第15話「背中越しの涙」①

 夏の太陽は、すっかり夕陽に変わり、地平線へと沈み始めた。


 真正面に広がる海の彼方先、海に沈む夕陽は琥珀色の輝きを放って辺りを照らしている。すぐ真ん前が海なので、ペンションを出たデッキから見えるこの風景は、息を呑むほどに綺麗だ。


 浜辺には、すでにほとんど人の姿は見えず、声も聞こえてこない。元々、家族連れがほとんどだったので、この時間はほとんどがおうちに帰る時間なのだろう。


 辺りには、寄せては返す波の音が等間隔に流れているだけだった。


 夕陽の光と、静かな波の音。ノスタルジックな雰囲気を演出するには、十分なシチュエーションだった。


 夕陽の光が創り出す、この時間にしか訪れない刹那的な美しさ。そこに波の音が聞こえてくると、どうしてこんなにも感傷的な想いが募るのか。


 現に、さっきまであんなに海で騒いでいた亮や健吾もすっかり大人しくなって、横でじっと夕陽を見つめていた。


「綺麗だねー」


 男子三人を挟んで、同じように夕陽を見つめていた原田が呟く。


「そうだねー」


 その原田の隣で、芹沢も呟く。


 皆、すでに改めてシャワーを浴びて着替えを終えていた。(また、男子が一人ずつ入ろうとしたら、原田に「時間のムダだから、まとめて入って!」と一蹴され、無理矢理四人でシャワーを浴びるという地獄を味わった。)


 もちろん、女子二人も早々に着替えを済ませ、今の格好は二人ともシンプルにジーパンに白Tシャツというスタイルだ。


 ふと、さっきの二人の水着姿が思い起こされて、すぐさま頭の中からそのイメージを消し去ろうとする。


 一度海では遊んでいたみたいだが、俺たちが行ったのが遅かったせいもあってか、すでに二人とも浜辺に上がってしまっていて、格好もペンションを出て行く時と変わらず、下は水着だが上には薄手のパーカーを羽織っていた。変わっていたのは、少し髪が濡れていたくらいだった。

なので、結局のところちゃんとした水着姿というのはまだ見れていない。


 二人の水着姿を思い返して、また少し顔が赤くなるのを感じた。


 ペンションで二人が唐突にその姿で現れた時、正直大分動揺していた。


 たかが水着姿、それも上はちゃんと羽織っている状態だったにも関わらず、あんなにも動揺するとは、我ながら情けない。


 特に、認めたくはないが、芹沢に関してはほとんど直視できなかった。


 いつもであれば、意図してそちらに目を向けないよう努めているが、あの時は意味合いが違っていた。


 芹沢の水着姿を直視して、平静を装った表情を保てる自信がなかった。


「長い一日も、とりあえず終わりだねー」


 原田の呟きが続く。


「そうだねー」


 芹沢が何気ない相槌を打つ。


 ところが、何がツボだったのか、原田が笑いを零した。


「桜、また『そうだねー」しか言ってないよ?」

「えっ?…あぁ、そうだけど、でも別にこれは!」


 何をそんな慌てることがあるのか、芹沢は何やらあたふたした様子で、それに対して原田は何とも楽しそうに笑っている。


 何が楽しいのか、女子は本当によく分からない。


「あー、それにしても腹減ったなー」


 ノスタルジックな雰囲気を壊しに掛かるのは、やはり健吾だ。


「…あんたね、私たちがこのシチュエーションに浸ってるっていうのに、そんなこと言う?」

「だって、あんなに体力使ったのに、昼以降は何も食べてないんだぞ。そろそろ、晩御飯の時間だろー」


 この綺麗な風景の前でも、健吾にとっては空腹の方が大事なのだろう。呆れたように返した原田だが、確かに健吾の言うことも最もだ。


 あれだけ自転車漕いできて、海でも遊んだら流石に腹は空いてきた。


「…でもまぁ、確かにお腹空いてきたのは本当かもね。結構良い時間だし、そろそろ晩御飯作ろうか」

「そうこなくっちゃ!」

「ただし、あんたもちゃんと手伝ってよ」

「喜んで!」


 そこで、風景に浸る時間は終わりとばかりに、原田は踵を返してペンションの中に戻っていこうとする。


「あっ、由唯。私も一緒にやるよ」

「うん!ありがとう、桜」

「私もお供いたします、原田様」

「…やっぱり、手伝い頼まなければ良かったかな」


 原田に続いて、芹沢と健吾も後についてペンションへと戻って行った。


「さて、俺たちも中に入るか」


 亮が俺たちを促す。


「そうだな、そろそろ本当にゆっくりしたい」


 亮を追って、俺もペンションへと戻る。


 ところが、亮は扉に手を掛けたところで、ふとこちらを振り返った。


「おーい、理久。中入るぞー」


 俺の後ろへと掛けられた声に、振り返る。


 見ると、理久はじっと夕陽を見つめた格好で佇んだままだった。理久の姿が逆光で照らされて眩しい。


「おーい、理久。どうしたー?」


 俺も、理久に呼び掛ける。


「えっ?」


 そこで、ようやく理久は俺たちに気が付いて振り返った。


「あぁ、もう中入るの?」

「さっきからそう言ってるぞ。どうかしたか?」


 理久は何だかぼーっとしていて、状況が飲み込めていない様子だ。それに対して、亮は軽く笑いかける。


「ごめんごめん、ぼーっとしてた。入ろう入ろう!」


 まるで何かを誤魔化すかのように、ことさら大きな声で理久は答えた。


「本当にどうした?何か考え事か?」


 側まで来た理久に思わず声を掛ける。理久らしくなく、何だか落ち着きがないように見える。


「いや、本当にちょっと疲れが出てぼーっとしてただけだから。ごめん、入ろう」

「おいおい、しっかりしろよ。まだまだ夜はこれからなんだからな」


 言って、亮が扉を開けた。


「ごめんごめん」


 促されて申し訳なさそうに理久が中に入っていく。


 横を通った理久は、やはり何だかソワソワした様子で、その表情はどこか思い詰めているようにも見えた。


―――


「…で、何でお前はここに座っているんだ?」


 あまりに自然に、俺たちの正面に座っている健吾に思わず問う。


「いやー、ここは私たちに任せて吉川は座ってて良いからって言われて」

「役に立たなくてむしろ邪魔だから吉川はこのまま消えて!って言ったの!」

「えっ!そこまでは言われてないんですが!?」


 つまりは、意気揚々と手伝いに行ったはいいものの、何もできなくて追い返されたというわけらしい。


「むしろ、お前は何ができると思って行ったんだ?」


 亮が呆れたように言う。


「いや、熱いエールは送ることができると思って」


 これは、追い返されて当然だ。


 案の定、キッチンの方から、「だったら、夕陽に向かって腕振ってろ!」と原田からの手厳しいツッコミが飛んでくる。健吾は、昼間の主従関係が戻ってきたように、「はいぃ!」と情けない声を上げて、そのまま小さくなってしまった。


「全く、これから人数分のカレー作らなきゃいけないっていうのに邪魔して…」


 ブツブツと文句を言う原田の声がここまで聞こえてくる。オープンキッチンなので、そこまで大きな声でなくても充分に声は届く。


「まぁまぁ、由唯、私たちでパパッと作っちゃおう」


 怒れる原田の横で、芹沢は苦笑いを浮かべながら冷蔵庫から食材を出している。


「とりあえず、ご飯を炊いて、それから食材切って、と…」


 芹沢は、ブツブツと呟きながら、どうやら料理の段取りを考えているらしい。


「いやー、良い光景だなー」


 芹沢と原田がキッチンの中で動いているのを見ながら、亮がしみじみと呟く。


「やっぱり、女の子に目の前で料理作ってもらうって、男子の夢だよなー」

「そうやって夢を見るのもいいけど、ただ座ってるだけじゃなくて、少しは手伝ってはもらえませんかね?」

「すいません、健吾同様私も何もできません!」


 原田にチクリと何もしてないことを刺されるが、それに対しての亮の即答はあまりにストレートでいっそ清々しい。


 次は、こちらにも矛先が向きそうだが、芹沢と一緒に作業するなどとてもじゃないがご遠慮願いたい。まともに作業が手に付かなくなることは目に見えているので、くれぐれも原田と目が合わないように視線を落とす。


「…だったら、僕が手伝うよ」


 そんな中、恐る恐るといった様子で理久が自ら手を挙げた。


「おっ!流石は理久!自ら死地に飛び込んでいくとは!」

「…吉川くーん、『死地』って、一体どこのことを言ってるのかなー?」


 手に持った包丁を掲げながら、原田が満面の笑顔でこちらを見つめている。すぐさま、「ひぃぃ!何でもありません!」と健吾が仰け反って大袈裟に慄く。


「でも、理久君、本当に手伝ってくれるの?だったら、凄く助かるなー」


 包丁を下げて、今度は本当の笑顔で理久に笑いかける。うん、これならちゃんと可愛いと思える。


「あっ、うん。邪魔にならなければいいけど…」

「理久君なら、大丈夫だよ!そこのバカとは違うから」


 仰け反った体勢を保ったままの健吾を、顎で指しながら原田が容赦なくこき下ろす。今日一日で健吾の地位が底辺まで下がったような気がして、ここまでくると若干気の毒にも思えてくる。


「理久君、じゃあ何やってくれるかな?」


 食材を出し終えたのか、原田の横に並んで芹沢が理久に笑いかけてくる。


 理久は、立ち上がると「そうだねー…」なんて言いながら二人が待つキッチンへと向かう。


「一応、包丁は使えるから、玉ねぎでも切ろうかな」

「おぉ、一番切るのが大変な玉ねぎを真っ先にやるって言うなんて、やっぱり理久君は紳士だねー」

「いや、そんなこともないけど…」

「じゃあ、ごめんだけどお願いしてもいいかな?」


 少し緊張した様子の理久だが、それに対して原田と芹沢は優しく話し掛けてキッチンへと迎え入れる。健吾に対してとは、対応が雲泥の差だ。


「こら!俺が行った時とあまりに態度が違い過ぎるぞ!差別はんたーい!」


 案の定、健吾が抗議の声を上げる。


 すると、理久に笑顔を向けていた原田の顔が、一瞬で冷たく表情をなくし、健吾を鋭い眼光で射抜く。


「…そろそろ黙らないと、吉川だけ夕飯抜きにするけどいい?」


 史上最速の土下座を見た。椅子の上で即座に膝を折り、真っ直ぐ原田に向き合うと、健吾は何も言わずに静かに頭を下げた。その潔さには、もはや一種の美しさすら備わっていた。


 その態度に、「良し」と短く呟くと、原田はまた理久に元の笑顔を向けた。


「よし、じゃあやっちゃおうか!」


 そうして、夕飯の支度が始まった。


 カレーなので、そこまで大変ではないのだろうが、こちらから見ていても原田と芹沢の手際は良さそうで、あれこれ声を掛け合いながらテキパキと作業を進めていく。


 理久も、健吾と違ってちゃんと手伝いはできるようで、原田と芹沢に何をしたらいいか聴きながら一緒になって作業を進めていく。時折、「おぉ、早いねー!」なんて原田の弾んだ声が聞こえてくるので、理久も結構料理はできるみたいだ。


 取り仕切っているのは専ら原田ではあるが、芹沢も事あるごとに理久の手元を見て気を回して、理久から聴かれたことに笑顔で答えている。


 オープンキッチンなので、キッチン内のスペースは結構広い。それでも、三人一緒に作業するとなると流石に手狭みたいで、それぞれの距離は結構近い。


 それこそ、手を伸ばせば触れられる距離で、理久は芹沢と話をしていた。それも、とても二人とも楽しそうに。


 理久も、最初は緊張していたが、作業を始めていくうちに慣れてきたのか、次第に笑顔が増えてきた。


 今、キッチン内で笑い合ってる理久と芹沢の姿が、中学の放課後に教室内で楽しそうに話していた二人の姿にまたダブった。


 そのことに、心がざわついた。


「理久、良いなー。役得だな」


 亮が片肘つきながら、呟いた。


「なっ、昇?」


 そして、どういうわけか俺に話を振る。その急な振りは、想定してなかった。


「…『なっ?』って、何で俺に振るんだよ」


 動揺を悟られないように、少し間を置いて返答する。キッチンでは、三人とも作業中なのでこちらは見てない。それをいいことに、亮はこちらを見てニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。


 こいつ、ワザとか。


 この距離だと、こちらの会話などキッチンにも筒抜けだ。その中で、敢えて俺に話を振るとは、他意を含んでいるとしか思えない。


「えっ?昇もこっち来たいの?」


 すかさず、キッチンから原田の声が飛んでくる。そして、こちらに向けてニヤリと笑みを浮かべる。


「来てもいいけど、四人で作業するには、ちょっと狭いかなー」

「別に、行きたいとか言ってないから、気遣い無用!」


 なるべく平然と返したかったのに、咄嗟に出た声は大きくなり、口調も少し強くなった。

しかし、原田は何も気にしてない様子で「へぇー」とか言いながらこちらにニヤニヤ笑いを向けながら作業を続ける。


「…ちゃんと見ながら料理しないと、怪我するぞ」


 せめてもの反撃でそんなことを言うが、当然原田には効かない。「大丈夫だよー」とか言いながら、楽しそうに笑っている。


 ふと、芹沢の方に視線を向ける。


 予想通りだが、芹沢はグッと口を結んだまま、じっと食材を切ることに集中している。というか、意図してこちらを見ないようにしているように思える。


 亮と原田に、内心で「覚えてろよ」と漫画の悪役のような台詞が浮かぶ。


「あっ……!」


 その時だった。短く小さい悲鳴が上がる。


「…いたー」


 そして、芹沢が指先を見つめながら呟く。


「桜、大丈夫!?」


 原田が慌てた様子で芹沢に寄り添う。


「ごめん、大丈夫。ちょっと包丁で切っちゃった」


 まさかの、芹沢の方が怪我をしてしまったようだ。


「大丈夫?確か、救急箱あるから持ってくるね!」

「あぁ、理久君。そこまで深く切ったわけじゃないから、絆創膏くらいでいいよ」


 慌ててキッチンを出て行こうとする理久に、苦笑いを浮かべながら芹沢が声を掛ける。その様子からすると、本当に軽く切ったくらいでそこまで大怪我ではないみたいだ。


「どれどれ?ちょっと見せて」


 言いながら、原田が芹沢の手を取って傷の具合を見る。


「うーん、確かに軽く切っただけみたいだね」

「ねっ?そんなに大したことないから」

「でも、血は出てるから、ちゃんと処置しなきゃだめ!ほら、とりあえず傷口洗って」


 原田がその手を取ったまま、芹沢を蛇口へと引っ張っていく。芹沢は、引っ張られるがまま、原田に指先を洗われている。


「大丈夫?傷口沁みない?」


 少し強引に芹沢の手を引っ張ったが、芹沢を気遣う原田の声は優しい。


「うん、大丈夫だよ」


 言って、ふふっと芹沢が笑う。


「うん?どうかした、桜?」

「ううん。何か由唯、お母さんみたいだな、って思っちゃった」


 笑いながら、芹沢は素直にその理由を答える。


「お母さんって、ひどいなー。こんなに恭しく手当してあげてるのに」

「ごめんごめん。ありがとう、由唯」


 膨れて見せる原田に、芹沢は笑いながら礼を言う。そのやり取りに、原田も笑いを零す。


「全く。それにしても、何で桜の方が怪我してるの?昇に言われたのは私なのに」


 傷が浅くて安心したのか、心配していた口調が今度はいじりに変わる。ところが、そこで出たのが自分の名前だったので、思わず視線を逸らした。


 亮といい原田といい、何であえてそこで俺のことを蒸し返す。


「ドジっちゃった。やっぱり、普段料理やらないからダメだねー」

「何言ってんの、あれだけ手際良くやってて。悪いのは、昇が変なこと言うからでしょ」


 明らかにこちらに向けられた声に、視線を向けざるを得ない。むくれてしまっている顔を隠そうともせず、原田の方を向く。案の定、原田はニヤニヤ笑いだ。


 その視線が、そのまま芹沢に向く。


 すると、芹沢も手を洗いながらこちらを見つめていた。


 思いがけずぶつかった視線に、戸惑った。まさか、向こうもこちらを見ているとは思ってなかったので、それは不意打ちだ。


 しかも、合った視線を逸らそうともせず、芹沢はこちらを見つめたまま何やら言いたげな表情を浮かべている。


 昇のせいだぞ。


 仲良かったあの頃のように、まるでそんなことを言われた気がして、更に戸惑う。


「…俺のせいかよ」


 堪らず、視線を外して言い返す。しかしその声は、突っぱねたように聞こえないよう意識したせいか、どこか頼りなくか細くなってしまった。


 それが、やけに恥ずかしい。


 俺の反論が聞こえてか聞こえずか、キッチンの二人は何やら楽しそうに会話を続けている。とりあえず、突っぱねた言い方に聞こえてなかったことに、ホッとしている自分がいた。


「救急箱、持ってきたよ!」


 そんな中、理久が救急箱を持ってキッチンへと戻ってきた。


「理久君、ありがとう」


 手を洗い終えた芹沢が、キッチンペーパーで手を拭きながら礼を言う。


「ごめんね、救急箱探すのに手間取っちゃって。とりあえず、傷口見せてくれる?」


 言いながら、理久は早速救急箱を開けている。 


 そして、消毒液と絆創膏を取り出すと、自然に芹沢の手を取った。


「あぁ、良かった。そこまで深く切ってはないね」

「だから、そう言ってたのに。理久君、慌て過ぎだよ」

「ごめんごめん」とか言いながら、理久は笑って消毒液の蓋を開けた。

「少し沁みるかもだけど、ごめんね」


 言って、傷口に消毒液を掛ける。芹沢は、されるがままといった感じで完全に理久に任せた様子で、手を預けている。


「うん、あとは絆創膏貼っておけば大丈夫だね」


 そのまま、絆創膏を一枚出して芹沢の指に丁寧に巻き付ける。


「はい、これでオッケー」

「ありがとう、理久君」

「へぇー、何か理久君慣れてるね」


 先程の料理の時はあれこれ指示を受けながらやっていたのに比べて、実に手際良く処置を終えた理久に、原田が感心する。


「運動部だと、やっぱり怪我って結構あるからね。こういうのは慣れてるんだ」


 理久は、照れ臭そうに笑った。


 「へぇー、すごいすごい」「ありがとう」と女子二人から賞賛されて、理久はすっかり照れ切っている様子だ。


「本当、理久役得だな」


 亮がニヤニヤ笑いながら、照れてる理久を眺めている。その横で、吉川は同じくニヤニヤしてはいるが、原田から発言禁止令が施行されているので、声は出せないみたいだ。


「……」


 キッチンの三人を見る。


 亮の言うように、普通に可愛い女子二人からああして褒められていて、理久のことを羨ましいな、と思う。 


 亮や健吾と同じようにそう思っているはずなのに、今心の中にある感情は、羨ましいだけで片付けてしまうのはどこか違う。


 ついさっきまで、ホッとしていた柔らかな気持ちが、また次第に冷たくなっていくのを感じる。


 海に着いてから、こんなモヤモヤがその都度心を占める。


 それを言葉にできずに、いや言葉にしたくなくてずっと心の中でグルグルと回している。


 視線の先には、笑っている芹沢がいて、その向かいには理久が照れながらも何とも嬉しそうに笑っている。


 そんな二人の姿に、またあの放課後の光景が重なる。


 そして、何故かそこにさっきデッキで見た理久の姿が思い出される。


 …まさかな。


 どんな小さな呟きも、この距離ではきっと誰かに聴かれてしまう。


 だから、その言葉は心の中にモヤモヤと一緒に留めて漏らさず、そのままバレないように二人から視線を外した。

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