第13話 ラウンド1

 ◇◆ロシア モスクワ


最初にその異変に気が付いたのは、市街地の公園で父親と母親に手を引かれる10歳くらいの少年です。


「ねぇ…パパ、ママあれはなに?」


少年が指差す夜空には、奇妙なゆがみが現れていました。


やがて、其処から不気味に発光する白塗りの心臓らしき臓器が出現すると、その心臓は総数34本になる脈打つ太い蛇のような触手を伸ばして、血管のように周囲に張り巡らせます。


そして触手の間からぶくぶくと奇怪な臓器の粘体を生み出し、その粘体を組み合わせて徐々に巨大な人型の醜悪な怪物を形造る。


その奇怪で巨大な怪物は、緩慢な動きで足を引きずる様に市街地へと侵入、それに気が付いた人々は呆けた顔で一瞬だけ思考を停止させると……


「おい…何だよ…あの化物は…!?」


「ぎょぎょぎょー!!」


「ああ…?チッ、どうせ、お貴族様のつまらん悪戯だろ!」

 

即座に逃げ出す者と、その場に留まる者に別れました。


怪物が動くたびに、その体から生み出された肉の粘体が地面へと剥がれ落ちて、その肉粘体達は意志ある生物の様に独立して行動を開始します。


それは粘体の体とは思えぬ速度で移動すると、この世の物とは思えぬ不気味な言葉の羅列を紡ぎながら、近くの人間を探知して捕食のために接近……


「■■……」

「ああっ…な、なんだよ…!?気持ちわりィな」


この肉片達の目的は生命力の奪取。


手始めとして、まずは逃げずに此処へ留まった人間の魂を冒涜りゃくだつします。


肉粘体の一つが触手を伸ばす……


「■■…――!!」

「おいっ!わ、悪かったから…ヤメロ!」


巨人を見ても逃げずに留った男は触手で足を絡め取られると、そのまま肉の粘体に体を取り込まれ、徐々に肉体を侵食されて……


「やめろ…は、離せ!?……うぐぐゃ!!あ”あ”体がっ体が!!あづい!?いだいいい!!」


男が味わうのは、自身の皮膚の裏に異物が侵入して、内側から醜悪な粘体を流し込まれる苦しみ……それは人類が本来なら永遠に体験する筈のない想像を絶するほどの苦痛です。


「あぐ…■…いだい…■だれが…■だず…けで■■あああ」


捕らわれた男は自分の体が腐臭の漂う何かに変換されるのを発狂する手前の脳みそで認識しながら死亡しました。


「■■■…てケ■り」


逃げ遅れた者達を取り込むように捕食すると、肉粘体群はその分だけ体積が大きくなり分裂して増殖、肉色の地獄は更に拡大していきます。


「く、来るなぁ!!」


「おいっ!そこの…アンタ!男でしょ!…あたしを助けろ…だすげろオ!!■…見捨てナいでよォ……■…■ジにィだくないィ」


「離せっ…手を離せっ!?このババアァ!!不細工は一人で死ねぇ!!」



夜空を覆うようにそびえる巨人から落ちる無数の肉片達。

それは人間を吸収すると更に増殖して湧きでてくる……


町は数分ほどで、化物たちの餌場となりました。


「助けて!!パパッ…ママッ!!」


両親と途中ではぐれた10歳くらいの少年も肉粘体の触手で捕えられてそのまま……


奇怪な巨人が立つ周辺区画と、それが通った場所は悲鳴と血の匂いが充満した肉色の地獄となりました。


肉の粘体で構成された醜い巨人の奇声が夜のモスクワに響きます。


「■■■■――!!!」



蜘郎は市街地から遠く離れたホトトギスキー邸の客室バルコニーで、その巨大な怪物の姿をしばらく眺めながら、何時の間にか此処に現れた蛟賀へ語りかけます。


「……あれはなんだろうか?蛟賀殿」


「さてな、先ほどアレの本体内部とその周辺を調べたが、やはりネクロノミコンと娘は周囲に居ない。つまり某らには最早関係なき事……此処から撤収だ。某らは日本に帰還するぞ」


すでにこの土地での任務に区切をつけた蛟賀は、蜘郎に当然の帰結として帰還をうながします。


蜘郎はベッドで眠る少女を眺めました。彼女は黙ってさえいれば本当に天使の様に美しい少女です。


「……僕は少し残るよ、一宿一飯の恩義はある」


「そうか、某は協力はしないが…止めもしないさ」


「そう言うと思ったよ。……蛟賀殿の半分は優しさで出来ているな」


「ではな」


蛟賀は最初から存在しなかった様に空間に浸透して消えました。


蜘郎は桔梗門が刺繍された軍服に着替えると、コートを羽織り、刀を装備して窓から飛び降ります。


そして着地と同時に凄まじい脚力で大地を蹴り、一息で怪物が待つ彼方へと駆け抜けていきました……


蜘郎が走り去った少し後に、ホトトギスキー男爵は、魔道鎧レガリアを装着して邸から巨人による被災地へ出撃しようと庭へ出ました。


その後ろにはセルゲイが見送りのため追従しています。


「あの……アレクセイ様。本当にお一人で出撃する心算ですか?せめて事前に軍本部へ連絡して指示を仰ぐべきでは…」


「ハハハハハッ!!今こうしている最中も怪物は暴れて、民たちは被害にあっているのだ。即動かねば貴族の名折れだろう。ハハハッ!!」


アレクセイの堂々とした行進は、しかし途中で彼の妻であるエリザベータに止められます。


「意味不明な化物の退治は貴方の仕事では無いでしょ!…市内警邏のクルシンスキー隊長達に任せておけばいいわ。貴方の仕事は後方で偉そうにふんぞり返る事よ!」


寝巻にガウンだけ羽織ったエリザベータは魔道鎧のヘルムを装着しようとするホトトギスキー男爵の腕を掴みます。


「ハハハッハハ!!折角の怪物退治だ!!参加しないでどうする!!」


「アレクセイ…!遠くからあの悍ましい化け物を見たでしょ、行かないで!」


エリザベータは淑女然とした顔からは考えられないような形相に変化してヒステリックにホトトギスキー男爵に縋り付きます。


普段ならホトトギスキー男爵は妻には簡単に折れる。しかし今回は頑なに自身の意志を貫く態度です。


それがエリザベータに伝わったのか、彼女は必死で彼を止めようとコアラの様にホトトギスキーへ抱きつきます。


それでも、ホトトギスキーは優しく彼女の拘束を解くとヘルムをかぶり、魔道鎧の翼を展開……


「ハハハハ!!騒ぐとエカテリーナちゃん達が起きるぞ!!ハハハハハ!!」


「貴方が一番うるさいわよ!!お願い、セルゲイもアレクセイを説得して……」


「アレクセイ様が一番うるさいですよ」


「そっちじゃないわよ!!」


「ハハハハハハ!!……では、静かに出撃するかな!」


「はぁ……良き闘争を…アレクセイ様」


セルゲイが見送りの言葉をおくると、その大きな魔道鎧が宙に浮き上がります。


「ああ、征く!」


二人に見送られて、ホトトギスキー男爵は空へと飛翔しました。


そして重力を振り切ったかの様な加速でエリザベータの視界からどんどん遠ざかり…そのまま点となり…やがて姿は消えました。


「……アレク…セイ」




モスクワ上空……


家屋から燃え広がる炎で夜空が不自然なほど明るく、悍ましい風景を鮮明に彩る……


ホトトギスキーのヘルムから覗く巨人の周辺地域はまさに地獄の表層と言う有様です。


彼方此方に肉の粘体が死体に群がる蛆の様に湧いています。



「さて、始めるか……」


アレクセイ・ホトトギスキー男爵の顔からは、先ほどの様な豪快だが朗らかな笑顔は消え去り、愛するロシアを穢す生ごみ共に対しての憤怒と殺意に溢れています。


「質量強化『加重』!推進強化『加速』!」


ホトトギスキーは、簡単な強化術式で自身の耐久性を底上げすると、魔道鎧を大雑把かつ全力で加速させました。


その推進力を減退することなく生ごみたる肉粘体が一番蠢いている区画に隕石の様に追突!


……その衝撃で肉粘体達は吹き飛び、足の踏み場も無かった肉色一色な区画に小さな点が生まれます。


「■だず■■」

「■■おきぞく■さま…」

「■■あ…■…ああ」


その点を埋めるように、大勢は同じ生き物の如く自身の体にホトトギスキー男爵を取り込もうと触手をうならせて群がります!……が


「……このゴミ共がぁぁ!!!」


ホトトギスキー男爵は魔道鎧の背中から巨大なメイスを取り外すと、嵐の様に振り回して、周囲を薙ぎ払います。


その直撃を受けた肉粘体は弾け飛び、掠った肉粘体も弾け飛び、音速突破の衝撃波で肉片達は弾け飛びます。


彼のメイスが唸るたびに粘体達は細かい肉片となり、消えていきました。


「パズドリャー!!!ヴリャーユ!!!」


まるで爆撃の様にホトトギスキー男爵の周辺からは轟音が常に響き、その度に肉粘体はメイスで引きちぎられて強引に活動を停止させられます。


だが、所詮は個と群です。やがて攻撃の隙間を縫うように一匹の小さい粘体生物がホトトギスキーの背後を奪いとり……


「■■ぁあ…!びゅぴゅびゅ!」


針のような触手で奇襲攻撃!


ホトトギスキーは咄嗟にその攻撃を躱そうとして……躱しきれず、触手はホトトギスキーのヘルムを貫抜き、そしてそのまま口内から……


「…グチィグチュ……不味い…!!」


しかし、ホトトギスキーは強化した肉体で触手を逆に喰い千切り、続けて腰から展開した副椀サイドアームの手首を回転させたドリルでその肉粘体を破壊します。


「ハハッ!!ぬるい…ぬるいなぁ!!」


それでも、絶え間なく続いたホトトギスキーの攻撃は僅かに途絶えてしまい、彼の死角から粘体生物が連動して襲いかかります!


それに対してホトトギスキーはメイスで前方の粘体を殲滅しつつ、両脚側面に取り付けられた片刃のサーベル『シャシュカ』を両副椀に装備して死角から襲い来る触手による刺突攻撃を切り伏せます。


多少苦境だろうとホトトギスキーは肉粘体群に、怯えもしなければ怯みもしない、正規の訓練を受けた本物の魔導騎士とはそういう者です。


彼らは厳しい選別を生き残った魔導師の中でも選ばれしひと握りの存在。


化物相手でも、死の淵に立とうとも、死ぬ瞬間まで魔道鎧を手放さず魔力を滾らせて敵と戦うのです。


嘗てロシアから遠く離れた地で怪人と戦ったコンダコフやクルシンスキーがそうであった様に……


故にホトトギスキー男爵は、全ての魔道騎士と同じく一向に減る気配のない化物達相手にメイスを握りしめて振り回します。


「ハハハッ!!面白くなってきたな!!」


ホトトギスキーと数に終わりが見えない肉片達の激闘……それが数分続いて……


いくら潰しても肉片は減るどころか次々と湧いてくる。そして自身の魔力総量が限界を迎えつつあるホトトギスキーは、故に最後の手段を使用します。


「ははは!少し疲れたぞ。年は取りたくないな!……『ペトルーシュカ』安全装置を解除!」


『警告…生命力を魔力に変換して運用します。よろしいですか』


「かまわん、かまわん!やれ!」


『解除コードの入音をしてください』


「解除コード…!?なんだったかな…」


だが、ホトトギスキーが特攻を決行する前に、突如として肉片達の動きが鈍くなり、やがて凍結して活動を停止しました。


呆気にとられるホトトギスキー。そこに若い女性の声で号令が響きわたります。


「突撃!!」


「「「オオオオォ!!」」」


凛とした号令のもと、ロシア軍の魔導騎士一個小隊の突撃で、ホトトギスキー周辺の粘体生物たちが吹き飛ぶ!


彼が孤軍奮闘している最中に、他の場所を掃討し終えた市内警邏のタチアナ=クルシンスキーの部隊が到着したのです。


彼女の部隊による絶え間ない津波の様な突撃で、粗方の粘体を討伐されます。


その部隊から一人、碧い魔道鎧を装甲した女騎士…警邏隊の隊長であるタチアナがホトトギスキーに近づき、その耳元で朗らかに皮肉を囁きます。


「あらあら♪珍しいところでお会いになりましたねぇ、ホトトギスキー男爵。市内巡回は私の部隊の仕事ですよ?…軍の要職に就くお方が敵陣に単騎突撃なんて…等々脳まで筋肉に変換しましたか?アハハッ嘆かわしい」


どこか面白がる様な声で、タチアナがホトトギスキー男爵を詰りながら、手の動きで部隊に指示を出します。


その指示に従い、警邏部隊は二人一組で散開して散らばった粘体群の掃討を開始します。


その最中にタチアナの後方から治療専門の魔導師達が現れてホトトギスキーの肉体と魔導鎧を修復し始めます。


繊細な能力制御が必要で、能力使用中は無防備になる再構築魔法を凶悪な粘体生物がすぐ傍に居る状況で行使する魔導師たちの胆力は相当な物です。


「世話をかけるな。感謝するぞ」


「それは残念でした。男爵はまだまだ死にそうにないようで……アンタたち!!」


彼女の号令で粘体群と格闘していた騎士たちは、俊敏かつ手慣れた動作で後退します。


タチアナの周囲から碧い魔力が溢れると、周囲を冷気が覆い隠して……


「『絶対冷凍』」


そのまま一瞬で彼女の視界は銀世界に代わります。彼女の固有魔法『絶対凍土』は前方視界100mをマイナス273.15 ℃で氷結させる必殺技。


全ての生物はマイナス273.15 ℃では活動できないのです。当然、肉片達も固まり凍りつき停止しました。


どの様な生物も凍らせてしまえば絶命する。彼女の氷結世界は死の墓標なのです。


氷結した肉片達を配下の騎士に処理させると、タチアナはヘルムを脱いでホトトギスキー男爵にウィンクをしました。


端正な顔をしたタチアナは金髪の縦ロールが汗で萎びていますが、連戦の疲れを見せない笑顔で自慢します。


「他の区画の化物もこの様にして始末しました…私の氷結魔法は腐肉スライム共に対して相性がいい様子なので」


「よく我輩が此処にいると分かったな?」


「貴方の従者から、本部に伝書鳩が届いたので……仕方なく部隊の探知能力を無駄に消費して即駆けつけました♪」


「そうかセルゲイ……タチアナよ感謝する。あの巨人は如何する?」


「報告より。現状把握している敵の習性は、生み出した腐肉スライムに人間を襲わせて増殖、それらは暫くすると本体へ供給される。との事……今は戦力を分散させたくありません。あれ本体は現在沈黙している様子。ですので再活動する前に小隊単位で腐肉スライム共を排除して回ります。本体の処理はある程度スライムを始末してから駐屯兵達と合流して共同で対処したいなと。よろしいですねぇ……ロシア軍の幹部たるホトトギスキー男爵さま?」


ホトトギスキーは男爵だが軍の重鎮であり、伯爵家現当主であろうと警邏隊の隊長でしかないタチアナが直接意見することは本来出来ない。


故にタチアナは言外に単独行動したホトトギスキーを責めつつ、タチアナが指揮する部隊に同行することを要求しました。


「了解だ…よろしく頼む」


ホトトギスキーは急速に冷まされた脳で、自身の不備を完全に認めます。


ホトトギスキーが単騎で突撃した後にセルゲイが自発的に軍へと連絡していましたが、いち早く現場に駆けつけるのは、彼の立場では様々な意味で都合が悪すぎたのです。


とは言え、来てしまったからには仕方がないので、不測の事態故に暫定的にホトトギスキーは彼女の部隊で実質的な配下になることを即断します。


ホトトギスキーではタチアナの部隊を十全に活用できない、しかしタチアナならば自身の部隊に上手くホトトギスキーを組み込めるからです。


「はい♪素直で実直な殿方は好きですよ。名目上は我々がホトトギスキー男爵の指揮下という事でお願いしますね。後々問題にならないように良きに取り計らってください。ですが手柄はすべて我々に譲ってくださいね♪アハッフフフッ」


「はぁ、貴様の母親そっくりだな……すべて任せろ」


「はぁ!?あの女とそっくりィィ?手前ぇ………んッごほん…ねぇ、ホトトギスキー男爵はお気づきかしら?……あの奇怪で不細工な巨人、かつてロシアを滅ぼしかけて、偉大なツァ―リに封印された…昔話に出てくる、伝説の…なんとかかんとか…腐食?何だったかしら…まぁその異界から来た化物に似ていると思いませんか?」


「それは知らん?」


「あは♪しかし、男爵とはいえ流石にあの巨人へ特攻する馬鹿な真似はしませんでしたね」


「ハハハ!アレ相手に単騎突撃するのは、本物の馬鹿か或いは自殺志願の変態だろうな!」

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