第9話「海に向かって」②

 今日、初めてリラックスできているかもしれない。


 理久君の隣で、そんなことを思った。


 昼休憩を終えて、再び走り出そうとすると、由唯が「ポジションチェンジしよう!」と言い出した。


 由唯からの提案に、思わず身構えた。さっき樹の下で昇と二人きりにされたことを思うと、このタイミングでの由唯からのその提案は怖い。


 もしも、さっきのように昇と二人で残りの道のりを並走して行くとしたら。想像するだけで、正直かなり気が重い。


 流石に由唯も分かってくれているはずだから、そこまでしないとは思うけど、さっきのことがあるせいか、身体は早くも若干のトラウマを覚えている。


 しかし、由唯が具体的に話を進めるより早く「あっ、じゃあとりあえず俺と昇は先頭にさせてくれ」と井川が申し出た。


 何でも、ここからは道も分かりにくくなるため、井川と昇が先導したいということだった。


 確かに、ここから先は行ったことがない町に入っていくので、井川の申し出に特に異論を唱える人はいなかった。おかげさまで、昇と並走という心配は早々に消えた。


 昇と並走する線がなくなり、内心でホッとしている自分がいて、しかしそれが決まってしまうと、それはそれで何故だか微妙な心持ちの自分がいる。


 矛盾する二つの自分の中の気持ちに、今日も半日過ぎたというのにまだ慣れない。


 というか、この感情は果たして解消されるのかどうか。進展ゼロの現状を考えると、それはとても望めそうにない。


 井川と昇が先頭ということで、残るは私,由唯,吉川に理久君となった。


 由唯がポジション替えを提案した以上、自然と隣は吉川か理久君になるわけだけど、正直由唯には悪いけど、今は隣を走るのは理久君がいいなと思った。


 吉川は朝からテンションが高くて、終始笑わせてもらってて楽しいし、普段なら全然構わないけど、これから先の道のりと今の体力を考えると、あのテンションで来られるのは正直しんどい。


 それに、私は由唯ほど良いツッコミはできないから、それも困りものだ。やっぱりお笑い担当には相応しい相方が必要だと、勝手に自己弁護し、由唯と吉川に内心で詫びる。


 しかし、そんな心配を尻目に、吉川が自分から由唯の元に跪いて、「では原田様、私の隣に」とナイトよろしく手を差し出した。


 あぁ、そんなことしたらまた由唯に叩かれちゃうよーと思ってたら、予想に反して由唯はその手を取ってしまった。井川や昇も「よっ、下僕様!」なんて悪ノリを重ねるものだから、そのまま由唯と吉川がペアになってしまった。由唯のあれは、ノリに身を任せてしまってる感があるから、後で後悔しなきゃ良いけど。


 でも、結果オーライで理久君が隣になった。


「じゃあ、今回は私たちがペアだね」

「うん、よろしく芹沢さん」


 理久君は、爽やかな笑顔で答えてくれる。あいつとのギャップに、内心で溜息が漏れる。


 あぁ、ただよろしくと言われただけなのに、何で私はこんなにほっこりしているのか。


 随分、簡単なことで喜んでしまっている自分に呆れる。


 でも、実際理久君と並走していけるというのは、本当に嬉しかった。


 恐らく、由唯も知らないと思うけど、今回の男子メンバーの中で、何気に一番喋ったことがあるのは、実は理久君だったりする。それは、中学生以前の昇を除いて、ではあるけれど。


 中学時代、由唯はもちろんのことながら、基本的には女子メンバーとばかりいることが多かったので、あまり男子との交流はなかった。


 そんな中、中学時代で唯一と言っていいくらいちゃんと喋ったのは理久君だった。


 同じテニス部で、お互い部長同士。練習自体は男子と女子はそれぞれ分かれてやっていたので、部員同士はあまり交流があるわけではなかったけど、大会へのエントリーや練習メニューの取り決め、たまにある合同練習の打ち合わせなどで男子部長である理久君とはよく顔を合わせて話し合いをしていた。


 私もとても人のことは言えない自覚はあるけど、理久君も相当真面目で、まだお互いが部長になりたての頃はあまり本題と関係のない話はせず、打ち合わせの為に話し合っているだけという感じだった。


 それが、少しずつ部長の仕事にも慣れてきて、余裕が出てきた辺りから雑談などができるようになってきて、それに合わせて理久君も心を開いてくれるようになってきた。


 流石に、普通に校内で会った時に話をするかというと、そういうことはなかったけど、それでも部長同士の話し合いの時には、終わった後も残って話をしたりしていた。


 見た目の印象としては、理久君は大人しそうで物静かなイメージだったけど、実際に話してみるととても明るく、会話の引き出しも多くて話してて飽きることはなかった。話をするまでは、あの三人と仲が良い理由がいまいち分からなかったけど、実際に話をするようになると、これは確かにあのうるさい三人と一緒にいるのも納得だった。


「芹沢さん、体力大丈夫?疲れてない?」

「大丈夫だよー。こう見えて、私も結構体力あるんだよ」


 また、癒されポイントだ。他の三人だったら、こんな風に優しくこちらのことを気遣ってくれたりしない。


「いや、芹沢さんのことを体力ない女子だなんて思ったことないよ」

「えっ、それはそれで女子としては何とも微妙な気持ちになるんだけど」


 少し意地悪に言ってあげると、理久君は自分の発言の無遠慮さに気付いたのか、泡食って「いや、そんなつもりじゃ!」と慌てふためいている。


 そんな反応が面白くて、「ふふふ」と笑いが零れる。理久君は、本当に素直で紳士的だ。


「まぁ、別に良いんだけどねー。体力あるのは事実そうだし」

「うぅ、僕としては元気な子って意味で言ったんだけど…」


 流石に、意地悪し過ぎたか。真面目な理久君が本格的に落ち込んで行く前に、笑いかけてあげる。


「うそうそ、分かってるよ。理久君はちゃんと褒め言葉で言ってくれるもんね。あの阿呆三人組と違って」


 本当、あの三人とは大違いだ。ちょっとは理久君を見習って、女の子に優しくすることを覚えてほしいものだ。


 心の中で勝手に堪忍袋を膨らませていると、なぜだか理久君がこちらを見てキョトンとした顔をしている。


「うん?どうかした?」

「いや、芹沢さんも『阿呆三人組』とか、そういうこと言うんだなー、と思って」

「えっ?変かな?」


 何気なく言ったつもりが、何故だか理久君には引っかかったようだ。


「いや、変じゃないんだけど、何となく芹沢さんってそういったことは言わないイメージがあって」


 確かに、由唯と違ってあまりあけすけな言い方をすることは少ない。というより、由唯があけすけな言い方をし過ぎだと、私からすると思うんだけど。


「うーん、確かにあまり言わないかも。由唯と二人で話してると、由唯があんな感じだから、結構言ってる気もするけど」

「あぁ、原田さんはそんな感じだよね」


 そうして、お互い示し合わせたように笑う。今朝から、由唯のあのあけすけな言い方で随分笑わせてもらっている。


「でも、私がそんなこと言うのってそんなに意外かな?結構、女の子同士で喋ってる時はこんな感じだったりするよ?」

「えっ、そうなの?中学の時話してても、そんな感じは全然なかったけど」


 それはそうかもしれない。中学の時は、昇もそうだけど小学校のときはずっと一緒にいた井川と吉川とも疎遠になって、ほとんど話すことはなかった。だから、理久君の前であの三人を話題に出すことはなかった。


「いやいや、女の子同士の会話って案外そんな感じだったりするよ」

「そうなんだ。男子の間じゃ、芹沢さんって清楚なお嬢様ってイメージあったから、何となく意外だなー」

「えっ、ちょっと待って」


 今、理久君は何と言った。


「今、なんて?」


 もう一度繰り返すと、理久君は何気ない感じで答えた。


「えっ?男子の間で、清楚なお嬢様ってイメージ持たれてたって…」

「いやいや、ちょっと待って」


 何が何だか分からない。いつから私にそんな印象がついていたのか。


「何で、そんな高尚な印象がついてるの?」

「えっ、だって芹沢さん普通に綺麗だし、基本女子としか一緒にいなかったから、男子の間ではそんな感じだったよ?」


 今、理久君はサラッと「綺麗」と言ったけど、その言い方があまりに自然体過ぎて逆に戸惑う。身構えてない所に、何気ない感じのこの一言はなかなかの破壊力だ。


 中学時代、何人かの友だちが理久君に告白して、ことごとく玉砕していた理由が何となく分かった気がする。


 だが、その破壊力も今の私には実際半減している。褒められて喜んでいる以上に、色々気になることがあり過ぎる。


 何で、勝手にそんな印象が一人歩きしていたのだろうか。


「私って、男子からそんな風に思われてたの?」

「あれ?知らなかったの?だから、僕も最初芹沢さんと顔合わせた時、結構緊張してちゃんと話せなかったんだけど」


 そうして、理久君は決まり悪そうに照れ笑いを浮かべている。


 確かに、中学校に入ってから、あの三人組以外の今まで普通に話してた男子も、何となく距離を置かれるようになった気がしていた。


 二年生になったぐらいからは、それ以上に女の子達とほとんど一緒にいたから気付いてなかった。


「そんな風に思われてたんだ…」

「うん。だから、芹沢さんと話するようになったって知られてから、結構周りの男子からはうるさくあれこれ言われたんだよー」


 中学に入ってから、全然男子とは話さなくなったけど、それが本当にそんな理由だとしたら、私としては何とも疑問だ。


 私も、普通に男子と話したいと思ってたし、全然そんな感じじゃないのに。


 ふと、視線が遠く前方に向く。


 まさか、昇が私から離れて行ったのって…


 そんなことを思ったが、すぐに「ないない」と頭の中からその考えを消す。


 明らかに昇のあの態度は私を嫌いになった感じだ。理由は今も全然分からないけど、それだけは中学、そして高校生になった今も態度からして明らかで、さっきの樹の下でそれはなお強く感じた。


 だとしても、


 もしも万が一、理由がそんなことだとしたなら。


 バカじゃないの。


 そう言って、思い切り昇を引っ叩いてやりたい。

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