第4話 晴希

 洋平の弟の晴希は今三年生ですが、色が白くて、ほっそりとした、ピアノが大好きな男の子です。二年生と間違えてしまうくらい体が小さいので、いじめられそうにも見えますが、とっても成績がいいのと、しっかりしていて、大人相手でも自分の意見をはっきり言うので、全くそんなことはありません。むしろ、学級委員を務めているほどです。


 洋平はこの優等生の晴希があまり好きではありませんでした。晴希は勉強も運動もできて、家でも口答えはしないし、整理整とんや手伝いもよくやっていて、まるで自分の出来なさがきわ立つみたいに見えるからです。でも、弟がうまくしかられずにいるのは、自分がしかられているのを見て、何をやったらいけないかを学習しているからだとも思うのです。


 通信教育のアニマルゼミでは、ゆかいな動物のキャラクターが、算数や国語、理科や社会を教えてくれます。洋平も、あかねさんも、晴希も、みんな小さなころからこのアニマルゼミをやっていました。アニマルゼミは、どんどん先に進むことが出来るので、あかねさんは実際は中学校一年生ですが、中学校三年生の教材をやっていました。晴希もどんどん進めていて、三年生なのに、小学校五年生の教材に入りました。洋平がやっているのと同じ教材になってしまったのです。

 弟に追いこされてしまったら、どうしよう。

 洋平はリビングのテーブルにはりついて、以前よりは勉強をするようになりました。でも、思ったほどには進みません。となりでは晴希がすらすら問題をといています。

「簡単だよ、洋平、教えてあげるよ。」

 こんなふうに、一見親切そうに晴希が言うのも、洋平はがまんならないのでした。




 今日は、晴希の友達が遊びに来ていました。知らない人の苦手な洋平は、いつも、あかねさんや晴希の友達が来ると、逃げるようにちがう部屋にこもりっきりになっていました。

 でも、今日は違いました。洋平は勇気を出しました。晴希の友達と遊んであげることで、お兄さんらしさを見せられるかなと思ったのです。

 よし、なにをして遊んであげようかな。

 

 リビングに行くと、ソファーのうえで四人の男の子が固まっていました。お母さんが出してくれたらしいお菓子が、テーブルの上にのっています。男の子たちは、ゲーム機を持ってきていました。ゲームを始めるようです。ゲームだったら、洋平は大得意です。三年生の子供たちに、洋平の技を見せたらどんなにびっくりするでしょう。でも、洋平は、晴希と二人で一つしかゲームを持っていません。

「おれのほうがうまいって、ちょっと貸してみろよ。」

 洋平は、晴希が持っているゲーム機をもぎ取ろうとしました。

「いいって、ぼくが遊ぶんだから。」

「おれの技を見せてやるってば。」

「洋平、いいよ、あっちに行っててよ。」

 晴希が、まるで大人が子供を追いはらうみたいな口調で言いました。

 洋平は頭がずきんと痛むのを感じました。

 せっかく年下の子供たちと遊んであげようとしたのに、まるで自分がのけ者にされたように感じて、悲しさとくやしさとはずかしさが、ぐちゃぐちゃにまざって、いっぺんに吹き上げるようでした。

「うわあああっ!!」

 洋平はとっさに大声を上げて、こぶしをふり上げました。人を叩いてはいけないことは分かっていたので、洋平はそれを晴希にあてるつもりはありませんでした。必死に、そうしないようにおさえていました。ただ、自分の中のかんしゃくが爆発してしまっただけなのです。しかし、そのこぶしが、三年生の直也くんに当たってしまいました。直也くんはおどろいて泣きだしてしまいました。

 台所でご飯を作っていたお母さんが飛んできました。

 お母さんは直也くんを抱きあげます。

「このおにいちゃんが、直也をぶった。」

 三年生のレオくんが、洋平を指さしました。

「洋平はあてるつもりはなかったんだ、ぼくがいけなかったんだ」

 晴希が洋平をかばいます。そんな風に晴希が素直に、お母さんみたいにすらすらとしゃべる様子が、なおさら洋平の心には冷たくひびくのです。



「人をたたいたらダメだって、何回も言ってるでしょう! どうしてわからないの。よその子にけがをさせたらどうするの!」

 お母さんは洋平を叱りつけました。お母さんの目にはなみだがにじんでいて、それを見て洋平も泣きそうになりました。こんな小さな子たちの前で怒られるなんてかっこ悪い。洋平はそう思いました。でも、自分が悪いこともよく分かっていました。

 本当に、よく分かっていたのです。

 直也くんが泣き止むと、お母さんはお菓子をもって、洋平と一緒に、直也くんの家まであやまりに行きました。お母さんは直也くんのお母さんとお父さん、そして直也くんに深々と頭を下げ、洋平にも頭を下げさせました。



 その夜。

 晴希はすぐに寝ていましたが、洋平はなかなか眠れませんでした。洋平は夜になるといろいろ考えだしてしまって眠れないことがよくありました。直也くんの泣き声が、まだ耳に残っています。どうしてあんなことをしてしまったんだろう。どうしてお母さんを怒らせるようなことばかりしてしまうのだろう。

 どうして、おかしなことを言ってしまうんだろう。どうして、人をたたいてしまうんだろう。どうして、きょうだいのなかで自分だけ勉強ができないんだろう。どうして、教室を出ていってしまうんだろう……。

 糸をたぐりよせていくように、今まで起きたいやなこと、つらいことが、頭の中に、まもののようにやってきました。じんわりとわき上がってきたなみだが、つーっと、目の横から枕にたれました。


 洋平は子供部屋から、マンションのベランダに出ました。涼しい夜風がふいています。真っ暗な空は星でいっぱいでした。

 悲しみの両手が、そっと、洋平を抱き上げてくれるようでした。洋平はその手にすがるように、フェンスを乗りこえると、そのまま、まっさかさまに落ちていきました。

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