)の撮影のように、彼女のいるところだけ華やいで、言うなれば……なにか詩情をもってさえ見えたのでした。わたしは暫く彼女から目を離せませんでした。けれど彼女は、わたしたちの制服のワンピース姿ではありませんでした。どこか、違う学校の制服のようなものを着ていました。
わたしたちが通う女子学園の制服は、知っている人ならば誰でもそうとわかる、西洋画の中の修道女が着ていそうな、真っ黒なワンピース・ドレスです。白い大きなセーラーカラーがついていて、深緑色のスカーフを胸元で結ぶこの制服は、創立以来ほとんど変わっていません。セーラーカラーの前三分の一ほどと、そして襟の背中側の、角のあたりには、校章にもなっている木香茨(トンブストン・ローズ)の花と蔓の刺繍が施されています。スカート部分のプリーツ、そしてウエストを締める黒い帯(ベルト)は,かつての女学生が身に纏った袴の名残だともいわれています。帯(ベルト)を留める丸い金具は――これも帯留めの名残なのでしょう――透けるような木香茨の校章が彫刻されています。
学園はおよそ百年前、浪漫時代末期に創立されました。創立当初のこの制服に対する評価は「気高く凛とした」というものだったと先生方は仰います。けれどやがてそれは「時代遅れ」になり、「古典的」になり、一周回って今や「個性的な」制服になりました。いまどきこんな古風な制服はなかなか珍しいでしょう。……でも、雑踏の向こうの鳳仙さんはそれとはまったく違う、おしゃれで現代的な制服を着ていました。茶色のチェックのミニスカートに、だぼっとしたカーディガン、赤いタイ。足元も、わたしたちの制服の黒い長靴下(ストッキング)ではなく、紺のハイソックスを履いているようです。
なぜこんな服を着ているのでしょうか。けれど。長身で均整の取れた身体つきも、少し取り澄ましたような歩き方も、鳳仙さんそっくりでした。
わたしは咄嗟に彼女を追いました。
鳳仙りるかさん。クラスメイトではありますが、ほとんど話したことのないひとです。大人びた、物静かなひとという印象があります。多くの友人と交わるようなことをせず、休み時間にはしばしば倦怠を持てあますように机に突っ伏して眠っていました。後は……確か、華道部に入っていたように記憶しています。
彼女にきょうだいはいるのか、どこに住んでいるのか。そういったことはなにも知りません。
わたしはなにか、いやな直感がしました。よくないものを目にしてしまったように思いました。彼女がどこに行くのか。声をかける勇気は持てないままに、確かめたいと思いました。そう思って足を速めたとき、
「望美!」
わたしの名を呼ぶ声がしました。妹の、夢美の声でした。我に返って振り向くと、不機嫌そうにこちらを睨む夢美がいました。小学校六年生の夢美の背丈は、わたしといくつも変わりません。
夢美はわたしがスクールの傍にいなかったことについて、口をとがらせました。それから、わたしに頭を寄せるようにして、甘え上手の妹らしいべたっとした声で、対価にと菓子をねだってきました。駅前の小さな洋菓子屋(パティスリ)から甘いにおいが漂います。シュークリームの看板が出ています。夢美はそれを指差しながら、腕をからめてきます。
わたしは夢美をいなしました。夢美は家の中では甘え上手で、外では活発な子です。可愛いけれど、生意気なことも多いです。でも、わたしがこのくらいの年ごろの時、いったい何を考えていたのでしょうか……よく思い出せません。わたしは日一日を刻むように生きることをせず、ただ、時が流れるに任せていました。夢美のように元気ではきはきした子ではありませんでした。こんなに、嬉しいとか悔しいとか、はっきりと感情を振動させながら生きてはいませんでした。もっと、ぼんやりとした子どもだったように思います。
地下鉄に乗り換え、夢美のお喋りを聴きながら十分ほど歩き、わたしたちは集合住宅の一室に帰宅しました。
家の中は真っ暗でした。今日は、看護師の母は夜勤です。エンジニアである父の帰りは午前零時を過ぎるでしょう。
冷凍庫を開けると、母が作り溜めた幾つかの惣菜があります。わたしは鶏の揚げ物と小分けにされたご飯を取り出し、電子レンジで温めました。冷蔵庫の中にはキャベツがありました。何枚かちぎりとって、千切りにします。
夢美と二人の夕食です。帰り道であんなに話したのに、夢美はまだ話し続けます。夢美のクラスの女子は、中学受験をする子としない子のグループに分かれてしまっているようです。受験する子はその話ばかりになり、受験しない子は何だかそれが特権意識のように煙たく感じられ、さらにそれを、受験する子がひがみのように受け取る……そんなねじれた関係が、物事を単純に考えたい夢美にはとても煩わしいみたいです。以前仲が良かった子で、関係がうまくいかなくなってしまった子もいるようです。
温め直した唐揚げの衣はぶよぶよしていました。自分で作った千切りのキャベツは太さが不揃いでした。食べ終わると、夢美は、疲れた、とだけ言って、携帯電話の画面を見ながら、早々に自室にこもってしまいました。居間に残されたわたしは夢美の周りに、球形の、虹泡(シャボン)玉のような小世界が作られつつあることを見てとりました。以前の、ずっと小さい時の彼女はいつまでもいつまでも、鬱陶しいほどわたしに纏いついていたのに。
冷蔵庫の音と、時計の秒針だけがいやに響きます。わたしたちは部屋を共有してましたがわたしはしばらく居間でひとり宿題をしていました。
その夜、二段ベッドの上にのぼり、暗闇の中で目を閉じたとき、わたしが思い起こしていたのは鳳仙さんのことでした。お化粧に、どこか別の学校の制服。彼女は学園ドラマに出てくる女優のように大人びて、日常から離れた存在のように見えたのですから。その残像を眺めるだけで、高級な石鹸でも使うみたいに……何だか洗練された気分になるようでした。
古典の授業が終わり、昼休みになります。わたしは二人の友人と、テラスで昼食をとりにゆきます。透明な陽の光が燦々と、六色に透けるなにかの虫の翅のように輝くのを、年わかく、世間を知らず、恵まれた立場にあったわたしたちは、無神経なまでに自覚のない貪欲さで享受していました。わたしは購買部で買ったサンドウィッチとサラダを食べていました。友人たちはお弁当を食べています。わたしも、母に余裕のある時はお弁当です。それは、週の半分くらいでしょうか。時には自分で作ってみようと思うこともありますが、実行できたためしがないのです。
恋も知らぬわたしたちは、つい先まで行われていた古典の授業で扱われた源氏物語(ロマンツェ)に喚起された高揚で、いまだ胸を温めています。友人の一人が火付け役で、わたしたちは、源氏物語の姫君になるとしたら誰になりたいか、ということを議論し始めます。
わたしたちは女子学園の高等部一年でした。つまりわたしたちはこの時、幾ばくか富裕で教育熱心な保護者をもつ、十五歳か十六歳の少女でした。この学園は中高一貫制の私立女子校であり、編入や、高等部からの外部入学は行われていません。厳しい受験勉強に耐え、中学一年生のときから一つの共同体で過ごすうち、わたしたちは、この小さな、鴇いろの花が咲き乱れる箱庭こそが、永遠に続く世界の全てであるように錯覚していました。
わたしたちは六年間で一つの単位となる、ゆったりした時間を生きています。教師さえほとんどが女性。それも、この学園の卒業生であり、或る
女子大を出た壮年の先生が多いです。というのも、女性の地位が高くなかった時代、使命感に燃えたその女子大の同窓会こそが、わたしたちの学園を創始したのです。
過度な競争を厭う先生方の意向のためか、試験の順位が貼り出されることはありません。それで、生徒たちは勉強のみならず、課外活動や趣味にも精を出します。それでも何となく成績の良い人は分かってしまうもので、クラスは優等生集団、運動部に属する明朗で物怖じしない集団、比較的華やかでおしゃれな集団、庶民的な集団、それから、少女歌劇団や、漫画をはじめとするサブ・カルチャーといった趣味に打ち込む集団などに分かれていました。わたしたちのクラスでは、委員を務めている錦木奏子さんと山吹円佳さんが優等生集団の筆頭でした。
錦木さんは非常に均質な肌をした、細い臙脂色のフレームの眼鏡をかけた小柄なひとです。前髪をあげ、長くまっすぐな黒髪を背中のあたりで切り揃えてひとつに束ねています。それがとても凛々しく見えます。水仙のような清らかな方で、いつも大勢の友人に取り囲まれています。
対して山吹さんは大柄な、いつも姿勢のよい方です。琴を習っているのだそうで、一つ一つの所作が優雅で、きっと着物が似合うことだろうと思わせます。けれど口を開けばその頭の回転はするどく、てきぱきと、誰もが納得の行くようにクラスの意見を纏め上げるのです。一方で、時に小さなことを無邪気におかしがってみせるおきゃんな面も見せます。
二人は、いかにも両家の子女らしい馥郁たる雰囲気を漂わせています。それから、書く文字の美しいことも二人の共通項でした。錦木さんのお父さんは、老舗の呉服屋から始まった、誰もが知っている錦木商事の社長です。そして、山吹さんの家系は古い医学者の家系なのだそうです。……そういうことって、お二人が慕われていること、換言すれば、なんとはなしにクラスの中でも立派な人として扱われていること……と、関係があるのでしょうか。けれども、もちろん二人は、そんなことを鼻にかける様子を見せません。二人の心根はおっとりとしていて、自慢話や策略で自らを大きく見せるようなことをしません。それでいて、自然と一目置かれているのです。委員も決して自ら立候補したわけではなく、クラスの成員たちの推薦を受けて務めているのです。
わたしは庶民グループにいて、中流階級の人の好い友人たちと、毒にも薬にもならないようなお喋りをしたり、休日には本屋や中高生向けの洋服屋(ブティック)や洋菓子店に行ったりして過ごしていました。ところで、鳳仙さんがどのグループにいるかというと、どこもしっくりこないように思うのです。他人と深く交わらず、誰に対しても一線をひいているように見えます。彼女はどこか、わたしたちとは違う、ねび整った雰囲気を、そして、言ってしまえば少しばかりの翳りを身に纏っていました。鳳仙さんが特定の誰かと特に仲良くしているのは、見たことがないように思います。勿論授業や週番の用事で話す必要があれば、他人と話はしているようですが、誰と仲がいいのか、と考えてみるとあまり思いあたりません。
鳳仙さんもわたしたちと同じように、思い悩んだり、笑い転げたり、うろたえたりすることがあるのでしょうか。当然、そうなのでしょう。でもどうしてか、わたしにはそれが想像できません。
あの雨の晩。彼女はあの後一体何をしていたのか。……見当がつかないようで、つくようで、でもそれを考えるのは怖いような気もしました。わたしは彼女がなにか秘密のまがまがしいもの、例えば吸血鬼であるとか、暗殺者であるとか、そんな子供のような空想をしかけてはやめていました。蟻地獄の巣に吸われるように、もやもやとした悪い想像に落ちていってしまいそうで、そして、それは鳳仙さんに対して恥ずべきことのような気がしたのです。それでいてどうしてもわたしは、鳳仙さんのことが気になって仕方ありませんでした。
わたしの心は、級友とお喋りに興じながらも時折、窓ガラス越しに教室の中へと誘われていました。
鳳仙さんは自席にいました。菓子パンを食べながら、すました表情で文庫本を読んでいました。長い、濃い栗色の髪が、背中にたれていました。彼女は控えめに、上品な程度に髪を染めているのです。その様子は、人魚姫(シレーネ)のようでした。長い髪を指で耳にかけるさまが、ぞっとするほど色っぽく見えました。
綺麗な人でした。
あの雨の夜以前、わたしは鳳仙さんに特別の関心をもったことはありませんでした。けれど今になってこうして見る鳳仙さんは、確かに美しかったのです。彼女の周りだけ、空気の色がほんのりとちがうよう。大人っぽくて、女っぽくて、それでいて人を容易に寄せ付けないような空気を漂わせていました。
しばらくしてわたしは、鳳仙さんの意外な一面を知ることになりました。
その日の五時間目は体育でした。わたしは、運動は得意な方です。それでわたしは、すこし弾んだ気持ちでした。昼休みの終わる前に、わたしたちはショートパンツの体操服に着替え、体育館用の上履きを持って、体育館へと向かうのです。体育館は中学部の教室が集まっている東棟にあります。十六歳になったものの、背ばかり伸びて、胸も腰も小学生のように平板で、わたしは浅黒い、棒のような体形をしていました。のわりに小学校のころから続けている水泳のせいか、肩ががっしりしていて、母は時折それを嘆きます。母は自分のことを美しいと思っていて、わたしが美しい娘になることを望んでいるのです。わたしの方は、そんなことはどうでもいいと思っているため、時折鬱陶しく感じることもあります。何だって、美しく育つかわからない娘に望美という名をつけたのでしょう。妹の夢美までがわたしの肩幅をからかうので、そんな時わたしは夢美のふっくらした二の腕をつまんで、仕返しをします。
体操服姿の鳳仙さんは、よく手入れされた髪をポニー・テールにしていました。白い脛がまっすぐに伸び、ハイソックスがまぶしく見えました。琉金みたいに短く詰まった胴に長い脚、長い膝下、背筋を伸ばし顎を上げた様子、少し赤みを帯びた目じり、つんとした鼻に笑わない口元、お化粧でやや荒れた肌でさえ、わたしにはなにか大人の象徴のようで洗練された印象を与えるのです。
今日の体育は高坂先生の受け持ちです。丸眼鏡が印象的な堅肥りの高坂先生のメニューは決まっていて、まず体育館を二十周。それから、バレーボールです。長距離走はわたしには苦にならないのですが、多くの生徒には人気がありません。一方バレーボールは人気があって、わたしたちはしばしば、休み時間に友達同士で円陣をくんでバレーボールを楽しみます。
四十人のクラスメイト達は、チーム間の身長差がないように選ばれた六人ずつのチームに分かれ、順番に練習試合をしていきます。わたしたちのチームは鳳仙さんのチームと一度対戦することになりました。わたしがトスを上げたボールを後ろから級友がうち、小気味よくボールが飛んでいきます。鳳仙さんがネットの向こう側で身構えています。わたしはボールをじっと見つめます。
そう、言うまでもなく、それは、スポーツでした。学校で行われる競技でした。にもかかわらずわたしは、このボール、この人工皮革製の十八枚パネルのバレーボールを、鳳仙さんの心にしのびやかに投げ入れる一輪の花かなにかのように思っていたのです。
わたしは、鳳仙さんはこの競技にさしたる関心も払わないだろうと考えていました。彼女が後方で身構えている振りをするか、しないかしているうちに、バレー部員があざやかにボールをはじき返すだろうと予想していました。冷淡な態度こそが彼女に似つかわしいように思われました。
寧ろわたしは見たくなかったのです。彼女がまごついたり、戸惑ったり、不器用な動きをするとしたら。
しかしわたしの予想は裏切られました。
落ち着いた、と言うよりもむしろ無気力そうなふだんの彼女の印象とは裏腹に、躍動する鳳仙さんの身体。彼女が鋭いスパイクを打つと、ポニー・テールが新体操のリボンのように軽やかに舞いました。ネットを飛び越えたボールは叩きつけられるように床に落ち、弾み、……弾み、弾み、転がっていきました。
誰もが自分の役割を忘れ、鳳仙さんに見入っていました。先生までもが。その時のわたしたちはみな、一人の女優に魅了された観客になっていたのです。
クラスの動揺はやがて収束しましたが、わたしの動悸はやむことを知りませんでした。授業のあいだ、わたしはその後も幾度か鳳仙さんを盗み見ました。尤もそれ以降、バレーボールの腕に覚えのある人達はみな鳳仙さんに注目していましたから、わたしは彼女を見ることに対して、誰に宛てるとでもない下手な言い訳を考える必要はなかったわけです。鳳仙さんはそれからも、流れるように無駄のない動きでボールを飛ばしました。一瞬ごとに形を変えていく、彼女の細い腰から丸みを帯びた太腿までのしなやかな曲線(ライン)には、妖しい魅惑がありました。そして、そんな風に感じてしまった自分自身を羞じ入り、その度にわたしは慌てて目をそらしたものです。
体育の授業が終わると、生徒たちはお喋りをしながら教室に向かって歩いていきます。
「望美、間近で見てたんでしょう、あの、鳳仙さんのスパイク!」
体育館を出ながら、友人の晴菜が話しかけてきました。
晴菜は体操用の上履きが入った、水玉模様の布袋を提げていました。体操用の学校指定の上履きは、靴底のしっかりした白いスニーカーで、赤い靴ひもです。教室内用の指定の上履きは、ペタンとした白いスニーカーで、紺色の靴ひもです。
お洒落な人たちは、ロゴの入ったブランド物らしいスニーカーを履いていて、靴ひもも柄入りの、カラフルなものを使っているようです。それらは今めいていて、ちょっとばかり、浮ついているような印象も与えます。鳳仙さんも、どこかのブランド物のスニーカーを使っているようでした。
「意外だったよね。バレー部の村本さんも、動けないくらいに驚いていたし」
友人の美香も加わりました。
「部活、何だったっけ、鳳仙さんって。バレー部じゃなかったような気がするんだけど……」
晴菜が首をかしげます。
「華道部……じゃなかったかな」
わたしは出来るだけさりげなく聞こえるように言いました。でも、視線は不自然に横へ泳ぎ、声は少し上ずってしまったように思います。ここのところ鳳仙さんのことばかりを考えてしまっていることを、何としても晴菜や美加に知られるわけにはならないのです。
当の鳳仙さんはというと、涼しい顔をして、一人でさっと帰ってしまいました。
次の休み時間、制汗剤(デオドラント)のスプレーが飛び交う教室で着替えながら、クラスの皆の話題は鳳仙さんのスパイクでもちきりでした。はっとするような美貌をもちながら、冷たいほどに物静かで、他人に迎合せず、何かに対して一生懸命になるようなことがないように見えた彼女の思いがけず活動的な一面に、クラスの皆が驚いたのです。わたしは感じました、クラス中が鳳仙さんに向ける関心を。それはまるで我がことのように快かったのです。いいえ、自分がひとの注目を集めたとて、嬉しくともなんともないでしょう。けれど鳳仙さんのスパイクがまるで、外国の王女の来日のようにもてはやされていることが、わたしは嬉しかったのです。そしてわたしはあの夜、他校の制服を着て、夜の街を歩いていた鳳仙さんの姿を知っていることに、子供じみた優越を覚えました。そう、稚けなさの抜けきらない木綿(コットン)の半巾(ハンカチ)でくるむように、わたしはその出来事を、あの夜の鳳仙さんを、心の中に大切に、何か秘せられたもののように温めていました。
わたしの世界は殆ど、学校と家庭ばかりで構成されます。
家庭。そこでは母と妹とわたしと父が暮らしていました。そこは常にまろやかな場所というわけではありませんでした。母は勝気で、テキパキとした完璧主義者で、自信家で、他者にも完璧を求める人でしたが、妹は自我が強く、母からは反抗的に見えるらしく、また父はあまり強い意志を持たない人で、母からは頼りなく見えるらしく、妹も父もどちらも母の苛立ちを呼ぶようなのです。わたしはと言えば父に似たのか、あまりはっきりした主張を持たないのですが、母にとって娘の私が従順なのは都合がよいようです。
ある夜わたしは、夢美と共有の寝室兼勉強部屋で、英語の予習をしていました。「私には夢がある」と繰り返すキング牧師のスピーチを読み、教科書付属のCDを聴き、知らない単語を調べます。演説の技法なんて知りませんが、歌うような抑揚とリズムをもった、よい演説に思われました。とは言えいつも、スピーチや論説文の感想を書かされるとき、わたしは困ってしまうのです。「特になにも深いことは考えない」というのが正直なところです。そのように書くわけにはいかないので、わたしはこうやって拙いぶっきらぼうな言葉を絞り出したり、感想を要求されて初めて書かれた言葉の意味を考えだし、どんな感想が当り障りのないものかを考え出すのです。それに比べれば、単語を覚えたり、数式を理解したりすればいい勉強のほうが気楽でした。
喉が渇いたので、飲み物を取りに行こうと席を立ちます。夢美はベッドに寝そべって携帯ゲームで遊んでいたはずでしたが、そっと見るといつの間にか眠っているようです。
リビングに行くと、母が、父と話し込んでいました。母は勤務の不規則な看護師でしたし、父は夜中に帰ってくることが多いので、二人が揃って話をする機会はあまりないようです。
「夢美も望美と同じ学校に行ってくれれば楽なんだけど、これじゃあね……。本人もそんなにやる気があるわけじゃなくて」
二人は、わたしが来たことに気づいたようでしたが、構わずに話し続けました。夢美の塾での成績表を見ているようでした。
「いいんじゃないか、行けるところに行けば」
「だけど、姉妹で同じ塾に入れているのにどうしてこんなに成績が違うのかしら。……これを見ているとあの子、悪いテストを隠しているんじゃないかと思うの。出してきたテストと、この成績表に載っている今までの点が合わないのよ。もっといい点ばかり取っていたような気がするのに」
「不正はよくないなあ。ちゃんとこうやって、数字に表れるのになあ」
「ねえ、何とか言ってやってよ。今だって部屋に籠ってるけど、勉強してるのかどうだか……」
「しかしなあ、こういうことは女親の方がいいんじゃないか? 難しい年ごろだし……」
父の語尾が逃げると、母はふんと音を立てて溜息をつきました。無言の苛立ちが感じられました。父はわたしたちに関心がないのでしょうか。日ごろから当たり障りのないことをいうだけで、わたしたちに関する肝心なところはいつも母が引っ張っていっているように見えます。居たたまれなくなって、わたしは冷蔵庫からペットボトルの烏龍茶を取り出すとコップに注ぎ、一気に飲み干して、その場を離れました。冷蔵庫がやかましく唸っていました。ここに引っ越してきたときから使っていますから、もう十年以上にもなります。そろそろ買い換えなくっちゃ、と、母は何度か父をせっついていました。
夢美の成績はあまりよくないようです。確かに夢美は勉強熱心ではありません。でもそれは夢美だけのせいでもないと思います。
わたしはさほど努力をすることもなく、小学校ではよい成績でした。母は舞い上がってわたしを塾に入れ、そこでも好成績をとったわたしは、塾の先生の薦めに従って今通っている学園を受験することを決めました。わたしはその時、どうしてもやりたいことも、どうしてもやりたくないこともなく、只々周囲の大人の薦めを受け入れていたのでした。その頃専業主婦だった母は、わたしの宿題やテストをこまめに管理していました。そうでなければ、ぼんやりしたわたしは宿題を忘れたりテストをなくしたりすることがしょっちゅうだったことでしょう。
わたしが今の学園に合格した時の父母や祖父母の喜びようを見ていた夢美は、自分も私立中学に行くと言い始めたのです。無論母も、そのつもりだったのでしょう。父の本心がどうだったかは知りません。父は、わたしが合格したときには喜びましたが、わたしたちを私立中学に入れようと強く思っているわけではないようでした。しかしまた、夢美にしても、勉強が得意なわけではなく、公立が嫌だという理由があるわけでもなく、姉のわたしだけが私立に行くのはずるい、というのが私立進学を決めた理由のようでした。母は、二人分の学費を稼ぐため、わたしが中学に上がったあと、看護師に復帰しました。仕事の忙しさのせいか、いまの夢美の受験に対しては、母はわたしのときほど熱心に世話をしてはいない様に見えます。わたしの時のように日々の宿題やテストを細かく管理することもありません。夢美の成績の悪さはそのせいもあるのではないでしょうか。でも、夢美の方がそうした母の管理を煩わしいと感じて拒んでいるせいもあるのかもしれません。というのも、わたしはのんびりした性格でしたが、夢美は反抗的な性格です。わたしは母の言うことにあまり逆らおうという気にならず、よほど嫌なことでない限り従ってしまうのですが、夢美ははっきりとした自己主張があって、弁もたつので、感心してしまうことがあります。我の強い母と夢美はよく衝突しています。
母は何かにつけてわたしを引き合いに出して夢美を鼓舞しようとするので、夢美はそれも嫌なのでしょう。悪いテストを隠すというのも、そんな母に対する見栄ともプライドともつかぬ動機からのように思いました。
わたしはそっとリビングを離れ、自室のドアをあけました。
「何で来たの。折角いなくなったと思ったのに」
さっきまで眠っていたはずの夢美は、不機嫌そうに、二つ並んだ勉強机の左側、窓側に戻っていました。そして机の上で何かをかくし、怪訝そうに言いました。
構わずに、机の上に飲み物を置くと、二段ベッドの下側、夢美のベッドに腰掛けます。小さなころ、夢美が梯子が怖いと言うので下側にしたのです。ベッドには携帯ゲーム機が転がっていました。夢美みたいにいろんな言葉を思いついて、すぐに口に出せればいいのですが、わたしは夢美に掛ける適切な言葉が分かりませんでした。
「何してんの、出てってよ、勉強の邪魔だよ」
勉強をしていた気配はありませんでしたが、夢美の声に本心からの拒絶がないのを見て取ると、わたしはくすりと笑ってベッドに寝転がりました。雲柄の布団カバーも相まって、雲の上に寝そべっているようなふかふかした肌触りです。
「やめて、あたしの布団つぶさないでよ、重いんだから」
夢美はわたしの上に体当りしてきました。そのまま、わたしの背中になにかつぶやきます。
「望美……学校楽しい?」
「うーん? 楽しいけど……」
夢美はわたしの学園とは違う進路を後押ししてほしいのかもしれません。わたしが通う学園に入るのが難しいということは、本人が一番よく分かっていることでしょう。成績の面でもそうですし、集まってくる生徒も多くは勉強熱心な、少なくとも勉強が苦にならない、或いはもともと頭のいい生徒が多い気がします。
「楽しいけど、学校がひとつだけというわけでもないし、夢美は夢美で好きな学校に行けばいいんじゃない?」
「そうでしょ、うん。だいたい、望美は女子高生のくせにいつも勉強ばっかりしてるし、あたしはそんな生活やだな」
夢美の「あたしは」が、「あたしゃ」に聞こえたので、わたしは吹き出しました。
「ちょっと、なに笑ってるの!」
そういう夢美も自分で笑っています。
「だって今、『あたしゃ』って言ったでしょ!」
おばあさんみたい、と言うのはやめました。
「言ってないし!」
夢美も自覚していたと見えて、笑いながら、怒りながらわたしを両手で叩こうとするのでわたしは枕を使って応戦しました。
鐘(チャイム)が鳴り終わると同時に、国語の福田今日子先生が姿を現しました。学園の先生方は、ほとんどが女性です。とくに人気のある先生が三人います。国語の福田先生は三十代の若い先生で、流れるように美しい字を書きます。音楽の宮越先生は上品な中年の先生で、明朗な声で歌を歌います。化学の鳥井先生は欧州に留学していたという才女の誉れだかい長身の先生で、おっとりした物言いで授業を進めます。
週番の仲里詩織さんが、教材の入ったバッグを持って、福田先生の後について教室に入ってきました。教卓の前で立ち止まった福田先生から、有難う、と一言声をかけられ、仲里さんは、丸い頬を真っ赤にしました。緑色の黒板の右端には福田先生そっくりの美しい字で、日付や天気、週番の名前が記されています。福田先生の筆跡を練習して真似た仲里さんの手によるものです。仲里さんはもともとまじめな性格ですが、福田先生の国語の時間には、こと熱心に、まるで福田先生の唇から零れる一言一句をすべて書き写すかのように、びっしりとノートをとっています。
そんな仲里さんの習慣はクラスの皆が知っていて、仲里さんと仲のいい友達はしばしば、福田先生の話をしては、真っ赤になる仲里さんを見てからかっています。わたしは仲里さんのことを、可愛らしいと思うこともありましたが、どこか滑稽だと思いながら見ることもありました。
けれど。
不意に我に返って前を向くと、福田先生が落ち着いた声で授業を進めていました。慌てて教科書を開きます。わたしたちは「源氏物語」を読み進めているところなのです。
「今日は九月二十三日ですね。九+二十三で、三十二番、ええと……」
三十二番、鳳仙さんだ。……どきりとしました。
「……鳳仙さん。この前の続きから読んでください」
わたしはなぜだかとても緊張しながら、でもそれを悟られないように、身体を固くし、息をつめて俯いていました。
抑揚のない小さな声で、鳳仙さんが読み上げます。それは率直に言えば巧みさもなく、さほどの熱心さも感じられない声でした。けれど、音節の一つ一つが、わたしの心臓を叩くように、わたしの耳から頭に入り、こだまします。しばらくして、次の松本さんが読み始め、宮田さんが読み始めたあたりで、わたしはやっと緊張を解くことが出来ました。何気なく両頬に手を当てると、とても熱くなっていました。
わたしはしばしば、鳳仙さんを眺めるようになってしまいました。周りが知ったらいぶかしく思うだろうということは分かっていました。けれど鳳仙さんの整った鼻梁や、憂いを帯びた目元や、染められた長い髪を見つめることは、まるで美しい造花か芸術作品を眺めるかのように、わたしを、しずかな喜びで充たしてしまうのです。わたしは授業中も、朝も、休み時間も、実技の途中も、時には友人たちとお喋りしながら、ちらりと鳳仙さんを伺いました。彼女は文庫本を読んでいたり、机に突っ伏していたり、時には授業の直前に慌てて予習をしていたりしました。わたしはこの密かな愉しみをしばらく続けていましたが、いつのころからか、わたしが鳳仙さんを見ていると、鳳仙さんはちらりとこちらに視線を流すようになったのです。或いは、そう見えました。わたしはたじろぎました。そしていつも、ふいと目をそらし、何でもなかったようなふりをしました。けれどある時、わたしの視線は鳳仙さんの目に捉えられてしまいました。まっすぐに向かった彼女の目は、蠱惑的でありながら、それはびっくりするほど頼りなげで、何かにひどく怯えているようにも見えて、わたしは――そっと視線を外すことしかできませんでした。
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