第12話 任務は見事失敗しました!

 ◇◆ ロシア モスクワ ホトトギスキー邸



蜘郎は現在敵地に孤立無援で囚われています。先ほど隙を見て連絡をした蝪雪からは『知るか』の一言きり音沙汰がありません……


(この状況は不味い…不味いな…)


それは、ほんの数時間前の出来事です。


……蜘郎はエカテリーナの有無を言わさぬお誘いで彼女の姉夫婦を尋ねる事になりました。


それは外堀を埋めて蜘郎を墓場へと連れて行くエカテリーナの邪悪な策略です。


それに対して、いざとなれば適当にお茶を濁し逃走しようと考えていた蜘郎ですが……しかし、何と其処にはロシア軍の重鎮であるホトトギスキー男爵がいました。


日本国との講和派の一人であるホトトギスキー男爵です。


曲りなりにも特使の立場である蜘郎は国の面子を背負っています……なので逃げられません。


(ホトトギスキー男爵!?……渡された資料に最重要人物の一人……故に基本的に接触不可と名指しで指名されていた講和派の中心人物……立場上逃げるのは不味いな……既成事実がある以上留まるのも悪手……あれ、詰んでる?)


蜘郎は逃げることができず、そのまま彼とエカテリーナを主賓とした晩餐が開かれてしまいました。


そして始まる冒涜的な宴……食卓の中央には生贄の様に豚の丸焼きが配置され、血のように赤い液体が蜘郎のグラスに注がれます。


蜘郎にとっては一瞬が永遠に感じられる程の息苦しい空間です。

……ちなみに配置は、蜘郎の前方にはこの家の主、アレクセイ=ホトトギスキー男爵。


左右にはエカテリーナとその姉のエリザベータが陣取ります。

二人はまるで軍隊の尋問の様に蜘郎が何かを自供する様に誘導してきます。


エリザベータが言葉のマキシム機関銃で蜘郎を攻撃、エカテリーナが優しい言葉で落とし穴へ誘導する。


一体、蜘郎が何をしたというのでしょうか?……この扱いは不当です。


後方にはこの家唯一の使用人らしい少年。彼はどうでもよさげで非常に眠たそうです。


ロシアではこれが客に対する持成しなのか…それともこの家特有の何かなのか…或いは蜘郎を逃がさぬ囲いなのか…


「グチィ…グチュ…ゴク」


蜘郎は巨大な炙り肉の塊を怪蟲の様に一口で食すホトトギスキー男爵に驚愕しました。


ホトトギスキー男爵は酒で肉の塊を押し流すと、また肉を一口で食す…それを繰り返します。


その最中に、ホトトギスキー男爵は蜘郎を容赦なく値踏みする様に睨みつける!


「君は……クロウくん、といったな…ふむ」


だが、その戦士として威圧する眼光には揺るがない蜘郎に、ホトトギスキー男爵はニヤリと男らしい笑みを浮かべました。


「ふむ、成程な…全身の筋肉を無駄なく鍛えているようだな!気に入ったぞ!…グチィ…しかし食は進んでいないようだな!!如何したもう腹に入らんか!?まだまだ肉はあるぞ!!!ハハハハハ!!!」


「アレクセイ…食べながらお話しするのはやめて頂戴ね……………で、クロウさんは御国ではどの程度の地位についているのかしらね?蛮…日本国の特使ねぇ、使い捨ての駒とも考えられるわ」


「姉さん…お義兄さんも、そんな根掘り葉掘り聞かないで…結婚してから、お互いを知っていけば良い訳だから…ねぇ蜘郎さん」


(……なぜこうなった?)


蜘郎は何も悪くありません。ただ任務を口実に少女の純潔を奪い、心と体を弄んだだけなのです……それなのに結婚なんて非道すぎます!!


「どうした!?火酒を飲むのだ義弟よ!!盃を交わそうぞ!!ハハハハハハハハハッハ」


「アレクセイ…飲みながらお話しするのはやめて頂戴ね……で、当然クロウさんは私の妹と結婚しますよねぇ……日本国は責任と言う言葉をきちんと理解している一等国か、妹の身体を貪った猿が住む未開の島なのか!貴方を見て判断しますから…その心算でね…クロウさん」


「当たり前です!さぁ蜘郎さん!今朝、私に囁いた事をここで宣言してくださいな。ほらほら、さあさあ、はやく、はやく、はやく……」


常人ならこの状況から逃れるために『結婚します』と言うでしょう


だがしかし、歴戦の戦士は……蜘郎義経はどの様な時だろうと冷静に己の利を掴みとるのです!!


「ぼく、けっこんします」


「蜘郎さん♪」


それを言った瞬間に、エカテリーナは喜色満面の顔で蜘郎に抱きつき、オルガは無表情に蜘郎の前へと書類を置きます。


蜘郎はサムライと成り、そして人の理から外れたため、常人より長い人生を歩んでいます……故にロシア語を日常会話くらいなら普通に使用できる…しかし、この紙に書いてあることが半分しか理解できませんでした


(この書類は……まさか!?)


その書類には不思議な言葉が書いてあった 


蜘郎は半分しか理解できなかった


だがそれで十分だった 


なんとその紙は『婚姻届』だった 


どうやら遠く離れた国同士であろうと、たかが紙切れが力を持つのは変わらないのだった 


すごいことだった


くろうは またひとつ かしこくなった


(冷静になろう、素数を数えよう……素数?素数ってなんだっけ……そもそも世界とは何だ?…宇宙とは何?…なぜ今も広がり続けるの?)


悍ましい冒涜的な環境は蜘郎から正気度を奪う!?


その脳内は明後日の方向に加速していきます!!


(……あに!あに!よりとぅもあにさま!……あに!あに!よりとぅもあにさま!)


崩れそうになる自我…それでも蜘郎はなんとか正気を保つために、大好きな兄が死の寸前に残した言葉を思い出します……!!


『ぐがぁぁぁ!?…九郎義経…!?貴様ぁ…よくも…よくも儂を…わしを殺してくれたなぁぁ!!!呪ってやるぞ!!未来永劫呪い続けてくれるわぁ!!呪い死ねぇぇぇ!!!』


(僕の兄様…なんてかっこいい…)


兄との素敵な思い出により蜘郎は正気度を全回復しました。


さらに兄弟が持つ絆の力により、ほんの数秒でこの状況から逃れる起死回生の打開策を思いついたのです!!


蜘郎は何かに気が付いたような顔で真剣に仕事の話を始めます……


「国の役所で日本人とロシア人の結婚証明が行われる……つまりぃぃい!!ロシア側も講和には前向きという事ですね!!…ホトトギスキー男爵!?」


仕事の話に持ち込むことで女性陣を会話から弾き飛ばす素晴らしき作戦です!!


蜘郎は自身の持つ付け焼刃の知恵で話をそらそうとしているのです!!

そんな彼はサムライだ……これこそが真のサムライの姿だ!!


「アハ♪蜘郎さん……お手がお留守ですよ」


エカテリーナはそんな蜘郎を優しく見つめると、ペンを強引に握らせて『婚姻届』につがえます。


それは前後の会話を完全に無視した力技です。


さながら戦において兵士ではない水夫を狙うような常道を無視した悪逆非道なルール違反……しかし、蜘郎には、す術がありません。


「あわわわっわわわっ!?」


「……蜘郎さん…子供は…いっぱい…欲しいですねぇ…あはははっあははは……」


エカテリーナさんの白魚の様な美しい手からは血管が浮き出ています。


蜘郎の金属の様に固い拳にエカテリーナさんの繊細そうな細い指が徐々にめり込んでいく様は、まさに魔術の神秘です。


彼女の体からは魔力の波動が迸っています。


「蜘郎さん♪いいからかけ……かけ、かきなさい」


エカテリーナさんは蜘郎を見ている……エカテリーナさんの大きな瞳には蜘郎しか写ってないぞ!


エカテリーナさんだけじゃない、みんなが蜘郎をみている、その一挙一動に注目している!


……後ろでは、少年が欠伸をかみ殺した。


(これ日本だとどうなるのだろうか?……結婚なの?…時間が巻き戻せたら手を出さな…否、可愛い娘だし手は出すが、何とか責任は取らずに都合のいい関係にすることはできなかっただろうか…現地妻とか…愛人とか…お妾さんとか…)


蜘郎は観念して『婚姻届』に自分のお名前を丁寧に書いたぞ。エライ!!


(なぜこうなった?)


蜘郎は言質と証拠を取られました。


さらに既成事実があります。


蜘郎は花嫁を手に入れてしまった。


「ふむふむ……確かに、それでは堅い話はこのくらいにして…お姉ちゃんに二人の馴れ初めを教えてね♪」


「はい♪あれは、昨日の夕方…蜘郎さんが獣の如く私の唇を奪い、その後…私に愛の告白をしてくれました……そのとき思ったんです…私の初めてはクロウさんに捧げるためにと」


「キャー!!キャー!!それから、それから!?」


「私この人の子供を産みたい…孕みたい…繁殖したい…と」


「その気持ちは伝えたのかな?」


「はい、一晩中蜘郎さんに『繁殖…繁殖…繁殖』と囁きました……『繁殖…繁殖…繁殖』と夜が明けるまでずっと」


「な、なんて……ロマンチックなの……」


「早朝トレーニングの時に、蜘郎さんを担いでスクワット500回行いました…ロシアの伝統を通じて愛が深まったのを感じます」


「あらまあ……500回なんて、若いわね」」


「その後、我がペトロヴナ家の伝統『男児のマトリョーシカ殺し』では逃げ回る蜘郎さんを噛みついて捕まえるのに苦労しました…しかしその甲斐あり…今の私は立派な淑女です!!」


「素敵よ…エカテリーナ…本当に大きくなったのね」


「姉さん…今まで本当にありがとうございました、私は日本で幸せになります」


「愛してるわ」


「私もです」


「ハハハハハハハハハッハ、今日は泊まっていけ!!ハハハハハハハハハッハ」


蜘郎には食卓中央の丸焼きにされた豚さんが泣いているように見えました。

でも家族、みんな笑ってる。

蜘郎も笑ってる…壊れたように


「あじ、あじ…あじ…」


「蜘郎さん♪蜘郎さん♪…これから永遠にずーと一緒ですねぇ…あは♪あははっははははは…」


――暫くして蜘郎は考えるのをやめました。


「蜘郎さん…私と結婚うれしいですか?如何なんですか?んっ…?」


「……ありがたきしあわせ」


「蜘郎さん、だーい好き♪」


「……むじょうのほまれなれば」



  ◇◆ コンダコフ邸 アナスタシア寝室



屋敷に帰還したアナスタシアは疲労困憊でそのまま水死体のようにベッドに沈みましたが、その途中違和感を感じて目を開けます。


それを確かめると、ナイトドレスを脱ぎ捨てて部屋の浴室に向いました。


アナスタシアは呼吸するように無詠唱で2つの魔法陣を滑らかに展開、そして水を生成して空の湯船を並々と満たすと、そこから一瞬で温度を適温まで沸して、そのままアナスタシアは頭から湯船に倒れ込みます。


湯の中で汚れと血の匂いを洗い流すように沈み、そして仰向けで浮かび上がると目を開ける……その目は何処までも昏く生気がありません。


(血の匂い……本当に鬱陶しい……消えない)


アッシュブロンドの髪を浴槽に広げて湯を漂いながら、アナスタシアは何も考えずに空白の思考で半自動的に状況を整理していきます。


(おそらく私は現在…チェックメイトされている…私達を追跡している者は私だけなら何時でも害せる…)


アナスタシアは自身の口内に指を入れて舌をなぞる。すると舌に付けられた刻印が光ります


ネクロノミコンが付術した転移術式の刻印です。


(私の持ち物を漁られた形跡がある…私の身体を何時の間にか調べた者がいる…おそらくは廃城に来たものと同一組織の人間…十字教団の聖騎士…かしらね?)


先ほど違和感を感じたアナスタシアが自室に念のため施して置いた侵入者感知用の魔術式を発動させると、自身の部屋と身体に無数の指紋が浮かびました。


万が一のため、常に警戒していた彼女は、狂ってはいるが用意周到で抜け目なかったのです……


(なぜ、このアナスタシアを捕えないのか…ネクロノミコンと別行動しているからだ…しかし計画を実行に移せば、私はネクロノミコンと共同で作業しなければならない)


アナスタシアは湯船から出ると魔法で真水を生成して体を触手の様に体中を這わせる。


(白い心臓……私の『魔力徴収機』は大量殺戮出来ても強い個と戦うには不向き…ネクロノミコンの切り札……黄色い不審者…風の王を退けた相手には、まず勝ち目がない)


そのまま浴室を出て寝室に戻るアナスタシアは滴る水を拭うことなく鏡の前に立つと、キスするかのように舌の刻印を近づけます。


それにより予め施されていた魔術が発動……鏡を媒介に此処と別空間を繋ぐ『転移扉』が出現しました。


(そして敗北…計画失敗)


アナスタシアは『転移扉』の前で、向こう側を確認する事無く、確実に存在するであろう協力者に指令を告げます。


「ネクロノミコン……残念ながら計画は失敗です。とりあえずは逃げに徹しましょう」


『………了解なのだ。…あの心臓はどうするのだ?』


「それは…破棄は勿体ないかな………折角だし、暴れさせましょう」


『了解なのだ…それとアナスタシア様…一応、此方に来る前に、発信機の類が付いてないかを確認してほしいのだ…です』


「問題ありません……すべて除去済みです」


そのままアナスタシアは水滴を魔力の風で吹き飛ばすと、服を纏う時間すら惜しみ鏡の中に飛び込みました。


そのほぼ同時刻に、夜のモスクワを高所で俯瞰していた蛟賀は朝のうちに半分ほど結論していた結果を蝪雪へ報告します。


「任務は続行不能だ……某らではこれ以上ネクロノミコンの追尾は不可能」


『そうか……理由を、一応な』


「単純に残された魔術の痕跡を追尾する手段がないからだ……廃城への奇襲を躱された時点で確保は無理だな……」


『続けろ』


「奴らは大量の魔力を用いて何かをする……しかし、某ら追跡者の眼と鼻の先でネクロノミコンを使用して魔力吸収を行うのは危険だ、故に……」


『此処はとりあえず放棄して次に移すか…結果論だが競争相手の天使を蜂郎に始末させたのは不味かったかな…奴らならこの状況でもネクロノミコンを追尾は出来ただろう…そしてお前なら、横から魔道書を奪い取れたのにな』


「さあな…最悪なのは敵組織に奪われる事だ……敵性を一時的に排除したという意味では無駄では無い筈だ」


『そうか……ご苦労だった…続行不能だが、また何処かで好機があるだろう、しかし…今回はここまでだな…』


「一応暫くはここで様子を見る。おそらく何かしてきたとしても逃走の目くらましか何かだろうがな……通信を切るぞ」



蛟賀は通信を終了して、そのまま夜に溶けて消えた。


モスクワの町は暫くして夜が近づき、街燈には魔力光の明かりが点り始めた。


その影からに何かが這い出て……


「■■■■――」


……モスクワには何かが胎動しはじめる。


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