第5話 洋平の日記

 どうか洋平が助かりますように! 読みながらそう祈ってくれたあなたはきっと、とてもやさしい心の持ち主なのでしょうね。

 けれど、洋平は亡くなってしまいました。洋平が使っていた机の引き出しから、おもちゃや、キャラクターカードや、シールや、ガチャガチャ出てて来る人形や、いろいろなところから拾ってきた小石や、ねり消しゴムにまざって、日記が出てきました。

 洋平の家族はそれを洋平のように思って、大事に読みました。そして、あばれん坊でがんこに見えていた洋平が、本当はどんなふうに思いながら毎日をすごしていたのかということが、少しわかったのです。




 何年かが過ぎました。


 あかねさんは、二十さいになっていました。あかねさんは大学の文学部心理学科というところで、人の心について熱心に勉強していました。

 あかねさんはカウンセラーという仕事について、苦しんでいる人の相談をききながら、その人と一緒に苦しみを解決していきたいと思っているのです。洋平のように、苦しい思いを抱えて自ら命を絶ってしまう人が、何とかしてのびのびと生きていけるようにしたいと思っていました。それから、子供をなくした人や、きょうだいをなくした人の助けになりたいと思っていたのです。

 というのも、あかねさんは、洋平はとても苦しかっただろうと思うのですが、洋平をなくしたお父さんやお母さん、晴希の苦しみもずっと見てきましたし、あかねさん自身、心ぞうをぐるぐるにしめつけられるような苦しみとずっと戦ってきました。もっと洋平の苦しみを分かることができたら、洋平をささえながら一しょに生きていくことが出来たら、洋平は今も生きていられたのではないかと思うのです。自分のやさしさや強さが足りなかったばっかりに、洋平が苦しみに負けてしまったのではないか、と思ってしまうことがあるのです。


 あかねさんは、大切な弟の洋平に、今も生きていてほしかったのです。

 あかねさんは、中学生活を過ごし、高校生になり、大学生になるなかで、たくさんの楽しいこと、知らなかったことを経験しました。中学で始めたバドミントンは今も続けています。仲間がたくさんできましたし、県大会にも出場しました。中学のしゅう学旅行では東京に、高校のしゅう学旅行では京都に行き、テレビの中でしか見たことのなかったお台場や金かく寺へ行くことが出来ました。今は大学に入り、勉強にバドミントンに、パン屋さんでのアルバイトにと、大忙しです。お金をためて、美しい水のまち、イタリアのヴェネツィアに行こうと友達と約束しているのです。

 つらいこともたくさんありました。お父さんとお母さんはりこんすることになりました。あかねさんはお母さんと、晴希はお父さんと一緒に暮らすことになったので、あかねさんは、晴希とお父さんとはなれればなれになってしまいました。中学や高校で、友達や先ぱいとうまくいかないこともありました。中学の頃なかの良かった友達とは、高校ではなればなれになり、だんだんと連絡を取らなくなってしまいました。初めて好きになった先ぱいには、ふられてしまいました。大学受けんの勉強は大変でしたが、一番行きたかった大学には合格できませんでした。

 これからも、あかねさんには楽しいことやつらいことがたくさん起こるでしょう。あかねさんは、全身でそれを受け止めるつもりです。あかねさんは、洋平にも、いろいろなことをめいっぱいにけいけんしてほしかったのです。長く続いていく、様々なことが起きる人生という道を、自分で断ち切ってしまうことなく、力強く歩きぬいてほしかったのです。


 あかねさんは、洋平がよく教室を出ていってしまったことを思い出しました。先生に何度もしかられたり、お友達に笑われたり、からかわれたりすると、洋平は腹が立って、悲しくて、はずかしくて、消えてしまいたいと思っていた。日記にはそう書かれていました。

 かっとなって教室を出ていってしまったなら、落ち着くまで待って、そして教室に戻ればよいでしょう。

 でも、一時の感情でこの世を去ってしまったら、もう戻ることは出来ません。後悔することも、やり直すこともできないのです。




 洋平に会いたくて、会いたくて、あかねさんは、洋平の日記をもう一度読み返しました。あかねさんはずっと、洋平の日記を本にしたいと思いました。そしてついにお母さんや、はなれて暮らしているお父さんや晴希と相談して、あかねさんが洋平の日記をまとめ直し、出版社に持って行くことに決まりました。お母さんもお父さんも晴希も、どうして洋平が死んでしまったのか、何とかして助けられなかったかと、ずっと思っていたのです。洋平の家族は、洋平の日記が本になることで、洋平のように苦しんでいる人が、少しでも勇気をもてたり、その人の家族や友達、先生が、優しい気持ちを持てるようになったりしたらいいなと思ったのです。そうすることで、自分たちの苦しみや、洋平の苦しみが、晴れるように感じられたのでした。

 洋平の日記は、古いノートに、えんぴつでびっしりと書かれていました。くせのある文字でした。ところどころ絵もかいてありました。夜、大学の課題を終えると、あかねさんは毎日、洋平の日記と、原こう用紙をならべて、つくえに向かいました。かん字のまちがいや、分かりにくいところを直しながら、でもなるべく洋平の気持ちがそのままのこるように、日記を原こう用紙に清書していきます。あかねさんは、パソコンで文章を書くよりも、手で書くほうが好きでした。こうしていると、洋平に手紙を出しているような気持ちや、洋平とお話をしているような気持ちになるのです。書きながら、いろいろな思い出がよみがえり、まだ小学生の洋平が、となりで、照れ笑いをしながら、のぞきこんだりふざけたりしてきそうに感じられました。

 あかねさんはいくつもの出ぱん社を回り、出来上がった原こうを本にしてくれるようお願いをしました。いくつかの出ぱん社には断られましたが、ある出ぱん社が引き受けてくれました。一年ほどして、洋平の日記と、洋平がかいた絵は、楽しいイラストの表紙がついた本に生まれ変わりました。あかねさんが、明るい楽しいイラストの表紙にしてほしいと出版社にお願いしたのです。そして、その本は日本中の本屋さんで売られることになりました。

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