第13話「青い夏」③
由唯の堂々とした態度は本当にすごいなと思う。
前で大きく伸びをしている由唯の背中を見つめながら、そんなことを思う。
シャワーを浴びて、そのまま水着で海に行こうと提案したのは由唯だった。
「えっ?もう行くの?」
着替えの最中に言われて、最初に素直に出た感想はそれだった。
「もちろん!ようやく苦労して海に着いたんだから、早速堪能しないと勿体ないでしょ!」
ここまで、長距離を自転車で走ってきたとは思えない笑顔で、由唯は言った。
普段は、体質的に汗を掻きにくいこともあって、部活をしてもあまり汗を掻くことは少ない。それでも、今日の炎天下の中で長時間自転車を漕ぎ続けてきたら、流石に汗だくだ。そして、もちろん体力も大分消耗してヘトヘトだ。
それなのに、目の前にいる由唯ときたら、まだまだ元気一杯といった様子で、疲れはあるのだろうが見た目でそれは感じられない。また、普通に汗を掻きやすいという由唯は、同じく汗だくでもスポーツ少女らしく汗もよく似合う。
「と言っても、流石に私も疲れちゃったから、軽く泳いで後は浜辺でのんびりかなー」
全然疲れてないような声で由唯は言う。
「あっ、それだったら良いかも」
「でしょ!」
私が賛同すると、由唯は目をキラキラさせて本当に嬉しそうにはしゃぐ。
もう、可愛いなー。
思わず、顔が綻ぶ。こういった、由唯の真っ直ぐ感情を出すところが、堪らなく可愛いなと思う。
私は、自分の感情をこんな風に出すことはできない。
「さぁ、そうと決まれば、早くシャワー浴びて行こう!」
言うが早いか、由唯はパパッと服を脱ぎ始めた。
流石に大胆だなー、と思っていると、由唯は下着ではなく、既に水着を着用済だった。
「えっ、由唯もう水着着てたの?」
「うん?むしろ、由唯は下着なの?」
逆に、キョトンとした様子で質問を返されてしまった。
「着てないよー。だって、こんな着いてすぐに海に行くと思ってなかったし」
「そうなんだ。でも、下着だと汗だくで気持ち悪くない?」
確かに由唯の言う通りで、当然ながら下着まで汗でビショビショで、とても気持ち悪い。だから、一刻も早くシャワーを浴びたい。
「確かに、今思えば水着着てきた方が良かったかも」
「でしょ?」
そう言って、腰に手を当てて「えっへん」のポーズを取る。
「これなら、このままシャワー浴びちゃえばいいし、何より楽!」
由唯らしい理由に、思わず笑った。
そうして、シャワーを浴びて男子四人を置いて先に海に向かってるわけだけど。
「うーん、さて、どこら辺に行こうかね?」
ペンションは海の真ん前なので、海へは徒歩一分というビックリする近さだ。ペンションの扉を開けて、眼前にすぐ海が広がっている風景というのは改めてすごいなと思う。
海水浴シーズンということで、海には家族連れと思われる人たちが何組かいて、海では子どもたちが楽しそうにはしゃいでいる。
それでも、人はそんなに多くはない。これが、平日に出掛けられている夏休みの特権だろうか。
「後から四人も来ると思うし、あまり遠くには行かずに、あの辺とかでいいんじゃないかな?」
言って、適当なところを指差す。
「そうだねー」と一応返事はしたが、空返事になってしまった。正直、それよりさっきから気になることがあって、チラチラと由唯を目で追ってしまっている。
由唯の水着、すごいなぁ。
さっきお風呂場でも見たが、由唯の水着はレモン色の完全なビキニタイプのものだった。
完全なビキニタイプだと、足が完全に見えてしまうので、よっぽど自信がないと着れない。現に、私もこの機会に水着を新調しようと思って買いに行ったが、結局最後の最後で勇気が出ず、同じビキニタイプでも下はスカートが付いたタイプのものにした。
実際、それでも男子の前に出るのは恥ずかしくて、シャワールームから出て行くのは抵抗があったのに、由唯は何も気にしない様子で堂々と出て行ってしまった。
でも、確かに由唯のビキニ姿はビックリするくらい似合ってて可愛い。
元々、由唯は中学時代からスタイルが良かったので、水着も似合うんだろうとは思っていたけど、高校生になってより体が大人に近付いたこともあるのか、予想を遥かに上を行く可愛さと色っぽさだ。
「それにしても、あいつらの顔見た?もう、ポカーンとしちゃってさ」
由唯は、本当に楽しそうにカラカラと笑っている。
シャワーから上がって出て行くと、四人全員が由唯の言うようにポカーンと私たちのことを見ていた。
上を羽織っているとはいえ、下は完全に水着状態だ。それで出て行くのに、随分躊躇したが、思い切って出てみると、私の姿を見るなり男子全員が固まってしまった。
そんな男子たちの反応が、言っては悪いが間抜けで、一気に拍子抜けしてしまった。一体、私は何を恥ずかしがっていたのだろう。
男子のあの反応の方が、よっぽど恥ずかしい。
自転車で走りながら話してた理久君の話も思い出されて、男子ってバカだなーとつくづく思い知らされた。
それでも、昇も私の姿を見て同じように固まっていたのを見たときは、内心スッとした。
あそこで、「ざまあみろ!」なんて思いっ切り言えてたらもっと気持ち良かったんだろうな、とバカな想像をしてみてフッと顔が緩む。
「ねぇー、明らかに見惚れちゃってたもんねー」
「うーん、でも、桜が出てった時の方が、男子の反応はあからさまだったから、それはちょっと悔しかったなー」
意外なことを言われる。
「えっ?由唯が出てった時点で、結構男子たち固まってるみたいだったけど?」
「うーん、それはそうなんだけど、明らかに桜が出てった時の方が、男子たち釘付けだったから」
果たして、そうなのだろうか。
確かに最初に出て行ったのは由唯なので、比較のしようはないけど、特に私が出て行ったからといってそんなに変化はなかったように思うけど。
「全く、私の悩殺水着より桜に目を奪われるとはあいつらめ」
そう言って膨れる由唯に、思わず笑いが零れる。
「いやいや、普通に悩殺されてたと思うよ。由唯の水着姿、本当に似合ってるし」
「本当?いやー、桜にそう言われると自信つくなー」
照れたように、由唯が笑う。
「それにしても」
と、由唯がじっと私の目を見て止まる。そして、何故だかニヤニヤと笑いを浮かべている。
「な、何?」
「良かったね、昇があんな反応してくれて」
言われて、すぐ顔に血が上った。突然、サラッとそんなことを言うのはズルい。
「べ、別に私は…!」
「ううん、いいからいいからー!」
全然良くないのに、由唯は楽しそうに笑いながら再び歩き出してしまった。
「もう、本当に別に何とも思ってないから!」
「へぇー」
必死の抗議も空しく、由唯は振り返りもせずズンズン前を歩いて行く。
だけど、今振り返られないのは、むしろ良かったかもしれない。
今、正直自分の顔が火照っているのが分かる。
「まぁ、でも色々思うところがある昇に、あんな顔させられたんだから、それはそれで良かったでしょ?」
「それはまぁ、思ったけど…」
内心を言い当てられ、それに関しては否定しようがない。むしろ、バカな想像もしていたので、そのことを言われたみたいで少し恥ずかしい。
「なら、とりあえずは一矢報いたってことでいいんじゃない?それこそ、もう一段ポカーンとさせる 秘密兵器は私たちあるんだから」
そうして、ウシシと少しおじさん臭く笑う。
「あいつら、上着着ててあれなら、脱いだらどうなっちゃうんだろう」
なるほど、それが秘密兵器か。
由唯は、本当に楽しそうにしているが、こちらの心情は少し微妙だ。
下だけなら、スカートタイプのものなので恥ずかしさはあるけれど、そこまでどうしても見せることができない、というわけではない。
しかし、上は話が別だ。
由唯はどう思っているか分からないが、私としては下着姿で男子の前に姿を晒すようなもので、さっきあんなにも出て行くのに躊躇したのに、果たして上を脱ぐことなんてできるのだろうか。
こんなことなら、思い切ってセパレートのものになんてするんじゃなかった、と後悔が少し頭を掠めるが、今更後の祭りだ。
「由唯は凄いねー。男子の前に出て行くの、恥ずかしくない?」
堪らず、率直に聞いてしまった。私一人だけが恥ずかしがっているのは、なんていうか損な気分だ。
「うーん、恥ずかしいと言えば恥ずかしいよ?」
あっけらかんと返されたが、その返答は予想外だった。由唯のことなので、てっきり気にしてないのかと思っていたので、まさかそんな風に思っていたとは。
「えっ?由唯もやっぱり恥ずかしいの?」
「うん、恥ずかしいよ。でも、それ以上にあんな面白い反応するんだったら、存分に翻弄して楽しまないと損でしょ!」
違った。やはり、由唯は私ほど本当に恥ずかしがっているわけではなさそうだ。
「何だ、別に恥ずかしがってないよ、それ」
「えっ、そんなこともないよ?」
そう言って、あははと笑う。やはり、本当に恥ずかしがっているのは私だけか。
こういうところでも、自分と由唯の違いを再確認する。やっぱり、由唯は男子でも誰が相手でも自分の意思ではっきりと行動できている。
「あーあ、私は結構恥ずかしいのに、由唯はほとんどダメージゼロかー。由唯みたいに、男子とも普通に話ができれば、そんな風に思えるのかな?」
呟くように、本音がポロリと零れ落ちる。
「えっ?中学の時は確かにそうだったし、結構よくそう思われるけど、そんなに男子と話すわけじゃないよ?」
「えっ?そうなの?」
「うん。特に高校入ってからは、ほとんど女子グループの中にしかいなくて、男子との接点もないし」
そう言われてみれば、電話でたまに話をしていても、話題になるのは「高校の友達の誰々ちゃんがー」という話ばかりで、男子の話題が出たことはない。
「えっ、でも由唯、彼氏いたことあるでしょ?」
「えっ?ないないない!っていうか、桜にそんな話したことないでしょ?」
思いがけないカミングアウトだった。
「確かに、聴いたことはないけど…」
「もしもできてたら、真っ先に桜に報告してるよー。『私にも春が来たぞー!』って」
そして、笑いながらこちらを振り向く。
「なーに?桜に隠れて彼氏とよろしくしているとでも思ってた?」
「うーん、そうは思ってないけど、由唯普通にモテるだろうから、てっきりいると思ってて」
「まぁ、確かに周りからもそう言われるし、いたことないって言うと大体驚かれるけど、正真正銘いたことないよー」
言いながら、また前を向くとゆっくりと歩を進めていく。
「私ね、とりあえずは、高校までは彼氏は作らないでいいかなー、って思っちゃったんだ」
「えっ?何で?」
再びの思いがけないカミングアウトに、思わず声のボリュームが上がる。
しかし、前を向いて話しているせいもあるのか、由唯の声はやけに遠くから聞こえるように感じた。
「だって、結構告白とかもされたりするんじゃない?」
「確かに、されるよー。されたよー」
「あまり、良い人がいなかったとか?」
「クラスで一番人気の男子から告白されたこともあったかな?」
何故かは分からないけど、何となく由唯が遠くに行ってしまうように感じて、声に焦りが混じる。
すぐ二,三歩先を歩いているだけなので、すぐに追いつける。なのに、声も距離も何だか遠い。
「…じゃあ、何で?」
由唯との距離を繋ぐ質問の言葉。その自分の声も、どういうわけか小さくなっていく。
すると、由唯は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
そして、向けられた表情は穏やかな笑顔だ。
「もう、高校で付き合いたいって思う人には出会えなかったから、私はもういいの」
ゆっくりと紡がれていく言葉。その声は、先程のように遠くからは聞こえない。
でも、その声にはどこか切なさが混じっているのは私の気のせいだろうか。
「やっぱり、付き合うなら好きな人とじゃないと嫌だから。だから、とりあえず私はいいの」
何故だろうか。
少しずつ落ち始めて、白んできた太陽の光越しに見た由唯の顔は、笑顔なのにどこか寂しそうで、笑顔なのに泣きそうに見えた。
「……」
何か声を掛けよう。そう思って、必死に言葉を探っている間に、その表情は元の元気な由唯の笑顔に戻った。
「だから!」
また、前を向いて元気な声を上げた。
「私は、今日と明日、ここで青春を取り返して、存分に青春するのだ!」
そう宣言するなり、ダッと海に向かって駆け出してしまった。
「えっ、待ってよ由唯!」
慌てて後を追いかける。
由唯は、グングンスピードを上げていき、距離は縮まるどころかどんどん開いていく。
「暑ーい!」
随分先の方から、由唯の声が飛んでくる。
そして、由唯は走りながらサルダルを脱ぎ捨て、上着を脱ぎ去ってしまった。遠くからでも分かる綺麗な小麦色の背中が見える。そのまま、由唯は上着を宙に放り投げた。
宙に舞った上着はフワリと一回転して、砂浜に落ちた。同時に、バシャバシャと激しい水飛沫を上げながら由唯は海に飛び込んで行った。
「気持ちー!!」
海面に顔を出した由唯の歓声が、海辺に響き渡る。
私は、浜辺に落ちた由唯の上着まで駆け寄ると、そっとそれを拾い上げた。
少し砂が付いてしまった由唯の上着を持ちながら、しばらく私は遠くではしゃいでいる由唯を見つめていた。
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