第14話「青い夏」④

 男子四人が来たのは、二人でひとしきり海で遊んで、休憩しようと浜辺に上がって少し経ってからだった。


「あれ?お二人さん、海で遊ばないの?」


 私たちの元に来るなり、吉川が言った。


「さっきまで遊んでたよー。あんた達が遅いから、もう上がっちゃったけど」


 由唯が答える。


 吉川がそう言ったのは、恐らく私たちが上着を着ていたからだろうか。


 危なかった、あと五分程男子が来るのが遅かったら、全身水着姿で鉢合わせするところだった。


 半ば強引に由唯に海に引き込まれて、私も上着を脱いで由唯と海でひとしきり遊んでいたが、男子が来る前に上着を着ていたことに、やはりホッとしている自分がいる。


「遅いって言っても、四人順番にシャワー浴びてたんだから、仕方ないだろ」

「えっ?何で一緒に入らなかったの?」


 さも、一緒に入ってることが当たり前のように由唯が言う。


「入るか!何が悲しくて、男四人でシャワールームに入らなきゃいけないんだよ!」

「そうだぞ。俺たちが健吾に襲われでもしたら、どうしてくれるんだ」

「おい、亮!お前はこちらの味方なのか、敵なのか一体どっちなんだ!」


 相変わらず、テンポの良いやり取りが目の前で繰り広げられていて、頰が緩む。由唯もそうだけど、皆本当に驚くほど元気だ。


「あーあ、もしも四人一緒に入ってたら、私たちの水着姿が見れたのに、残念だったねー」

「何!原田様、何卒我々愚民共に、もう一度そのお姿をお見せくださいませ!」

「おい、勝手に俺たちを愚民の枠に入れるな」


 井川に比べて静かに入る声に、心臓が微かに疼く。


 意図してそちらの方は意識しないようにしていたが、声が飛んでくると反射的に身体が固まる。


「…おいおい、昇、そこは細かいことは気にせず堪えていたら、もしかしたら見せてくれたかもしれないのに」

「あのね、コソコソ話のつもりなら、もう少し声のボリュームとか気にしたら?」


 健吾と由唯のやり取りの間で、昇は呆れた表情を浮かべている。


「いや、健吾はともかく俺は別にそこまで見たいとは思ってないから」

「へぇーーー、本当かなー?」


 怪しい、と言わんばかりにじとりと昇を見つめて由唯が上目遣いで言う。そして、じりじりと昇に近付いていく。


「本当かなー?本当かなー?」

「うるさい!とりあえず、近づいてくるのは止めろ!」


 言葉とは裏腹に、明らかに照れている昇の反応に、由唯は楽しそうにどんどん体を寄せていっている。


 そんな二人のやり取りに、また胸が疼いた。


 自分は、いずれにしても由唯のようなことはできないが、昇に何の遠慮もなく近付ける由唯の距離感に少し嫉妬する。


 ただでさえ、昇の近くにいたり行ったりするのは緊張するのに、今は半分水着姿だ。こんな薄着の状態ではとても近付けない。


 ふと、水着姿の自分の足に視線が落ちる。そして、思い返されるのはさっきの昇の反応だ。


 今、目の前で由唯にからかわれている昇は、いつもの調子に戻っているみたいで、特にぎこちなさや動揺している様子はない。


 さっきはサプライズで登場したからあんな表情を見せただけで、二度目は通用しないのか、と思うと何だか悔しい。実際、結構由唯は近くまで寄っているのに、慌てている割にはそこまで逃げようとはしていない。


 バカだなぁ。


 そんな心の呟きは、果たして昇に対してなのか、自分に対してなのか。


「さーて、昇をからかって十分満足したし、次は何しようかなー?」


 ひとしきりからかって満足したのか、ようやく由唯は昇から離れた。離れられた昇は、少し呼吸を乱しているみたいだが、ぐぅの音も出ない様子で由唯を睨むだけで特に何も言わなかった。


「海ではとりあえず充分遊んだし…あっ、そうだ!」


 由唯は、何かを思いついたようにパッと顔を輝かせると、くるっと吉川の方を振り向いた。


 満面の笑顔。しかし、こういう時の由唯の笑顔には大抵裏がある。


「吉川、ビーチでゆっくりしたいからビーチパラソル持ってきて!」


 目一杯の可愛い声で吉川にお願いする。だが、その注文は予想通り何とも無茶振りだ。


 当然、吉川の反応は「はぁ?」だ。


「って、あるか!そんなもん!」

「えっ、あるよ?」

「「あるの!?」」


 割って入った理久君の思いがけない返答に、由唯と吉川の声がユニゾンする。


 驚いている二人を尻目に、理久君は天然の成せる業か自然な笑顔で答える。


「うん。おじさんから、本当は有料で貸し出すんだけど、今回はサービスで自由に使ってくれていいって」


 本当に、理久君のおじさんには至れり尽くせりで色々してもらって、もはや有難いを通り越して申し訳なさを感じる。


 しかし、由唯は「本当に!」と、テンションが上がるのが先みたいだ。


「理久君ありがとう!よーし!そうと決まったら、吉川、ひとっ走り取ってきて!」

「何も決まってねぇ!行くか!自分で行け!」


 珍しく由唯の要求を突っぱねて、そのまま吉川はそっぽを向いてしまった。今日一日、由唯の要求に対して吉川は言われるがまま、という感じだったが、流石に今回は難しいか。


 と、思ったのも束の間。そっぽを向いている吉川に、由唯はにやりと不敵な笑みを浮かべた。


「あーあ、そんなこと言っていいのかなー?」


 思わせぶりな物言いで、由唯は頭の上で腕を組んだ。上着が少し持ち上げられて、お腹が少し見える。


「…何がだ?」


 そっぽを向いていた吉川が、横目でちらりと由唯を見る。そして、視線が下に落ちた。


「パラソルがあったら、日差し気にしなくて良いから、暑いし上着脱げるんだけどなー…」

「不肖、吉川健吾!謹んで取りに行かせて頂きます!!」


 言うが早いか、吉川は物凄いスピードでペンションに向けて走って行ってしまった。


 その走り去っていく後姿を、呆然と五人で見届ける。


「阿呆だ」

「阿呆ね」


 井川と由唯は、相変わらず吉川に向けての言葉は遠慮がない。


「あれ?健吾、ビーチパラソルの場所分かるのかな?」


 そんな中でも、理久君はちゃんと吉川の心配をするので偉い。


「いや、分からないんじゃないか?阿呆だし」


 昇も、理久君に答えつつ吉川をいじる。三人から「阿呆」呼ばわりされて、流石に吉川が可哀想な気もするが、走って行った理由も理由なので、私は特にノーコメントだ。


「もう、仕方ないなー。じゃあ、僕も行ってくるよ。結構ビーチパラソル重いだろうし」


 言うなり、理久君もペンションへと走って行ってしまった。


「えーっ、理久君、そんなことしなくていいよー。あの阿呆に任せておけばいいよ」


 由唯が呼びかけるが、理久君は振り返りつつ「いいからいいからー!」と手を振って爽やかにそのまま行ってしまった。


 残された私たちの間に、変な沈黙が下りる。


「理久って、本当にいいやつだけど、色々損しそうだよな」

「損しそうというか、すでにしているというか」


 爽やかに去っていった理久君の背中に向けて、井川と昇がしみじみと言う。


「何言ってんの!せっかくビーチパラソル取りに行ってくれてる理久君に!何もしてないあんた達がとやかく言うな!」


 ピシャリと指摘する由唯に、反射的にか「気を付け!」の姿勢をした井川と昇は「はい!」と良いお返事だ。


 しかし、すぐに「あれ?何で今俺達怒られたんだ?」と井川が冷静に呟いた。


 さて、私も由唯と同じく海では十分遊んだので、由唯に甘えさせてもらって今日はこのままビーチパラソルの下でのんびりしたい。


 あの二人が戻ってくるまで暇なわけだけど、何気に今残っているメンバーは少し気まずい。


 由唯と井川と、よりによって昇だ。


 由唯はそうだが、井川も私と昇のことは男子の中で一番知っているだろうから、変な気を回されそうで正直落ち着かない。


 早く吉川が戻ってきてほしいと、今日初めて思ったかもしれない。


「よし、昇!じゃあ、俺たち二人は、少しひと泳ぎしてくるか!」


 そんなことを思ったタイミングで、井川が昇を海へと誘った。


「えっ?お前、元気だな」


 井川はすでに準備体操を始めてノリノリな様子だが、昇は若干足が重そうだ。


「なーに言ってんだ!そもそも、今回は自転車移動で時間も体力も使うんだから、遊べるのはこの後から明日の昼過ぎまでしかないんだぞ!だったら、ここは行くしかないだろ!」

「いや、だからこそ体力回復に充てたいんだけど…」

「馬鹿野郎!ここ二人はもう海満喫してきたんだぞ、俺たちも負けてられるか!」

「そうだそうだ、行ってこーい!」


 井川の誘いを、由唯が煽りを加えて後押しする。


 それでも、昇は渋っている様子で、井川と由唯を交互に見て困った表情を浮かべている。


 と、その時。


 一瞬、昇の視線がこちらに向いた。


「……!」


 突然目が合って、一気に身体が固まる。ここで自分の方に視線が来るなんて、まったくの予想外で、頭の中は軽くパニック状態だ。


 しかし、目が合ったのはほんの一瞬で、昇はまた井川に視線を戻すと、堪忍したのか、「…分かったよ」と渋々ながら了承した。


「よし!それでこそ、昇だ!そうと決まれば、早速行くぞー!」

「って、何で本当にそんなに元気なんだよー!」


 テンション高く駆け出してしまった井川を、昇も叫びながら追いかけていく。そう言う昇も十分元気だ。


「……」


 まだ、心臓の鼓動は鳴り止まない。


 あそこのあのタイミングでこちらに目を向けるのは反則だ。全く予期してなかったので、結構顔は強張っていた気がする。


「いやー、やっぱり理久君以外の男子は皆阿呆だねー」


 横で、走り去っていく二人の背中を眺めながら、由唯がカラカラと笑う。


「…そ、そうだね」


 精一杯、動揺を悟られないように気を付けて相槌を打つ。


 たかが一瞬目が合っただけで、こんなにも動揺するなんて。


 ここに来るまでにも、何度か目が合ったことはある。その時は特にここまで動揺してなかったはずなのに、今は完全に心乱されている。


 そんな自分の心境の変化に戸惑う。


「さーて、吉川と理久君がビーチパラソル持って来てくれるまで、とりあえず座って待ってようよ」


 言って、由唯は体育座りの格好でゆっくりと浜辺に腰を下ろした。


「…う、うん、そうだね」


 由唯に倣って、私も体育座りで腰を下ろす。


 腰を落とすなり、由唯は「うーん」と大きく伸びをする。


「はぁー、少しずつだけど暑さもようやく治まってきて、風が気持ち良いねー」


 そして、両手を大きく広げたまま風を身体一杯に浴びる。


 でも私は、体育座りの格好で膝を抱えるようにしたままだ。


「…そうだねー」


 じっと、先に見える海を見つめる。


 井川と昇はすでに海に入っていて、浅瀬でお互いに水を掛け合ってワーワー騒いでいる。


 これだけ距離が離れていれば、昇を目で追うのは容易だ。ここで向こうがこちらを見たとしても、絶対に目が合うことはない。


 そのことに、ホッとしている自分と寂しいと思っている自分が混在している。


 一体、私は何をこんなに悩んでいるのだろう。


 心の中はゴチャゴチャしていて、自分で自分の感情がよく分からない。


「…どうかしたの?」

「えっ?」


 突然横から掛けられた優しい声に、反射的にそちらに顔が向く。


 すると、由唯は私と同じように膝を抱えて優しい笑顔でこちらを見つめていた。


「何が?」

「『何が?』じゃないでしょ?さっきから桜、『そうだねー』しか言ってないよ」


 言われて、しまったと思った。動揺がバレまいと声色や態度にばかり気を取られていて、返事の言葉にまで気を配れていなかった。


「いや、別に…」

「『別に』でもないでしょ?」


 こういう時の由唯の追及は、声は優しいが甘くはない。


 しかし、自分でもよく分かっていないことなので、何とも言いようがない。


「いや、本当によく分からないの。自分が何を考えているのか」

「昇のこと?」


 ストレートな指摘。そして、それに関しては当たりだ。自分の感情の理由は分からないが、原因は間違いなく昇にある。


「…うん」


 だから、そこは素直に認める。


 ところが、それに対して由唯は「かぁー!」と片手で顔を覆ってしまった。


「ここまで桜に想われておきながら、本当に昇はバカだねー」

「いや、別にそういうわけじゃ…!」


 慌てて訂正する。今、自分の中で渦巻いている感情は、恐らく由唯が想像しているようなものではない。


 昇にどうこうしてほしいと思っているわけではない。昇にどうにかなってほしいと思っているわけでもない。


「ただ、私は…」


 言い訳の言葉を繋ごうとする。


「私は?」


 それに対して、由唯はじっとこちらを見つめている。


 でもそれは、急かしているわけではなくて、「待つよ」と由唯の優しい瞳は言ってくれている。


 ゆっくり、私の思いが形になるのを待ってくれている。


「……」


 それに、安心したんだと思う。


 まだ、心の中で形になっていない思いが零れる。


「…昇と、ちゃんと話がしたいんだと思う」


 そう、それがきっと正解だ。


 突然離れてしまった距離。何かがあったわけでもないはずなのに、ある日を境に言葉を交わさなくなり、近付かなくなり、目を合わさなくなり、いつの間にかこんなにも距離が離れてしまった。


 もう一度、仲良かったあの頃のように戻れるとは思ってはいない。


 それでも、こんなにも離れてしまった距離が、少しでも縮まってくれたらいいのに、と私はどうしようもなく願っているから。


 この二日間が終わって、夏休みが終わったら、またいつもの日々に戻ってしまう。


 少しでもあの頃に近付けるとしたら、この二日間がラストチャンスだ。


 だから、色んな些細なことに対して、今日一日でこんなにも心動かされているのだろう。


「うん、きっとそうなんだと思う」


 自分の中の気持ちを確かめるように、もう一度声に出して言う。


「また、あの頃みたいに仲良くなれるとは思っていないけど、少しでもあの頃に戻れたらいいな、って思ってる」


 思いが声として形を持つことで、それは強い想いに変わっていく。


「私は、そうなれたらいいなと思ってこの旅に来たんだと思う」


 だから、


「だから、」



「桜」



 静かだが、強い声が心に届く。


 その声の方へと目を向ける。


 そこには、さっき海辺で見た優しい笑顔の由唯がいた。


 あれは、初めて見る由唯だった。


 いつも、周りを明るく元気にしてくれる笑顔を見せてくれる由唯。


 その由唯の笑顔が、何だか寂しそうに見えた。


 沈み始めた夕陽の中で見たのは白昼夢のようで、あの場面はとても印象的だったはずなのに、どこかおぼろげで儚い。


 今、目の前の由唯は、その時と全く同じ笑顔を向けているような気がした。


「桜は、昇と話さないとダメだよ」


 じっと、私の目を見ながら由唯が言う。


「この旅で昇とちゃんと話をしないと、絶対に桜は後悔すると思う」


 由唯は、私から目を離さない。だから、私もじっと由唯を見つめたまま、その言葉をしっかりと受け止める。


「だから、頑張れ!」


 そう言って、いつもの元気な笑顔を見せてくれる。


 その笑顔が、私に勇気をくれて背中を押してくれた。


 このかけがえのない二日間で、少しでもあの頃に戻れるように。


「うん!」


 私は、由唯と自分自身に誓いを立てるように宣言した。


「私、今日昇と話をするよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る