第27話「旅の終わり」④

 海を出発して、ペースとしては順調だった。


 浜辺で過ごしていた時は、ずっと遠くまで海岸線が続いているように見えていたので、海を出発してもしばらくは海を横目に見ながら走っていけると思い込んでいたが、実際しばらく海岸線を走り抜けて信号機を曲がった途端、緩やかな下り坂になって自然と加速していくと共に海はあっという間に坂道の向こう側へと消えていった。


 「あぁ、俺の海よー!!」と、前の方では健吾が見えなくなった海に向かって手を伸ばして別れを惜しみ、「おい、ちゃんと前を向いてないと俺が蹴り入れて転ぶぞ?」と亮がすかさず口を挟み、「いや、それはもれなく100%亮のせいなのですが!?」と健吾が慌てて前に向き直っていた。


 それを、後ろの俺たち四人はケラケラ笑っていた。


 海が見えなくなると、風景はすっかり見慣れた田んぼの風景へと変わっていた。遠くにポツリポツリと木や民家は見えるが、視界の多くを占めている風景は田んぼだ。その間を、二車線のコンクリートの道が真っ直ぐと伸びていて、その道の端を二列に並んで自転車を走らせていく。


 かろうじて、後ろから吹き付けてくる風には潮の気配を感じるものの、それも自転車を走らせていくうちに薄れていって、海の匂いよりも草の匂いが濃くなってくるようになった。


 海の方から吹き付けてくる風も次第に弱まり始めると、代わりに日差しを強く感じるようになってきた。ここからが本番と言わんばかりに、ジリジリと照り付けてくる太陽の熱に次第に汗が滴り始め、気が付けばすっかり顔中から汗が噴き出してすぐさまTシャツを黒く滲ませていった。


 海で遊んでいたから、少しは暑さに慣れてきたかも、なんてのは思い込みだったとすぐに思い知らされ、やはり真夏の暑さは慣れることなく容赦なく暑い。


 実際、海を抜けて緩やかな坂道が終わり、平坦な道になると僅かばかり先頭の二人のペースも落ちた。それに合わせて原田と芹沢、俺と理久もペースを落としたが、そのペースで走っていても幾分か足が重くなったように感じた。道も平坦になった分、少し力を入れてペダルを漕いでいかないと先ほど海岸線沿いを走っていた時のようにはちゃんと前に進んでくれない。


 時計を見てはいないが、まだ出発してからそこまで時間は経っていないように感じた。むしろ、それを考えそうになるとこれから先の道のりの長さに心が折れそうになるので、考えないようにした。


「いやー、本当に暑いねー」


 すぐ隣を並走する理久が、呟いた。理久も、既に全身汗だくでTシャツも身体に張り付いてペタペタ音を鳴らしていた。


「昼下がりの時間帯だから、行きよりはマシって言ってたけど、そういえば昨日この辺り走ってた時間も今と同じぐらいだったんじゃないか?」

「うーん、昨日の方がもう少し遅かったから、むしろ今ここを走っていると今日の方が暑いのかも」


 確かに、昨日この辺りを走っている時は、少し陽も傾き始めたところで夕方の気配が漂っていた。しかし、今太陽は僅かに下がってきてはいるものの、未だに頭上高くで煌々と輝きを放っている。涼しくなるには、もう少し時間が必要だろう。


「というか、遮蔽物ないところをただ走っていくのって、なかなかの苦行だよな」

「うん、本当に無茶してるよね、俺たち」


 理久は、苦笑いを浮かべながら答えた。本当、海ではしゃいでいた時はそんなに意識してなかったが、改めて自分たちは何て阿呆なことをしてるんだろう、と何度思ったか分からないことをまた思った。


 でも、暑さは相変わらずしんどいけれど、心の方は幾分か軽くなって楽になっていた。


 あまり、序盤から飛ばし過ぎて無茶をしないようにと、全体のペースは落とし気味で走っている。その為、海沿いを走っている時と比べて前方との距離は少しずつ空いて、今は数十メートル先に原田と芹沢の背中が見える。


「理久、前とこれだけ距離が離れていれば良いだろ、さっきの続きを聴いても」


 聴きたくてうずうずしていたので、辛抱堪らず理久に言った。抑えようと思っていたのだが、やはり顔は抑えきれずにニヤニヤと笑いを浮かべてしまった。


 俺の問いかけに、理久は「えーっ」とか言いながらも、予想通りだったのか苦笑いを浮かべながら観念したようにこちらを向いた。


「うぅ、やっぱりそうなるよね」

「そりゃそうだろ。こんな暑くて死にそうな状況、楽しい会話でもしながら行かないと乗り切れないって」

「俺は、余計しんどくなりそうな気がするんだけど…」


 恨めしそうに見つめてくる理久に、「ははは」と笑い声が出た。前との距離も離れているから、その笑い声が聞こえることもない。


「まぁ、良いだろ。これでも、中学時代はあいつと俺は結構仲良かったんだから、色々と気にはなるわけよ」


 笑いを抑えながら、話を続ける。


「それで、改めて聞くけど理久は原田のことが好きなのか?」

「…えっ?」


 直球ストレートの質問を投げかけてみると、理久はあからさまに動揺した様子で自転車をグラグラと左右に揺らした。こちらにぶつかってきそうだったので、「あぶねぇ!」と慌ててハンドルを切って理久から逃げる。


「昇、いきなりだね!」


 ようやく蛇行運転は落ち着いたが、一方の理久は顔を上気させて驚いた顔を隠そうともせず息は少し荒くなっていた。その顔を見ながら、もしかして今朝亮から言われた俺はこんな顔をしていたのかも、と思った。


「えっと……それは…うーん…」


 理久は、この期に及んで煮え切らない反応で、目線を忙しなくキョロキョロと動かしていた。


 しかし、流石に観念したのか一度大きく深呼吸をすると、意を決したように顔をこちらに向けた。


「…うん、まぁ、そうだね」


 予測していた返答とは言え、思わず反射的に「マジかよ!」と叫んで自転車に突っ伏した。自転車に乗ってなかったら、間違いなくバシバシ理久の肩を叩いていただろう。


「マジかー。いやー、理久があの原田をねー。…ふーん、そうなのかー、へぇー」

「もう、あんまりからかうな!」


 理久には珍しく、少し口調が荒っぽくなった。しかし、その顔はどんどん赤くなっていく。


「悪い悪い、つい、な」

「もう、本当に勘弁してよー」


 言いながら、今度は理久の方がハンドルに突っ伏した。


「でも、本当に何ていうか意外な感じ。理久って、もっと大人しい感じの子が好きなんだと思ってた」


 さっきのからかい口調からは一転して、真面目な口調で言葉を続ける。優しい理久でも、流石にこれ以上からかうのは可哀想だ。


「えっ?俺ってそんな感じなのかな?」

「自覚なかったのか?理久も優しいから、原田みたいな元気溌剌!という子よりは何となく同じような雰囲気とかノリの子の方が好きなのかな?って」

「うーん、どうなんだろう?好きになったのは原田さんが初めてだったから、よく分かんないけど」


 サラッと投げられた爆弾発言に、またハンドルに顔を突っ伏しそうになる。


「ちょっと待て。理久、ということは初恋が原田ってことか?」

「えっ?…うん、まぁ、そういうことになるかな?」


 改めて自分の発言の意味を理解したのか、理久が恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いた。


「何て言うか、初恋があの原田って、理久もなかなかチャレンジャーだな」

「そうだよね。原田さんって、綺麗だから今でも競争率高いだろうしね」


 思っていたチャレンジの意味とは、違う意味で理久が捉えていて、思わず苦笑いが浮かんだ。確かに、外見だけで言うと原田はトップクラスで可愛い女子だと思うし、それは高校生になって更に磨きかかっている。しかし、昨日の夜の鬼のような表情とか健吾に対しての扱いとかを見ていると、俺の言ったチャレンジの意味は変わってくる。


「いや、そっちの意味じゃなくて、昨日今日の原田の一面を見て、それでもアタックしようと思うってすげぇな、って意味だよ」

「そうかな?っていうか、もうアタックはしちゃったしね」


 一瞬、何を言われたか分からなかった。


 「アタック」という言葉が、つい今自分が口に出したものと意味が一致しなくて、僅かばかりの思考停止。そして、遅れて至った思考に、今度こそハンドルに突っ伏した。


「えっ?…おいおい、ちょっと待て、ちょっと待て」


 顔を起こしながら、落ち着けとばかりに理久に手を差し出して制す。だが、ついさっきの反応が完全に逆転して、すっかり動揺してしまっている俺に対して、理久はやけに冷静に俺の反応をキョトンと見つめていた。


「アタックって、それって理久、つまりは…?」

「えっ?昨日、告白したけど?」


 特大の爆弾投下だった。


 思わず、ハンドルのコントロールを失って、自転車が左右にグラグラと揺れた。「危ない!」と、今度は理久が寄ってきた俺から避けるためにハンドルを切った。


「いやいや、ちょっと本当に待って。何で、そんなサラッと爆弾放り投げてくるんだよ!」


 ようやくハンドルを平行に戻して、心も落ち着かせる。少し、今のやり取りで前との間が開いてしまったので、心持ち自転車を加速させた。


「いや、そんな質問してくるし、昨日の会話聞かれてたんだったら、てっきり昇は知ってるもんだとばかり…」

「だから、俺はキッチンで少しだけお前たちの会話を聞いただけで、そこまでちゃんと聞いてたわけじゃないから、そこまでは知らないよ」


 俺が弁明をすると、理久は「そういえば」と言わんばかりの表情を浮かべ、溜息をついた。


「何か、俺勝手に色々自爆してる気がしてきた…」

「理久、それは今更だぞ。もう、いっそのこと色々洗いざらい話しちまった方が楽になるんじゃないか?」


 驚きすぎて、口調はむしろ冷静になった。何か、俺の方も色々爆弾を放り込まれて、からかえるほど平常心に戻ってはいなかった。


「というか、一体いつ言うタイミングなんかあったんだ?」

「えっ?……花火の時、皆でペンションに戻る少し前…かな?」


 ということは、もしかすると芹沢が来たあの時くらいか、と思い至って、あの時の光景がフラッシュバックして少し胸が疼いた。


「…よく、原田に言うタイミングなんてあったな」

「それは、それこそ芹沢さんに協力してもらって、何とか二人きりになれるタイミングを作ってもらった」

「あぁ、だから昨日の夜は二人でペンション裏で打ち合わせしてたのか」

「うぅ、まぁ、そういうことだね…」


 理久は、どんどん自爆していくごとに小さくなっていたが、俺は俺で昨日の出来事の全貌がようやく分かってきて、こっそり肩を撫で下ろした。


「で、原田の返答はどうだったんだよ?」


 やはり、一番気になるのはそこだ。理久が原田のことを好きということにも驚いたが、果たして原田は何て返答したのだろうか。


「うーん、付き合うことは、できなかったね」


 少しトーンダウンして、理久が答えた。


「えっ……あぁ、そうだったのか…」

「あぁ!でも、完全に振られたってわけじゃないから、俺は大丈夫だよ!」


 すぐに慰めるモードに入りそうになった俺に、理久は慌てて手と顔を横に振った。


「えっ?じゃあ、一体何て言われたんだよ?」

「とりあえず、一回映画でも観に行こうって話にはなった」

「おぉ、スゲェじゃん!デートにはこぎ着けたか!」

「昇、ちょっと声が大きくなってきてる!一応、前の方には原田さんいるんだから、少しボリューム抑えて!」


 そう言う理久も、興奮してるせいでそこまで声のボリュームは抑えられていない。でも、まだまだ前二人とは距離も開いてるので、聞こえる心配はないだろう。


「悪い悪い。でも、また何か変な感じだな。付き合えないとは言われたけど、デートはするってことか?」

「まぁ、原田さんがそれをデートって思ってるかどうかは分からないけどね」

「いや、告白されてそれを断ったのに、映画に一緒に行くって言うなんて、それがデートじゃなかったら何なんだよ。もしそうじゃないとか言ったら、流石の原田でも小悪魔通り越してそれこそ悪魔だぞ」


 直接本人に言ったら、確実に昨日の健吾みたいにドロップキックをかまされそうだが、今は聞こえてないので言いたい放題だ。


「悪魔って…流石にそれは原田さんが可哀想だよ」

「おい、理久。とりあえず、目を覚ませ。恋は盲目とは言うが、お前は昨日のあいつの数々の悪行を見てなかったのか?」


 その悪行の被害者は、基本的に全て健吾ということが少し笑えてくる。


 しかし、そんな俺に対して、理久は「大丈夫だよ、僕はちゃんと冷静だよー」と笑いながら答えた。


「それにしても、本当に何でそんなことになったんだ?」

「そうだね、僕も告白して『付き合えない』って言われた時は、『あぁ、振られたんだー』ってすぐに思ったんだけど、すぐにそれこそ原田さんからは『でも、ごめん。少し考えたい』って言われて」


 原田がそんな風に返答するというのは、それこそ意外な感じがした。あいつの性格上、いくら友だちである理久とはいえ断る時は遠慮なくバサッと言いそうなものだ。


「『色々、自分の中でも整理したいことがあるし、もう少し理久君のことも知りたいから、言われてる私からこんなこと言うなんて虫の良い話かもしれないけど、良かったら一度遊びに行かない?』って言われたよ」


 昨日の今日ということもあるが、理久は一字一句覚えているかのようにスラスラと原田の返事を繰り返した。しかし、その回答が原田のものだとするなら、なおのこと原田の性格を考えると少し違和感がある。


「だから、俺の大会のこともあって、とりあえず秋頃に一回遊びに行こうってことになったよ…」


 そこまで淀みなく言っていた理久だったが、昨日のことを思い出してか、言ってる自分のことが恥ずかしくなってきたのか、言葉尻が次第に萎んでいった。


「そうか。でも、どんな感じかは分からないけど、とりあえずは良かったんじゃないか?」


 笑いながら、理久に答えた。何だか、目の前の理久の反応を見てると、からかう気もなくなってきて、少し微笑ましい気持ちになってくる。


 理久は理久で、勇気を出して原田に気持ちを伝えたのだ。いつから、理久が原田のことをそういう風に見ていたかどうかは分からないが、少なくとも中学の時から好きだったことは間違いないだろう。


 その気持ちを、高校になってもずっと持ったままで、それを勇気出して短い時間の中で、そして最後の機会になるであろうこの旅行で伝えたのだ。それは、からかうべきことではなく、本当に凄いことだと本心から思えた。


 だからこそ、そんな理久の姿が、今の俺にはやけに眩しく見えた。


「スゲェな、理久は」


 思わず、本音が口を突いて出た。半ば無意識に出てしまった声に、咄嗟に口を押さえたが当然そんなことに意味はなく、理久はキョトンとした様子で俺の方を見た。


 そして、優しく微笑んだ。


「いや、僕は凄くも何ともないよ。昨日、二人きりになる状況を作るために芹沢さんに協力してもらったし、実際に原田さんに言う時には何度も言葉に詰まって全然言いたいことが言えなくて、結局原田さんから『リラックスして良いよ』なんて言われちゃう始末だし」


 理久が言っていることは、そのまま俺自身にも当てはまっていることのように聴こえた。


「…でも、理久はちゃんと言えたじゃないか」


 苦笑いを浮かべる理久に対して、俺は真面目に言葉を返した。


「ちゃんと、伝えたい相手に伝えることを伝えられてるんだから、理久はちゃんと凄いよ」


 それは、心の底から出た言葉だった。


 理久と比べると、自分は何と情けないんだろう。


「どうかした、昇?」


 少し間が開いてしまったせいか、心配そうな表情で理久が俺のことを見ていた。


「あぁ、悪い悪い、別に何でもないよ」


 必死に取り繕うと笑顔を浮かべたが、顔が引き攣ってちゃんと笑顔が浮かべられているか分からない。


「あの…間違ってたらごめんなんだけど、昇ももしかして何かあった?さっき、俺にあんなこと聴いてきたのもあるし」


 理久は、恐る恐る聴いてきた。俺がさっき問い質していたこと、その意味に触れようとしていた。


「…あぁ、そうだな」


 そんな理久に、自分でも意外な程あっさりと返事が滑り出た。


「俺は、芹沢のことを拒絶してしまった。あいつから、もう一度話がしたいって言われたのに、それを俺は受け止めようとしなかったんだ」


 話し出してみると、何の恥ずかしげもなくスラスラと言葉が出てきた。理久から色んな秘密を教えてもらったおかげか、それともそもそもの理久の優しさのおかげか。


「えっ?それって…」


 ところが、俺の言葉を受けた理久はやけに神妙な面持ちでじっと俺のことを見つめてきた。その反応がやけに真剣で、何やら聞こうか聞くまいか迷っているように見えた。


「何だよ、どうした?理久から色々教えてもらったんだから、俺もちゃんと今なら答えるぞ」

「えっ。だったら…」


 すると、理久は意を決したようにひと呼吸置いてから俺に言った。


「その…やっぱり二人は付き合ってて、それがこじれたってことかな?」


 勇気を振り絞り、ギュッと目を閉じながら理久は一息に言った。しかし、一方俺は一瞬何のことを言われてるのか理解できず固まった。


 そして、その理解が至った時、思わず吹き出した。


「あはは!いや、違う違う!別に俺と芹沢は付き合ってたわけでもなければ、何かあったわけでもない」

「えっ?あっ、そうなの?」

「あぁ、別にそんなんじゃないよ。ただ、中学まで普通に話ができてたのに、中学から話ができなくなったって、ただそれだけ」


 種明かしをしてやると、理久はほっとしたように息をついた。


「何だ、そうだったんだね!なんか、皆色んなこと言ってたから、てっきり…」


 あいつら、理久に一体何を吹き込んだんだ?と、遠く前を走ってる三人を睨んだ。だが、当然前の三人はこちらに気付くわけはない。


「あいつらに何を言われたかは知らんけど、とりあえず俺たちは特に何かあるわけじゃないから」

「そうなんだね。でも、それなら何で話ができなくなったの?」


 理久の率直な質問に、息が詰まった。理久は、特に探る感じでも訝る感じでもなく、純粋な問い掛けだった。


 それを言われたのは、随分久しぶりな気がした。亮や健吾からは随分前に言及されたことこそあるが、その時は俺も曖昧に返していたから、それ以来二人から何か言われることはなくなっていた。


 だからこそ、久しぶりのその問い掛けで、尚且つ第三者の純粋な立場からの理久の言葉は、やけに俺の胸を突いた。


 理久からすると、その通りかもしれない。


 恋仲同士になってる二人が、いざこざがあって疎遠になってしまって話ができなくなってしまった。そんなのは、よくある話だ。その方が、まだ今の状況について説明するには分かりやすいのかもしれない。


 でも、俺たちはそんなのじゃない。


 何で、俺は芹沢と話せなくなってしまったのか。


 その理由は、あまりにも幼くみっともないもので、今の俺だったらその当時の俺を張り倒してるかもしれない。


 いや、もしそうできるなら、今の俺もこんな風にはなってないのかもしれない。


 結局、今の俺も何も成長できてない。


「本当、何でなんだろうな。いつからかこうなってしまって、もう何でかってことも忘れちまった」


 本当のことを打ち明けるには、あまりに自分が情けなくて理久に嘘をついた。


「そっか、そうなんだね」


 しかし、理久はそんな俺の返答に特に追求することなく、あっさりと受け止めてくれた。素直に相手の言っていることを受け止めるのは、理久の本当に優しくて良いところだ。


「まぁ、何ていうか色々あるよねー」


 理久は、前に向き直りながら言った。


「俺も、中学の時に原田さんに言うことはできなくて、『あぁ、これでもう言う機会はなくなったなー、高校行ったらまた誰か好きな人できるのかなー』って思ってたよ」


 理久は、独り言を話すように言葉を続けた。


「でも、結局高校でも好きになれる人はできなくて、そんな時に昇からこの旅行に誘われて、正直これはラストチャンスかもしれないって思ったよ」


 辺りはやけに静かで、理久の声はとてもクリアに聴こえてきた。


「まぁ、結局原田さんからの返事はイエスでもノーでもなくて、むしろ僕が良いように思い込んでるだけで、実際のところやっぱりノーかもしれないけど」


 言いながら、理久は苦笑いを浮かべて少しこちらに顔を向けた。しかし、すぐにまた顔を正面に戻した。


「でも、僕はやっぱり言えて良かったと思ってるし、言ったことでまた次のチャンスをもらえた気がするんだ。だから、」


 ひと呼吸おいて、理久の視線を感じた。


 そして、その声が届いた。


「家に帰るまでが旅行なら、まだ旅行は終わってないよ」


 一度後悔をして、それを何とか忘れようとしていた。


 でも結局忘れることはできなくて、そんな中でただ一つのチャンスが目の前に訪れて、そのチャンスを決して逃すことなく掴んだ。


 そんな理久からの言葉は、ハッキリと俺の心へと届いていた。


「…あぁ、そうだよな」


 今、口に出しているように、そんな素直に勇気が出れば苦労はしない。だからこそ、今までも思い悩んできたし苦しんできた。そして、芹沢のことも苦しめて来たんだと思う。


 だけれども、理久の言葉は少しだけ俺の心を溶かしてくれた。俺に、ほんの僅かだけ足を踏み出してもいいんじゃないか、という勇気をくれた。


 亮も健吾も、そして理久も。結局、この二日間で一緒に過ごしたメンバーは、本当にかけがえのない、最高の友だちなんだな、と思った。


「そうだよな」


 もう一度、自分自身にも言い聞かせるように言葉を繰り返した。


 まだ、自分の中の「でも」「だって」という言葉は消えない。自分だけが色んな人に助けられて自分勝手に盛り上がっているだけで、結局何も変わらないのかもしれない。


『俺は、芹沢と話をしたくない』


 昨日の自分が投げつけた言葉が、芹沢を傷付けてしまったのは間違いないのだから。


 でも、もしも、


 許されるとするならば、せめてそのことを謝ることくらいはしたい。せっかく、三人が背中を押してくれたのだから、そのためにも、何よりも自分自身のためにも、せめてこの旅がただの後悔で終わるものにはしたくない。


 まだ、旅は終わっていない。俺たちの関係はもしかしたら、昨日のあの時点で終わってしまったのかもしれないけど、旅はまだ終わっていない。


 だからこそ、伝えることはまだ間に合う。俺は、芹沢に伝えなきゃいけないことがある。


 だからこそ、、



---


 もうすぐ、旅が終わる。


 家路に着くのは、まだ先だ。


 炎天下の中、まだまだ自転車を漕いで長い道のりを行かなきゃいけない。


 でも、そのしんどさ,大変さ以上に、この旅がもうすぐ終わってしまう切なさが募っていく。


 結局、私は何かできたんだろうか。ただただ、余計に私たちの関係を拗らせてしまっただけなんじゃないだろうか。


 本当に、この旅をもってして私たちの関係は完全に途切れてしまったんじゃないだろうか。


 そう思うと、気持ちが沈んでいく。やはり、こんな旅行に来るなんて言わなければ良かったかもしれない。


 僅かでも希望を持ってしまわない方が良かったかもしれない。


 思えば思うほど、気持ちはそんな後悔に引っ張られていく。そして同時に、もうどうでもいいやと投げやりな気持ちになってしまう。


 でも、それはもう仕方ない。私はこうして旅行に来ているわけだし、自分自身としてはできる限りのことをやったのだから。


 隣をずっと走ってくれている由唯にも、暗い表情なんて見せてしまったら余計な心配をさせてしまう。


 何とか足の痛みは大丈夫だった。無事に自転車は漕ぎ続けられているし、足に違和感もない。


 そんな状態なのに、今暗い表情を見せてしまったら由唯はきっと私の足のことを心配するだろう。


 「そんなことないよ」と言って、「じゃあ、どうかしたの?」と聴かれてしまう方が気まずい。


 だから、なるべく苦しい自分の感情は押し殺して、由唯や皆の前では明るく笑顔でいなくちゃいけない。もしかしたら、家に帰ってから泣いちゃうかもしれないけど、むしろそれは家に帰ってからなら構わない。

 

 今は何より、無事に家まで帰り着くことが一番なんだから、、


「…あれ?」


 思わず、隣の由唯には聞こえない声が漏れた。


 嫌な予感が脳裏を掠めた。




――左足に、ほんの少しの微かな違和感を覚えた。

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