第12話「青い夏」②

 ペンション内をある程度見て回ったところで、理久のおじさんは「あとは、皆で自由に使ってくれていいから。じゃあ、おっさんはこれにて退散しまーす!」と、豪快に笑いながら帰っていった。


 おじさんが帰ると、まずはすぐに着替えることにした。海岸を走ったおかげで少しは汗も引いてはいたが、当然Tシャツそのものは汗だくで、そのままでいるのはやはり気持ち悪い。


 とりあえず、シャワーも浴びたいということになり、レディーファーストで先に女子二人が入ることになった。


 浴槽はなかなか広いらしく、原田が「ねぇ、桜一緒に入っちゃおうよ!」と芹沢を誘った。男同士なら、断固として即座に拒否するところだが、そこは女子。芹沢は二つ返事でオーケーを出し、二人一緒で入りに行った。


「分かってるとは思うし、気持ちも分からなくはないけど、間違っても覗いたりしたら本気で殺すからね。理久君、そこの三人見張っててね」


 原田は冗談抜きの脅しを残して、芹沢と一緒にバスルームに入っていった。理久が見張り役に任命されたのは、中学時代の行いの賜物か。


 女子二人が居なくなると、広いペンション内はやけに静かになった。


 残された男性陣は、特にやることもなく手持ち無沙汰な様子で、間抜けに突っ立っていた。


「…じゃあ、俺は今のうちに荷物の整理でもするかなー」


 唐突に、亮がわざとらしく呟いて荷物の整理を始めた。


 それに引き摺られるような形で、「じゃあ、俺もするかなー」と各々が宣言して、結局全員で荷物の整理を始めた。


 しかし、荷物の整理を始めてからもペンションの中は変わらず静かだった。


 荷物の整理といっても、そもそも持ち物はほとんどが着替えや遊び道具くらいなので、わざわざ出しておかないといけないものはないし、実際は整理するほど散らかっているわけではない。


 それでも、誰もが特に何も言わずに黙々と何かしら手を動かしていた。


 って、全員そういうことかよ。


 自分含め、全員の考えてることが分かって、内心で呆れる。


 何せ、同じ室内の浴室で女子二人がシャワーを浴びているのだ。しかも、それがあの芹沢と原田だ。


 私情を抜きにして、中学時代には間違いなく男子の中で一,二を争う人気を集めていた美少女二人だ。それが、同じ屋根の下で一緒にシャワーに入っているというこのシチュエーション。高校生男子として、意識しなかったらそいつは恐らく不能だ。


 しかし、意識を耳に集中させて、リビングもシンと静まり返っているにも関わらず、バスルームからは話し声どころか水音すらも全然聴こえてこない。


 おじさん、そこは防音機能を少し弱めててくれたら良かったのに、と唯一ペンションの不満が出てきたが、それがあまりにも身勝手なもの過ぎて、すぐに内心でおじさんに詫びた。


 だが、よくよく考えると、今晩はあの二人と一緒に泊まることになるのだ。しかも、おじさん曰く寝るスペースはカーテンで仕切れるくらいのセキュリティだ。


「……」


 思春期の男女が泊まるには、その状況は中々にまずいのではないだろうか、と理性の自分が自身に問い掛ける。


「…理久、良くやった」


 思いがけない呟きに、心の声が漏れたかと思って驚いた。


 その声の主は亮だった。


「えっ、何が?」


 唐突な亮の呟きに、理久はキョトンとした様子で返答する。それもそのはずで、俺は内心で思っていたことと亮の発言が偶然リンクしていただけで、今の亮の発言は確かに唐突過ぎて意味不明だ。


「いや、よくよく考えると今日はここにあの二人と泊まるんだよなー、と思って」


 ところが、考えていたことはまさかの全く同じだった。


 それは、内心もリンクするわと苦笑する。


「あっ、それは……」


 理久も亮の言わんとすることに思い当たり、少し俯く。その顔がほんのり赤い気がする。


 本当、純粋だな。


 亮と俺は、高校生男子らしい妄想を膨らませていたんだろうが、理久は恐らく違う。目の前の反応がそれを表しており、原田がシャワーに行く前に見張りを理久に頼んだ理由は恐らくそういうことだろう。


「何だ何だ、理久。純情ぶって、それでも高校生男子か」


 たが、その純情を真正面から突き破っていくのも、やはり思春期の高校生男子だ。亮は、こういう時容赦がない。


「いや、別にそんなわけじゃ…!」

「皆まで言うな、皆まで言うな。今ここには男子しかいないんだ。遠慮なんてしなくていいんだぞー」


 畳み掛ける亮に、理久は「もー」と言うが特に反論はしない。何も言い返さない所に、理久の男子高校生らしさが垣間見える。


「でも、今女子はいないんだからこういう会話もいいじゃないか。なぁ、健吾!」


 急に会話の矛先が健吾に向いた。確かに、そういえばこういう会話に真っ先に突っ込んできそうな健吾がやけに静かだ。


「えっ?あぁ、うん、そうだな」


 しかし、どういうわけか亮の振りにも、健吾の反応は薄い。いつもならば、むしろ悪ノリを重ねて返すのに、こんな反応は珍しい。


「なんだ、やけにあっさりした反応だな」


 思わず口を突いて言葉が滑り出る。しかし、思っていたことは同じみたいで、亮も理久も同調してうんうん頷いている。


「いや、まぁ、そうだな、テンション上がるな」


 健吾が「テンション上がる」と自分から言ってしまうということは、間違いなく上がってはいない。健吾は、口で言うより行動の方が早い。


「おいおい、どうした健吾。若くして不能になったか?」


 亮が言って肩を組みに行きそうになったが、直前で止めた。まだ、お互いにシャワーを浴びてなかったことに間一髪気付いたようだ。


「何だ、遠慮なく来いよ、亮」


 そう言って、健吾はニヤニヤ笑いを浮かべて、亮に襲いかからんとばかりに両手を挙げて手をワキワキさせている。いや、なぜそっちでテンション上がってる?


「でも、本当にどうしたの?吉川らしくない」


 睨み合いを続ける亮と健吾に、理久の声が割り込む。


 少しずつ亮ににじり寄っていた健吾だったが、フッと我に返ったように手を下ろして俺たち三人を見渡した。


「だって俺、彼女いるし」


 再び、沈黙が訪れた。


 そして、


「「「はぁぁぁぁ!?」」」


 三人の声がユニゾンした。


「お、お前今なんて言った!」

「それは、ちゃんと二次元か!実在するのか!」

「えっ、何で?何で?何で?」


 思い思いに健吾に問いただしていくが、その誰もが動揺を隠せなかった。


「…あのな、昇と亮はそう言うだろうとは思ったけど、何で理久まで?俺は、お前をそんな風に育てた覚えはないぞ」

「いや、健吾に育てられた覚えはないけど…」


 理久が、慣れないツッコミを入れる。いつもなら、ここですかさずつっこむのは亮だが、亮はまだ今突き付けられた現実を受け入れられない様子でぽかんとしている。


 かく言う俺も、まだ健吾からの告白をまだちゃんと受け入れられないでいる。


「えっ、でも本当に?皆同じ反応ってことは、皆初耳ってこと?」

「そりゃそうだ。何せ、今初めて言うからな」


 さも当たり前のように言われ、それが健吾に言われるのだからムカつく。


「いつ頃できたの?」

「高二の夏。だから、これでちょうど一年かな」

「へぇー、結構続いてるんだね」

「まぁ、何だかんだ続いてるな」

「可愛い子?」

「うーん、まぁそれなりに」


 俺たち四人が揃っている時には珍しく、健吾と理久がテンポ良く会話を交わしていく。


「って、ちょっと待て!」


 我に返った亮が、二人を遮る。


「マジか?」


 そのまま、本気の問いかけだ。


 そんな亮に、健吾は今日一番の勝ち誇った笑みを向ける。


「ふふふ、嘘だと思うんだろ、井川亮君」


 また、謎のキャラクターを出してきたが、こちらの反応などは気にせず、健吾はリュックサックの中をガサゴソ探り、中から携帯を取り出した。


 そして、何やら操作をする。


「嘘だと思うならば…これが目に入らぬか!」


 時代劇の水戸黄門の印籠よろしく、俺たちに携帯の画面を向ける。


「「「おおぉぉぉ!!」」」


 二度目のユニゾン。


 携帯の画面には、こちらに向かってⅤサインをして笑顔を向けている活発そうな女の子が写っている。


 さっき、健吾は「それなり」と言ったが、正直お世辞抜きで普通に可愛い。


「えーっ、普通に可愛いよ!」


 今まさに思った感想を、理久は臆面もなく言える。


 その理久の反応に、健吾はうんうんと満足そうに頷いているが、そこで同じことを思ったとしても、口から出る言葉が違うのは俺たち二人だ。


「よし、昇。今すぐこの携帯を海の彼方に」

「喜んで」


 阿吽の呼吸で、同時に健吾の携帯に二人で手を伸ばす。


「って、喜ぶな!!やらせるか!」


 阿吽の呼吸は、ここにも通じていた。手を伸ばすとほぼ同時に健吾は、腕を上げて携帯をエスケープさせる。


 取り逃がした獲物に、亮があながち冗談ではない舌打ちをした。


「…よし、だったら、携帯でなく健吾を海の彼方に」

「喜んで」

「だから、喜ぶな!!」


 いつもの阿呆なやり取りが戻ってきた。理久は、俺たちのやり取りを見てカラカラ笑っている。


「おい、理久。何でお前は笑ってるんだ。まさか、お前も俺たちに黙って…」

「えっ?…いやいや、ないない!彼女なんていないよ!」

「えっ、むしろ理久はいないのか?」


 慌てる理久に、驚いたように健吾が声を上げる。


 思わず大声が出てしまったことが恥ずかしいのか、理久はシュンとなって声のボリュームを下げた。


「いないよー…」

「そうなのかー。他二人はともかく、理久までいないのは意外だな」


 「他の二人は」の「は」がわざとらしく強調された。


「理久、普通にモテそうなのに。まぁ、でも部活が忙しいもんなー」

「うーん、そう言ったら聞こえはいいけど、同じ部内で彼女いるやつ結構いるよ」

「えっ、理久のとこのテニス部でそんな余裕あるとか、むしろ凄いな」


 確かに、理久のテニス部は練習も厳しいし、休みもほとんどないとは聞いていたが、思春期男子にはそんなことはあまり関係ないのだろう。


「皆、何だかんだ上手いことやっているみたいだよ。それでいて、試合すると強いんだから、本当にズルいよ」

「ふーん。だったら、それこそ理久も作ればいいじゃないの?」


 余裕ある様子で、健吾がサラッという。何だろう、今までで一番健吾に腹が立っているかもしれない。


「えっ…いや、僕は別に」


 言いながら、何故だか理久の目が泳ぐ。


 その理久の態度に、長年の付き合いになる俺たちが反応するのは当然のことだった。


「あれ?理久は彼女とか欲しくないのか?」


 亮が問いただす。その顔には、すでに薄っすらと笑いが浮かんでいる。


「うーん、欲しくないわけじゃないんだけど…」

「部活が忙しいからか?」


 立て続けに健吾が質問を繋げる。


「うーん、そういうわけでも…」

「じゃあ、他に好きな人がいるとか?」

「えっ……」


 矢継ぎ早に投げ掛けられていく質問の最中、分かりやすく理久の返答が止まった。


 昔から、理久はあまり嘘が得意ではない。そんな理久がこんなに分かりやすい態度を出すのだから、当然それを無視する二人ではない。


「そうかそうか、なるほどそれなら作らないか!」

「なるほどなー」


 健吾と亮は、ニヤニヤと笑みを浮かべて理久を追い詰めていく。


 まかり間違って自分に矛先が向くのは嫌なので、俺はなるべく気配を消していじりには加わらずにいるが、油断すると顔がにやけてしまいそうでまずい。


「もう、勘弁してよー」


 すでに顔を真っ赤にしていて、何だか泣きそうな様子で理久がうな垂れていく。その様子に、亮と健吾も含めて軽く笑い掛けてやる。


「悪い悪い。でも、別にそれならそれで理久らしくていいじゃないか」


 彼女が先にいた先輩風を存分に吹かせながら、健吾が言う。


「で、その意中のお相手は一体誰なんだ?」

「えっ?誰って…」

「お待たせ―!!」


 ガラッ!という音と共に、元気な声が割り込んできて、思わず四人全員がビクッと身体を震わせた。


「うん?どうかしたの?エロい話でもしてた?」


 「するか!」と即弁明しようと、勢いよく振り返った。


 しかし、そこで固まった。口を突いて言葉が出ない代わりに、その開いた口はそのまま塞がらなかった。


 そこには、ビキニ姿で上にパーカーを羽織っただけの原田が立っていた。


 薄手の白いパーカーを羽織って、前のチャックを胸の上まで上げている。なので、上の水着は隠れているが、下のレモン色のビキニは躊躇いなく晒されていた。そこから伸びる健康的な小麦色の太ももがやけに艶めかしい。


 先程までも原田はショートパンツだったので、太ももは十分見ているはずだった。


 それなのに、「水着姿の太もも」になるだけで、ここまで男心をくすぐるのか。


「うん?本当にどうかした?」


 見ると、他の男子三人もその姿に釘付けの様子で、誰も声を発しない。


「…お待たせー」


 そこに、柔らかに沈黙を破る声。


 その声と共に現れた姿に、今度は息を呑んだ。


 堂々と俺たちの前に姿を見せた原田とは対照的に、後ろから少し恥ずかしそうに俯きながら、芹沢が姿を見せた。


 薄水色の薄手のパーカーを羽織っているので、原田同様に上の水着は隠れているが、下はヒラヒラのスカートタイプの水着だけだ。水色の水着の下から、白いふくらはぎがスラッと伸びている。


 露出度からすると、圧倒的に原田の方が高いが、さっきまでの服が裾が長めのワンピースだったので、そこからの水着姿はギャップのインパクトが強い。


「うん?どうかしたの?」


 芹沢が、俺たちと原田を交互に見て不思議げな声を漏らす。


「ううん。どうやら、私たちの水着姿に悩殺されてるみたいで」

「ち、違うわ!」


 慌てて声を上げたのは、健吾だった。ちゃんと誰かしらが反応してくれたことに、恐らく他三人がホッとしていた。


「ふーん、どうだかねー」


 しかし、原田にそんな誤魔化しは通用しない。明らかにからかう気満々で、俺たちのことをニヤニヤと眺めている。


「素直に言っても良いんだよ?私たちの水着姿に見惚れてました、って」


 図星過ぎて、何ともすぐに言い返せない。


「って、何で水着になってるんだ?」


 原田のからかいはスルーして、亮が疑問を投げ掛ける。だが、その声があまりに弱々しく、何とも頼りない。


「何でって、せっかく海に着いたんだから、ここは早速泳がないと勿体ないでしょ!ちょうど、少しずつ日も暮れ始める時間になってくるし」


 次は、別の意味で開いた口が塞がらなくなりそうになる。六時間近く自転車でここまで来て、まだ到着して間もないというのに、もう海に行こうというのだ。


「まぁ、とりあえず私たち二人は先行くから。あんたたちも、早くシャワー浴びて、良かったら来たら?さぁ、桜、行こっ!」

「えっ?あぁ、うん」


 少し戸惑う様子を見せた芹沢を引っ張って、ここまでの道のりがなかったかのような元気さで、原田はペンションを出て行ってしまった。


 二人が出て行くと、部屋の中は嵐の後のような静けさに包まれた。


「凄かったな」


 健吾の呟きが、空しく部屋の中に響く。


「って、彼女持ちが最初にそれ言うか?」


 ツッコミを入れるのは、いつもに戻って亮だが、声にいつもほどのキレはない。


「いやー、彼女いても、あの二人の突然の水着姿は反則だろ」

「まぁ、それに関しては大いに同意だが」

「そして、あのパーカーの下がとても気になるのだが」

「大いに同意だ」


 二人が阿呆なやり取りを繰り返して、あのパーカーの下はどうなっているかと下世話な討論を始めた。


 女子がいなくなるなり、そんな会話を始めている二人に内心呆れながら、まともな会話ができそうな理久に目線を向けた。


 理久は、固まったようにじっと動かず、顔を少し俯かせていた。その耳元が、こちらから見ても分かるくらいに赤い。


 その姿に、何故だか動揺した。


 中学時代から、女子に対しての耐性があまりなく、理久が女子の前で顔を赤くすることは度々あった。それを健吾と亮からいじられ、更に顔を赤くするのはお決まりだった。


 そんな理久が、不意打ちに現れた二人の水着姿にこうして照れてしまっているのは別に不思議ではない。


 それなのに、


 さっき、亮からの「意中の相手は誰か?」の問いかけに対して、原田に掻き消されてうやむやになりはしたが、理久はその一瞬、やけに動揺していたように見えた。そして、その後に現れた二人に対しての今の反応。


 結び付けるのは、こじつけのようにも思えたが、目の前の理久の反応を見ていると、自分の中でその推測が膨らんでいく。


 浮かび上がってくる、昔見た教室扉の窓越しから見えたあの光景と、ついさっき垣間見えた笑い合う二人のやり取り。


 そんなバカな、と思いながら、結局理久に声を掛けることはできず、代わりに「ほら、阿呆なこと言ってないで、早くシャワー浴びるぞ」と全員に声を掛けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る