第11話「青い夏」①

 海岸線沿いには、気持ちのいい潮風が吹き続けていた。


 富山県氷見市。海の幸が豊富で、近年は寒ブリなどがブランド化されてきていて、本当に少しずつではあるが全国的にも知名度が上がってきている街。


 しかし、実はちゃんとこの街に訪れるのはこれが初めてだ。地元からは結構遠く、電車を使ったとしても乗り継ぎが必要で、一時間は優に掛かる。


 俺たちの地元が南西部にあるため、ほぼ富山県を縦断するような形で来ることになるので、車でもない限りはふらっと遊びには来れない。まぁ、車があったところでまだ誰も運転なんてできないが。


 なので、氷見については「食べ物が美味しい海の街」といった何となくのイメージくらいしかなかった。


 それが、実際こうして訪れて最初に思った印象は、「夏が似合う」 だ。


 俺たちの地元は山に囲まれているので、夏に水辺に行くとすると近場では川しか選択肢はない。


 でも、今眼前には遥か遠くまで続いている青い海が広がっている。山の街では決して見ることのできない、青い夏の風景。


 夏を象徴する風景が、道沿いにずっと続いている。


 そして、見る風景だけではない。自転車で海岸線沿いを走ることで、色んなものが直接身体に伝わってくる。


 身体いっぱいに感じる海の匂い。吹き付けてくる潮風。風ではためく汗に濡れたTシャツ。


 全身で夏を感じられて、それがすごく気持ち良い。


 海辺にきたせいか、照り付ける太陽の日差しは一層強くなったように感じるが、吹き付ける風のお蔭で、さっきと比べてもそこまでの暑さは感じない。


 むしろ、全身汗だくになって火照った身体を、その風は優しく冷ましてくれていた。


 夏に自転車で海岸を走るのがこんなに気持ち良いなんて。


「サイコーー!!!」


 案の定、健吾は一気にテンションが上がって、いつの間にか俺たちを抜かして先頭を独走している。


「本当、気持ちいい!よし、吉川!そのまま真っ直ぐ直進しようか!」

「って、この先は間違いなくカーブなのですが、もちろんハンドルは切ってよろしいんですよね、原田さん?」

「ううん、もちろんそのまま真っ直ぐ♡!」

「語尾にハートマーク付けてもするか!死ぬわ!」


 ここに来て、原田もテンションが上がってるようで、俺たちを抜かして健吾のすぐ後ろを付いて行ってる。


「ほら、桜も可愛くお願いして!」

「えっ、私!?」


 その横で、芹沢は突然の無茶振りに戸惑っている。海に到着したせいか、ベーステンションがそもそも高い二人のテンションが、最高潮に達している。


「それじゃあ……」

「って、何で芹沢も参戦しようとしてるんだよ!増えたって絶対やらないからな!」


 「えーっ、そんなー」とか言いながらケラケラ笑ってる原田の横で、芹沢も本当に楽しそうに笑っている。


 芹沢もテンション上がってるのか。


 内心で意外に思う。


 テンションは、あの二人と比較すると当然落ち着いているように見えるが、普段は物静かで大人しい姿しか見てないので、それと比べて芹沢のテンションは大分高い。普段なら、あんな風に乗ってきたりせず、苦笑いで済ますところだろう。


 それが、原田の無茶振りに乗って、あんなに声を弾ませて楽しそうに笑っている。今日、笑顔は何度か見ているが、今はテンションそのものも高い。


 今は、ほとんど見なくなったテンション高めの芹沢の笑顔。


 それは、よくよく思い返すと、小学校の時は毎日のように見ていた表情だった。


「おうおう、あの三人は元気ですなー」


 横で、亮がジジ臭く呟く。


「ジジ臭いなー。亮はテンション上がらないの?」

「そう言う理久こそ、結構落ち着いてるじゃん」

「えっ、そうかな?結構テンション上がってるつもりなんだけど……」


 一方、ここ三人は前のテンション高い三人に比べてペースを変えず、テンションものんびりだ。


 元々、健吾や原田のようにテンション高いタイプではないから、ここ三人だけで話す時はデフォルトでこんな感じだ。


 ここに健吾がいると、一気に場が喧しくなって、それはそれでもちろん楽しいが、ここ三人だけでのんびり過ごすのも案外好きだったりする。


「うーん、でも前の三人ほどテンション上がってないのは確かにそうかもねー。僕は、氷見は結構来る機会あるから」


 それもそうなのだろう。実際、今俺たちが向かっているのは、理久の叔父さんが営んでいるペンションだ。


 氷見に住んでいる理久の叔父さんは、自営でペンションをやっているそうで、立地も海に面した好立地で、七月から九月は海水浴に来たお客さんたちで結構繁盛しているらしい。


 しかし、それでも平日となると比較的空いてる日もあるらしく、そのおかげと理久の親戚ということもあって、今回一泊泊まらせてもらえることになった。


 氷見に着いて、海岸線をしばらく走ったところにあると聞いていたが、


「理久、そろそろ着きそうか?」


 前三人はテンション上がってペースを上げているが、当然疲労がなくなっているわけではない。ここまで長時間走ってきて、流石にそろそろ息をつきたいところだ。


「うん、もう見えてると思うんだけど……あっ!あれあれ!」


 理久の指差す方、大きくカーブが伸びたその先に、三角屋根の家が見える。


「あれか?えっ、結構良い感じなんじゃない?」


 亮の声が弾む。


 まだ遠目でしか見えていないが、グレーや色褪せたホワイトカラーの建物が点在している中で、一軒綺麗な小麦色をした家が建っている。


「うん、あの綺麗な家だよ。まだペンション始めてから五年くらいしか経ってないって言ってたから、家も実際新しいし、僕も一回行ったことあるけどすごく良い感じだよ」

「マジか!それは、ちょっとテンション上がってきたぞ!」


 海に着いただけではそこまでテンション上がってなかった亮が、ここで一気にテンションを引き上げた。


 そして、「おーい!」と前の三人に呼び掛ける。何事か、と振り返った三人に、片手でメガホンを作って伝言する。


「向こうに見えてる綺麗なウッドデッキっぽい家!あれが、今日泊まるところらしいぞ!」


 ペンションを指差し、また手をメガホンにして呼び掛ける。その声に、三人もそちらの方向を見る。


「えっ、もしかしてあれ!?すごく綺麗っぽくない!?」


 一番最初に気付いてテンションが更に上がったのは、やはり原田だった。


「おいおい、最高かよ!」


 続いて、健吾もテンションを更に引き上げる。


「えーっ!!凄く良いっぽい!!」


 ところが、一番テンションが上がっていたのは意外にも芹沢だった。


「ねぇ、由唯!めっちゃ良さそうだよー!」

「おぉ、桜もテンション上がってるね、そうかそうか」


 珍しく、芹沢の方から原田に少し擦り寄っていく。しかし、当然自転車同士なのでそこまで近付けるわけもなく、それがもどかしいのか左右にグラグラと揺れている。そんなテンション高い芹沢を、原田があやしている。


 本当に、珍しく最高潮のテンションの芹沢だ。


 そして、


「理久君、ありがとう!!」


 振り返り、満面の笑みで理久に笑いかけた。


 その笑顔に、何故だかこちらがドキリとさせられた。


「う、うん。ただ、僕よりも叔父さんにお礼言ってあげてね」


 予想以上に喜んでもらっているからか、むしろ礼を言われた理久の方が戸惑っている。


 その顔は、どこか赤い。


 その表情に、胸が疼く。そして、ほんの少しの苛立ちが首をもたげた。


 直接自分に向けられたわけではない満面の笑み。それに、どういうわけかドキリとしてしまった。それを直接向けられている理久は、一体どういう気持ちなんだろうか。


 そんなことを考えて、更にざわりと胸が疼く。


 自分には絶対に直接向けられることがなくなった笑顔。それが、理久に向けられているということに、俺は紛れもなく心乱している。


 妬み、怒り、寂しさ。どれか一つに絞れない感情が渦巻き、胸の中で複雑に入り混じってグチャグチャになっている。


 ただ分かるのは、その感情のどれもがマイナスで、自分自身を苦しめている。同時に、ともするとそれは自分自身に向けてだけではなく、外に飛び出しかねない危うさを持っている。


 それが怖い。


「よーし、じゃあちゃっちゃと行っちゃって、早く遊ぼうぜー!」

「って、あんた何でそんなに体力あるの」


 思考を掻き消すように、喧しい声が頭に割り込んでくる。


 見ると、芹沢はもう振り返るのを止めて、健吾と原田が相変わらずのコントを繰り広げているのを、横で見て楽しそうに笑っている。


「よし、遊ぶかどうかは着いてから決めるとして、もう少しみたいだし早く着いてしまおうぜー」


 横を走っていた亮が、ペースを上げて原田,芹沢を抜かし、健吾の横に着く。


「おっ、ラストスパートだな!負けねぇぞ!」

「いや、別に競争するつもりじゃね…って、やっぱり待てこら!!」


 一気に自転車を加速させた健吾を追って、結局亮も釣られて自転車を加速させて健吾の後を追っている。


「って、あの阿呆二人は!桜、私たちももうひと踏ん張り頑張ろう!」

「うん!」


 先頭の二人ほどの加速ではないが、前の女子二人も少しスピードを上げてついて行く。


「昇、もう少しだし俺たちもペース上げよっか」


 横で、理久が純粋な笑顔で俺を促してくれる。


 しかし、その笑顔が今の俺には痛い。


「……あぁ、そうだな。行こう」


 気のない返事になってしまって、堪らず理久から少し目を逸らす。そして、その動揺を誤魔化すように、ゆっくりとスピードを上げた。


 理久の顔が見えないように、理久よりもペースを上げていく。


 このタイミングで向けられる理久の無邪気な笑顔と優しさ。


 それに対して、今この時はいつものように笑顔で返せない自分でいることは分かっていたから、この心のグチャグチャが理久に吐き出されてしまわないように、前を走る四人の背中だけを見つめて、ただただペダルを強く踏み込んだ。


---


「おーい!理久ー!」


 ペンションに行くと、大柄な男性が大きくこちらに向かって手を振っていた。


「あっ、おじさーん!!」


 理久も、応えて大きく手を振り返す。


「いやー、本当に自転車で来たのか?流石、若いって良いねー」


 理久のおじさんは、ペンションの前に自転車で並んだ俺たちを見渡して、感心したようにうんうん頷いていた。


 理久のおじさんは、年は五十歳は超えてそうな感じだが、流石に海でペンションをやっている人らしく、健康的に真っ黒に日焼けをしていた。少し恰幅は良いが、太っているというよりは、体格が良いと言うのが正しい。顔つきはどこか理久と似ているが、体格と雰囲気はむしろ健吾に近いものを感じる。


「って、女の子もいるのか!しかも、こんな可愛い子二人とは、理久もなかなか…」

「うわー!おじさん、皆疲れてるから、とりあえず中に入れて!」


 分かりやすく慌てふためいて、理久は掻き消すように腕をブンブン振っている。そんな理久にニヤニヤと笑いかけながら、おじさんは何とも楽しそうだ。


 このやり取りで、大体おじさんのキャラクターと理久との関係値が分かって、少し緊張気味だった皆の顔も綻んだ。


「おう、そうだな!では、長旅ご苦労さん。皆、自転車はペンションの前に適当に止めてもらって構わないから、遠慮せず上がって上がって」

「ありがとうございます。お邪魔します」


 おじさんに促され、ペンション前に自転車を並べてウッドデッキになっている階段を上がる。


「さぁ、では我がペンションへようこそ!」


 そうして、おじさんによってペンションの扉が開けられた。


 その瞬間、


「うわーーー!!」

「うおーーー!!」


 誰の声とも分からない歓声が、ペンションの中に響き渡った。


 中は、外から見ている以上に広かった。電気は点いていないが、窓が多いおかげか、太陽の光が色んな所から差し込んできていてとても明るい。しかも、内装もウッド調で全面小麦色なので、反射させている光は柔らかく、暖かな優しい明るさになって室内を照らしていた。


 一階、二階部分はそれぞれ吹き抜けになっていて、それが室内を広く感じさせていた。一階の入ってすぐがリビングで、すぐ右手側には絨毯が敷かれてソファが置かれ、その前に大きめのテレビが備え付けられている。


 奥はオープンキッチンになっているようで、カウンターを挟んでその手前に四人掛けの木製テーブルが二つ繋げて置かれている。その全てが小麦色のウッド調に統一されていて、どれもが部屋に合っていてお洒落だ。


 キッチンのすぐ左手側には梯子が掛かっていて、そこから二階に上がるようだ。目の前の一階部分だけで十分に広いが、二階部分もこちらからでは奥の壁が見えないくらいに奥行きがある。


「二階には、ベッドが二つとマットレスが四人分敷いてあるから、寝るスペースとして使ってもらえたらいいかな。一応、二階はカーテンで仕切れるようにはなってるけど、男子と女の子で分かれるようなら、マットレスは自由に動かしてもらっていいから」


 おじさんが説明をしてくれているが、健吾と女子二人は何やらソワソワしていて落ち着かない様子だ。


「正直、かなりシンプルな作りになっているから、特に面白いものはないけど、お風呂とトイレもちゃんとあって、あとはフリースペースで自由に使ってくれたらいいから。あと、理久に頼まれて、冷蔵庫の中に人数分のカレーが作れる食材と、適当に飲み物も入れてあるから、それも自由に使ってくれていいから」

「おじさん、何から何までありがとう!」


 理久が礼を言うと、おじさんは「なんのなんの!」と豪快に笑った。


 本当に、何て言うかここまで至れり尽くせりでいいのか。


「すいません、こんな一番忙しいシーズンに高校生だけで押し掛けてしまって」


 流石に、ここまでされてしまうと有り難さよりも申し訳なさが強くなる。思わず、謝りの言葉が口をついて出た。


「いやー、全然気にしなくていいよ!確かに八月は忙しいけど、それは週末くらいで、平日は比較的空いてるから、むしろこっちとしてはこんな大人数で来てくれて大歓迎だから!お代もちゃんと頂くんだから、それは本当に気にしないで」


 そう言って、おじさんはまた豪快に笑った。


 やはり、ノリや雰囲気はどちらかと言うと健吾に近いが、優しいところは理久に似ている。


 おじさんの好意に甘えて、改めて「ありがとうございます」と礼をする。


「理久のおじさん、もう上がっちゃってもいいんですか?」


 もう待ちきれないとばかりに、足をパタパタ踏み鳴らしながら、原田がキラキラした目で言う。


 それに対して、おじさんは笑顔を崩していないが、こっちは内心でため息をつきたくなる。


「…お前な、学校で先生に習わなかったか?ここは、まずおじさんにありがとうだろ」

「あっ、そっか!」


 こいつ、マジで子どもか?


「ありがとうございます!何か、はしゃいじゃってすいません」


 だか、そこは一応高校生。自分の無遠慮さに気付き、気まずそうに頭を掻く。


「いやいや、そんな風に喜んでもらえてこっちとしても嬉しいよ。さぁ、堅苦しいのはいいから、上がった上がった」

「はい!ありがとうございます!」

「では、遠慮なく!」


 原田に続いて、なぜか健吾が一足先に靴を脱ごうとバタバタしている。


「「って、むしろお前は一番遠慮しろ!」」


 ここですかさずツッコミを入れるのはやはり亮だが、なぜか今言われたばかりの原田の声もそこにハモる。そんな三人のやり取りを、おじさんは笑って見ているばかりだ。


 おじさんの許可ももらったところで、靴を脱いでペンションに上がらせてもらう。健吾はいち早く「うひょー!」とか言いながら、一階の中央の所でぐるぐる回っている。原田は、芹沢の手を引いて「ねぇ、二階上がってみようよ!」と、いち早く二階への梯子を上っていく。


 いつもは冷静に「はいはい」なんて言いながら付いて行く芹沢も、「うん!」と嬉しそうにそれに付いて行く。


「いやー、皆本当に自転車でここまで来たの?まだまだ元気だねー」


三人のはしゃぎっぷりに、おじさんが感心したように言う。


「いえ、特にあそこ二人は体力が異常なので、あれを高校生の当たり前と思わないでください」


 落ち着き組を代表して、亮がおじさんに説明をする。健吾と原田の体力とテンションが高校生の当たり前だと思われるのは、大いなる誤解がある。


 しかし、上がってみるとやはり中は大分広い。全員分の荷物を左の空いたスペースにひとまとめにすると、それだけでもまぁまぁスペースを取るのに、それでもリビングはまだまだ広い。四人掛けのテーブルも二台出ているので、それでスペースも取られているはずなのに、男五人でいても狭さは全く感じず、上にいる二人が下りてきても十分ゆったり寛げそうだ。


「本当に広いですね」


 亮が、皆思っているであろう感想を漏らす。


「まぁ、広いことが一番の売りだからね!テーブルも簡単に折り畳めるようなものにしてあるから、もっと広く使いたいってことあったら、テーブル畳んで使ってもらったらいいから」


 なんという汎用性。こういうところに泊まったことはないが、どんなオーダーにも対応できるのであろうその柔軟さに、思わず感心させられる。


「ねぇ、上も広いよ!来てみなよ!」


 二階から原田が顔を出して呼び掛けてくる。


 「おっ!行く行く!」と、我先にと健吾が反応して梯子に駆け寄る。しかし、「ちょっと!あんたが上っていいと許可したつもりはないから!」と、原田の情け容赦ない言葉が健吾に降り掛かる。


「ひどい!俺と原田様の関係じゃないですか!」

「うっさい!どんな関係だ!」


 阿呆なコントを繰り広げつつ、健吾は強行突破で梯子を上り始めている。


 「うおー!本当に二階も広い!」「ちょっと、何で許可なく上がってきてるのよ!」と、二階に到着したのであろう健吾の歓声と、それを迎え撃つ原田の怒声がそれぞれ上から降り注いでくる。


「…なんか、やかましくて本当にすいません」


 本当、高校生が全員あんな感じだとは思われたくない。

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